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2015年12月31日木曜日

天皇の存在価値・・戦前的国粋主義者の神国イデオロギーや戦後民主主義者の人権イデオロギーの独善を排す!

天皇の存在価値は、人格でも能力でもなく神話と家系によって統治権の正当性が維持されていることです。
中国や欧米のように権力者の交代によって目まぐるしく国家が誕生する世界では、新たな統治者は、絶えず統治権の正当性を問われるため、歴史の書き換えやプロパガンダに忙しく、人民の福利など本気で考えて居られません。 それは、米国のように選挙で擬制王権たる大統領を選出する"形式的" 民主主義国家も例外ではありません。米国の唱える民主主義が、時に選民主義者のプロパガンダに過ぎないと評される所以です。

蒋介石が南京や重慶の人民を見捨てても、故宮から持ち出した数万点に及ぶ宝物(玉や書画)だけは、1点も捨てずに台湾まで持ち込んだ理由は何だったでしょうか。 青年時代、日本留学中に伊勢神宮を訪れた彼は、千数百年に及ぶ天皇の統治権が三種の神器によって支えられている事を知って愕然としたそうです。 恐らく、中華民国の正当性を主張するためには、"中国版三種の神器" が不可欠だと考えていたに違いありません。 

天皇の統治権を支えるものが三種の神器だけだというわけではありませんが、それに象徴される伝統の継続性にあることは確かでしょう。 英国、スエーデン、デンマーク etc. が、連邦制国家や共和制国家よりも安定で、実質的に民主主義的な所以です。

ただし、エリートが選民意識で舞い上がり、国民一般を見下して独走しないようにするためには、徹底したノブレス・オブリージュの存在が不可欠です。嘗ての米英にはそれがありましたが、李氏朝鮮にはそれが全く有りませんでした。我が国は少なくとも明治天皇以来、今上天皇に到るまでそれが貫徹しています。 その功績の一端は西郷隆盛や山岡鉄舟による宮廷改革と明治天皇の人格教育でしょう。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/12/blog-post_25.html

2015年12月23日水曜日

日経「風見鶏」欄署名記事 ’’米中の「密約」と日本’’


12月20日の日経「風見鶏」欄が掲題で 『China 2049』 著者マイケル・ピルズベリー氏とのインタビュー記事を載せている。
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDE11H09_R11C15A2PE8000/
既に日経ビジネス石黒千賀子編集委員によるインタビューの詳細が日経ビジネスオンラインで報道されているが、今回は日経本誌秋田浩之編集委員が 本書を公開した動機と米国の政策との関係にまで踏み込んで問い質している。
秋田氏は、数年前から親中派の第一人者だったピルズベリー氏にインタビューを申し入れてきたが、一貫して拒否されてきたと言う。
日経BP社による 『China 2049』 の訳書出版に始まる一連の日経報道は、従来の偏向メディアとは一線を画すものがあり、一経済紙の範疇を超えたクオリティペーパーへの脱皮を予感させるものがある。
https://www.facebook.com/masuteru.sekiguchi/posts/929138117166402?pnref=story

