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2010年11月27日土曜日

死刑廃止論と軍事忌避論の横行

山岡鉄舟の生き方から見ればどうでもいい些事に属するが、最近、世間が騒ぎすぎるのでどうでもいいことが気になって仕方がない。 一つは、自己矛盾だらけの死刑廃止論の横行であり、もう一つは、これまた自己矛盾に満ちた軍事忌避論者の跋扈である。

断っておくが、私が苛々しているのは、死刑廃止論や軍事忌避論そのものではなく、それらを唱える人たちの覚悟と姿勢の問題である。 一つ一つ具体的に説明したい所だが、体調が許さないので、詳細な理由は後日に譲り、ここでは、結論だけを述べておく。

① 死刑廃止論を唱えることは、そうしたければ、いくら人を殺しても良いと主張することである。
② 軍事忌避論を唱えることは、他国民を助けるためなら、自国民を犠牲にしても構わないと主張することである。

以上は、飽く迄も国家・社会レベルの話であり、個人の信念や宗教的教義の話ではない。 従って、個人的にどういう立場を採ろうともその人の勝手だが、一国の首相や閣僚には許されない。 北朝鮮がどうしたのと騒ぐ前に、米中露いずれかの(或いは3国の)核ミサイルが首都圏めがけて発射されようとしている(或いは発射された)ときにどうするかを考えておけと言いたい。 世界中の元首で、就任前に軍事知識を身につけていないのは、ここ30年来の日本の首相だけだ。 そんな阿呆な文官の言うことを聞く自衛隊でないことを祈るのは私だけか。
流石、中曽根元首相は、時の佐藤総理から、閣僚にしてやるから希望を言えといわれ、防衛庁長官を希望し、着任するや早速、現役自衛官と合宿したという。(日経: 私の履歴書) そうでなければ、ロナルド・レーガンが腹を割る筈がない!
(菅総理も、じつはやっているが、わざと馬鹿を演じているのならまことに見事と言うことになるが!)

2010年11月19日金曜日

急性A型大動脈解離からの生還2周年

今日で急性A型大動脈解離(acute type A aortic dissection)から生還して2周年目を迎える。 発症したのが2年前の今日午前9時ごろだったというから、確かに2年前の今朝、丁度今頃、我が家はパニック状態だったのだろう。 だろうと言うのは、私自身に前後の記憶が全くないからだ。 それは前にも書いた。

この間の妻子の筆舌に尽くしがたい辛苦と看病にについても、2010.2.6  看病=菩薩行 に書いた。 改めて妻が主治医に言ったという 『 ・・・生まれたばかりの子供を育てるつもりで、2年間は覚悟しています・・・ 』 とかいう言葉の重みを実感する今日この頃である。 我ながら未だに可愛げのない嫌味な親父であるが、感謝の気持ちだけは忘れたことはない。

というわけで、先週末から体調の如何にかかわらず、毎日一時間くらいの散歩に出かけることにした。 "体調の如何にかかわらず" と言う以上、これまでとても無理だろうと思っていた状態でも、とにかく支度をして "しゃにむに" 出かけている。 主治医に言わせれば "命に別状のある" 状態ではないそうだが、それでも不安を感ずるのが "鬱病" の "鬱病" たる所以らしい。 "心頭滅却" には程遠い心境だが無理やり強行している。 とにかく、ケーニヒスべルクの Kant を見習って毎日時計のように昼になったらトボトボと散歩に出かけることにして1週間経つが、気候がよい所為か今の所続いている。 当然のことながら、 "飼い犬" と同じで "ご褒美の餌" (はやり言葉で言えばインセンティヴ)が欠かせない。 一つは公園で小さな子供たちの元気な姿を見ることだ。 幸い怖がられることもないので楽しみにしているが、時には誰もいないことがある。 そのため、家を出るとき 500円玉 か 1000円札 を一枚貰っておき、行き先の喫茶店で ホットドッグ などをもぐもぐと30分かけていただくことにしている。 周囲の客が変な顔ををしているかもしれないが、"何かまうものか"、"こっちは病人様だ!"
それにしても、何のためにこうまでして生き延びる必要があるのかと言う疑問は一向に去らない。 因果な性格ではある。

2010年11月9日火曜日

白人優位は終焉するか?

