ページ

ページビューの合計

2011年12月26日月曜日

お役所からご指導を受けた!?

ある所に20年ほど前、借金して建てたいわゆるセカンドハウスが朽ちかけたので、なけなしの貯金をはたいて修復をしたところ、あるお役所から何かの規制に抵触していると言うご指導を受けた。
詳しいことは年明けに改めて連絡されると言うので、それを待つほかないが、それにしても、工事の完了後に指導していただいても、年金収入しかないリハビリ老人にやりなおす資金の余裕があるはずは無く、どういう事になるのか気がもめる話ではある。

こういう事件は、全国いたるところにある筈で、同じ立場に立たされてお困りの向きも多いと思う。参考までに、私の意見を述べておくので違っていたら遠慮なく指摘して欲しい。 ただし、前にも何度か述べたように匿名での反論はご遠慮願いたい。

事件のパターン
① 市民に奉仕する立場にある役人が、市民を指導すると言う趣旨が、良くわからない。
② 指導と言うのは、事前に行うものだと理解していたが、事前報告していたにも拘らず、工事完了後に指導すると言ってきたのは、一体何があったのだろう。
③ これらを、すべてお上意識と責任逃れのためだと解釈すれば、事は簡単だが、こちらに重大な瑕疵があったのかも知れず、一方的な判断をするわけにもいかない。

私の理解する行政とは
① 私の義父(山本達司)は群馬県館林市の助役を勤めたのち市長に押され、5期20年その職にあったが、職員の指導はしても、主権者であり、税金によって自分達を支えてくれている市民に対して指導などというおこがましい言葉を使ったことは無かった。 職員に対しては、怠け心への逃げ道を塞ぎ、公僕に徹することを求め、事あるごとにこう言っていたそうだ。
『能力のある者は能力で働け、能力のない者は体力で働け、体力もない者は真心で働け!』もちろん、市民のためにである。
② 駒場時代のクラスメートで今でも毎年4月の同窓会で顔を合わせる石川嘉延君は、ついこの間まで静岡県知事をこれまた4期16年務めていたが、彼の口から部下である県職員や国際経験の乏しい県議を教育すると言う言葉は聞いたかも知れないが、郷土静岡の県民を指導するなどといった言葉は聞いたことがない。 
③ 指導とは、あくまでも部下に対して行うものであって、主権者である一般市民に対しては、奉仕(サービス)ないし助言と言う言葉を用いるべきである。濫りに法に定めのない指導など行うべきではないし、実際、その多くは越権行為である。

駒場時代、法学部などに行く連中の気が知れないなどと嘯いていたが、こうして大組織を離れた一介の市民になってみると、彼らの方が遥かに大人だったなと思う。
おかげで人格識見ともに優れた多くのクラスメートに恵まれ、いつでも相談できるのだから、人生何が幸いするか分からない。

2011年12月24日土曜日

天皇誕生日に思う・・・皇室をめぐる外戚の姿勢

昨日は天皇誕生日だった。 本来ならば今日は先日中断した病状報告を続けるべきところだが、たまたま今朝の日経朝刊に連載中の新聞小説「等伯」を読んだら、秀吉が天皇家の外戚を狙っていたことを思わせるような記述があったので、急遽思いついたことを書きたくなった。
体調が思わしくないので取敢えず要点だけを列挙すると・・・

①信長は、天皇家以上の地位を狙ったために、近衛前久らの画策によって亡ぼされた。
②秀吉は、一代限りとの誓約を破って、豊臣姓の下賜を要求し、関白職の永続化を図ったばかりか、ことによると新たに親王を擁立して、天皇の外戚に成り上がろうとしたため、死後、家康らによって滅ぼされた。
③家康は、前車の轍を踏むことなく、正三位以上の地位を望まなかったので、その後15代に渡ってその地位を保つことが出来た。

以上は、すべて新聞小説から得た知識に基づく推量であるが、直接、資料に当る余裕がなく、一方、最近の小説家の史実調査は並みの歴史家以上なので、すべて信用することにした。

以下は、現代史に属する上、無責任な噂や異論があって、何かと当たり障りがありすぎるので、問題提起のみにとどめ、判断は読者各位に任せたい。

④ことの当否や理由は別として、正田英三郎氏は、一切皇室には関わろうとしなかった。
⑤小和田恒氏や川嶋辰彦氏のスタンスがどうかは、当事者に聞いてみるほかない。

2011年11月21日月曜日

急性A型大動脈解離からの生還3周年

一昨日(2011.11.19)で、この病気で倒れてから丸3年経った。
未だに、助けてくれた人々や看病に明け暮れながらずっと耐えてきてくれた妻子に感謝はしても、喜びと苦しみが合い半ばする状態が続いている。

(いろいろ書きたいが、今日は体調がもちそうもないので、この続きはまたにする。)

(2012.6.10 日が経ち過ぎたので、最近の投稿への返信からの転記で病状報告に代えさせていただくことにする。)

以下は、2012年6月3日土曜日
『解離性大動脈瘤』 と 『急性大動脈解離』の違い
に投稿された松原さんへの返信です。

松原さんと言い、その前の匿名の方と言い、お2人とも不屈の意志を持って、後遺症を克服されていこうとしておられるのに改めて敬服します。それに引き換え、生還の損得勘定ばかりしている自分は、何と後ろ向きなんだろうと反省させられること頻りですが、ここにきて、はたと気付いたことがあります。

強いて、言い訳させていただけば、お2人とも、まだ働き盛りの50歳前後で、その上、手術の直前まで意識があって、激痛と恐怖を体験され、死を覚悟された上で、自ら、助かりたいという選択をされているのに対し、私の場合は、それらの記憶が一切無く、つまり、助かったと言う感激が無く、ただ後遺症の苦痛と不快感しか体験していないということではないかと思っています。いままで、年齢のせいだとばかり思っていましたが、お二人の後遺症が決して私より軽いとは言えず、しかも、まだ働かなければならない立場にありながら、前向きな姿勢を知って、はたと思い当たった次第です。 それは、お2人とも命拾いをしたことを心から喜んでおられることで、分かりました。

私はと言えば、幸か不幸か助かってしまったと言う損得勘定から未だに抜け出せませんが、一年後には、こんな愚痴をお聞かせしなくて済むよう頑張る(顔晴ると書く女流文筆家も居られると聞きましたが)心算ですのでお気遣いなく、年寄りの愚痴とお聞き流しください。

最近、97年度のゼミ長だった教え子が、フェイスブックで私を見つけ、大学の研究室に残していただいている暦年のHP(情報貝塚)を見て感激し、関口ゼミ再結集の頁を起こすと言ってきてくれたのには、これぞ、教師冥利に尽きると言う気持ちで涙が出ました。 こういう時は、やはり、生きていて良かったと思う一瞬です。



2011年11月8日火曜日

日経春秋欄の石原莞爾論・・メディアリテラシー

メディアリテラシーと言う言葉がある。 パソコンが使えるかと言うような技術論ではない。 新聞・テレビ等における報道や記事の文面からは直接読み取れない意図を読むことである。 これは、朝日新聞社出身の同僚教授から聞いた話だから確かである。

そこで、今回は、日経朝刊2011.10.26の春秋欄を例にとって解説を試みることにする。
これは、一種の講義だから、正確を期すため敢えて全文を転載することにした。

関東軍の参謀だった石原莞爾が、のちの東京裁判で証人として言い放った言葉がある。 日本の戦争責任は日清・日露までさかのぼる・・・と迫る検事に、石原は「それならペリーを呼べ」。 幕末の開国こそすべての始まりだというわけだ。

平和にやっていた島国に黒船で押しかけ、侵略主義に走らせたのは米国じゃないか。 昭和陸軍の鬼才らしい反撃だが、外からの圧力を陰謀の如く受け止め、被害者意識にとらわれるのは幕末以来の日本人の習い性かもしれない。 環太平洋経済連携協定(TPP)への警戒論にも、そんな心情が見え隠れしている。

「TPPに入ったら日本の農業は壊滅し、地域社会も崩壊する」と農協などは激高するばかり。尊皇攘夷ならぬ尊農攘夷の様相だ。過保護にするだけが尊農でもないだろうが、ここにきて「医療も危ない」「外国人労働者が殺到する」と方々からの加勢が目立つ。姿は知れないのに、日増しに大きくなる影である。
幕末の開国も、すったもんだの末に通商が始まった。しかし関税自主権を奪われ、小村寿太郎が条約改正にこぎ着けたのは明治の末。やっと本当の攘夷を果たしたと小村は語ったという。かくも苦心の関税自主権を手放すのか、と息巻くTPP反対論者もいる。ペリーのもたらした呪縛の何という強さか。

以上が全文である。

大学入試の現代文の設問で、「この文章で筆者は何を言いたいのか、〇〇字以内で述べよ」・・と言われても、私だったら全く判らないとしか答えようがない。 何故なら、文面で見る限り、何も結論らしきことを言っていないのだから。
TPP に反対する人たちに悪印象を与えることを狙っているらしい口振りだが、はっきり賛否を明らかにしているわけではない。この匿名の筆者は、その真意を問われたら恐らく相手によって適当にはぐらかすに違いない。 これが、マスメディアが、はっきりした意図を持ちながら、証拠を残さずに読者をその気にさせる巧妙かつ卑怯な常套手段である。

ここで、細かいことを議論し始めたら限がないので、一応、私自身のメディアリテラシーのレベルでの推測を述べておこう。もし、春秋子に反論があるなら、実名でお願いしたい。

①春秋子は、TPPの是非について確信を持っていない。
②しかし、TPPに反対する人たちには組しないか、その振りをしていた方が安全だと思っている。
③そこで、外圧脅威論という一般論に摺りかえるという常套手段に訴えることにした。
④さらに、一般論を補強するべく、石原莞爾や、東京裁判を持ち出した。
⑤返す刀で石原の気概ある正論を被害者意識の一つに貶めると言う効果も狙った。

勿論、他にも、無数の解釈がありうる。

たとえば、今日(2011.11.8)の同紙朝刊一面の署名記事では、論説主幹の芹川洋一氏が、まことに明快な開国論を披瀝されている。 先の春秋欄の記事が書かれてから2週間の間に情勢がはっきりしてきたので、旗幟鮮明にされたのか、あるいは、日経社内でも異見が対立していたのか・・・。 われわれ部外者は、いくらでも想像できるが、そんな無責任な憶測に時間を費やしても意味がない。

私自身、卑怯者にはなりたくないので、自分の意見を述べておく。
①TPPに代わる選択肢は、見当たらない。(米国の国益に真っ向から対抗する力はない。)
②しかし、外圧は、常に警戒しなければ、裏に潜む真の脅威を見落としかねない。
③石原莞爾は、日米の戦力が拮抗するには、数十年かかるから、それまでの間は満州国から一歩も南進すべきではないと、非戦論を唱えた故に陸軍の中で孤立した愛国者であり、侵略主義者でもなければ外圧脅威論者でもなかった。 明治維新において、日清朝連合艦隊で欧米に対抗すべしと説いた勝海舟に比肩すべき気概に満ちた具眼の士である。

関連投稿
2011年4月28日 マスコミに見る世論誘導の実態!

