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2015年4月27日月曜日

思い出の歌・・踊り子(唄:三浦洸一)

朝、うつらうつらしていると、何とはなしにこの歌が思い出されてきました。
高校3年生(昭和32年)のときの大ヒット曲です。

踊り子(唄:三浦洸一)
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_b567.html

さよならも言えず 泣いている
私の踊子よ ああ 船が出る

天城峠で 会うた日は
絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた
赤い袖に 白い雨……

月のきれいな 伊豆の宿
紅(べに)いろの 灯(ともしび)に
かざす扇 舞いすがた
細い指の なつかしさ……

さよならも言えず 泣いている
私の踊子よ ああ 船が出る

下田街道 海を見て
目をあげた 前髪の
ちいさな櫛も 忘られぬ
伊豆の旅よ さようなら……

2015年4月25日土曜日

国家試験の受験資格

検査結果の数値だけを見て「正常範囲」に収まっていれば、患者の顔も見ずに「何処も悪い所は見当たりませんね、気のせいでしょう」と言い、目の前の患者の訴えを聴こうともしない医師が増えている(?)と言われていますが、もしそうなら、それはもはや検査結果表示装置に過ぎず医師の名に値しません。
偏差値には関心があるけれど教育には無関心と言う教師が教師の名に値しないのと同様で、人格教育の無い社会での国家資格(議員はその筆頭ですが)の絶対化ほど恐ろしいものは有りません。

しかし、明治以来100年間放棄されてきた公的制度としての倫理教育を復活させると言うのは至難の業です。いっそのこと、剣道段位をあらゆる国家試験の必須受験資格にしてはどうかと本気で考えています。
武道の中で、オリンピック種目化を断固として拒否している理由が、剣道は勝敗を争うものではなく精神修養を目的とするものだからだと宣言しているからです。その意味では弓道や茶道も選択肢に入るかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E9%81%93#.E5.89.A3.E9.81.93.E3.81.AE.E7.90.86.E5.BF.B5
まあ、「自由と平等」に反すると言う理由で潰されるでしょう、・・・しかし、ことによると「自由と平等」の本家であるフランスが支持してくれるかもしれません。

「反知性主義」・・アメリカが生んだ熱病の正体(森本あんり著)

その淵源と功罪の全貌が書かれています。

彼らと遣り合うなら是非これを読んでから遣った方が効果的でしょう。
元々は、神の前には平等だという徹底した「反権威道徳感情」に根ざしていますから理屈で反撃しても無駄です。日露戦争、WWⅠ、Ⅱでの世論を動かしたのもこの感情です。

それを動かすことの出来た金子堅太郎と米国通を気取りながら、最も肝心な草の根の国民感情を知らずに反日世論を爆発させた山本五十六の違いが日本の勝敗を分けたと言うことがよく解ります。
逆の立場で、米国人が草の根の日本人を説得しようとするときに靖国神社に代表される(と彼らが思っているらしい)神道の否定から始めたらどうなるかを考えれば解るでしょう。安倍首相が金子堅太郎の顰に倣うか山本五十六の轍を踏むかは大きな岐路になるでしょう。

私だったらお互いの過去の古傷の大小を論ずるような愚を冒すのではなく、「日米にしかない最大の共通点」として、「階級を問わない人民全ての平等を理想とする伝統的価値感」について語るでしょう。上杉鷹山が自ら肥桶を担いで鍬を取り、天皇自ら被災者の前に座り込み、社長自ら工場労働者と並んで昼食を取る、・・ことを有るべき姿とする価値観です。
米国の伝道集会では、大統領夫妻も一参会者として、大声で賛美歌を歌っています。

米国では「神の前の平等」⇒「聖書原理主義」、「反知識階級主義」、「反科学万能主義」、「反ハーバード、エール、プリンストン、etc.主義」、「反進化論主義」と無限のバリエーションが有りますが、いずれも、「個人の回心」が全てに優越すると言う「宗教的道徳観」であることに変わりは有りません。
一方、日本の平等概念は、堯舜時代の古代中国における「天帝のもとでの平等」に発するようです。その後、天帝の代わりに、「天照大神」、「仏」、「天」、「空」、「本心」、「現人神」、「戦後民主主義」、「良心」、「精神世界」・・と様々な表現が登場してきましたが、これも「反東大感情」に代表される知的特権階級に対するプロテストで、その本質は「本人の良心=本心」が全てに優越するという「修養主義的道徳観」です。

これら日米両国の国民感情に共通するのが、勤勉の美徳だということを明確に指摘したのが山本七平です。
「日本資本主義の精神 」 1979 山本七平著 カッパビジネス(光文社)

