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2011年4月28日木曜日

マスコミに見る世論誘導の実態!

今朝の日経 "春秋" 欄を見て、またか!と思ったのは私だけではないだろう。 文字面を見ている限り別におかしいことが書かれているわけではない。 しかし、昨日の朝刊に載っていた前ニューヨーク市長、ジュリアーニ氏の発言内容と比較してみれば、そこには明らかな論点のすり替えと世論誘導がある。

"危機に臨んで一番重要なのは何か" という質問に対して、氏は、まず "指揮と制御だ、しかし危機を制御することなど出来ない。 でも誰かが必ず責任を負わなければならないし、方向性を示さなければならない。" と答えた上で、さらに言葉を継いで "指揮で大事なのはワンボイスだ。 一人が無理な場合でもワン・セントラルボイスにする。・・・" と明言している。 要するに権限と責任の集中・一本化を前提とした陣頭指揮である。 実際に彼がとった行動がそうだったことは、誰でも知っている。

しかし、"春秋子" は、意識的にその発言に触れることを避け、"・・・ニューヨークの治安を回復したジュリアーニ前市長が、本誌のインタビューで危機管理における情報公開の重要性を強調している。・・・" として、論点を自分たちマスコミに都合の良い方向にすり替え、ジュリアーニ氏の論点の最重要ポイントである "ワン・ボイス、すなはち指揮命令系統と責任所在の一本化" を無視している。 恐らくそれを認めたら自分たちが世論の名において勝手なことを言えなくなることを知っているからだろう。

これは、決して言いがかりではない。 文章の達人をもって鳴る大新聞の編集者が、前日の自社のインタビュー記事の "最重点ポイント" (入試で経験済みだろう!)を見落としたはずがない!

2011年4月24日日曜日

Who's Who in the World に載る意味?

二ヶ月ほど前に、"Marquis Who's Who in the World, 2012" から listee に入れたと連絡があったので、採否はともかく、バイオグラフィーなるものを送っておいたところ、昨日になって "合格" の返事が来た。

日本で言えば、福沢諭吉が始め、数年前に休刊になった交詢社の"日本紳士録"のようなものだが、何が違うかと言えば、現在の "エスタブリッシュメント(本命)" だけでなく、将来の "エスタブリッシュメント予備軍(対抗)" にもスペースを割くほか、各分野の "中の上(穴馬)" にまで目を配っていると言うことだ。 私など差し詰め "穴馬" として採択される栄に浴したのだろう。

しからば、何の理由で "穴馬" と見られたのかが気になる所だが、恐らく、金融・経済という文系分野と IT/IS という理系分野の繋ぎ役としての利用価値だろう。 現に嘗て野村総研や日銀金融研究所の有名な研究者から、両方がわかっている人は、関口しかいないと言われたことがある。 そういう強みを利して、一格上の方々と付き合ってきたので、そのうちの誰かが推薦してくれたのだろう。

要するに結果として時代を先取りしていたわけで、"穴馬" を超えて "対抗" として買いかぶられたとしても不思議はない。 その点に関する限り多少の自負が無いわけではない。
たしかに、70才を超えてITにアレルギーがない人には会ったことがないし、まして文系ともなれば尚更のことだ。

ところで、こうした多面的な人材発掘・養成の原則は、ハーバードを始めとする米国の一流校では、ごく一般的に採用されており、それが米国社会の強みの一つになっている。 わが国の場合、単細胞に徹してクイズのような入試の徒に高いバーをクリアしない限り、他にどんなに優れた資質があっても日の目を見ないという現実は、そろそろ見直す余地がありそうだ。

紳士録に話を戻すが、交詢社の日本紳士録が休刊になった一方、Marquis Who'sWho が益々隆盛なのは、前者が分厚い印刷物(厚さ15センチ位)一辺倒で来たのに対し、後者は、いち早く電子化時代に対応し、研究機関や企業の調査部門との契約にもとづくデータベースサービスに主力を移したことにある。

要するに、結果としてでも何でもよいから、時代の要請に先に応えたほうが勝つということだろう。 日本では、知らぬ人とて無い一流人でもネットの世界では無名という人もいれば、逆に日本では誰も知らない私のような三流人でも WEB を通じて格上の有名人に列する機会を与えられる者もいる

納得できようが出来まいが、時代の変わり目とは、いつもそういうものである。

因みに、慶応系社交クラブとしての交詢社(慶大卒が条件ではない。会員2名の推薦に基づいて審査するらしい。私は東大卒だが、誰かの推薦があったらしく載っていた。)自体は、未だに健在で銀座にあるらしく、一ツ橋にある旧帝大系の学士会(注)の向うを張っているが、2000年代に入ってからは両者とも退潮著しく、引退老人クラブの趣を呈している。

