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2012年10月6日土曜日

『国家不要論者=満足せる豚』 の能天気な平和ボケ

15年ほど前に、呉で或る学会があったときエクスカーションで江­­田島を見学しました。そのときのガイドの老人の話のとおりの光­景­を見て感慨一入です。  日露戦争以来の血染めの遺品や遺書などが展示されている『教育参考館­­』を後にしようとした時、出口で一緒になった一人の将校らしい­制­服の自衛官が、出口を背にして正面階段の方へ向き直り、脱帽­して­最敬礼をしていた姿には、理屈ぬきに感動しました。 その一挙手一投足から国家の根幹を支えているのだと言う気迫がひしひしと伝わってきました。 一緒に­見学し­ていた学会の面々の能天気な表情が物見遊山の野次­馬のよう­で、情けなくなりました。 



学者や経営者の中には国家は不要だと思っている人たちもいるようだが、国際学会や国際企業、果ては国際犯罪組織に至るまで、最終的には国家間の決め事の中でしか、活動できないことを忘れたわけではないだろう。

10月3日の日経夕刊のコラム「大機小機」欄に 『経済と国家の関係』 と題する、真に当を得た論説が載っていたので、是非一読をお勧めする。 ここに全文を転載したいところだが、長くなるので一部を引用しておきたい・・果たして論者(”風都”子)の真意が十分伝わるかどうか・・
「・・・経済活動の前提となるもの(国家による所有権の安定性の維持)を経済的な損得勘定とてんびんにかけるべきではない・・・」
「・・・そもそも経済発展の土台は、国家による所有権の安定性の保護だった・・・」
「・・・尖閣などの問題は、日本政府に所有権の安定性=市場の安定性を守る決意があるかどうかを問うているのではないか・・・」
「・・・尖閣などの問題を解決するには・・・・・・・・・。 だが、どんな解決策にしても少なくとも経済的利益をあてにした 『友好関係』 を維持するため、というような理由付けは避けるべきであろう。」