2011年11月3日木曜日

スティーブ・ジョブズのスタンフォード・スピーチ

アップル創業者スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチが、話題になっている。
リード大学中退の彼が、事業の天才として尊敬され、スタンフォード大学の卒業式という晴れがましい場所に招かれて、世界中から集まった秀才達を前に講演すると言うこと自体、異例でもあり、感動的でもある。

しかし、私がここで言いたいのは、そのことではなく、むしろ、彼の話は、成功者の結果論に過ぎず、その業績の大半は、彼の能力や決断に起因すると言うより、偶々そうなった巡り合わせの結果に過ぎないと言うことである。 だから無意味だと言うのではない。 彼の業(ごう)には、そうなるだけの因と縁の無限連鎖があったからで、決して偶々そうなったのではないと言うことだ。 これが、私の提唱する "因果必然の科学的モデル" からの解釈である。 仏教に傾倒していたと言う彼自身、そのことは十分承知していたに違いない。 ただ、大部分の非仏教徒の前で、言っても無駄だから素人分かりのする精神論でお茶を濁したのだろう。

私が、そう考える理由は、彼が、一方で"他人の人生を生きることで時間を無駄にするな"(仏語で言う"随所に主たり")といいながら、他方で"個々の事象の意味は、後になってそれらがどう関連していたのかを見なければ判らない"(人間万事"塞翁が馬")と言っていることで疑う余地がない。

彼が、前者で言いたかったのは、"勝手に生きろ" と言うことではなく、"どうするのが一番プラスか"は、後になって見なければ判らないのだから、"その時点でどうしてもやりたい" と思うことをやった方が良いと言うことだ。 また、後者で言いたかったのは、"そうすればきっと成功する" と言うことではなく、"結果がどうなるかは、自分の能力や判断で事前には決められないのだから、それに煩わされることで、人生の限られた時間を無駄にするな" と言うことだ。

好漢、Steven Paul Jobs に合掌

2011年10月18日火曜日

"趣味はなんですか"・・・当たり障りのある愚問の代表

今日の日経夕刊コラム "明日への話題" に早大教授の津田廣喜氏が戦後の一般サラリーマンからは、まず絶対聞くことのない本音を述べておられる。 要するに"趣味は何ですか" という質問に "無趣味です" と答えると変な顔をされるということである。

私も、この種の質問には、数十年来辟易して来たので、氏が "無趣味の者同志のあつまり" を期待される気持ちがよくわかる。 しかし、そんな集まりに参加したいとは思わないのが無趣味の無趣味たる所以であるから、恐らく何の解決にもならないだろう。

問題は、無趣味な人自体にあるのではなく、こんな当たり障りのある質問を、最も当たり障りのない質問だと思い込んでいるか、本心を隠して相手に迎合し、有りもしない "趣味" なるものを有るかのごとく答える奴隷根性のマニュアル人間のほうに有るのだ。

そもそも、趣味の定義からして、営業用マニュアルから引っ張り出したようなものばかりだ。 もし、この質問が時候の挨拶と同じだというなら、答えもまた当たり障りのない自明の決まり文句でなければならないはずなのに、そうではなく、テレビに出て来るような流行ものでなければならないというのは、不都合を通り越して不届き千万である。

一例として、私がサラリーマン時代に、あるところで銀行の常務(この言葉も商法にはない会社人間用語だが)以上とか称する人々の集まりで前座の講演をしたときのことを紹介しよう。
真打ちは、彼らの間では高名だという "ゴルフ評論家" だったが、控え室で雑談しているなかで、幹事の元某大銀行頭取が、極めて当たり前のようにこう言ったのには、驚く以前に呆れた。
"銀行の役員でゴルフをやらない者は、1%だそうですね。 実際、ゴルフもやらないような行員に出来る男はまずいませんね・・・"

ある米国の経営者が、日本の会社の幹部に趣味を聞くと皆一様に "ゴルフ" という答えが返って来るのに驚いたそうだが、実際には、驚いたのではなく、呆れかえって軽蔑したのだろう。

もし、日米両国の経営者に、私がこの病気で倒れる3年前の夏まで、休日に夢中になっていたのは、沢蟹とりと山栗拾いだと言ったら、何と言うだろう。 "そういうのは、子供の遊びで趣味とは言いません" と言われたら、"では、貴方の言う趣味の定義は何ですか" と聞いて見よう。

2011年10月13日木曜日

ノーベル賞学者の言うUSとEUの違い

今日の日経夕刊のコラムで、ニューヨークから西村博之記者が、今年のノーベル経済学賞受賞者に決まったサージェント・米ニューヨーク大教授のインタビューでの答えを報告していた。

要するに、US も当初、13州が皆破産状態だったが、後に初代大統領となるジョージ・ワシントンやその参謀で「強い中央政府」の支持者だったアレクサンダー・ハミルトン等が、連邦政府に各州の債務を移すとともに、各州の関税徴収権を集中させたことで解決の方向に向かった。今の EU にはその権限がない。全ては政治的決断一つにかかっているというものである。

では、今の日本はどうか。 それが私の言いたいことである。

US は、 US としての国益を決定する機関(連邦政府)を作ることに成功したが、EU は成功していない上、その意思すら当てにならない。

日本の場合、憲法はもともと不出来な上、その正当性すら怪しいところへ持ってきて、最近では国益概念の一致どころか、概念そのものの存在すら消されつつある。
要するに、日本が国家でないのは、EUが国家でないのと同じだと言うことだ。

国家不要論者は、その何処が悪いと言いそうだが、独立国を持たない民族の苦難の歴史を知らない極楽トンボや資産を外国に隠しておけば良いと言う金持ちエゴイスト(売国奴という)と議論しても無駄だから、この辺でやめておく。 だいいち、外国と言う "国家" が無ければそれも出来ないことくらい判らないとは言わせない!

ついでに言うが、リンカーン大統領が、未だに、米国で一番尊敬されているのは、奴隷解放より合衆国の分裂を回避することの方が遥かに重要だと言うことを知っており、かつ、それを明言したからだ。
くどいようだが、彼は国を救ったから尊敬されているのであり、決して国民の一部に過ぎない黒人奴隷を解放したから尊敬されているのではない。

2011年10月8日土曜日

渋沢栄一の "「論語と算盤」 再評価" に思う。

アダム・スミスは、生涯に2冊の大著を残している。1763年の最初の著書『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)と 1776年の通称『国富論』(The Wealth of Nations)である。前者が後者の大前提になっているという説を何処かで読んだ記憶がある。 多分、何年か前の日経 "経済教室" 欄だったと思う。そうだとすれば、前者を挙げずして後者を源流とする "アングロ・サクソン型資本主義" のみを槍玉に挙げるのは、片手落ちであり、"経済学の祖" に対して礼を失することになる。

今朝の日経 "文化" 欄で、編集委員 河野孝氏が、「論語と算盤」に関して、当時ナポレオン3世統治下でのサン=シモン主義政策の影響を指摘した社会政策学者の新説を紹介しているが、時代背景から考えれば肯けないことはない。 しかし、なぜ、その前に 「道徳感情論」に触れないのか、徒らに、アングロ・サクソン悪玉論を唱えていれば良いというものではあるまい。 それとも私の考えすぎか?

2011年10月5日水曜日

政治家の "問題発言" 国際比較

多少、文言に不正確な所があるかもしれないが、趣旨に大きな間違いはないと思う。

① ワシントン大統領
ナバホインディアンの抵抗に業を煮やし、「・・・鎮圧ではなく絶滅だ。 彼らを皆殺しにせよ・・・」

② リンカーン大統領
南部の黒人奴隷解放によって200万人の黒人を北軍の味方に出来るとして、「・・・重要なのは合衆国の分裂を阻止することであり、奴隷解放はその一手段に過ぎない。 もし、その為に奴隷解放が必要なら解放する、しかし。 もし、解放しないことが必要なら解放しない・・・」

③ ヒットラー総統
世界に冠たるドイツ民族にとって、ユダヤ人の存在が障害になっているとして、「・・・最終的解決(ユダヤ民族の絶滅)が不可欠である・・・」

④ 毛沢東主席
米ソの原爆など脅威ではないとして、「原爆で中国の半分の3億人が死んでも、残り3億人が生き残り、何年か経てば6億人となり、もっと多くなる・・・」

⑤ もうひとつおまけに、フランス国歌
 “・・・Qu'un sang impur abreuve nos sillons ! ・・・”
(・・・彼らの穢れた血で我らの田畑を潤すために!・・・)

等々、枚挙に暇がない。 それと比べれば昨今の日本の政治家の "問題発言" など取るに足りない。


真の問題は、何が誰にとって何う問題なのかであり、所詮、民主的に解決できるような生易しい話ではない。 確かなことは、未だ人類の歴史は、自らの帰属集団の生き残り競争、「勝てば官軍」、「弱肉強食」 の世界にとどまっているということだ。

しかし、生態系は、(残念ながら?)共食いも含めて全てそうであり、生態系を守ると言うことは、人類も含めて生存競争を是認すると言うことである。 その何処がいけないのか、他により良い手段があるのか、きちんと答えられる人がいたら教えて欲しい。 ただし、人類だけは例外だとする議論には応じるつもりはないことを断っておく。

2011年9月26日月曜日

合ハイ写真が朝日新聞 "サザエさんをさがして" に掲載される。


私のホームページ 『一期一会・・・Our Eternal Moment』 の 『追憶十話・・・その3』 に載せたお茶大との合ハイの集合写真が、朝日新聞 "サザエさんをさがして" の担当記者の目に留まり、2010年9月25日(日)の朝日朝刊に掲載された。

以下は、私のもう一つのブログ 『50年前の今日の日記・・・60年代駒場の一期一会』 2011年8月7日の記述 『1961.6.26(月) 近くのH嬢より遠くのお茶大生? 』 からの引用である。


・・・4限は黒川らと共にサボり、美作、武藤と4人でお茶大の女の子達との相談に出かけた。 渋谷でコーヒーを飲みながら 1時間ほど駄弁った後、新宿中央口へ出かけた。 30分ほど待たされた後一緒になり、またコーヒーやソーダを飲みながら話をした。

結局、もっと資料を集めなくてはと、鈴木、長沼の両嬢&黒川、武藤の4人と共に三越前の長野県出張所まで行ったが、閉店の 6時にわずかに遅れて目的を達せず、武藤と別れて 4人で東京駅まで歩き、そこの総合案内所で漸く調べることが出来た。

後は鈴木さんから美作のほうへ連絡してコースを選定して貰うことにして別れた。 鈴木さんは毎日2時間もかかる茅ヶ崎から通っているとのことであった。

東京駅へ行く途中、長沼さんが桐生に親戚がいると言ったことから野球の話までとび出し、全く世の中は狭いものだと思った。


(注1) お茶大との合ハイの記事は、昨年9月25日の朝日朝刊 "サザエさんをさがして" に掲載された。 ここに挙げた4人と私の顔も映っているが、どれが誰かは言うわけにいかない・・・?