2015年12月21日月曜日

童子教(どうじきょう)・・日本人の常識 

http://www.j-texts.com/kinsei/doji2.html
(『実語教 童子教』文化十一年・江戸鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(原本は、本文の右に読みがなを振ってある。今、白文・書き下し文・仮名書きの3種を示す)
(白文)
夫貴人前居   顕露不得立
遇道路跪過   有召事敬承
両手当胸向   慎不顧左右
不問者不答   有仰者謹聞
三宝尽三礼   神明致再拝
人間成一礼   師君可頂戴
過墓時則慎   過社時則下
向堂塔之前   不可行不浄
向聖教之上   不可致無礼
人倫有礼者   朝廷必在法
人而無礼者   衆中又有過
交衆不雑言   事畢者速避
触事不違朋   言語不得離
語多者品少   老狗如吠友
懈怠者食急   痩猿如貪菓
勇者必有危   夏虫如入火
鈍者亦無過   春鳥如遊林
人耳者附壁   密而勿讒言
人眼者懸天   隠而勿犯用
車以三寸轄   遊行千里路
人以三寸舌   破損五尺身
口是禍之門   舌是禍之根
使口如鼻者   終身敢無事
過言一出者   駟追不返舌
白圭珠可磨   悪言玉難磨
禍福者無門   唯人在所招
天作災可避   自作災難逃
夫積善之家   必有余慶矣
亦好悪之処   必有余殃矣
人而有陰徳   必有陽報矣
人而有陰行   必有照名矣
信力堅固門   災禍雲無起
念力強盛家   福祐月増光
心不同如面   譬如水随器
不挽他人弓   不騎他人馬
前車之見覆   後車之為誡
前事之不忘   後事之為師
善立而名流   寵極而禍多
人者死留名   虎者死留皮
治国土賢王   勿侮鰥寡矣
君子不誉人   則民作怨矣
入境而問禁   入国而問国
入郷而随郷   入俗而随俗
入門先問諱   為敬主人也
君所無私諱   無二尊号也
愚者無遠慮   必可有近憂
如用管窺天   似用針指地
神明罰愚人   非殺為令懲
師匠打弟子   非悪為令能
生而無貴者   習修成智徳
貴者必不冨   冨者未必貴
雖冨心多欲   是名為貧人
雖貧心欲足   是名為冨人
師不訓弟子   是名為破戒
師呵責弟子   是名為持戒
畜悪弟子者   師弟堕地獄
養善弟子者   師弟到仏果
不順教弟子   早可返父母
不和者擬冤   成怨敵加害
順悪人不避   緤犬如廻柱
馴善人不離   大船如浮海
随順善友者   如麻中蓬直
親近悪友者   如藪中荊曲
離祖付疎師   習戒定恵業
根性雖愚鈍   好自致学位
一日学一字   三百六十字
一字当千金   一点助他生
一日師不疎   况数年師乎
師者三世契   祖者一世眤
弟子去七尺   師影不可踏
観音為師孝   宝冠戴弥陀
勢至為親孝   頭戴父母骨
宝瓶納白骨   朝早起洗手
摂意誦経巻   夕遅寝洒足
静性案義理   習読不入意
如酔寝●語   読千巻不復  (●は、ゴンベン+「閻」)
無財如臨町   薄衣之冬夜
忍寒通夜誦   乏食之夏日
除飢終日習   酔酒心狂乱
過食倦学文   温身増睡眠
安身起懈怠   匡衡為夜学
鑿壁招月光   孫敬為学文
閉戸不通人   蘇秦為学文
錐刺股不眠   俊敬為学文
縄懸頸不眠   車胤好夜学
聚蛍為燈矣   宣士好夜学
積雪為燈矣   休穆入意文
不知冠之落   高鳳入意文
不知麦之流   劉完乍織衣
誦口書不息   倪寛乍耕作
腰帯文不捨   此等人者皆
昼夜好学文   文操満国家
遂致碩学位   縦磨●振筒  (●は、タケカンムリ+「塞」)
口恒誦経論   亦削弓矧矢
腰常挿文書   張儀誦新古
枯木結菓矣   亀耄誦史記
古骨得膏矣   伯英九歳初
早至博士位   宋吏(ママ)七十初
好学登師伝   智者雖下劣
登高台之閣   愚者雖高位
堕奈利之底   智者作罪者
大不堕地獄   愚者作罪者
小必堕地獄   愚者常懐憂
譬如獄中囚   智者常歓楽
猶如光音天   父恩者高山
須弥山尚下   母徳者深海
滄溟海還浅   白骨者父淫
赤肉者母淫   赤白二諦和
成五体身分   処胎内十月
身心恒苦労   生胎外数年
蒙父母養育   昼者居父膝
蒙摩頭多年   夜者臥母懐
費乳味数斛   朝交于山野
殺蹄養妻子   暮臨于江海
漁鱗資身命   為資旦暮命
日夜造悪業   為嗜朝夕味
多劫堕地獄   戴恩不知恩
如樹鳥枯枝   蒙徳不思徳
如野鹿損草   酉夢打其父
天雷裂其身   班婦罵其母
霊蛇吸其命   郭巨為養母
掘穴得金釜   姜詩去自婦
汲水得庭泉   孟宗哭竹中
深雪中抜筍   王祥歎叩氷
堅凍上踊魚   舜子養盲父
涕泣開両眼   刑渠養老母
噛食成齢若   董永売一身
備孝養御器   楊威念独母
虎前啼免害   顔烏墓負土
烏鳥来運埋   許牧自作墓
松柏植作墓   此等人者皆
父母致孝養   仏神垂憐愍
所望悉成就   生死命無常
早可欣涅槃   煩悩身不浄
速可求菩提   厭可厭娑婆
会者定離苦   恐可恐六道
生者必滅悲   寿命如蜉蝣
朝生夕死矣   身体如芭蕉
随風易壊矣   綾羅錦繍者
全非冥途貯   黄金珠玉者
只一世財宝   栄花栄耀者
更非仏道資   官位寵職者
唯現世名聞   致亀鶴之契
露命不消程   重鴛鴦之衾
身体不壊間   ●利摩尼殿  (●は、リッシンベン+「刀」)
歎遷化無常   大梵高台閣
悲火血刀苦   須達之十徳
無留於無常   阿育之七宝
無買於寿命   月支還月威
被縛●王使   龍帝投龍力  (●は、「王」+「炎」)
被打獄卒杖   人尤可行施
布施菩提粮   人最不惜財
財宝菩提障   若人貧窮身
可布施無財   見他布施時
可生随喜心   悲心施一人
功徳如大海   為己施諸人
得報如芥子   聚砂為塔人
早研黄金膚   折花供仏輩
速結蓮台政   一句信受力
超転輪王位   半偈聞法徳
勝三千界宝   上須求仏道
中可報四恩   下編(ママ)及六道
共可成仏道   為誘引幼童
註因果道理   出内典外典
見者勿誹謗   聞者不生笑

