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2011年11月21日月曜日

急性A型大動脈解離からの生還3周年

一昨日(2011.11.19)で、この病気で倒れてから丸3年経った。
未だに、助けてくれた人々や看病に明け暮れながらずっと耐えてきてくれた妻子に感謝はしても、喜びと苦しみが合い半ばする状態が続いている。

(いろいろ書きたいが、今日は体調がもちそうもないので、この続きはまたにする。)

(2012.6.10 日が経ち過ぎたので、最近の投稿への返信からの転記で病状報告に代えさせていただくことにする。)

以下は、2012年6月3日土曜日
『解離性大動脈瘤』 と 『急性大動脈解離』の違い
に投稿された松原さんへの返信です。

松原さんと言い、その前の匿名の方と言い、お2人とも不屈の意志を持って、後遺症を克服されていこうとしておられるのに改めて敬服します。それに引き換え、生還の損得勘定ばかりしている自分は、何と後ろ向きなんだろうと反省させられること頻りですが、ここにきて、はたと気付いたことがあります。

強いて、言い訳させていただけば、お2人とも、まだ働き盛りの50歳前後で、その上、手術の直前まで意識があって、激痛と恐怖を体験され、死を覚悟された上で、自ら、助かりたいという選択をされているのに対し、私の場合は、それらの記憶が一切無く、つまり、助かったと言う感激が無く、ただ後遺症の苦痛と不快感しか体験していないということではないかと思っています。いままで、年齢のせいだとばかり思っていましたが、お二人の後遺症が決して私より軽いとは言えず、しかも、まだ働かなければならない立場にありながら、前向きな姿勢を知って、はたと思い当たった次第です。 それは、お2人とも命拾いをしたことを心から喜んでおられることで、分かりました。

私はと言えば、幸か不幸か助かってしまったと言う損得勘定から未だに抜け出せませんが、一年後には、こんな愚痴をお聞かせしなくて済むよう頑張る(顔晴ると書く女流文筆家も居られると聞きましたが)心算ですのでお気遣いなく、年寄りの愚痴とお聞き流しください。

最近、97年度のゼミ長だった教え子が、フェイスブックで私を見つけ、大学の研究室に残していただいている暦年のHP(情報貝塚)を見て感激し、関口ゼミ再結集の頁を起こすと言ってきてくれたのには、これぞ、教師冥利に尽きると言う気持ちで涙が出ました。 こういう時は、やはり、生きていて良かったと思う一瞬です。



2011年11月8日火曜日

日経春秋欄の石原莞爾論・・メディアリテラシー

メディアリテラシーと言う言葉がある。 パソコンが使えるかと言うような技術論ではない。 新聞・テレビ等における報道や記事の文面からは直接読み取れない意図を読むことである。 これは、朝日新聞社出身の同僚教授から聞いた話だから確かである。

そこで、今回は、日経朝刊2011.10.26の春秋欄を例にとって解説を試みることにする。
これは、一種の講義だから、正確を期すため敢えて全文を転載することにした。

関東軍の参謀だった石原莞爾が、のちの東京裁判で証人として言い放った言葉がある。 日本の戦争責任は日清・日露までさかのぼる・・・と迫る検事に、石原は「それならペリーを呼べ」。 幕末の開国こそすべての始まりだというわけだ。

平和にやっていた島国に黒船で押しかけ、侵略主義に走らせたのは米国じゃないか。 昭和陸軍の鬼才らしい反撃だが、外からの圧力を陰謀の如く受け止め、被害者意識にとらわれるのは幕末以来の日本人の習い性かもしれない。 環太平洋経済連携協定(TPP)への警戒論にも、そんな心情が見え隠れしている。

「TPPに入ったら日本の農業は壊滅し、地域社会も崩壊する」と農協などは激高するばかり。尊皇攘夷ならぬ尊農攘夷の様相だ。過保護にするだけが尊農でもないだろうが、ここにきて「医療も危ない」「外国人労働者が殺到する」と方々からの加勢が目立つ。姿は知れないのに、日増しに大きくなる影である。
幕末の開国も、すったもんだの末に通商が始まった。しかし関税自主権を奪われ、小村寿太郎が条約改正にこぎ着けたのは明治の末。やっと本当の攘夷を果たしたと小村は語ったという。かくも苦心の関税自主権を手放すのか、と息巻くTPP反対論者もいる。ペリーのもたらした呪縛の何という強さか。