取材の依頼メールが来たのは8月末だったが、体調が悪く、2週間ほど経ってから気がついたときは原稿締め切り直前だったため電話取材で済ませた。 その時はまだ、自分が幹事役の一人だったことも忘れていたので、不得要領の結果に終わっているが、記者は、この写真に惚れ込んで是非載せたいと言うので、私が全責任を負うということで承諾した。

あれから間もなく 1年になるが、誰からも文句は来ていない。 多分、だれも読んでいないからだろうと思っていたら、10年前に前立腺癌で全摘手術を受けたあとずっと経過観察を受けている執刀医から、"あれは関口さんですか" と言われてびっくりした。 まだまだ ネットより新聞や TV の影響力の方が圧倒的に大きいことを痛感した。 facebook 時代になってこれが変わるかどうか、予断は出来ない。

(注2) 鈴木さんから 2時間かけて通学していると聞いて驚嘆したが、後年、私自身が選りによって茅ヶ崎に住み、3時間かけて千葉市にある東京情報大学まで通勤することになるとは・・・ 隔世の感ありと言うしかない。

(注3) 桐生と野球の話が出たのは、昭和30年(1955年)の春の甲子園で浪商との決勝戦まで勝ち進み、2対2で延長戦に縺れ込んだ末、敬遠で出塁した浪商坂崎の生還を許して3対2で惜敗したばかりだったからだ。
当時、桐生高校への入学が決まっていた私達は、連日登校し、講堂で NHK 取材班の報道に興奮していた。 準優勝旗を持って桐生駅頭に立った今泉-田辺バッテリー以下、TVで すでに顔を知っていた先輩達を尊敬の目で見守ったものだ。 入学後、修学旅行の日程を急遽変更して甲子園にかけつけ、最後まで応援して帰ってきた 3年生 300人余との対面式では、私が新入生を代表して挨拶することになった。
"・・・私達は、桐生と甲子園に遠く離れていましたが、共に桐高ナインを応援することで、同じ桐高生としての誇りを感じていました・・・"

2011年9月11日日曜日

揚げ足取りが出世の条件?

相変わらず、政治家の "問題発言騒動" が続いている。 私から見れば発言自体が問題なのではなく、片言隻句をとらえて政府を攻撃し、徒らに政治を麻痺させることに狂奔するマスコミ人種の方が遥かに無責任である。

今回の経産相辞任劇で言えば、彼の大臣としての無能さを論ずるのでなく、まだ就任したばかりで何も判らないはずなのに、やれ"次元が低い" の "福島県民の気持ちを逆撫でした" のと "人格" を問題視して騒ぎ立てる人々はよほど有能で高潔な人格の持ち主ばかりなのだろう。 私はクリスチャンではないので表現に多少の誤りがあるかもしれないが、"汝らのうち罪なき者、石もてこの女を打て" とキリストが言ったとかいう故事を思い出す。

それほど言うなら自分が立候補すればよい。 しかし、こうした安全地帯からの揚げ足取りで、一人でも多くの閣僚を辞めさせることが業界における出世の条件だとすれば、まさに人類史上最悪、最卑劣、最無責任な職業集団だと言うしかない。 もし彼らの背後に黒幕がいるとしたら真の悪人は彼(または彼ら)だと言うことになる。

世間を徒らに騒がせることによって、政治を麻痺させ、実際に、当の福島県民の気持ちを踏みにじっているのは、いったい何処の誰だろう。 "福島県民の気持ちを逆撫でした" といって経産相を非難する彼らに良識ある福島県民の本当の気持ちが分かっているのだろうか。

2011年8月14日日曜日

平成の田中正造: 東大児玉教授

Yutube で 2011.7/27 衆議院厚生労働委員会における東大アイソトープ総合センター長児玉龍彦氏の陳述を見た。 自ら体を張って行動している方の真剣さがひしひしと伝わってくる姿勢に感銘を受けた。

看過するに忍びず、以下の投稿をさせていただいた。

"120年前の帝国議会における田中正造の獅子吼を思わせる。 

この方の発言の揚げ足取りをする正体不明の投稿が後を絶たないが、こうまでしなければ動かない役人と議員の不勉強と優柔不断に我慢ならなくなったのだろうと拝察する。


ただし、彼らが必ずしも悪意を持って隠しているとは限らない。 とくに良心的政治家の場合、単に判断しかねているだけのことが多い。
級友の江田五月などは誠実そのものだが、私が前立腺癌手術の際、米国では当たり前になっている放射線丸打ち込みが、日本では放射性物質管理法の制約(放射性物質の施設外持ち出しの禁止!)で適用できないことを、当の科学技術庁長官だった彼自身、同窓会での私の体験談ではじめて知り、言ってくれれば如何にでも出来たのにと残念がったものだ。 数年後法律が改正されて可能になったが、2年後の天皇陛下の手術までには間に合わなかった。

要するに政府を非難するのも良いが、こうした難しい問題を知悉し、的確な判断を下し、断固命令するのは不可能に近い。 とくに何でも ’民主的' の名の下に陣頭指揮を執らせようとしない世論(とくにマスコミ)にも責任の一端がある。"


多いサイトでは、20から30万アクセスに達しているそうだが、どの投稿の発信人もすべて匿名で何処の馬の骨ともわからない烏合の衆ばかりであった。 私に言わせれば、こんな投稿の数が何百万に達しようが、住所氏名のはっきりしている選挙民の一票にも値しない。 政府がこのような安全地帯からの無責任な投稿に踊らされるとしたら、そのほうがよっぽど危険だと言うべきだ。 無責任だと言う点ではマスコミと一緒だが、素性がわからないだけにどんな悪意が潜んでいるか知れたものではない。
ネット信奉者も、もっと正々堂々と発言するようにならないと自ら墓穴を掘りかねないと知るべきだ。

参考までに、1900年(明治33年)2月13日、足尾銅山鉱毒被害の実態を中央政府に訴えるべく、群馬県邑楽郡渡良瀬村字下早川田の雲竜時(母方の菩提寺)に結集した地元農民の若手有志たちが、東京へ向かって押し出し(今で言うデモ行進)の途時、意気高らかに歌った 『鉱毒悲歌(国土の興亡)』 を引用しておく。
冒頭に中心人物3名の名が挙げられているが、そのうちの一人、山本英四郎(正しくは、山本栄四郎)とあるのは妻の曽祖父である。

2011年8月6日土曜日

関東平野にクマ蝉が出現!

私は大の蝉好きで、5歳の頃から毎朝、薄暗いうちに起き出して庭の木の一本々々を上から下まで舐めるように点検したのち、夫々の根元の穴の中から這い出してくる "穴蝉" がいないか見て回るのが日課だった。
その私でさえ、生家のあった群馬県桐生市でも、学生時代をすごした東京でも、更に現在住んでいる茅ヶ崎市郊外でも、5種類の蝉の声しか耳にしたことはなかった。 ニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシの5種類である。

ところが、今朝、いつものように散歩に出かけたところ(と言ってもこの暑さでは100mほど先の小公園までがやっとだが)聞きなれない "ぎしぎし" という啼声がする。 これはことによると話に聞くクマゼミに違いないと思い、家に帰ってから Wikipedia で調べたらやはりそうだった。 元々西日本に多いらしいが関東平野で耳にするようになったのはここ数年のことだと言う。 とくに茅ヶ崎市での近年の大発生は夙に注目されていたらしい。

さっそく温暖化と結びつけて論ずる向きもあるが、場所によっては鹿児島県にもいないところもあれば、北海道でも全くいないわけでもないそうだ。 樹木の移植と共に幼虫がやって来たり、他の種族との棲み分けや小鳥の餌になりやすい環境とかさまざまな要因が関係するらしい。 まさに生態系は複雑系の代表である。

その意味では、ことによると人体と放射能の関係なども悪いことばかりとは限らないかも知れない。 樹木だって間伐が必要だと言うことを考えれば、どっちみち増えすぎたホモサピエンスの間引きにはなるし、数百年の間には、放射能に強い人種に改良が進んでいるかも知れないではないか。

これは当事者にとっては耐え難いことかも知れないが、地球上の生物相のレベルで見れば厳然たる事実であることは否定できない。 要するに問題なのは脱原子力の是非(そんなこと誰にも分かるわけがない!)ではなく、結果に責任を負う覚悟のある人間が何処にもいなくなってしまったと言う道義的堕落にあるというべきだ。

それにつけても、卑怯なのは、いわゆる評論家やマスコミ人種である。 若し自然淘汰が避けられないとすれば、真っ先に淘汰の対象となるべきだと思うが、目の前の現実がその逆に見えるから腹立たしい。 しかし、それもマクロの時空間で見ればきっとなんと言うこともないのだろう。

2011年8月5日金曜日

兼好法師なら分かってくれる!

病床日記と題しながら、世相批判ばかりで我ながらうんざりする。私が一貫して批難しているのは、思想信条の内容ではなく、その卑怯な姿勢である。同感の向きも少なくないと思うので古人にも同じような思いで腹をふくらませていた人がいることを思い出して気持ちを静めることにしよう。

徒然草 第八十五段・・・・・・
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

久し振りにまともな記事

久し振りにまともな記事を3つ読んだ。

8月4日の日経朝刊文化欄に五木寛之氏が、"山河破れて国あり" と題して先の敗戦時と今回の破滅的事態の違いを論じておられるが、まさに言いえて妙とでも言うべき表現ではある。 ただ私に言わせれば、66年前の敗戦でとっくに国はなくなっており、今回の事故と災害でその時わずかに残されていた山河をも失ったと言う方がより適切だと思う。 しかし、氏のイデオロギーに囚われない透徹した人間観には、いつもながら敬服する。

8月5日の日経朝刊のコラムでは、吉本隆明氏が、"科学に後戻りはない" と題して原発廃止論を退けた上で、獲得した力に見合う制御能力の確立に努めれば良いだけだと論じておられるが、けだし当然のことで、脱原発が非現実的なのは脱核兵器がそうであるのと全く変わらないことは、小学生でもわかることだ・・・と言ったら小学生に失礼か?

同日の同紙春秋欄には、珍しくまともな記事が載っている。 日立製作所三菱重工のインフラ事業統合を歓迎すると言うものである。 やはり、日経に限らず戦後日本のマスコミがまともな記事を書いたのは、産業界の話だけである。 このこともまた、日本がとっくの昔に国ではなくなっていたことの証左だろう。 と同時に明治以来、外圧がない限り、自発的にまともな戦略を打ち出したことのない体質だけは健在だとでも言っておこうか。

2011年7月21日木曜日

サッカープレーヤーは首相より偉い?