童子教終
文化十一甲戌年正月発行
    御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓 
 
 

童子教
(『実語教 童子教』文化十一年、鶴屋〈仙鶴堂〉板による)

(書き下し文)
夫(そ)れ貴人の前に居ては  顕露に立つことを得ざれ
道路に遇(あ)ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ  召す事有らば敬つて承れ
両手を胸に当てて向へ  慎みて左右を顧みざれ
問はずんば答へず  仰せ有らば謹しんで聞け
三宝には三礼を尽し  神明には再拝を致せ
人間には一礼を成せ  師君には頂戴すべし
墓を過ぐる時は則ち慎め  社を過ぐる時は則ち下(を)りよ
堂塔の前に向かつて  不浄を行ふべからず
聖教(しやうきやう)の上に向かつて  無礼を致すべからず
人倫礼有れば  朝廷に必ず法在り
人として礼無きは  衆中(しゆちう)又過(あやま)ち有り
衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ  事畢(おは)らば速(すみやか)に避(さ)けよ
事に触れて朋(とも)に違(たが)へず  言語(げんぎよ)離すことを得ざれ
語(ことば)多き者は品少なし  老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆる如し
懈怠(けだい)は食を急ぐ  痩せたる猿の菓(このみ)を貪(むさぼ)る如し
勇む者は必ず危(あやう)き有り  夏の虫の火に入(い)るが如し
鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し  春の鳥の林に遊ぶが如し
人の耳は壁に付く  密(かく)して讒言(ざんげん)すること勿(なか)れ
人の眼(め)は天に懸(かゝ)る  隠して犯し用ゆること勿れ
車は三寸の轄(くさび)を以て  千里の路(みち)を遊行(ゆぎやう)す
人は三寸の舌を以つて  五尺の身を破損す
口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん)  舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
口をして鼻の如くならしめば  身終るまで敢へて事無し
過言(くわごん)を一たび出(い)だす者は  駟追(しつい)の舌を返さざれ
白圭の珠(たま)は磨くべし  悪言(あくげん)の玉は磨き難し
禍福は門に無し  唯(ただ)人の招く所に在り
天の作(つく)る災は避(さ)くべし  自(みづか)ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し
夫(そ)れ積善(せきぜん)の家には  必ず余慶有り
又好悪の処(ところ)には  必ず余殃(よわう)有り
人として陰徳有れば  必ず陽報有り
人として陰行(いんこう)有れば  必ず照名有り
信力(しんりき)堅固の門(かど)には  災禍の雲起ること無し
念力強盛(ごうせい)の家には  福祐の月(つき)光(ひかり)を増す
心の同じさらざるは面(をもて)の如し  譬(たと)へば水の器(うつわ)に随(したが)ふが如し
他人の弓を挽(ひ)かざれ  他人の馬に騎(の)らざれ
前車の覆(くつがへ)るを見ては  後車の誡(いましめ)とす
前事の忘れざるは  後事(ごじ)の師とす
善立ちて名流れ  寵(てう)極(きはま)つて禍(わざはひ)多し
人は死して名を留(とど)め  虎は死して皮を留む
国土を治むる賢王(けんわう)は  鰥寡(くはんくは)を侮(く)ゆることなし
君子の人を誉めざるは  則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
境(きやう)に入(い)つては禁(いましめ)を問へ  国に入(い)つては国を問へ
郷(ごう)に入(い)つては郷に随ひ  俗に入つては俗に随へ
門(もん)に入(い)つては先(ま)づ諱(いみな)を問へ  主人を敬(うやま)ふ為なり
君の所(ところ)に私(わたくし)の諱(いみな)無し  尊号二つ無ければなり
愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し  必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し  針(はり)を用ひて地を指すに似たり
神明(しんめい)は愚人を罰す  殺すにあらず懲(こ)らしめんが為なり
師匠の弟子を打つは  悪(にく)むにあらず能(よ)からしめんが為也
生れながらにして貴(たつと)き者無し  習ひ修(しゆ)して智徳とは成る