日米両国民は、本来、相性が良いのです。

2015年4月23日木曜日

日経経済教室 「日米首脳会談の焦点」・・ Kent E. Calder ライシャワー東アジア研究所長

昨日から明日まで3日連続で3人の論者が、日経経済教室欄に 「日米首脳会談の焦点」 を論じていますが、2日目の今日は、Kent E. Calder ライシャワー東アジア研究所長が、「同盟の絆 再確認の好機」と題して論陣を張っています。

要旨は、
①日本と米議会の関係は劇的に改善した。
②米国は中国への危機感から対日関係重視に転換した。
③首相が米国の一般人に接することが重要だ。
というもので、政府間の根回しはほぼ完了しているそうです。

日本の首相が米国上下両院合同会議で演説するのは今回が初めてだそうですが、韓国は歴代大統領が機会を与えられている。
旧敵国首相の演説が実現した理由は、2つ有り、その第一は、C.ケネディ駐日米大使の支持、第2は、安倍首相の対イスラエル融和姿勢(アンネ・フランクの家訪問、エルサレム訪問)だった。
そして、それ以上に重要なのは③ですが、今回は、斉木外務次官の周到な手配でボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルスの訪問も実現するということです。

さらに、見逃せないのは、今後予定されている中国及びロシアでの戦勝70周年記念式典では、日本軍国主義非難の大合唱が予想されることで、今回の安倍首相の米国訪問が、それに対する防波堤になりうると言う指摘です。
当に正念場で、今、ここで靖国神社がどうのと言う次元の自己憐憫に耽っていたら戦勝国からの総攻撃を受けて、今度こそ国家消滅への道をたどるしかなくなるでしょう。それこそ、昭和天皇が嘆かれたように「親の心子知らず」であり、300万英霊の死を無にする裏切り行為になりかねません。
誇りは内に秘めて置くべき物で、某国のように声高に誇示するものではありません。最強国が手を差し伸べてきた以上、お互いの古傷の有無・大小を論うのは100年後にして、某国の三百代言などは、聞き流しておけばよいのです。

2015年4月18日土曜日

15回目の駒場のクラス会・・・5年ぶりの出席

昨日(4月16日)、5年ぶりに大学の同窓会に行ってきました。

直前まで、三寒四温で天気が変わるごとに、行けそうな気がしたり、とても無理だなあと思ったりで返事を一日延ばしにしていましたが、今年行かなかったら後が無いかもしれないと思って決心しました。幹事への返信には、「これから先の一年は嘗ての十年に匹敵するとの感を深くしました」と書きました。つい二月前に幹事の一人が死去したばかりだったからです。私を始め、今年から後期高齢者に「昇格」した者も数名居て、皆、同じような思いに駆られたのか、出席者は20名に達し、数年ぶりの盛況でした。


各界のトップを勤めた面々も、第一線から退いた所為か、政治・外交の機微に触れる裏話も気楽に話してくれたので、いい加減な後援会に出席するより遥かに貴重な判断材料を得ることが出来ました、・・と言いたいところですが、耳の衰えは如何ともし難く三分の一も聞き取れず、いささか惜しいことをした気分です。
・TPPに対する米国の姿勢の変化
・議員定数問題の現状
・憲法審査会の件
・日中友好協会の件
・地方創生問題
・NETオピニオンの日米格差
いずれも、国家の一大事だという共通認識の下に、実務の現場で苦労している様子が窺われ、いわゆる「官僚の陰謀」説とは無縁なことは確かです。
私からは、各界の指導的地位を経験した人達(君達のような!)が、もっとネット・オピニオンの形成に係るべきだと言って置きました。

因みに、個人弁護士をやっている出席者の一人が、裁判所で聞いたところによると、裁判官経験者で参議院議員になった江田君は、官僚の世界で言う「三冠王」の一人だそうです。
http://gold.ap.teacup.com/jfoa/23.html

去年の11月にゼミの恩師を偲ぶ会に出席したときは、息子に付き添ってもらいましたが、今回は夜の会合であるのに加えて、単身往復するという「怪挙」を何とか達成しました。
しかし、正直言って、東京は、ヨボヨボ老人の行くところではないなと思いました。
帰りの東海道線では、先頭に杖を突いて立っていたのに、列車が到着するや後ろに並んでいた人達があっという間に空いた席を塞いでしまい、誰一人としてウスノロ老人のために先を譲ろうとはしません。已む無く一本見送って次の電車で帰ってきました。辻堂駅や茅ヶ崎駅では、大抵、誰かが先を譲ってくれます。