ここ数年の間にこの国の価値観は一段とゾンビ化して来たようだ。 2011年4月21日木曜日の日記に "福島県知事は首相より偉い?" と疑問を呈したが、今朝の日経に載っていた週刊誌の広告に、どこかの記者が女子サッカーのキャプテンに "菅首相に何かアドバイスがありますか?" と言語道断の質問をし、にべもなく "有りません" と突っ返されたとある。当たり前だ、何処の国にたかがスポーツマンの分際で一国の首相に生意気なアドバイスなどする失礼な輩がいるものか。 これがイチローだったら何と答えたか想像がつくと言うものだ。
澤とかいうその選手も流石に呆れ返ったに違いない。 もし彼女がそんな不遜かつ愚劣な質問に対して得々と喋り捲るような女性だったら、佐々木監督や他のメンバーの我慢もとっくに限界を超えていただろう。 要するにこの国ではこんな愚か若しくは卑劣な質問に答えさせて世論を誘導し政治家を扱下ろすことがマスコミ(自称正義の味方)の本業として罷り通っているのだ。

ついでにもう少し堅い話をしておきたい。
オバマ大統領のワルシャワ演説を賞賛し、菅首相の脱原発発言を非難するのは全く欺瞞そのものである。 どちらも実現性のないことに変わりはないが、オバマ大統領は、自分の生きている限り絶対やらないと明言している(よく読めば判る)のに、菅首相は、せめて原発だけでもやめたいと本気で言っている(級友の江田君から菅首相の人柄は聞いて知っている)のだから、日頃から平和主義を唱えているマスコミとしては実現性があろうがなかろうが諸手を挙げて賛同し画期的英断として賞賛して然るべきだ。

オバマ大統領の "核無き世界" に実現性がないのは、核ミサイル以上に強力な兵器が今の所ない以上、当然のことだが、菅首相の "脱原発" が実現性を持たないとすれば、それは核保有国の圧力か、さもなければそれに迎合する国内勢力の妨害である。 マスコミが隠したいのは、この "国内勢力の意図" であろう。

要するにこの国のマスコミは、"反権力" を装いながら、常に権力(国籍を問わず)に迎合し、或いは便乗していると考えればよい。 しかも、江戸時代の "知らしむべからず寄らしむべし" や戦前の "華族制度" に僅かながら残っていた "noblesse oblige" のかけらもない。 我国史上最悪の無責任職業集団である。

新聞・TV の奇っ怪なニュースを見聞きするたびに、こんな馬鹿馬鹿しいことを書くのに疲労困憊していてはとても身が持たないので、暫く「縁なき衆生は度し難し」、「我関せず焉」 を決め込み、 『梁塵秘抄』の世界で気を休めることにする。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
・・・

2011年7月12日火曜日

今年初めての蝉の抜け殻

私が小学校就学前に尤も夢中だったのは蝉取りだったが、就学後は、それに、ラバウル帰りの叔父に教えられた沢蟹取りが加わった。 という訳でここのところ毎朝続けている散歩の折には、緑道や歩道の木という木に目を配っているが、梅雨も明けたというのに一向に目に付かない。

ところが公園で地面を見るとたくさん穴が開いている。 あたりで頻りに雀が鳴いているのを聞いて、ハハーンと合点が入った。 多分、梅雨明けと

同時に蝉自体は穴から這い出してくるのだが、片端から雀その他の小鳥の餌になってしまうのに違いない。 鳴き声が聞こえ出すのが一週間くらい遅れるのはきっとその所為だろう。

子供の頃は自宅の庭木や校庭の楠の根元を掘って所謂穴蝉を捕まえるのが楽しみだったが、今の子供でこういう遊びを遣っている子を見たことがない。 聞くところによると彼のアリストテレスの残した書物に 『蝉は羽化する直前が一番美味だ』 とあるそうだが、何も "不思議発見" を引き合いに出さなくとも十分納得できる話である。

ところが、今朝6時前に家を出る時、門口のタイルの上に抜け殻が落ちていたので、辺りを見回すと、油蝉が一匹まだ朝日の当たらない道路の

上で無防備に羽を干しているではないか! 始めは、てっきり脱皮に失敗して死んでいるのかと思ったが、杖の先でそっと押してみたら、超低空飛行でゆっくり羽ばたき、辛うじてお向かいさんの垣根まで飛んでいッた。 三十分程して散歩から戻った時、まだそのままの状態で留まっていたので、急いで家からデジカメを持ち出して撮ったのがこの写真である。

蝉については、2010年2月19日の日記に "油蝉の鳴き声とモーツアルトのトルコ行進曲の一部が似ている!" と書いて実際の音を比較して聞いていただくつもりだと約束したものの未だに果たしていない。 そのうち公園で録音したものと娘に頼んでさわりの部分を弾いてもらって比較したいと思ってはいるが・・・。

2011年7月6日水曜日

大東亜戦争敗北後流行ったものランキング

似非(=空想的・偽善的)平和主義
似非(=空想的・偽善的)平等主義
似非(=空想的・偽善的)自由主義


ひっくるめて
卑怯者の平和と弱者の脅迫・・・要するに無責任なエゴイストの支配である。

真犯人はもはや誰だかわからないが、彼らが自覚していようがいまいが、最大の受益者がマスコミであることは明らかだ。 新聞、TV はそのつもりで見ていれば、実に良くわかる。
その意味では、彼らの主張する透明性というお題目にも矛盾はない。
これが、敗戦の後遺症・・ゾンビ化社会の実態である。

既に、回復の兆しは見え始めているが、私が生きているうちに完治する日は来ないだろう。
オバマ大統領も、"私が生きているうちに核廃絶は達成されないだろう" とか演説したそうだが、これで本気でないことを宣言していなかったら、今頃は生きていないだろう。 まず第一声で軍産複合体とアングロユダヤの一部選民主義者を安心させるところなどは、妻の反対で大統領選に出馬しなかったパウエル将軍とは形こそ違え、同じ危機感と恐怖を共有していたに違いない。

2011年7月5日火曜日

東北は日本から独立する気か?

4月21日の日記に "福島県知事は首相より偉い?" と疑問を呈したが、今日の日経朝刊を見て本当にそうかもしれないと思った。

松本龍復興相に発破をかけられた岩手県知事の方が褒められ、わざわざ出かけて行った国家の大臣がけなされるばかりか、客であり、応援の手を差し伸べるに吝かでないといっている大臣を忙しい振り(大臣より忙しい県知事などいるはずが無い!)をして非礼(私はそう思うが今のゾンビ世代はそう思わないらしい)にも待たせた挙句、後で新聞屋に言いたい放題の悪口を言う宮城県知事が非難されないところを見ると、もはや東北各県は日本から独立するつもりだとしか思えない。

その覚悟があるならそれはそれで良いが、そうだとしたら、日本国に助けを求めるような甘ったれた姿勢は捨てるべきだ。

それにしても日経新聞(に限らずマスコミ一般)のゾンビ支配も此処まで来たかと思うとぞっとする。
こうした気狂い沙汰を煽っている卑怯な真の敵は一体何処の誰だろうか。

それとも大東亜戦争敗北後の連合国による洗脳教育のほとぼりが放射能のように未だにくすぶっているのだろうか。
たかが私個人の大動脈置換手術の後遺症でさえ、これだけ長く続くのだから、国家敗戦の後遺症ともなれば、3世代以上は覚悟するしかなさそうだ。

2011年7月2日土曜日

散歩で気晴らしの筈が・・・「我関せず焉」

前にも書いたが、リハビリ中の苦しい散歩で、例外なく嬉しくなるのは幼児が公園で遊んでいるのを見ることである。 逆に例外なく気力を萎えさせ帰路の体力も覚束なくさせるのは、コーヒーショップで身の程知らずの厚かましい中高年女性の長広舌に曝された時である。 その苦痛は放射能の内部被爆も斯くやと思われる程である。 不運にもこういう気に食わない輩に出会ったとき、心身を平静に保つにはどうすればよいか、これまでに2つの呪文を思いついたことは既に述べた。

一つは、2010年12月9日の日記に書いた
「燕雀安知鴻鵠之志哉」(えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや)
もう一つは、2011年6月3日の日記に書いた
「縁なき衆生は度し難し」
であるが、どうも相手を意識しすぎているようで、腹の虫が治まってくれない。

そこで今度こそと思いついたのがこれである。
「我関せず焉」

これでどうだといいたい所だが、如何せん不快感は治まっても気力は湧いてこない。
やはり、一番元気が出てくるのは公園で駆け回る幼児の声をきくことだ。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
・・・『梁塵秘抄

2011年6月19日日曜日

社会的不適応者(ソーシャル・ミスヒット)

最近、ホリエモンこと堀江貴文氏の語る動画を見る機会があった。一つはケーブルTVのニュースだったと思うが、もう一つはネット遊民の送りつけてくるメールマガジンでの、成功物語人気投票(これもアクセス稼ぎの一手段だろうと推測するが)で、両方とも有罪判決後のインタビューの一部だったと思う。
とくに後者は、投稿を要求しているので、移用されることを承知の上で下記の投稿をしておいた。

私は、2年半前に急性A型大動脈解離と言う殆ど致命的な大病で死線をさまよった後、幸か不幸か生還した71歳の元IT技術者(1960年以来50年のキャリア)ですが、WEB自分史のつもりで、HP, BLOG, YouTubefacebook を始めました。しかし、同世代の友人は、皆ITオンチで誰も見てくれず、アクセスしてくるのは団塊2世以下の若い人ばかりです。
今では、死後に期待して自己満足のWEB作りに専念していますので、私自身はビジネスには全く関心がありませんが、若い人にはくれぐれも時代の波(IT&NET革命)に乗り遅れないようにと言わざるを得ません。これは、蒸気機関車⇒自動車⇒航空機 に続く一大革命です。そのことに気がついていない若者がいると思うと、黙っていられなくなりました。
もともと、堀江氏には、世間の批判にかかわらず親近感を持っていたのですが、言われることが一々尤もで、ますます好感を持ちました。改めて言います。時代は完全にNETの時代に変わりました。ホリエモンの言うとおりです。これからビジネスに乗り出そうと言う人はもち勿論、これまで事業にかかわってってきた人や、組織内労働者もそれを前提に生きてほしいと思います。


もう一つ、付言しておきたいのは、彼の話には他人の稼ぎの上澄みを跳ねるという発想は毛頭なく、ただ無一物の男が、新しい事業(付加価値を生む)を始めた時の経験にもとづくアドヴァイスに一貫していることです。

そうそう、私が堀江氏に共感を覚えるには、もっと深い理由があります。 彼も(多分)私と同じような性格、つまり社会的不適応者(Social Misfit) だからではないかと思うからです。

この言葉は、東大本郷での法経共通の必修科目として仕方なく受講した法学部京極純一教授の政治学概論で唯一記憶に残っている用語ですが、駒場時代文科一類に入ったものの、大半の級友が高位高官を目指す中で自分だけがそうでないことに違和感を抱いていた私の琴線に触れるものがありました。

それ以来サラリーマンになってからも時に触れて思い出し、時には口に出して同僚から気障だとの顰蹙を買ったものです。

2011年6月3日金曜日

散歩で気晴らしの筈が・・・「縁なき衆生は度し難し」

少し長くなるが、2010年12月11日土曜日の日記を再掲させていただくと・・・

体調の如何にかかわらず散歩に出かけることにしてから、かれこれ半月くらいになるが、流石にきつい。1キロほど先のコーヒーショップを目指して行くのだが、店につく頃には疲労困憊し、動悸は亢進するは、足は棒のようになるはで、居ても立っていられない気分になる。 店に入っても暫くの間は、コーヒーにも口をつけず目を瞑って気分の回復を待つようなありさまで、ここのところ数日、家まで辿り着けるだろうかとはらはらすることが多い。
もちろん、基本的には、体調自体の良し悪しに左右されるのだが、途中での出来事によって元気が出てくることもあれば、また、その逆もある。 たとえば・・・

