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2010年6月29日火曜日

『閉ざされた言語空間』 の住人達

ここのところ、TVや新聞のいたる所で 『閉ざされた言語空間』の痕跡が目につく。 ベルリンの壁はドイツ敗戦の後遺症だが、目に見えるだけたちがよかった。それに引き換え、わが国敗戦の後遺症である 『閉ざされた言語空間』 は、いまだにびくともしないで、日本人の意識を目に見えない壁に閉じ込めている。

例を2つ挙げよう。

① 先日、どこかの TV 放送局(局という以上民間会社ではない筈だが)で、98歳の老医師が中学校か高校で講演しているニュースを流していた。 TV で見る限り件の老医師の講演の趣旨は 『命の大切さ』 ではなく、 『命の使い方--生き方の大切さ』 であった。それが証拠に彼は 「長生きすれば良いというわけではない」 と、はっきり言っていた。 しかし、これが教員やTV局(会社?)のお気に召さなかったのだろう。 わざわざ "良い子" を使って 「命の大切さを学びました」 と言わせている。 "良い子" も馬鹿ではないから、こういうときどう答えればよいかは百も承知である。 賢そうな女の子の白けた顔がせめてもの救いだった。

私が、そう断定するにはそれなりの根拠がある。 私自身、中学3年のとき、それをやらされたからである。 それ以来それまで尊敬していた社会科の教師の正体を見たような気がして、そのせいか東大受験でも世界史が大嫌いになってしまった。 当時、私は、市内にある桐生高校に入り群馬大学工学部に進むつもりだったから碌に入試勉強などしていなかったが、何の風の吹き回しか東大進学会の模試で全国7番になったのを 皮切りに県内1万人の高校受験生が参加する模試で県下1位になるなど教師達の期待を集めていた。 折も折、わが母校、桐生市立西中学校で県内のお偉方を集めた模範授業をやることになった。 そこで言わされたのである。 「敵国が攻めてきたら、抵抗せず両手を挙げて降参します・・・」 と。 そう言いながら私は悔しくて涙が出てきた。 それを見た教師やお偉方は私が感動して涙を流していると勘違いしたらしい。 そうです、そうです と言わんばかりに頷き合っていた。 私は屈辱にわなわなと口をふるわせるばかりで声も出なかった。 今、思えば似非人道主義者の昇進(後に市内某中学校の校長になった)の道具に使われてしまったのである。 わが人生最大の汚点である。 因みに彼の名は、私のホームページの 恩師 の中には、当然のことながら入っていない。

② 昨日の日経(吉田茂が「日本の新聞は読まない!」と言ったわけが良くわかる)教育欄に 『偉くなりたくない』 顕著 というタイトルの文章が載っていた。 書き手は 「日本青少年教育研究所理事長」 の千石保氏である。 そもそも比較の対象が、米・中・韓 で 英・独・仏 でないなど、初めから結論ありきの意図が見え見えであるが、氏が指摘する問題点は至極もっともで別に反論するつもりはない。 一言付け加えたいのはそのよって来たる原因である。 氏は所得格差とかいろいろ挙げているが、一番肝心なことを(おそらく意識的に)避けている。 つまり、小・中学校を通じて、いちども 「偉人」 を(個人的にではなく公式に)褒める教師に出遭ったことがないことである。 要するに日本には昔から偉人はいなかったことになっているのだ。 米国で大統領を貶す(政策の批判ではない)ニュースキャスターなどまともな市民とは看做されないが、日本では芸人風情が平気で自分達の選んだ首相に失礼きわまる罵詈雑言を吐く。 いったい何様のつもりか!

話が脇に逸れたので、本論に戻って私の体験した実例を紹介しよう。 一昨年の4月、私がまだ 東京情報大学 の教師だったころ、恒例の(どこかの会社が流行らせた)フレッシュマンキャンプと言う新入生1泊合宿に出かけたときの話である。 往路のバスの中で世話役の上級生が車内の新入生達に対して、自己紹介アンケート用紙を配り、記入内容を互いに隣席の学生に読み上げさせると言うゲーム(他己紹介と言うらしい)をはじめた。 そこまでは、別にどうと言うことはない余興に過ぎないが、驚いたのは、『尊敬する人は?』 という質問に対する回答である。 何と殆ど全ての学生が 『両親』 と答えたのである。 他は数人の学生が 『無し』 だった。 たった一人、中国古代の歴史家(思想家というべきかも知れないが名前を思い出せない)の名を挙げた者がいたが、それは中国からの留学生だった。 つまり、わが国のゾンビ教育では、今日なお、誰かを両親以上に尊敬してはいけない (と言うことは世の中に本当に偉い人などいる筈がない) と教えられていると言うことだ。 こうして、閉ざされた言語空間の中で育った青少年が、 『偉くなりたくない』 と答えるのが正解だと考えるのは当然のことである。