貴(たつと)き者は必ず冨まず  冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
冨めりと雖(いへど)も心に欲多ければ  是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
貧なりと雖(いへど)も心に足(た)れりと欲(ほつ)せば  是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす
師の弟子を訓(をし)へざるは  是(これ)を名づけて破戒とす
師の弟子を呵責(かしやく)するは  是(これ)を名づけて持戒とす
悪しき弟子を畜(やしな)へば  師弟地獄に堕(を)ち
善き弟子を養へば  師弟仏果に到る
教へに順(したが)はざる弟子は  早く父母に返すべし
不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば  怨敵(おんでき)と成つて害を加ふ
悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば  緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
善人に馴(な)れて離れざるは  大船の海に浮かめるが如し
善き友に随順すれば  麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
悪しき友に親近すれば  藪(やぶ)の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し
祖に離れ疎師に付く  戒定恵(かいぢやうゑ)の業(わざ)を習ひ
根性は愚鈍と雖(いへど)も  好めば自(おのづか)ら学位に致る
一日に一字を学べば  三百六十字
一字千金に当る  一点他生を助く
一日の師たりとも疎(うとん)ぜざれば  况(いはん)や数年の師をや
師は三世(さんぜ)の契り  祖は一世(いつせ)の眤(むつび)
弟子七尺(しちしやく)を去つて  師の影を踏むべからず
観音は師孝の為に  宝冠に弥陀を戴(いただ)き
勢至(せいし)は親孝(しんかう)の為に  頭(こうべ)に父母の骨(こつ)を戴(いただ)き
宝瓶(ほうびん)に白骨を納む  朝(あさ)早く起きて手を洗ひ
意(こころ)を摂して経巻を誦(じゆ)せよ  夕(ゆふべ)には遅く寝(いね)て足を洒(あら)ひ
性(せい)を静めて義理を案ぜよ  習ひ読めども意(こころ)に入れざるは
酔(ゑ)ふて寐(いね)て●(むつごと)を語るが如し  千巻(せんぐはん)を読めども復さざれば  (●は、ゴンベン+「閻」)
財無くして町に臨むが如し  薄衣(はくえ)の冬の夜(よ)も
寒(かん)を忍んで通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ  食乏(とぼ)しきの夏の日も
飢(うへ)を除いて終日(ひめもす)習へ  酒に酔(ゑ)ふて心狂乱す
食過ぐれば学文に倦(う)む  身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
身安ければ懈怠(けだい)起る  匡衡(けいこう)は夜学の為に
壁を鑿(うが)つて月光を招き  孫敬(そんけい)は学文の為に
戸を閉ぢて人を通さず  蘇秦は学文の為に
錐を股(もも)に刺して眠らず  俊敬(しゆんけい)は学文の為に
縄を頸(くび)に懸(か)けて眠らず  車胤(しやいん)は夜学を好んで
蛍を聚(あつ)めて燈(ともしび)とす  宣士(せんし)は夜学を好んで
雪を積んで燈(ともしび)とす  休穆(きうぼく)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
冠(かんぶり)の落つるを知らず  高鳳(こうほう)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
麦の流るゝを知らず  劉完(りうくはん)は衣(ころも)を織り乍(なが)ら
口に書を誦(じゆ)して息(いこ)はず  倪寛(げいくはん)は耕作し乍(なが)ら
腰に文を帯びて捨てず  此等(これら)の人は皆
昼夜学文を好んで  文操国家に満つ
遂に碩学の位に致(いた)る  縦(たと)へ●(さい)を磨き筒を振るとも  (●は、タケカンムリ+「塞」)
口には恒(つね)に経論(きやうろん)を誦(じゆ)し  又弓を削り矢を矧(は)ぐとも
腰には常に文書(ぶんしよ)を挿(さしはさ)め  張儀は新古を誦(じゆ)して
枯木に菓(このみ)を結ぶ  亀耄(きほう)は史記を誦(じゆ)して
古骨に膏(あぶら)を得たり  伯英は九歳にして初めて
