昨年の9月、新聞記者から取材の依頼があったのを機に、改めて社会現象としての合ハイの意義を考えてみた。
合ハイの登場した背景
1、男女出会いの場としての性格
①見合いの持つ社会的承認機能(氏素性の確認)
②ダンスパーティーの持つロマンチックで新鮮なイメージ(①については?で見られていた。)
の両者を併せ持つ健全な新しい風俗として期待された?
しかし、いずれの機能も中途半端だったため、多くのいわゆる良家の子女や有為の青年を結びつける力がなかった。
要するに、単に男女が出会う場は、いくらでもあるが、結婚相手となりうる男女が出会う仕組みは、人為的に条件を整える必要があると言うことだ。 その意味で、かつての "お見合い" に変わる強力な仕組みは未だに登場していない。
これが成立するためには、差別化されたグループとその内部でのプライバシー公開が必須であり、これをクリアーしない限り安定した婚姻率の改善は不可能と言えよう。
2、同世代の共通体験の場としての性格
江田五月君が安保闘争に参加した動機の一つ もそれだった。(と昨年1月、新聞インタビューで答えている。) 私が参加した動機も同じ。 クラスの大半が3回の合ハイの何れかに参加したのもそうだったに違いない。
・・・主だった連中が参加するようだから行ってみるのもわるくないか!
「同世代の共通体験」 の一端を担いたい・・・
その気持ちが多くの若者の心を捉えたのだろう。。
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