以上が全文である。

大学入試の現代文の設問で、「この文章で筆者は何を言いたいのか、〇〇字以内で述べよ」・・と言われても、私だったら全く判らないとしか答えようがない。 何故なら、文面で見る限り、何も結論らしきことを言っていないのだから。
TPP に反対する人たちに悪印象を与えることを狙っているらしい口振りだが、はっきり賛否を明らかにしているわけではない。この匿名の筆者は、その真意を問われたら恐らく相手によって適当にはぐらかすに違いない。 これが、マスメディアが、はっきりした意図を持ちながら、証拠を残さずに読者をその気にさせる巧妙かつ卑怯な常套手段である。

ここで、細かいことを議論し始めたら限がないので、一応、私自身のメディアリテラシーのレベルでの推測を述べておこう。もし、春秋子に反論があるなら、実名でお願いしたい。

①春秋子は、TPPの是非について確信を持っていない。
②しかし、TPPに反対する人たちには組しないか、その振りをしていた方が安全だと思っている。
③そこで、外圧脅威論という一般論に摺りかえるという常套手段に訴えることにした。
④さらに、一般論を補強するべく、石原莞爾や、東京裁判を持ち出した。
⑤返す刀で石原の気概ある正論を被害者意識の一つに貶めると言う効果も狙った。

勿論、他にも、無数の解釈がありうる。

たとえば、今日(2011.11.8)の同紙朝刊一面の署名記事では、論説主幹の芹川洋一氏が、まことに明快な開国論を披瀝されている。 先の春秋欄の記事が書かれてから2週間の間に情勢がはっきりしてきたので、旗幟鮮明にされたのか、あるいは、日経社内でも異見が対立していたのか・・・。 われわれ部外者は、いくらでも想像できるが、そんな無責任な憶測に時間を費やしても意味がない。

私自身、卑怯者にはなりたくないので、自分の意見を述べておく。
①TPPに代わる選択肢は、見当たらない。(米国の国益に真っ向から対抗する力はない。)
②しかし、外圧は、常に警戒しなければ、裏に潜む真の脅威を見落としかねない。
③石原莞爾は、日米の戦力が拮抗するには、数十年かかるから、それまでの間は満州国から一歩も南進すべきではないと、非戦論を唱えた故に陸軍の中で孤立した愛国者であり、侵略主義者でもなければ外圧脅威論者でもなかった。 明治維新において、日清朝連合艦隊で欧米に対抗すべしと説いた勝海舟に比肩すべき気概に満ちた具眼の士である。

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2011年11月3日木曜日

スティーブ・ジョブズのスタンフォード・スピーチ

アップル創業者スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチが、話題になっている。
リード大学中退の彼が、事業の天才として尊敬され、スタンフォード大学の卒業式という晴れがましい場所に招かれて、世界中から集まった秀才達を前に講演すると言うこと自体、異例でもあり、感動的でもある。

しかし、私がここで言いたいのは、そのことではなく、むしろ、彼の話は、成功者の結果論に過ぎず、その業績の大半は、彼の能力や決断に起因すると言うより、偶々そうなった巡り合わせの結果に過ぎないと言うことである。 だから無意味だと言うのではない。 彼の業(ごう)には、そうなるだけの因と縁の無限連鎖があったからで、決して偶々そうなったのではないと言うことだ。 これが、私の提唱する "因果必然の科学的モデル" からの解釈である。 仏教に傾倒していたと言う彼自身、そのことは十分承知していたに違いない。 ただ、大部分の非仏教徒の前で、言っても無駄だから素人分かりのする精神論でお茶を濁したのだろう。

私が、そう考える理由は、彼が、一方で"他人の人生を生きることで時間を無駄にするな"(仏語で言う"随所に主たり")といいながら、他方で"個々の事象の意味は、後になってそれらがどう関連していたのかを見なければ判らない"(人間万事"塞翁が馬")と言っていることで疑う余地がない。

彼が、前者で言いたかったのは、"勝手に生きろ" と言うことではなく、"どうするのが一番プラスか"は、後になって見なければ判らないのだから、"その時点でどうしてもやりたい" と思うことをやった方が良いと言うことだ。 また、後者で言いたかったのは、"そうすればきっと成功する" と言うことではなく、"結果がどうなるかは、自分の能力や判断で事前には決められないのだから、それに煩わされることで、人生の限られた時間を無駄にするな" と言うことだ。

好漢、Steven Paul Jobs に合掌