2015年4月4日土曜日

沖縄の反基地活動の正体

米国大使館宛に以下のメッセージを送りました。
沖縄駐留米海兵隊 Dr.Robert Eldridge 解任撤回要請キャンペーンに賛同し、下記のコメントをつけて署名しました。 撤回要請への諾否の如何に係らず、中立的かつ常識的一日本人の私見として大使閣下へお伝えいただければ幸甚です。
大半の沖縄住民は普通の日本人ですから一般に謙虚で自己の要求を積極的に主張しません。メディアが報じている基地反対派の非礼かつ暴力的なデモは全て反日左翼活動家のプロパガンダです。大多数の日本人は、米軍の駐留は容認すべきだと考えていますが、過激な活動家をマフィアの同類と見ていますから係わりたくないと思っています。これが、欧米国民に日本人の民意が誤って伝わる原因で、ほとんど全ての政治・外交問題での日本の立場と真意が理解されない最大の理由です。 更に言えば、日本の主要メディアはNHK(国営放送)を含めて幹部の殆どが中国・韓国寄りの左翼によってコントロールされていますから野党やメディアは首相が悪で自分たちは善だと主張していますが、実態は逆だということを殆どの国民が知っています。これは最近の3回の国会議員選挙結果を見ていただければ一目瞭然です。 あなた方米国人には日本人の自己抑制的国民性は理解を超えると思いますが、これは(故ケネディ大統領が、尊敬する政治家として上杉鷹山の名を挙げられたように)徳川時代300年間に国民的体質となった伝統的精神構造です。東日本大震災での日本人の忍耐力が喧伝されていますが、それはこの国民性の一端でしかありません。 http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog130.html 私たちも不本意ながらもっと自己主張しなければならないと自覚していても、言葉と文化のギャップが大きすぎて簡単には対応できません。 米軍や駐日米国大使館の関係者には、ぜひこのことを理解していただきたいと思います。 Dr.Robert Eldridge は、日本人のこの心情を知って下さる数少ない方の一人です。

この一年間に再読した古本: 上位10冊

この1年間の間に何冊かの書籍をお奨めしましたが、私自身,発病以来何年も本を読んでいなかった所為か、それとも何かの引き合わせか知りませんが、本棚から興味本位で引き抜いて読む本が、全て今の日本の状況を見事に説明してくれているのに驚いています。
殆んどが若い頃、古本屋めぐりの最中に二束三文で買ったものですが、何十年も前によくそんな本に関心を持ったものだと思います。
きっと、その間、絶えず日本人が直面してきた危機や問題を扱っているからでしょうが、そうでない本もたくさん有るのに選りによって、と不思議な感じがします。

①「閉ざされた言語空間」江藤淳
②「閉ざされた言語ー日本語の世界」鈴木孝夫
③「敗者の戦後」入江隆則
④「日本人と中国人」陳舜臣
⑤「日本人とユダヤ人」イザヤ・ベンダサン(山本七平&某知日ユダヤ人)
⑥「社会運動の心理学」H・キャントリル
⑦「日本の思想」丸山眞男
⑧「日本資本主義の精神」山本七平
⑨「人望の研究」山本七平
⑩「南洲残影」江藤淳

夫々民族とか国家とかを考える上で、客観的かつ長期的かつ相対的視点を持つことの重要性を教えてくれる良書だと思いますが、今の皆さんに、一日でも早く読んで欲しいと思うのは、
⑧「日本資本主義の精神」です。
外国人に、日本では何故そうなのか?と聞かれても、答えられない理由が、これでわかります。
各国語に翻訳して世界中のメディアで紹介すれば、日本不可解論は、一掃できるでしょう。安倍首相とC・ケネディ大使に真っ先に読んで頂きたい本です。

2015年4月3日金曜日

平和と安全保障に対する国際常識

WWⅡ 以降、平和が続いたと思っているのは、気の良い日本人だけで、富士通時代に付き合いのあった元銀行家の年配のスイス人などは、打ち合わせの途中、突然、"来月から兵役で1ヶ月失礼するので宜しく・・" と当然のことのように言っていました。 私が驚いて "そのお歳で銃を担いで訓練を受けるのか" と聞いたところ、始めは私が冗談を言っているのだろうと思ったらしく、まじめに答えようとしませんでしたが、そのうち私が本気で聞いているのだと判ると、逆に相手の方が驚いて、ここだけの話だがと断った上で、具体的に説明してくれました。 要するに "戦時経済の演習(シミュレーション)" に金融専門家として参画するのだと言うことでした。 "永世中立国家スイス" は全国民が常に臨戦態勢にあるのです。 平和を維持するには、平時からそれだけの覚悟と備えが必要だと言うことです 