10分程行った所(普通の人なら3分位?)に公園があるが、往復の途時、午後3時ごろまでに行くとよちよち歩きから10歳くらいまでの子供たちが遊んでいることが多い。 小さな子供が遊んでいるのを見るのは、それ自体が楽しいが、この公園で遊んでいる子供たちの場合、見ているこちらの方がはらはらするような場面でも、傍にいる若い母親たちが少しも騒がず、平然としているか、むしろ、叱咤激励する勢いだからである。 ああ、これなら自分たちの子供の頃とあまり変わらないなと安心する。

一方、いつも行くコーヒーショップでの当たり外れは大きい。
場所が辻堂駅から慶応SFCへ行く大通りに面しているので、今週のように期末試験のシーズンになると、ノートやプリントと睨めっこしている学生を見かけるが、彼らの近くに席が取れたときは、現役時代、職場の近辺や通勤途中の駅のコーヒーショップで時間潰しをしたときの雰囲気で、大変落ち着く。 何よりも、誰も大声を出したり、のべつ幕無しに喋り続けたりする者が居ないのがいい。
ところが、今日のように、折角、学生たちの近くに席が取れたというのに、一人だけ、馬鹿丸出しのおばさんがいて、必要以上に大きな声、それも品のない声で、得々とくだらない話をしているのにぶつかった時はまったく閉口する。 私を含めて周囲に聞かせたくて喋っているのが見え見えである。 連れのおばさんは、低い声で相槌を打つだけだから、おそらく腐れ縁と諦めているのだろう。 こういう手合いはどこにでもいるが、本人にその自覚がないのだから、どうしようもない。・・・

この間、苦痛に耐えながら、こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、はたと気がついた。 昔の人は旨いことを言ったものだ。

「燕雀安知鴻鵠之志哉」  
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや


今日の散歩も、最初から体調が思わしくなく、往復中の苦痛は相変わらずだったが、途中の公園では久し振りに数人のお母さんたちが就学前の幼児を遊ばせており、中には下半身スッポンポンで泥水のなかを駆け回っている子や、両手離しでコンクリート山に駆け上がる子がいるなど、真に今どき頼もしい光景を見ることが出来て、自分も少しは頑張らねば("顔晴る"と書くことにしているご婦人もいるらしいが)と言う気持ちになれた。

しかし、その後行き先のコーヒーショップでの悪夢は前回の比ではなかった。 数人のオバサン族の中に飛び切り下品で声の大きいのがいて、限もなく "カラオケ" での自慢話(本人だけはそのつもり!)を続けていて一向にやめる気配がない。 結局、前回同様ほうほうの体で引き揚げてきた。

どうにも、腹の虫が納まらないので、帰路の間中こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、あまりにも下劣なので前回の格調高い詩句・・・
「燕雀安知鴻鵠之志哉」  
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや
程度ではとても納得できそうもない。

こうなったら、お釈迦様の心境に徹するしかないと、究極の科白に訴えてお茶を濁すことにした。
「縁なき衆生は度し難し」
気に食わない人間に出合ったときの決め台詞ではあるが、もう少し人間が出来ていれば、こんな手合いにでも悪感情を持たないで済むのだろう。 この歳になっても崇敬する 山岡鉄舟 には逆立ちしても及ばないとは・・・情けないことではある。

因みに鉄舟が行住坐臥唱えていたのは、同じ仏語でも上記のような突き離した句ではなく、全てを包容する四弘誓願(しぐせいがん)の第一行目 「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」だったそうだ。

2011年5月19日木曜日

帰去来の辞(その4)・・・足尾線

5月19日の日経 「夕刊文化」欄で、"映画に見る思い出の鉄道 2" と題して、評論家の川本三郎氏が東日本の旧ローカル線を舞台にした懐かしい映画の数々を紹介している。
その最後に、森繁が蒸気機関車の機関手を演じた 「喜劇 各駅停車」 が写真入で大きく採り上げられていたが、その舞台が "旧足尾線" (現:わたらせ渓谷鉄道だったことを知り、無性に懐かしさがこみ上げてきた。

"足尾線" は、当時、我々の間では "のろま" の代名詞になっており、中学・高校時代、受験勉強から逃れて何度も自転車で競走したものだ。

その途中、古路瀬(ころせ)渓谷の夕日に映える紅葉の絶景に息を呑んだことを昨日のことのように思い出す。



この2年半、闘病生活を続けて来られたのも、一つにはもう一度あの絶景を目の当たりにしたいとの思いからだったといっても過言ではない。

2011年5月15日日曜日

facebook の使用動機について

人さまざまだと言えばそれまでだが、敢えて分類すれば以下の3通りになるだろう。

① 知人拡大(商売目的)・・・・・・拡販・宣伝。 売名・ファン作り含む。
② 知人拡大(社交目的)・・・・・・稼ぐ必要のない人。 各種ボランティア。
③ 心友探索(共感目的)・・・・・・いつか、どこかで、だれかが・・・

① ⇒ ②⇒ ③ の順に非現実的かつ浮世離れしていく。 2001年に前立腺癌で全摘手術をやったときの心境は、① ② ③ が混じり合ったものだったが、今回、急性A型大動脈解離で死線をさまよい、余命も限られ、さらに後遺症で長患いを余儀なくされるに及んで、①と②はどうでもよくなった。

要するに、いま私が facebook を始めた理由は③である。 したがって、以前からの知人を見つけたときは、お世話になった方とは "友達" にさせていただいているが、それ以外の人々、とくに面識のない "友達の友達" に関しては、基本データの "人生観・哲学" や "趣味・関心" が一致しない人とは、お付き合いしないことにしている。 ましてや基本データが白紙の人などは論外である。 私が基本データに洗い浚い書き込んでいる所以である。

① ② のように娑婆っ気の有る目的なら数が多いほど良いに違いないが、③ だけが目的となると反って煩わしいだけである。 しかし、こんな目的の人間だけではそもそも facebook そのものが成り立たないだろう。 水清ければ魚住まず・・・facebook 事業運営者としては困るだろうが。

2011年5月12日木曜日

時空超えた縁

5月11日の日経夕刊コラム 「こころの玉手箱」 で、彫刻家の薮内佐斗司氏が、"米国人との時空超えた縁" と題して、ネットで検索して由緒が判明した腕時計のことを書いておられる。
何でも集める収集癖の有る氏が、特に長く続けているのが腕時計だそうだが、そのうちの一個が1955年に ニューヨークアスレチッククラブ が主催したヨットレースの優勝記念品だったということを、ネット検索で知った・・・というお話である。

詳しいことは、例によって新聞紙上で直接読んでいただくことにするが、このような "時空を超えた縁" こそ、私が、このブログを含む私自身のホームページ 「一期一会・・・Our Eternal Moment」 を書き残そうと思ったそもそもの動機だった。

"時空を超えた縁" とまでは行かないが、私自身、最近、似たような経験をした。 YouTube での "米国民謡 When you and I were young のバンジョーでの弾き語り" を通じた米国老人 Wishuey 氏との縁である。

・・・いつかどこかで、誰かが、見つけてくれるだろう・・・

それはまた、私が1997年にゼミのホームページを作るとき学生たちに提案した "情報貝塚" 構想の基本概念でもあった。

2011年5月10日火曜日

妻に詫びる・・・ずっと大切にしてきたに違いない。

例によって、ベッドでうつら々々々している内に、夢を見た。 妻と何か話をしているところだが、覚えているのは次のような会話の断片だけである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・京都で・・・
・・・京都がどうした。 誰か友達でもいるのか・・・
・・・嵐山・・・

途端に目が覚めた。 しかし、何のことやらさっぱり分からない。 一体何のことだろう・・・と思いかけた瞬間、はっと気が付いた。 昭和48年5月7日(1973.5.7)、新婚旅行で京都へ行ったとき小雨降る嵐山を見たことに。 今まで結婚記念日とか誕生日とか、〇〇の日とかには一切無関心で、妻や娘からいわゆるプレゼトなるものを出されても、一度としてそう言われるまで何のことかわからない反戦後派だったから、この38年間、妻はずっと張り合いのない、と言うより寂しい想いをして来たに違いない。

38年もの間、この思い出をずっと大切にして来たのか・・・
あとは、理由もなく涙が出てきて止まらなくなった。

2011年4月28日木曜日

マスコミに見る世論誘導の実態!

今朝の日経 "春秋" 欄を見て、またか!と思ったのは私だけではないだろう。 文字面を見ている限り別におかしいことが書かれているわけではない。 しかし、昨日の朝刊に載っていた前ニューヨーク市長、ジュリアーニ氏の発言内容と比較してみれば、そこには明らかな論点のすり替えと世論誘導がある。

"危機に臨んで一番重要なのは何か" という質問に対して、氏は、まず "指揮と制御だ、しかし危機を制御することなど出来ない。 でも誰かが必ず責任を負わなければならないし、方向性を示さなければならない。" と答えた上で、さらに言葉を継いで "指揮で大事なのはワンボイスだ。 一人が無理な場合でもワン・セントラルボイスにする。・・・" と明言している。 要するに権限と責任の集中・一本化を前提とした陣頭指揮である。 実際に彼がとった行動がそうだったことは、誰でも知っている。

しかし、"春秋子" は、意識的にその発言に触れることを避け、"・・・ニューヨークの治安を回復したジュリアーニ前市長が、本誌のインタビューで危機管理における情報公開の重要性を強調している。・・・" として、論点を自分たちマスコミに都合の良い方向にすり替え、ジュリアーニ氏の論点の最重要ポイントである "ワン・ボイス、すなはち指揮命令系統と責任所在の一本化" を無視している。 恐らくそれを認めたら自分たちが世論の名において勝手なことを言えなくなることを知っているからだろう。

これは、決して言いがかりではない。 文章の達人をもって鳴る大新聞の編集者が、前日の自社のインタビュー記事の "最重点ポイント" (入試で経験済みだろう!)を見落としたはずがない!

2011年4月24日日曜日

Who's Who in the World に載る意味?