2010年5月1日・・・喉もと過ぎれば熱さを忘れるのところに以下のように書いたが、オバマ大統領の苦戦振りを見ると、ああ、やはり、の感を強くする。 『因果必然』、 『色即是空』 の立場から見れば、如何でもよいことの範疇に属するが、さしあたり興味津々と言ったところである。

2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところに 300年にわたる白人優位思想の終焉と書いたが、これは飽くまでも白人優位思想の終焉であって、白人優位の終焉 ではない。
優位にあるものがそう簡単に既得権を手放すことはありえない。 それは最近の官僚と政治家の醜い争いを見ても分かることだ。 これなどは蝸牛角上の争いに過ぎないが、これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである。 それをいちばん良く知っているのは恐らく中国の指導者で、彼らは必死になって生き残りの方策を模索しているに違いない。 日本人もそろそろ本気になって、米中どちらの属国になって生き延びるか考えた方が良い。

2010年11月1日月曜日

2010.11.1 病状の総括・・・不安定な病状

今月の19日朝9時で、発病以来満2周年を迎える。 妻が主治医に言った 「2年間は生まれたばかりの子供を育てるのだと思って覚悟している」 という言葉が改めてずしりと堪える今日この頃である。 この辺で現状を総括しておきたい。

(一寸疲れたので中断する・・・・・)


今年の4月、7月、現在の状態をざっと比較すると・・・

左手の麻痺
4月: タオルを絞れない、常に冷たい、指先の感覚異常
     両手が連動しない、肩から首筋がだるい
7月: きつく絞れない、以下同じ
現在: きつく絞ると爪先が剥がれる、以下同じ

右腿の痺れ
4月: 常に軽い痺れ、時々就寝時に疼痛
7月: 常に軽い痺れ、稀に就寝時に疼痛
現在: 同上

散歩、バス、電車で出かける
(△=苦痛を伴う ▲=危険 x=絶対やりたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、▲、x

電話を受ける、かける、会話する
(▲=動作はできるが用を成さない x=動作もままならず)
4月: x、x、x
7月: ▲、x、x
現在: ▲、▲、x

腰部の皮膚異常
椅子、ベンチ、ソファーでの食事・休憩・行事出席、
(△=10分以上は苦痛 ▲=始めから苦痛 x=絶対座りたくない)
4月: △、▲、x
7月: ▲、x、x
現在: △、△、x

体調不良(動悸、息切れ、むかつき、脱力感)
4月: 隔日程度
7月: 殆ど毎日
現在: 同上

情緒異常(苛立ち、不安、鬱)
4月: 殆ど毎日
7月: 同上
現在: 隔日程度

一年の単位で見れば、徐々に出来ることが増えてきているのは分かるが、全てが中途半端で苦痛を伴う。それ以上にやれないことが見えてきて一向に回復感がない。 医師に相談しても、上手に病気と付き合っていくしかないと言われるので埒があかない。

要するに、個々の症状は、どれをとっても命に別条はないが、毎日が不快で楽しくない。 もっと不愉快なのは、「趣味を持て・・・」 などと尤もらしく言われることだ。 私だって心身ともに不快でなければ、時間つぶしの材料には事欠かない。 ただ、心身の不快を圧してまで、これ以上、長生きしたいと思うほどの材料が見つからないだけだ。

取り敢えずは、父の遺稿 "A Mysterious Episode of Violin" 「バイオリン奇譚」 のWEB公開と 祖父の遺志 「因果必然の科学的モデル化」 の継承を義務だと思って取り掛かっているが、それもそろそろ先が見えてきた。 これ以上、生きていたところで何ほどの材料が見つかるだろうか。 あとは助けてくれた「恩人」たちに感謝するためだけに生きているようなもので、もっと若ければともかく、70才を過ぎてなお未練がましく生きているための積極的理由が見当たらない。 いつ死んでもよいと思う所以である。 これを鬱病と言うのなら、そうでない人々は、いったい何歳まで生きていれば気が済むのだろうか。