2010年6月25日金曜日

新聞コラムに見る怯懦の精神構造

2月20日 「手術同意書に見る怯懦の精神構造」
の末尾に

毎年、終戦(敗戦)記念日が近づくたびに繰り返される 『戦死者=無謀な戦争の犠牲者』、『戦没者=戦争被害者』 の大合唱も戦死者や戦没者を犬死した愚か者と罵っているのと変わらない。
その根底にあるのは、無知と自惚れ、そして怯懦の精神構造である。
天皇陛下は 、まさかそんなつもりで黙祷されているわけではあるまい。


と書いたが、今日の日経夕刊のコラム 『あすへの話題』 に、三井物産会長の鎗田氏が、若いころロンドンの長屋で隣り合った老婦人を冒涜するような駄文を寄せていた。 なぜ、私が駄文という氏の名誉にかかわる誹謗とも取れるような言い方をするのかは、解らない人にいくら説明しても、解らないものは解らないとしか言いようがない。 一言で言えば、愛国心の価値を認めずお涙頂戴物語に変えてしまうことで自己保身を図り、老婦人が誇りに思い心の支えともしていた 父(第1次世界大戦で)、夫(第2次世界大戦ダンケルク敗戦で)、一人息子(同ロンドン空中戦で)の勇敢な戦死を犬死扱いしていることに気づかないか、或いは気づいていながらそれを讃える勇気を持っていないことが明らかだからである。 もし、日経のロンドン版にこの文章がそのまま掲載されたら、遺族から名誉毀損で訴えられかねない。 要するに、その根底にあるのは、無知と自惚れ、そして怯懦の精神構造である。 この人もまた、江藤淳の言う 閉ざされた言語空間 の住人だという事になる。 つまり、『仁・義・礼・智・信・勇・忠・孝・悌・和』 の徳目とは無縁の唯の商売人に過ぎないということだ。 そう言えば、日本経済新聞というのは元々商売人のための専門紙だった。 それが近頃えらそうにクォリティーペーパーとか言って中途半端に政治などを論ずるようになったのでつい余計な期待を掛けたのが間違いの元か。 我が家の近くにある新聞屋は朝日と日経しか扱っていないし、朝日よりはゾンビ化の程度が低いと思ってとっていたが、むしろ乙に澄ましているだけ余計たちが悪い。 それにしても政治は論じてもその一環である軍事を毛嫌いする理由がわからない。 国のために戦ったWBAでのイチローやワールドカップでの本田を讃えるなら、中国、ロシアの偵察機(軍艦)の領空(領海)侵犯に対して果敢にスクランブルを挑む自衛隊兵士も同じように讃えるべきだ。 こんな当たり前のことを一々言わなければならないのは世界中で敗戦後の日本だけだ。 閉ざされた言語空間 に住む ゾンビ たる所以である。

2010年6月2日水曜日

ゾンビ世代の最後のあがき

今日の日経朝刊 春秋欄に、鳩山首相退陣の世論が沸騰しているのに本人は KY (何のことだ?)で馬耳東風だという趣旨の駄文が載っていた。 私に言わせれば、したり顔に鳩山批判を繰り返すマスコミの方が米中露等のエリート層の真意が読めない、あるいは読めているからこそ必死になってそれを隠そうとあがいているゾンビの断末魔にしか見えない。 そもそも、こんなところに 西郷隆盛 の言葉を(知ってか知らずか)文脈も構わず引き合いに出すことが怪しからぬ。 西郷の有名な言葉 『命ちもいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れども、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞ』 というのは、自分のことを言ったと誤解する者が多いが、実際は、江戸城無血開城の真の立役者でありながら、その功を全て勝海舟に譲って恬淡としていた 山岡鉄舟 に敬服して言った言葉であることを蛇足ながら付言しておく。 いずれにせよ、米中の合意を取り付け、エゴに徹する自治体住民を宥めるため、只管バカを演ずる自分達の首相 の足を引っ張ることに血道をあげるマスコミ雀等の軽口のなかで引き合いに出すような言葉ではない。 近頃のマスコミに出てくる連中は、殆ど 「命は勿論惜しい、できれば名も欲しい、そうすれば議席も金も手に入る」 という輩ばかりだ。