東アジアの喉下に突き刺さった棘。
本論に入る前に次の二つの文章を引用しておく。 (Wikipedia 日本語版より)
当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは著書(「第2次世界大戦回顧録」)の中でマレー沖海戦でこの2隻を失ったことが第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたことだと記している。
イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞1968年3月22日付にてこう述べた。「英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである。」
2隻とは、大東亜戦争の初頭、マレー沖海戦で日本軍の魚雷攻撃によって撃沈された、当時のイギリスにおける最新鋭戦艦、Prince of Wales と Repulse のことである。
さて、ここからが本論である。 すでに何度も言い尽くされてきたことかも知れないが、浅学非才の私は、今になって漸く気が付いた。
このブログでも何度か指摘してきたが、占領軍による War Guilt Information Program が、日本人に戦争加害者としての原罪意識を植え付け2度と白人に楯突く気を起こさせないようにするためだったことは、江藤淳の 閉ざされた言語空間 以来、多くの識者によって指摘されている。 私もこれまでそのことしか頭になかった。 しかし、つい先ほど、はっと気が付いたのである。 War Guilt Information Program にはもっと大きな仕掛けがあったのだと・・・
白人たちが、アフリカ、中東、インド、米大陸、中国でやってきた常套手段、人種・民族間の分断・相互抗争 戦略である。 これで、日朝・日中間の反目、とりわけ南北朝鮮人の常軌を逸した反日感情の出所がわかったような気がする。 (阿片戦争で懲りた中国の指導者は、流石にその手に乗らないが、 暫く・・・50年間?・・・は、日中反目を演出し続けるだろう!)
彼ら白人が何よりも恐れたのは、白人優位思想の崩壊と非白人の結束であった。 そのうち前者は日露戦争における日本海海戦で傷つき、大東亜戦争におけるマレー沖海戦で崩壊した。
そのショックで咥えていた葉巻を口から落としたと言われる時の英首相 ウインストン・チャーチル が最後の楔として打ったのが War Guilt Information Program だとすれば、その中心に十八番の 人種・民族間の分断・相互抗争 戦略 が無かったはずがない。 洗脳されたのは日本人だけではなかったのだ。
そんなことを識者が知らないはずはないにもかかわらず、寡聞にしてしかるべき人が公に口にしたのを聞いたことがない。 おそらく虎の尾を踏む危険を冒したくないからだろうと拝察する。 せめて無名の一日本人として生きているうちに言っておきたい。 こう書いているうちに背筋が寒くなってきた。
2011年4月20日水曜日
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