いずれにしても、両者とも戦前の名士の条件であった民における "高額納税者" 対 "官における高位高官" の図式が半世紀以上前から崩れていたことに気付くのが遅かったと言うことだろう。 現在の日本でそれに代わるものとしては、帝国データバンク社や帝国探偵社の情報サービスがあると言えば言えるが、残念ながらこれは "企業調査" や "身元調査" に偏り、"名士としての虚栄心を満足させる機能" が欠けている。

今日のマスコミ社会でこの両者を享受しているのは、ニュースキャスターを始めとする TV 出演の常連達で、その知名度は一国の元首や首相を凌ぐ勢いであるが、一般の(無名の)有力者や有識者達がそのフラストレーションを晴らすための代償システムとして、 "人事興信機能" と "名士認証機能" の両者を維持しつつ、さらにグローバル標準の地位を目指して成功しつつあるのが、Marquis Who'sWho だと言って大過ないだろう。

(注): 全国、何処でも、どの会社でもそうだが、早大の稲門会、慶大の三田会、一ツ橋大の如水会等は有っても、東大の公式な同窓会は無いか、仮に有ったとしても、全員が入っているとは限らない。 それに代わるものとして旧帝国大学の合同同窓会として学士会があるが、これは、帝国大学卒業生だけに学士号が与えられた時代の名残である。

因みに私の卒業証書に載っている大河内総長の署名の肩書きは、一応 "経済学博士" となっているが、その前に "学士" と大書されている。 博士号は一家を成した大学者に与えられるものであり、学歴としての博士号など殆ど無視されていた時代である。とくに文系では、学年トップクラスの大秀才は、卒業と同時に助手に採用されてしまうので、そのまま教授⇒学部長まで行ってしまう人さえ居た。

私が、55歳で長年勤めた富士通から東京農大系の東京情報大学に転職する際、修士号すらないのに教授として採用されたのも、多分その七光りのお蔭だろう。

2011年4月21日木曜日

福島県知事は首相より偉い?

今日の日経夕刊に世にも奇っ怪な写真が写っていた。 菅首相が誰かふんぞり返った男(金正日かと思って良く見たら佐藤福島県知事だった!)に最敬礼しているところである。 これが米国でカリフォルニア州知事のシュワルツェネッガーとオバマ大統領だとしたら、いかに奇っ怪な場面か想像が付くと言うものだ。

県知事と言うのはそれほど偉いのか、この間まで静岡県知事をやっていた駒場時代のクラスメート石川嘉延君に会ったら聞いてみよう。

それとも福島県知事に限って特に偉いのかも知れないから、富士通時代の同僚で会津若松出身の、佐藤由樹君(滋賀富士通社長)に確認する必要があるかもしれない。

菅首相とは直接面識がないので事情を確かめられないのが残念だ。 やはり駒場時代のクラスメートだった江田五月君に聞いてみたいが決して教えてくれないだろう。
世の中には私の知らない、あるいは知ってはいけない不思議な世界があるようだ。

ここは本当に日本なんだろうか、それとも "千と千尋の神隠し" ではないが、私が妄想の世界に入り込んでしまったのか?

2011年4月20日水曜日

今まで何故気が付かなかったのだろう!

東アジアの喉下に突き刺さった棘。

本論に入る前に次の二つの文章を引用しておく。 (Wikipedia 日本語版より)

当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは著書(「第2次世界大戦回顧録」)の中でマレー沖海戦でこの2隻を失ったことが第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたことだと記している。

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べた。「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」


2隻とは、大東亜戦争の初頭、マレー沖海戦で日本軍の魚雷攻撃によって撃沈された、当時のイギリスにおける最新鋭戦艦、Prince of Wales と Repulse のことである。


さて、ここからが本論である。 すでに何度も言い尽くされてきたことかも知れないが、浅学非才の私は、今になって漸く気が付いた。

このブログでも何度か指摘してきたが、占領軍による War Guilt Information Program が、日本人に戦争加害者としての原罪意識を植え付け2度と白人に楯突く気を起こさせないようにするためだったことは、江藤淳の 閉ざされた言語空間 以来、多くの識者によって指摘されている。 私もこれまでそのことしか頭になかった。 しかし、つい先ほど、はっと気が付いたのである。 War Guilt Information Program にはもっと大きな仕掛けがあったのだと・・・

白人たちが、アフリカ、中東、インド、米大陸、中国でやってきた常套手段、人種・民族間の分断・相互抗争 戦略である。 これで、日朝・日中間の反目、とりわけ南北朝鮮人の常軌を逸した反日感情の出所がわかったような気がする。 (阿片戦争で懲りた中国の指導者は、流石にその手に乗らないが、 暫く・・・50年間?・・・は、日中反目を演出し続けるだろう!)

