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2011年12月24日土曜日

天皇誕生日に思う・・・皇室をめぐる外戚の姿勢

昨日は天皇誕生日だった。 本来ならば今日は先日中断した病状報告を続けるべきところだが、たまたま今朝の日経朝刊に連載中の新聞小説「等伯」を読んだら、秀吉が天皇家の外戚を狙っていたことを思わせるような記述があったので、急遽思いついたことを書きたくなった。
体調が思わしくないので取敢えず要点だけを列挙すると・・・

①信長は、天皇家以上の地位を狙ったために、近衛前久らの画策によって亡ぼされた。
②秀吉は、一代限りとの誓約を破って、豊臣姓の下賜を要求し、関白職の永続化を図ったばかりか、ことによると新たに親王を擁立して、天皇の外戚に成り上がろうとしたため、死後、家康らによって滅ぼされた。
③家康は、前車の轍を踏むことなく、正三位以上の地位を望まなかったので、その後15代に渡ってその地位を保つことが出来た。

以上は、すべて新聞小説から得た知識に基づく推量であるが、直接、資料に当る余裕がなく、一方、最近の小説家の史実調査は並みの歴史家以上なので、すべて信用することにした。

以下は、現代史に属する上、無責任な噂や異論があって、何かと当たり障りがありすぎるので、問題提起のみにとどめ、判断は読者各位に任せたい。

④ことの当否や理由は別として、正田英三郎氏は、一切皇室には関わろうとしなかった。
⑤小和田恒氏や川嶋辰彦氏のスタンスがどうかは、当事者に聞いてみるほかない。

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