二ヶ月ほど前に、"Marquis Who's Who in the World, 2012" から listee に入れたと連絡があったので、採否はともかく、バイオグラフィーなるものを送っておいたところ、昨日になって "合格" の返事が来た。

日本で言えば、福沢諭吉が始め、数年前に休刊になった交詢社の"日本紳士録"のようなものだが、何が違うかと言えば、現在の "エスタブリッシュメント(本命)" だけでなく、将来の "エスタブリッシュメント予備軍(対抗)" にもスペースを割くほか、各分野の "中の上(穴馬)" にまで目を配っていると言うことだ。 私など差し詰め "穴馬" として採択される栄に浴したのだろう。

しからば、何の理由で "穴馬" と見られたのかが気になる所だが、恐らく、金融・経済という文系分野と IT/IS という理系分野の繋ぎ役としての利用価値だろう。 現に嘗て野村総研や日銀金融研究所の有名な研究者から、両方がわかっている人は、関口しかいないと言われたことがある。 そういう強みを利して、一格上の方々と付き合ってきたので、そのうちの誰かが推薦してくれたのだろう。

要するに結果として時代を先取りしていたわけで、"穴馬" を超えて "対抗" として買いかぶられたとしても不思議はない。 その点に関する限り多少の自負が無いわけではない。
たしかに、70才を超えてITにアレルギーがない人には会ったことがないし、まして文系ともなれば尚更のことだ。

ところで、こうした多面的な人材発掘・養成の原則は、ハーバードを始めとする米国の一流校では、ごく一般的に採用されており、それが米国社会の強みの一つになっている。 わが国の場合、単細胞に徹してクイズのような入試の徒に高いバーをクリアしない限り、他にどんなに優れた資質があっても日の目を見ないという現実は、そろそろ見直す余地がありそうだ。

紳士録に話を戻すが、交詢社の日本紳士録が休刊になった一方、Marquis Who'sWho が益々隆盛なのは、前者が分厚い印刷物(厚さ15センチ位)一辺倒で来たのに対し、後者は、いち早く電子化時代に対応し、研究機関や企業の調査部門との契約にもとづくデータベースサービスに主力を移したことにある。

要するに、結果としてでも何でもよいから、時代の要請に先に応えたほうが勝つということだろう。 日本では、知らぬ人とて無い一流人でもネットの世界では無名という人もいれば、逆に日本では誰も知らない私のような三流人でも WEB を通じて格上の有名人に列する機会を与えられる者もいる

納得できようが出来まいが、時代の変わり目とは、いつもそういうものである。

因みに、慶応系社交クラブとしての交詢社(慶大卒が条件ではない。会員2名の推薦に基づいて審査するらしい。私は東大卒だが、誰かの推薦があったらしく載っていた。)自体は、未だに健在で銀座にあるらしく、一ツ橋にある旧帝大系の学士会(注)の向うを張っているが、2000年代に入ってからは両者とも退潮著しく、引退老人クラブの趣を呈している。

いずれにしても、両者とも戦前の名士の条件であった民における "高額納税者" 対 "官における高位高官" の図式が半世紀以上前から崩れていたことに気付くのが遅かったと言うことだろう。 現在の日本でそれに代わるものとしては、帝国データバンク社や帝国探偵社の情報サービスがあると言えば言えるが、残念ながらこれは "企業調査" や "身元調査" に偏り、"名士としての虚栄心を満足させる機能" が欠けている。

今日のマスコミ社会でこの両者を享受しているのは、ニュースキャスターを始めとする TV 出演の常連達で、その知名度は一国の元首や首相を凌ぐ勢いであるが、一般の(無名の)有力者や有識者達がそのフラストレーションを晴らすための代償システムとして、 "人事興信機能" と "名士認証機能" の両者を維持しつつ、さらにグローバル標準の地位を目指して成功しつつあるのが、Marquis Who'sWho だと言って大過ないだろう。

(注): 全国、何処でも、どの会社でもそうだが、早大の稲門会、慶大の三田会、一ツ橋大の如水会等は有っても、東大の公式な同窓会は無いか、仮に有ったとしても、全員が入っているとは限らない。 それに代わるものとして旧帝国大学の合同同窓会として学士会があるが、これは、帝国大学卒業生だけに学士号が与えられた時代の名残である。

因みに私の卒業証書に載っている大河内総長の署名の肩書きは、一応 "経済学博士" となっているが、その前に "学士" と大書されている。 博士号は一家を成した大学者に与えられるものであり、学歴としての博士号など殆ど無視されていた時代である。とくに文系では、学年トップクラスの大秀才は、卒業と同時に助手に採用されてしまうので、そのまま教授⇒学部長まで行ってしまう人さえ居た。

私が、55歳で長年勤めた富士通から東京農大系の東京情報大学に転職する際、修士号すらないのに教授として採用されたのも、多分その七光りのお蔭だろう。

2011年4月21日木曜日

福島県知事は首相より偉い?

今日の日経夕刊に世にも奇っ怪な写真が写っていた。 菅首相が誰かふんぞり返った男(金正日かと思って良く見たら佐藤福島県知事だった!)に最敬礼しているところである。 これが米国でカリフォルニア州知事のシュワルツェネッガーとオバマ大統領だとしたら、いかに奇っ怪な場面か想像が付くと言うものだ。

県知事と言うのはそれほど偉いのか、この間まで静岡県知事をやっていた駒場時代のクラスメート石川嘉延君に会ったら聞いてみよう。

それとも福島県知事に限って特に偉いのかも知れないから、富士通時代の同僚で会津若松出身の、佐藤由樹君(滋賀富士通社長)に確認する必要があるかもしれない。

菅首相とは直接面識がないので事情を確かめられないのが残念だ。 やはり駒場時代のクラスメートだった江田五月君に聞いてみたいが決して教えてくれないだろう。
世の中には私の知らない、あるいは知ってはいけない不思議な世界があるようだ。

ここは本当に日本なんだろうか、それとも "千と千尋の神隠し" ではないが、私が妄想の世界に入り込んでしまったのか?

2011年4月20日水曜日

今まで何故気が付かなかったのだろう!

東アジアの喉下に突き刺さった棘。

本論に入る前に次の二つの文章を引用しておく。 (Wikipedia 日本語版より)

当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは著書(「第2次世界大戦回顧録」)の中でマレー沖海戦でこの2隻を失ったことが第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたことだと記している。

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べた。「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」


2隻とは、大東亜戦争の初頭、マレー沖海戦で日本軍の魚雷攻撃によって撃沈された、当時のイギリスにおける最新鋭戦艦、Prince of Wales と Repulse のことである。


さて、ここからが本論である。 すでに何度も言い尽くされてきたことかも知れないが、浅学非才の私は、今になって漸く気が付いた。

このブログでも何度か指摘してきたが、占領軍による War Guilt Information Program が、日本人に戦争加害者としての原罪意識を植え付け2度と白人に楯突く気を起こさせないようにするためだったことは、江藤淳の 閉ざされた言語空間 以来、多くの識者によって指摘されている。 私もこれまでそのことしか頭になかった。 しかし、つい先ほど、はっと気が付いたのである。 War Guilt Information Program にはもっと大きな仕掛けがあったのだと・・・

白人たちが、アフリカ、中東、インド、米大陸、中国でやってきた常套手段、人種・民族間の分断・相互抗争 戦略である。 これで、日朝・日中間の反目、とりわけ南北朝鮮人の常軌を逸した反日感情の出所がわかったような気がする。 (阿片戦争で懲りた中国の指導者は、流石にその手に乗らないが、 暫く・・・50年間?・・・は、日中反目を演出し続けるだろう!)

彼ら白人が何よりも恐れたのは、白人優位思想の崩壊と非白人の結束であった。 そのうち前者は日露戦争における日本海海戦で傷つき、大東亜戦争におけるマレー沖海戦で崩壊した。

そのショックで咥えていた葉巻を口から落としたと言われる時の英首相 ウインストン・チャーチル が最後の楔として打ったのが War Guilt Information Program だとすれば、その中心に十八番の 人種・民族間の分断・相互抗争 戦略 が無かったはずがない。 洗脳されたのは日本人だけではなかったのだ。


そんなことを識者が知らないはずはないにもかかわらず、寡聞にしてしかるべき人が公に口にしたのを聞いたことがない。 おそらく虎の尾を踏む危険を冒したくないからだろうと拝察する。 せめて無名の一日本人として生きているうちに言っておきたい。 こう書いているうちに背筋が寒くなってきた。

2011年4月17日日曜日

国難を日本再建の奇貨とせよ!

今朝の日経1面、特集記事 「日本を立て直す」 のトップを切って、理研理事長のノーベル化学賞受賞者、野依良治氏が、東北州の独立と東北州立大学を拠点として世界の英知を集める科学技術立国・再建構想を提案されている。

既に、何度も提案されてきた構想かも知れないが、実現するチャンスは、まさに今を措いて無いのではないかと思う。

何よりも、その核となる大学が、東大や京大でなく、東北大学 であるところに、魅力と説得力がある。 あの魯迅と藤野先生の絆で名高い東北大学を国を挙げて支えると言うメッセージだけでも、多くの中国の青年を惹きつけるに違いない。

序でながら、私個人としては、これが昨日も触れた 現実的中立国家への第一歩 になることも期待している。

ドナルド・キーン氏の日本国籍取得に思う

昨日の日経夕刊(社会・スポ-ツ面)の片隅に、コロンビア大学名誉教授、ドナルド・キーン(Donald Lawrence Keene)氏が、日本国籍を取得して日本に定住されると言う記事が載っていた。

明治天皇」 の著者でもある氏が日本人になったからといって驚くにあたらないと言うかも知れないが、私にとって、これは、ラフカディオ・ハーン以来の大事件である。 なぜなら、これは、日本が「アジアのスイス化」 に向かって一歩踏み出した歴史的転換点を象徴するものと考えられるからである。

その理由は、このブログの 2010.8.2 の日記 「病床雑感・・現実的中立国家の構想」 を見ていただくことにして、ここでは、次の一節を引用するにとどめたい。
・・・100年後には世界中の名士にいつでも散歩の途中で行き会う日常になっているだろう。 これは絵空事ではない。 現在のスイスを見れば分かる。

今回の国難を奇貨として、現実的中立国家への道 が開かれ始めたとするなら、我々運良く生き残った者は、命を落とされた多くの犠牲者の霊に向かって襟を正さなければならない。

2011年4月14日木曜日

クラス会に出席できず残念です。

1ヶ月前までは、是非とも出席するつもりでしたが、体調が追いつかずに欠席することになってしまいました。 改めてお詫びします。

1960年度L1-6B組 第12回年次総会出席者(2011.4.13)



以下は堺さんあての欠席通知のコピーです。

東大文一6組の皆様

明日は、東大文一6組の年次総会でしたね。
参加できなくて残念ですが、後で堺さんから皆さんの集合写真を送っていただくのを楽しみにしています。

ところで、東日本大震災の被災者には、同情の言葉もありませんが、私としては、福島第一原発の危機的状況のほうが更に心配です。
というわけで、3月13日以来、殆ど毎日ブログの冒頭に、"福島原発・・・"をつけて、私の個人的認識を書いていますので関心をお持ちの方はご一覧ください。

これが、一虚血性脳梗塞患者の杞憂に終わることを祈っています。

2011年4月12日火曜日

福島原発・・・最悪の事態の兆候!

Although the radiation level of Fukushima Nuclear Power Plant is very small compared with that of Chernobyl at present, the situation is still getting worse.

It is reported that U.S. troop 12000 soldiers of operation "TOMODACHI" handed the mission over to US Forces Japan and left from Tohoku Area.

They might have sensed some dangerous symptom about the Plant.

Yet, hundreds of heroic engineers would not leave there, and still making their best effort at the risk of their lives.