因みに、カナダが一番警戒しているのは、米国の動向で、そのために米国要人数万人の言行をデータベース化してマークしているそうですが、カナダでさえそこまでやっているとすれば、英仏露はもとより、中国、南北朝鮮やイラン、イスラエルは推して知るべしでしょう。 それは、彼らが、集団がある方向に動きだしたら個人の善意などではどうすることも出来なくなってしまうことを良く知っているからです。

http://byoshonikki.blogspot.jp/2012/07/ww.html

2015年4月2日木曜日

邪馬台国と三国志の関係



この座談会での結論は、


①そもそも魏志倭人伝は、魏という国家にとってこうであって欲しいというイメージ(クシャーん王朝に匹敵する大同盟国)を記述したものであること、
②当時の倭国政権の中心が近畿だったこと、
③倭国の圏域が九州から近畿(更に本州各地)まで及んでいたこと、
④北九州が大陸との交流の玄関口だったこと、⑤文化的中心が何処であったかは特定しにくいこと、
⑤したがって今のところ卑弥呼が何処に住んでいたかは断定できないこと、といったところでしょう。

しかし、これら、3世紀の政治的・文化的状況を的確に捉えたうえで、7世紀における 『日本国』 建国に至る経緯を詳説した説得力抜群の書籍が、すでに1977年に中央公論社から出版されています。史学会や考古学会でもっと評価されて然るべきだと思いますが、学術論文ではないという理由で軽視されているのは残念です。

『倭国』1977 中公新書
岡田英弘 東京外国語大学アジア.・アフリカ言語文化研究所教授(当時)著

日本人の精神構造・・機能組織の共同体化

上場企業や官庁に所属する人は、滅多にネット上には登場しません。良くも悪くも組織人は、組織から離れた個人として活動しません。それをやったが最後、組織から浮いてしまう(よそ者になってしまう)からです。これは政党でも学界でも宗教団体でも例外ではありません。

明治以降に出来た制度や法律は皆、いざというとき組織を防衛するためにある歯止めであって、通常は日本人としての常識で全ては回っているのです。ですから、雇用契約を読んだことのある経営者は居ませんし、雇用契約を見たいなどと言う人間を採用する会社もありません。正社員の終身雇用というのも制度ではなく、江戸時代の丁稚奉公以来の社会常識なのです。正社員と言うのは、会社と言う共同体の一員になることですから、会社のために全力を尽くすのは当たり前で、それが嫌だといいながら、正社員になろうというのは虫が良すぎるというのが、まともな日本人の常識です。

その意味では真面目な朝日新聞記者なら朝日新聞を何が何でも守ろうとするのが当然で、実際そういう人に会って見れば個人的には立派な人が少なくありません。逆に朝日の社員でありながら、自社の非を庇うこともせず、「他人事」のように批判する人に会って見れば、とてもじゃないが付き合えないような人間だったりします。そういう裏切り者は人間失格と看做されて社会的に抹殺されます。反日デモをやっている日本人は大体そういう人達です。日本人なら誰だって「自分だけ良い子になって」仲間を貶すような人は好きになれないでしょう。こういう日本人の精神構造は、欧米人や中国人には不可解で、不信の元になりがちですが、日本人には、あまりにも当たり前になっているので、誤解されても真意を旨く説明できず欲求不満が溜まる一方です。

いずれにしてもネット上の実名投稿者の殆どは、自由業者かフリーター、善意の外れ者(私は多分その一人)か悪意の確信犯だと言って間違いありません。大多数の常識のある日本人は、共同体の中でしか発言しませんから、その外にあるネットの世界では良識ある投稿より極左や極右のプロパガンダの影響力のほうが強くなりがちだということです。

こういう共同体的組織が有効に機能しているときは無敵ですが、その存在理由がなくなったり反社会的存在になったりしたとき、痛みを伴う改革を受け入れさせるのは至難の業です。
中曽根内閣のとき国鉄を民営化できたのは、土光敏夫という人物が居たからですが、安倍内閣の農協改革や各種制度改革が成功するかどうかは、すべて、この人が言うなら仕方が無いと言わせるだけの人望(人徳+能力)を備えた人物の有無にかかっているのです。

こういう日本人の精神構造が形成されたのは江戸時代だということを最初に指摘したのは山本七平です。
アカデミズムからは、完全に無視されていますが、私は最高の日本思想論だと思っています。英訳してケネディ大使にも読ませたいくらいです。

是非、一読をお勧めします。
「日本資本主義の精神 」 1979 カッパビジネス(光文社)