彼ら白人が何よりも恐れたのは、白人優位思想の崩壊と非白人の結束であった。 そのうち前者は日露戦争における日本海海戦で傷つき、大東亜戦争におけるマレー沖海戦で崩壊した。

そのショックで咥えていた葉巻を口から落としたと言われる時の英首相 ウインストン・チャーチル が最後の楔として打ったのが War Guilt Information Program だとすれば、その中心に十八番の 人種・民族間の分断・相互抗争 戦略 が無かったはずがない。 洗脳されたのは日本人だけではなかったのだ。


そんなことを識者が知らないはずはないにもかかわらず、寡聞にしてしかるべき人が公に口にしたのを聞いたことがない。 おそらく虎の尾を踏む危険を冒したくないからだろうと拝察する。 せめて無名の一日本人として生きているうちに言っておきたい。 こう書いているうちに背筋が寒くなってきた。

2011年4月17日日曜日

国難を日本再建の奇貨とせよ!

今朝の日経1面、特集記事 「日本を立て直す」 のトップを切って、理研理事長のノーベル化学賞受賞者、野依良治氏が、東北州の独立と東北州立大学を拠点として世界の英知を集める科学技術立国・再建構想を提案されている。

既に、何度も提案されてきた構想かも知れないが、実現するチャンスは、まさに今を措いて無いのではないかと思う。

何よりも、その核となる大学が、東大や京大でなく、東北大学 であるところに、魅力と説得力がある。 あの魯迅と藤野先生の絆で名高い東北大学を国を挙げて支えると言うメッセージだけでも、多くの中国の青年を惹きつけるに違いない。

序でながら、私個人としては、これが昨日も触れた 現実的中立国家への第一歩 になることも期待している。

ドナルド・キーン氏の日本国籍取得に思う

昨日の日経夕刊(社会・スポ-ツ面)の片隅に、コロンビア大学名誉教授、ドナルド・キーン(Donald Lawrence Keene)氏が、日本国籍を取得して日本に定住されると言う記事が載っていた。

明治天皇」 の著者でもある氏が日本人になったからといって驚くにあたらないと言うかも知れないが、私にとって、これは、ラフカディオ・ハーン以来の大事件である。 なぜなら、これは、日本が「アジアのスイス化」 に向かって一歩踏み出した歴史的転換点を象徴するものと考えられるからである。

その理由は、このブログの 2010.8.2 の日記 「病床雑感・・現実的中立国家の構想」 を見ていただくことにして、ここでは、次の一節を引用するにとどめたい。
・・・100年後には世界中の名士にいつでも散歩の途中で行き会う日常になっているだろう。 これは絵空事ではない。 現在のスイスを見れば分かる。

今回の国難を奇貨として、現実的中立国家への道 が開かれ始めたとするなら、我々運良く生き残った者は、命を落とされた多くの犠牲者の霊に向かって襟を正さなければならない。

2011年4月14日木曜日

クラス会に出席できず残念です。

1ヶ月前までは、是非とも出席するつもりでしたが、体調が追いつかずに欠席することになってしまいました。 改めてお詫びします。

1960年度L1-6B組 第12回年次総会出席者(2011.4.13)



以下は堺さんあての欠席通知のコピーです。

東大文一6組の皆様

明日は、東大文一6組の年次総会でしたね。
参加できなくて残念ですが、後で堺さんから皆さんの集合写真を送っていただくのを楽しみにしています。

ところで、東日本大震災の被災者には、同情の言葉もありませんが、私としては、福島第一原発の危機的状況のほうが更に心配です。
というわけで、3月13日以来、殆ど毎日ブログの冒頭に、"福島原発・・・"をつけて、私の個人的認識を書いていますので関心をお持ちの方はご一覧ください。

これが、一虚血性脳梗塞患者の杞憂に終わることを祈っています。

2011年4月12日火曜日

福島原発・・・最悪の事態の兆候!

Although the radiation level of Fukushima Nuclear Power Plant is very small compared with that of Chernobyl at present, the situation is still getting worse.

It is reported that U.S. troop 12000 soldiers of operation "TOMODACHI" handed the mission over to US Forces Japan and left from Tohoku Area.

They might have sensed some dangerous symptom about the Plant.

Yet, hundreds of heroic engineers would not leave there, and still making their best effort at the risk of their lives.


