二ヶ月ほど前に、"Marquis Who's Who in the World, 2012" から listee に入れたと連絡があったので、採否はともかく、バイオグラフィーなるものを送っておいたところ、昨日になって "合格" の返事が来た。
日本で言えば、福沢諭吉が始め、数年前に休刊になった交詢社の"日本紳士録"のようなものだが、何が違うかと言えば、現在の "エスタブリッシュメント(本命)" だけでなく、将来の "エスタブリッシュメント予備軍(対抗)" にもスペースを割くほか、各分野の "中の上(穴馬)" にまで目を配っていると言うことだ。 私など差し詰め "穴馬" として採択される栄に浴したのだろう。
しからば、何の理由で "穴馬" と見られたのかが気になる所だが、恐らく、金融・経済という文系分野と IT/IS という理系分野の繋ぎ役としての利用価値だろう。 現に嘗て野村総研や日銀金融研究所の有名な研究者から、両方がわかっている人は、関口しかいないと言われたことがある。 そういう強みを利して、一格上の方々と付き合ってきたので、そのうちの誰かが推薦してくれたのだろう。
要するに結果として時代を先取りしていたわけで、"穴馬" を超えて "対抗" として買いかぶられたとしても不思議はない。 その点に関する限り多少の自負が無いわけではない。
たしかに、70才を超えてITにアレルギーがない人には会ったことがないし、まして文系ともなれば尚更のことだ。
ところで、こうした多面的な人材発掘・養成の原則は、ハーバードを始めとする米国の一流校では、ごく一般的に採用されており、それが米国社会の強みの一つになっている。 わが国の場合、単細胞に徹してクイズのような入試の徒に高いバーをクリアしない限り、他にどんなに優れた資質があっても日の目を見ないという現実は、そろそろ見直す余地がありそうだ。
紳士録に話を戻すが、交詢社の日本紳士録が休刊になった一方、Marquis Who'sWho が益々隆盛なのは、前者が分厚い印刷物(厚さ15センチ位)一辺倒で来たのに対し、後者は、いち早く電子化時代に対応し、研究機関や企業の調査部門との契約にもとづくデータベースサービスに主力を移したことにある。
要するに、結果としてでも何でもよいから、時代の要請に先に応えたほうが勝つということだろう。 日本では、知らぬ人とて無い一流人でもネットの世界では無名という人もいれば、逆に日本では誰も知らない私のような三流人でも WEB を通じて格上の有名人に列する機会を与えられる者もいる。
納得できようが出来まいが、時代の変わり目とは、いつもそういうものである。
因みに、慶応系社交クラブとしての交詢社(慶大卒が条件ではない。会員2名の推薦に基づいて審査するらしい。私は東大卒だが、誰かの推薦があったらしく載っていた。)自体は、未だに健在で銀座にあるらしく、一ツ橋にある旧帝大系の学士会(注)の向うを張っているが、2000年代に入ってからは両者とも退潮著しく、引退老人クラブの趣を呈している。
いずれにしても、両者とも戦前の名士の条件であった民における "高額納税者" 対 "官における高位高官" の図式が半世紀以上前から崩れていたことに気付くのが遅かったと言うことだろう。 現在の日本でそれに代わるものとしては、帝国データバンク社や帝国探偵社の情報サービスがあると言えば言えるが、残念ながらこれは "企業調査" や "身元調査" に偏り、"名士としての虚栄心を満足させる機能" が欠けている。
今日のマスコミ社会でこの両者を享受しているのは、ニュースキャスターを始めとする TV 出演の常連達で、その知名度は一国の元首や首相を凌ぐ勢いであるが、一般の(無名の)有力者や有識者達がそのフラストレーションを晴らすための代償システムとして、 "人事興信機能" と "名士認証機能" の両者を維持しつつ、さらにグローバル標準の地位を目指して成功しつつあるのが、Marquis Who'sWho だと言って大過ないだろう。
(注): 全国、何処でも、どの会社でもそうだが、早大の稲門会、慶大の三田会、一ツ橋大の如水会等は有っても、東大の公式な同窓会は無いか、仮に有ったとしても、全員が入っているとは限らない。 それに代わるものとして旧帝国大学の合同同窓会として学士会があるが、これは、帝国大学卒業生だけに学士号が与えられた時代の名残である。
因みに私の卒業証書に載っている大河内総長の署名の肩書きは、一応 "経済学博士" となっているが、その前に "学士" と大書されている。 博士号は一家を成した大学者に与えられるものであり、学歴としての博士号など殆ど無視されていた時代である。とくに文系では、学年トップクラスの大秀才は、卒業と同時に助手に採用されてしまうので、そのまま教授⇒学部長まで行ってしまう人さえ居た。
私が、55歳で長年勤めた富士通から東京農大系の東京情報大学に転職する際、修士号すらないのに教授として採用されたのも、多分その七光りのお蔭だろう。
2011年4月24日日曜日
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