原子力保安委員会が、国際標準に基づく危険度を "5" から一気に "7" へ引き上げた。 チェルノブイリと同じレベルであり、更に今後どうなるか予断を許さないことを考えれば、事態がいかに深刻かは明らかである。

今朝の日経では米軍が友達作戦の12,000人を撤退させ、任務を名前だけ在日米軍3,400名に引き継いだと報じている。

その殆どが沖縄を中心とする西日本に居り、しかも、数分以内に基地から飛び立てる空軍であることを考えると、彼らが人の顔まで識別できる偵察衛星と自衛隊や国内の大学も(私の勤務していた東京情報大学ですら!)持っていない軍事用センサーで、相当な危険を察知した可能性を否定できない。

だから逃げ出せと言うのではない。 我々日本人を救えるのは結局、我々日本人だけだと言う覚悟をしておけと言うのである。 いかなる友好国と雖も 、余裕の有る限り援助はしてくれても我々に代わって命を捨ててくれるわけではない。

たびたび名前を出して恐縮だが、その意味で "これは戦争だ!" と言って未だに防災服を脱がない 石原慎太郎東京都知事 の認識は正しい。 それに引き換え、やっと姿を現した 清水正孝東電社長 も情けないが、その謝罪会見を " 聞いていない" などと嘯いて全東電社員の士気を無にする 佐藤雄平福島県知事 の発言は、さらに大人気ない。ここにも何か利権の影が見え隠れし始めたと思うのは私の勘ぐりすぎか。 今は全てを棚上げにして相互に励ましあうときではないか!

繰り返す。 これは国難である!


2011年4月10日日曜日

福島原発・・・世論に阿る市民主義の限界!

昨日(2011.4.9)の日経夕刊コラム“あすへの話題”に、脚本家の内館牧子氏が、人伝てに聞いた話として作家の司馬遼太郎が、中国のエリート教育について語った言葉を紹介している。

・・・(エリート教育を)中国はイデオロギーでやっているんじゃなく、中国民族はどうしたら生きられるかと問題を根源的に戻してやっている。

わが意を得たり・・と言いたい所だが、そんなことは、世界中、何処の国でもやっている。 内館氏も当然、先刻ご承知のはずだが、敗戦後の一般日本人があまりにも能天気で平和ボケしているので、仕方なく “国民的人気” のある司馬遼太郎 の言葉を援軍として使わざるを得なかったのだろうと拝察する。

私の 2010.11.9 の日記 では、もっと直截的表現を使っているが、これに対する内館氏の意見を伺えればと思っている。

前置きが長くなったが、私がここで言いたいのは、若し今回の事故を国難ではないと考えるなら、周辺住民がどうのというようなことは、東京電力株式会社の経営問題に過ぎず、役人や裁判官に任せておけばよい。 政府(閣僚)や米軍が乗り出す必要など全くないということである。 逆にこれを本当に国難と考えるなら周辺住民や経済界の有象無象の言うことにいちいち耳を傾けている暇などないはずだ。 このことを素っ飛ばして空騒ぎしているマスコミの堕落振りは最早、救いがたい。 敗戦直前の 大本営発表 の再現を見る思いだ。 

2011年4月9日土曜日

福島原発・・・2人のリーダーに期待する!


At last, we have got 2 courageous leaders at Fukushima Nuclear Power Plant! Vice president Tsuzumi and Managing directer Komori of TEPCO. We must support them and avoid any interference or disturbance from egoistic establishments.



国家的非常事態に当たって、リーダーが守るべき鉄則は一つである。

大の虫を救うために小の虫を犠牲にすることを躊躇うな!
たとえば、考えうる最悪の場合・・・
大の虫・・・首都圏3000万人の運命~東アジアの運命
小の虫・・・東電の存続~原発周辺住民~周辺県民の運命

福島原発の存続など小の虫にも当たらない。 果たして、福島県に常駐する覚悟を決めた2人の責任者(鼓紀男副社長と小森明生常務)にその覚悟と勇気があるか? また、それ以前に、我々国民にその覚悟があるか? 政府及び東電幹部(及び周辺住民!)が彼らの足を引っ張ることのないことを祈る。

2人の責任者は、東電社員としてでなく、国民のリーダーとして行動すべきである。 我々は、彼らの決断を支持し、彼らを牽制する周囲の利己主義者たちから守らなければならない。

2011年4月5日火曜日

福島原発危機に見る官僚主義の罪悪と無能・・・Crime of Irresponsible Bureaucracy at Fukushima Nuclear Power Plant


I repeat again the warning of my diary on March 15, 2011.

この期に及んでも、"福島海岸決戦" の総司令官の名が出てこない!

Even at this critical moment, no one of us Japanese people knows who is the chief commander of "Battle for Fukushima Coast".

Japan is entirely occupied by the irresponsible bureaucracy of TEPCO and METI.

This is the reality of "Peace Loving Post-war Japanese People".


Should the situations be desperate, and yet, I believe "The Sun Shall Rise Again" !

2011年3月28日月曜日

福島原発・・・なぜ社長が陣頭に立てないのか!

石原都知事は選挙活動などそっちのけで陣頭に立っている。 それでなければ、国難に対処できるはずが無い!しかるに東電社長は一体何をしているのだ? 過労だとか病気だとか、はたまた周囲の意見だとかは理由にならない。 理由の如何を問わず、陣頭に立てないのなら、即刻、交代すべきだろう。 もし、周囲の臆病者たちがそうさせないとしたら、彼らの罪は万死に値する。 勇将の下に弱卒なし、逆もまた然り。一刻も早く社長に変わって責任の取れる人物に出てきてほしいと思うのは私だけではあるまい! ワーテルローの戦いでナポレオンの指示なしでは動けなかったグルーシー将軍(Emmanuel de Grouchy)の轍を踏むなと言いたい!

Governer Ishihara Of Tokyo Metropolitan District is reported to ready to act as a Commander in Chief against the Crisis of Fukushima Nuclear Power plant, in spite of comming Tokyo gubernatorial election.

To the contrary, The President of TEPCO doesn't appear in TV or Newspaper.
It is reported that he is ill and at some hospital, but all these excuse are nonsense and his or his supporter's shirking of their responsibility.

TEPCO directers! You should not repeat the mistake of General Grouchy at Waterloo!

2011年3月23日水曜日

福島原発・・・人物はいたはずだが?

一昨日の日記で、福島県災害対策本部で記者会見をした小森明生東電常務のことを書いたが、書き終わってからブラウザで検索したら、Yahoo の該当リンクは白紙ページに変わっていた。 わずか数分間の出来事である。 これも隠蔽工作の一環だとは思いたくないが、ネット管理者(ソフトバンク?)の臆病な自粛か? 東電関係者からの圧力か更には脅迫かと思いたくなる事件だった。 私もそろそろ口を慎んだほうが良いと言う向きもあるが、つい2年前に急性A型大動脈解離で死に損なってからは、何も怖いものが無くなった。 妻がはらはらしているのは判るが、ここで引き下がったのでは、西武事件で自ら命を絶った、駒場時代の親友、小柳皓正君にあわせる顔が無い。

仕方が無いので、グーグルの Cache にリンクしなおしておいたが、それもいつまで保つか知れたものではない。

Monday, I mentioned Mr. Komori, Managing Director of TEPCO, praising his candidness and faithful appologise.
But after several minutes, the Yahoo page had been changed to blank!
So, I was forced to change the link to Google Cache. But I am afraid that sooner or later it might also disappear from the Web.

2011年3月21日月曜日

福島原発・・・やっぱり人物はいた!

TVでは、全く東電幹部の声も顔も見えてこないので、この期に及んでも・・・云々と書いたが、インターネットで検索しているうちにやっと、見つけることが出来た。 小森明生常務取締役、まことに立派な人物である。

彼の発言からは、一切の言い訳を排し、全面的に謝罪すると同時に、最悪の事態を避けるべく全力を尽くす覚悟の程が読み取れた。

彼こそ、Battle of Fukushima Coast における東郷平八郎であろう。

しかし、現地の一常務に任せ切りで、依然として姿を見せない東電経営陣は、いったい何処で何をしているのだろう。それでも、空前の大災厄に心を痛めておられる天皇陛下の手から勲章を受け取れるほど鉄面皮だとは思いたくないが・・・。

I wrote we could not find the Chief Commander at Fukushima Coast in TV news.
But at last I found him during web search. His name is Mr. Komori, Managing Director of TEPCO (Tokyo Eectric Power Co.Ltd). Maybe he would be the another Togo who is fighting agaist this unprecedented complexed desaster. We should be proud of him and his staffs' courage and firm sense of mission.

Yet, even all these things considered, we cannot help wondering where and what other Executives are doing?

2011年3月19日土曜日

福島原発・・・ "アシモ" に期待する。

以下は、娘の提案である。

"放射能が危険で近寄れないなら、ロボットを活用すべきだ。もちろん、下手に使えば反って危険を増幅するだけなのは自明である。
しかし、現場の映像を作業部隊が事前に検討するには有効だろう。"

ミキシーの掲示板に投稿した所、賛成の声が多かったと言う。
東電や日立・東芝・石播の技術者にその余裕が無いことは明らかだろうから、ホンダやソニーの技術者が駄目もとで検討すればよい。若しかしたら、どこかのベンチャーがすでに実現しているかも知れない。
いずれにしても、次の時代の主役は原発運転監視ロボットになるだろう。

人間万事塞翁が馬
風が吹けば桶屋が儲かる

とは、なにも、複雑系を持ち出さなくても、永遠の真理である。
これを奇貨として日本のロボット産業が大発展するだろう。


The following is my daughter's idea and proposition.

"If it is dangerous to approuch near to the Nuclear Fuel, robots might be some help to break critical bottleneck of present situation."

She proposed this idea to her SNS(Mixi) friends and many of them aggreed.
Of course it is risky trial to let the robots work at complexed conditions, but at least it may contribute to make visual the conditions of dangerous spots.
If "TEPCO" and "HITACHI" engeneers can not afford the time at present, "SONY", "TOYOTA" , "HONDA" or many ventures should try.

Anyway "Robot Tecnology" will become the last resort in the comming "Nuclear Age" !

2011年3月18日金曜日

福島原発・・・人事が全てを決める。

対馬沖海戦では、勇敢な水兵たちと東郷司令長官がいた。 いま、福島海岸に勇敢な技術者は数えきれないほどいる。 しかし、もう一人の "東郷" はいるのか? 我々の運命はすべて彼の双肩にかかっている。

At the Battle of Tsushima, we had courageous soldiers and Admiral Togo.
Now, at the Battle of Fukushima Coast, we also have courageous and intelligent soldiers(enginieers), but can not see another Togo, nor hear his decisive command
.

2011年3月15日火曜日

福島原発・・・総司令官はだれか?

この期に及んでも、"福島海岸決戦" の総司令官の名が出てこない!

日本もここまで役人と業者に乗っ取られたかと思うと歯軋りする思いだ。
TVインタビューでの菅さんの苛立った表情がそれを象徴している。

此処まできたら、若者は、愛国心も同胞愛も無い小役人や商売人に忠誠など尽くして心中することなく、さっさと逃げ出したほうがよい。
あとは、私が見届ける。 妻子にはそう話してある。 どうするかは本人しだいだ。

これが杞憂に終わるか、神風が吹くかは、天のみぞ知る。
仮に、最悪の事態になったとしても、これでゾンビ世代が一掃されるなら、 "また日は昇る" だろう。


Even at this critical moment, no one of us Japanese people knows who is the chief commander of "Battle for Fukushima Coast".
Japan is entirely occupied by TEPCO and METI.
This is the reality of "crime of irresponsible bureaucracy".

