娘の話では、最近、米国で、いわゆる WEB自分史 の公開が流行り始めているそうだ。 自分史そのものは、日本でもここ20年くらい前からよく贈られてくるようになっているが、米国で始まっているのは、ホスピスなどの生きがい対策の一つとして、それをWEB上で作成させ、さらにTVで公開することらしい。 その意味では、私が死線から生還して後、1年経った昨年11月から書き始めた HP 「一期一会」・・Our Eternal Moment も、とくにTVでの公開を意図したものではないが同じようなものだ。。
そこで、考えるのは、一体なぜか、そして、なぜ今なのか? ということだ。
・・・ 疲れたので中断する。
・・・
・・・ 頑張って書いてしまおう。
誰でも自分がこの世に生きた証を残しておきたいと願う。 湯川秀樹は、氏の「天才の世界」の中で、啄木、 ニュートン、空海、ゴーゴリを例に採り、その強烈な自己顕示欲を論じているそうだが、こうした天才たちを引き合いに出すまでもなく、誰にでもそれは有る。 まして、社会的にそれなりの功を遂げた(心算)にもかかわらず、世に名が出ることなく終わろうとする者が、何らかの手段でこの世に生きた証を残したいと願うのは、未練がましくも浅ましいことではあるが、至極尤もなことであろう。
勿論、生前すでに名を成している有名人は、自分史などわざわざ書くまでもなく、周囲が抛っておかないから問題ないが、そこまで行けなかった人々にとって、自分史の執筆と公開は唯一の自己主張手段となる。 私自身、そのことを否定する心算はない。
たとえ、それが、ささやかな自己満足の手段に過ぎなかったとしても、世の中には、将来いつの日にかそのどこかに共感してくれる人々が現れるかも知れない・・・そう思うだけで嬉しくなるではないか!
http://byoshonikki.blogspot.jp/2011/02/2011227.html
では、なぜ米国で今になってWEB上での公開が流行りだしたのかと言えば、日本より、10年早くPC時代に入った米国のPC世代が愈々老境に入り、死後を意識し始めたからに相違ない。 日本では、私が在職していた "天下の東京情報大学" を含め、私の年代で PC を日常的に使いこなす人を見たことがないが、米国の70歳老人の多くは PC リテラシーを持っている。
彼らの中で自己顕示欲の満たされない人々が動き出したに違いない。 10年後の日本が想像できるというものだ。
断っておくが私がここで言おうとしていることは、あくまでも真の意味での WEB自分史 であり、業者やマスコミが介在する事業としての自分史のことではない。 ましてや、履歴書やエントリーシートが単に "自伝" の体裁をとっただけのものなど論外である。
米国民謡 "When you and I were young, Maggie." の歌詞の一節 " And the tials of life nearly done." の老境に有る人々が自分自身でPCをたたいて綴るラストメッセージでなければ、真の意味での "WEB自分史" (Composing an Autobiography Using a Web) の名に値しない。
0 件のコメント:
コメントを投稿