原子力保安委員会が、国際標準に基づく危険度を "5" から一気に "7" へ引き上げた。 チェルノブイリと同じレベルであり、更に今後どうなるか予断を許さないことを考えれば、事態がいかに深刻かは明らかである。

今朝の日経では米軍が友達作戦の12,000人を撤退させ、任務を名前だけ在日米軍3,400名に引き継いだと報じている。

その殆どが沖縄を中心とする西日本に居り、しかも、数分以内に基地から飛び立てる空軍であることを考えると、彼らが人の顔まで識別できる偵察衛星と自衛隊や国内の大学も(私の勤務していた東京情報大学ですら!)持っていない軍事用センサーで、相当な危険を察知した可能性を否定できない。

だから逃げ出せと言うのではない。 我々日本人を救えるのは結局、我々日本人だけだと言う覚悟をしておけと言うのである。 いかなる友好国と雖も 、余裕の有る限り援助はしてくれても我々に代わって命を捨ててくれるわけではない。

たびたび名前を出して恐縮だが、その意味で "これは戦争だ!" と言って未だに防災服を脱がない 石原慎太郎東京都知事 の認識は正しい。 それに引き換え、やっと姿を現した 清水正孝東電社長 も情けないが、その謝罪会見を " 聞いていない" などと嘯いて全東電社員の士気を無にする 佐藤雄平福島県知事 の発言は、さらに大人気ない。ここにも何か利権の影が見え隠れし始めたと思うのは私の勘ぐりすぎか。 今は全てを棚上げにして相互に励ましあうときではないか!

繰り返す。 これは国難である!


2011年4月10日日曜日

福島原発・・・世論に阿る市民主義の限界!

昨日(2011.4.9)の日経夕刊コラム“あすへの話題”に、脚本家の内館牧子氏が、人伝てに聞いた話として作家の司馬遼太郎が、中国のエリート教育について語った言葉を紹介している。

・・・(エリート教育を)中国はイデオロギーでやっているんじゃなく、中国民族はどうしたら生きられるかと問題を根源的に戻してやっている。

わが意を得たり・・と言いたい所だが、そんなことは、世界中、何処の国でもやっている。 内館氏も当然、先刻ご承知のはずだが、敗戦後の一般日本人があまりにも能天気で平和ボケしているので、仕方なく “国民的人気” のある司馬遼太郎 の言葉を援軍として使わざるを得なかったのだろうと拝察する。

私の 2010.11.9 の日記 では、もっと直截的表現を使っているが、これに対する内館氏の意見を伺えればと思っている。

前置きが長くなったが、私がここで言いたいのは、若し今回の事故を国難ではないと考えるなら、周辺住民がどうのというようなことは、東京電力株式会社の経営問題に過ぎず、役人や裁判官に任せておけばよい。 政府(閣僚)や米軍が乗り出す必要など全くないということである。 逆にこれを本当に国難と考えるなら周辺住民や経済界の有象無象の言うことにいちいち耳を傾けている暇などないはずだ。 このことを素っ飛ばして空騒ぎしているマスコミの堕落振りは最早、救いがたい。 敗戦直前の 大本営発表 の再現を見る思いだ。 

2011年4月9日土曜日

福島原発・・・2人のリーダーに期待する!


At last, we have got 2 courageous leaders at Fukushima Nuclear Power Plant! Vice president Tsuzumi and Managing directer Komori of TEPCO. We must support them and avoid any interference or disturbance from egoistic establishments.



国家的非常事態に当たって、リーダーが守るべき鉄則は一つである。

大の虫を救うために小の虫を犠牲にすることを躊躇うな!
たとえば、考えうる最悪の場合・・・
大の虫・・・首都圏3000万人の運命~東アジアの運命
小の虫・・・東電の存続~原発周辺住民~周辺県民の運命

福島原発の存続など小の虫にも当たらない。 果たして、福島県に常駐する覚悟を決めた2人の責任者(鼓紀男副社長と小森明生常務)にその覚悟と勇気があるか? また、それ以前に、我々国民にその覚悟があるか? 政府及び東電幹部(及び周辺住民!)が彼らの足を引っ張ることのないことを祈る。

2人の責任者は、東電社員としてでなく、国民のリーダーとして行動すべきである。 我々は、彼らの決断を支持し、彼らを牽制する周囲の利己主義者たちから守らなければならない。

2011年4月5日火曜日

福島原発危機に見る官僚主義の罪悪と無能・・・Crime of Irresponsible Bureaucracy at Fukushima Nuclear Power Plant


I repeat again the warning of my diary on March 15, 2011.

この期に及んでも、"福島海岸決戦" の総司令官の名が出てこない!

Even at this critical moment, no one of us Japanese people knows who is the chief commander of "Battle for Fukushima Coast".

Japan is entirely occupied by the irresponsible bureaucracy of TEPCO and METI.

This is the reality of "Peace Loving Post-war Japanese People".


Should the situations be desperate, and yet, I believe "The Sun Shall Rise Again" !