Should the result be the worst, it would purge the Zonbi generation, and "The Sun Shall Rise Again" !

2011年3月13日日曜日

福島原発・・・国難に再び神風は吹くか?

大津波の騒ぎで幸いにも時間稼ぎが出来ているが、菅首相以下、決死の戦いが始まった。
ようやく明治以来、絶えて久しかった "国難" という言葉が最高司令官である菅首相の口から発せられた。 津波のことではない。 原子力発電所の致命傷のことである。 いま福島第一原発では、東電やメーカーの技術者や研究者が命がけで勝算の定かでない戦いを続けている。

もちろん、世の中には奇跡的成功というものがある。 彼らもそれを信じて全力を尽くしているに違いない。 しかし、それは、いったん故障した "はやぶさ" が "イトカワ" から生還するのを期待するに等しい。 もし、彼らの努力が功を奏したなら、国民栄誉賞は、彼らにこそ与えられるべきだ。

すでに、賢い人々は国外脱出を始めた。 私の親しい50代の物理学者も昨日の便で成田を発った。 たまたま前から共同研究先との約束があったからだが、仮にそうでなくても卑怯だとは思わない。 私自身は、この年で今更逃げ出す気は無いが、いまや一人でも多くの若い人には生き残っていてほしい。 終戦時に自分自身は現地にとどまり、優秀な部下を日本内地に脱出させた多くの旧日本軍将校の気持ちが痛いほどわかる。 急性A型大動脈解離からの 奇跡的生還を果たした損得勘定 の得の筆頭に挙げるべき体験だろう。

あとは、神風が吹くのをまつのみ!


At the Fukushima "GEN-PATSU" (Nuclear Power Plant), young engineers and scientists are making desperate efforts to stop the nuclear reactor.

If they could succeed in it, by some miracle like "KAMIKAZE",
they should be awarded the "Order of National Hero".

But it is far more difficult than "HAYABUSA's miracurous return to
the Earth".

2011年3月11日金曜日

"科学的" とは "大雑把" ということである!

2011.3.9 の日経経済教室に慶大教授の大垣昌夫氏が "文化の違いと人々のふるまい" と題して、伝統的経済学の限界と行動経済学による解明を論じられている。 しかし、いわゆる伝統的経済学に限界があることは、ceteris paribus(Other things being equal) の公準に準拠する以上、当然であり、それは、行動経済学についてもいえることである。

じつは、私がここで言いたいのは、経済学に限らず自然科学を含めてあらゆる科学に限界があるということだ。

そもそも、科学とは、森羅万象を細分化して細かく見ていこうという考え方で、 "科" 学 という言い方からしてそれを如実に表している。 つまり、くどい言い方をすれば "分科学" とも言うべきものである。 それはそれで良いのだが、そのための方法として、ceteris paribus の公準に頼らざるを得ないところに問題と言うか難点がある。

およそこの世に、Other things being equal などということがありうるはずが無い。 それを百も承知で、仕方なくその仮定を置いているのが、科学というものであり、したがって科学で解明できるのは、飽くまでも大雑把な傾向であって、決して物事の正確(精密?)な把握ではない。 その意味では、"精密科学" だとか "総合科学" だとかいう概念や用語は、それ自体が語義矛盾に陥っていることになる。

2011年2月28日月曜日

一期一会

2011.2.27 の日経朝刊 「文化欄」 に水墨画家で作家の とおの・こうせい氏が、「一期一会」 と題して、九州のある町外れのサナトリウムで療養中の山椒魚類研究家との感動的な出遭いを語っている。
なぜ、山椒魚かという経緯を説明すべき所だが、それは、新聞記事を直接読んでいただくことにして、ここでは、高校教師でもあるその人の次の一言を紹介するにとどめたい。

『 私はね、なんだか、あなたを待っていたような気がするんですよ。 いや、本当に待っていたんです。・・・・・ 』

その言葉は、その後の とうの氏の人生を支え、今なを、繰り返し氏の心の中で蘇る。・・・と語っておられる。

この記事を読んだとき、私の心に浮かんだのは、22歳の病気療養中だった私の父が、当時、日本一と言われたバイオリン製作者、宮本金八氏を訪ねていったときに、氏に言われた次の言葉である。

『 私はバイオリン製作者であってバイオリニストではありません。バイオリン製作者にとって一番大切なものは演奏技術ではなく音色です。 あなたは、その音色が分かる方です・・・・・』

宮本氏もまた父が訪ねてくるのを待っていたのだ。

2011年2月12日土曜日

情報貝塚への一歩

私のホームページ "Our Eternal Moment" のトップに、一月一日付けで、「国立情報貝塚」 の設立を提唱したが、今日の日経朝刊、"文化往来" に、NPO法人 "デジタル・コンテンツ・インスティテュート" が、ディジタル情報の長期保存技術を開発し、近く、"百年アーカイブ・サービス" を開始すると言う記事があった。

以前から、そうした研究が行われていることは知っていたが、病気で入院している間にここまで進んでいるとは期待していなかった。 まことに頼もしいことである。 すでに、千年の保存に耐える技術も実現しているそうだから、いずれ数百万年の寿命も可能となろう。 今後、この種のサイトが林立することが予想されるので、今からどのサイトに埋葬すべきか考えておく必要がありそうだ。

先日も、"Marquis Who'sWho in the World, 2012" から listee に入れたと連絡があったので、採否はともかく、私としては、Eternal Archive にする努力を要請しておいた。

2011年1月25日火曜日

孔雀と雀

今日の日経夕刊コラム 「十字路」 に、法政大学教授 渡部亮氏が、"クジャクとスズメとの対話" と題して面白い文章を書かれている。 詳しいことは、記事そのものを読んで頂くことにするが、要は、人間には、孔雀のように目立ちたがる習性と、雀のように周囲と群れたがる習性が同居しており、欧米では前者の要素が強く、日本では後者の要素が強かったが、最近は混然としてきたという趣旨である。

なぜ、こんな話を持ち出したかと言うと、この BLOG で21日に採り上げた"合ハイ"、および23日に採り上げた "WEB自分史" のはやる理由をズバリ説明してくれているからだ。 つまり、"合ハイ" の動機の大部分が男女の出会いではなく、同世代の共通体験にあったことは、ここで言うスズメの習性以外の何物でもなかったし、"WEB自分史" 公開動機の殆どすべてが、自己顕示もしくは自己の存在証明であることは、ここで言うクジャクの習性そのものを物語っている。

渡部氏には、じつに旨いタイミングで投稿していただいた。 他所ながらお礼申し上げるしだいである。

2011年1月23日日曜日

Web自分史の流行について

娘の話では、最近、米国で、いわゆる WEB自分史 の公開が流行り始めているそうだ。 自分史そのものは、日本でもここ20年くらい前からよく贈られてくるようになっているが、米国で始まっているのは、ホスピスなどの生きがい対策の一つとして、それをWEB上で作成させ、さらにTVで公開することらしい。 その意味では、私が死線から生還して後、1年経った昨年11月から書き始めた HP 「一期一会」・・Our Eternal Moment も、とくにTVでの公開を意図したものではないが同じようなものだ。。

そこで、考えるのは、一体なぜか、そして、なぜ今なのか? ということだ。

・・・ 疲れたので中断する。
・・・
・・・ 頑張って書いてしまおう。

誰でも自分がこの世に生きた証を残しておきたいと願う。 湯川秀樹は、氏の「天才の世界」の中で、啄木、 ニュートン、空海、ゴーゴリを例に採り、その強烈な自己顕示欲を論じているそうだが、こうした天才たちを引き合いに出すまでもなく、誰にでもそれは有る。 まして、社会的にそれなりの功を遂げた(心算)にもかかわらず、世に名が出ることなく終わろうとする者が、何らかの手段でこの世に生きた証を残したいと願うのは、未練がましくも浅ましいことではあるが、至極尤もなことであろう。
勿論、生前すでに名を成している有名人は、自分史などわざわざ書くまでもなく、周囲が抛っておかないから問題ないが、そこまで行けなかった人々にとって、自分史の執筆と公開は唯一の自己主張手段となる。 私自身、そのことを否定する心算はない。
たとえ、それが、ささやかな自己満足の手段に過ぎなかったとしても、世の中には、将来いつの日にかそのどこかに共感してくれる人々が現れるかも知れない・・・そう思うだけで嬉しくなるではないか!
http://byoshonikki.blogspot.jp/2011/02/2011227.html
では、なぜ米国で今になってWEB上での公開が流行りだしたのかと言えば、日本より、10年早くPC時代に入った米国のPC世代が愈々老境に入り、死後を意識し始めたからに相違ない。 日本では、私が在職していた "天下の東京情報大学" を含め、私の年代で PC を日常的に使いこなす人を見たことがないが、米国の70歳老人の多くは PC リテラシーを持っている。
彼らの中で自己顕示欲の満たされない人々が動き出したに違いない。 10年後の日本が想像できるというものだ。

断っておくが私がここで言おうとしていることは、あくまでも真の意味での WEB自分史 であり、業者やマスコミが介在する事業としての自分史のことではない。 ましてや、履歴書やエントリーシートが単に "自伝" の体裁をとっただけのものなど論外である。
米国民謡 "When you and I were young, Maggie." の歌詞の一節 " And the tials of life nearly done." の老境に有る人々が自分自身でPCをたたいて綴るラストメッセージでなければ、真の意味での "WEB自分史" (Composing an Autobiography Using a Web) の名に値しない。

2011年1月21日金曜日

"合ハイ" の思い出

昨年の9月、新聞記者から取材の依頼があったのを機に、改めて社会現象としての合ハイの意義を考えてみた。

合ハイの登場した背景

1、男女出会いの場としての性格
①見合いの持つ社会的承認機能(氏素性の確認)
②ダンスパーティーの持つロマンチックで新鮮なイメージ(①については?で見られていた。)
の両者を併せ持つ健全な新しい風俗として期待された?
しかし、いずれの機能も中途半端だったため、多くのいわゆる良家の子女や有為の青年を結びつける力がなかった。
要するに、単に男女が出会う場は、いくらでもあるが、結婚相手となりうる男女が出会う仕組みは、人為的に条件を整える必要があると言うことだ。 その意味で、かつての "お見合い" に変わる強力な仕組みは未だに登場していない。
これが成立するためには、差別化されたグループとその内部でのプライバシー公開が必須であり、これをクリアーしない限り安定した婚姻率の改善は不可能と言えよう。

2、同世代の共通体験の場としての性格
江田五月君が安保闘争に参加した動機の一つ もそれだった。(と昨年1月、新聞インタビューで答えている。) 私が参加した動機も同じ。 クラスの大半が3回の合ハイの何れかに参加したのもそうだったに違いない。
・・・主だった連中が参加するようだから行ってみるのもわるくないか!

「同世代の共通体験」 の一端を担いたい・・・
その気持ちが多くの若者の心を捉えたのだろう。。