早く博士(はかせ)の位に至る  宋吏(さうし)は七十にして初めて
学を好んで師伝に登る  智者は下劣なりと雖(いへど)も
高台の閣に登る  愚者は高位なりと雖(いへど)も
奈利(ないり)の底に堕(お)つ  智者の作る罪は
大いなれども地獄に堕(を)ちず  愚者の作る罪は
小さけれども必ず地獄に堕(を)つ  愚者は常には憂(うれい)を懐(いだ)く
譬(たと)へば獄中の囚(とらはれびと)の如し  智者は常に歓楽す
猶(なを)光音天(くはうおんてん)の如し  父の恩は山より高し
須弥山尚(なを)下(ひく)し  母の徳は海よりも深く
滄溟の海還(かへ)つて浅し   白骨は父の淫
赤肉は母の淫  赤白(しやくびやく)二諦(にたい)和(くわ)して
五体身分(しんぶん)と成る  胎内に処(しよ)すること十月(とつき)
身心(しんじん)恒(つね)に苦労す  胎外(たいげ)に生れて数年(すねん)
父母の養育を蒙(かふむ)る  昼は父の膝に居て
摩頭(まとう)を蒙(かふむ)ること多年  夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)して
乳味を費すこと数斛(すこく)  朝(あした)には山野に交はつて
蹄(ひづめ)を殺して妻子を養ひ  暮(ゆふべ)には江海に臨んで
鱗(うろくづ)を漁(すなど)つて身命(しんめう)を資(たす)け  旦暮の命を資(たす)からん為に
日夜悪業(あくごう)を造り  朝夕の味を嗜(たしな)まん為に
多劫(たこう)地獄に堕(を)つ  恩を戴(いたゞ)ひて恩を知らざるは
樹の鳥の枝を枯らすが如し  徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは
野の鹿の草を損ずるが如し  酉夢(ゆうむ)其の父を打てば
天雷其の身を裂く  班婦其の母を罵(のゝし)れば
霊蛇其の命を吸ふ  郭巨(くはくきよ)は母を養はん為に
穴を掘りて金(こがね)の釜を得たり  姜詩(きやうし)は自婦を去りて
水を汲めば庭に泉を得たり  孟宗竹中(ちくちう)に哭(こく)すれば
深雪の中(うち)に筍(たかんな)を抜く  王祥歎(なげ)きて氷を叩(たゝ)けば
堅凍(けんたう)の上に魚踊る  舜子盲父を養ひて
涕泣すれば両眼を開く  刑渠(けいこ)老母を養ひて
食を噛めば齢(よはひ)若(わか)く成る  董永(とうゑい)一身を売りて
孝養の御器(ぎよき)に備ふ  楊威は独りの母を念(おも)つて
虎の前に啼(な)きしかば害を免(まぬか)る  顔烏(がんう)墓に土を負へば
烏鳥(うちやう)来つて運び埋(うづ)む  許牧自(みづか)ら墓を作れば
松柏植へて墓と作(な)る  此等(これら)の人は皆
父母に孝養を致し  仏神(ぶつじん)の憐愍(れんみん)を垂れ
所望(しよまう)悉(ことごと)く成就す  生死(せうじ)の命は無常なり
早く涅槃(ねはん)を欣(ねが)ふべし  煩悩の身は不浄なり
速(すみやか)に菩提を求むべし  厭(いと)ひても厭ふべきは娑婆なり
会者定離(ゑしやぢやうり)の苦しみ  恐れても恐るべきは六道(ろくどう)
生者必滅(しやうじやひつめつ)の悲しみ  寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し
朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死す  身体は芭蕉の如し
風に随つて壊(やぶ)れ易し  綾羅錦繍(りやうらきんしう)は
全く冥途の貯えに非(あら)ず  黄金珠玉は
只一世(いつせ)の財宝  栄花栄耀(えいぐわえいよう)は
更に仏道の資(たす)けに非(あら)ず  官位寵職は
唯(たゞ)現世の名聞(みやうもん)  亀鶴の契りを致すも
露命の消えざるが程は  鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも
身体の壊(やぶ)れざる間(あいだ)  ●利摩尼殿(とうりまにでん)も  (●は、リッシンベン+「刀」)
遷化(せんげ)無常を歎く  大梵(だいぼん)高台の閣も
火血刀の苦しみを悲しむ  須達(しゆだつ)の十徳(じつとく)も
無常を留(とゞ)むること無し  阿育(あいく)の七宝(しつぽう)も
寿命を買ふこと無し  月支(ぐわつし)の月を還(かへ)せし威(いきほひ)も
●王(ゑんわう)の使ひに縛(ばく)せらる  龍帝(りうてい)の龍(りやう)を投げし力も  (●は、「王」+「炎」)
獄卒の杖(つえ)に打たる  人尤(もつと)も施しを行ふべし
布施は菩提の粮(かて)  人最(もつと)も財を惜しまざれ
財宝は菩提の障(さは)り  若(も)し人貧窮の身にて
布施すべき財無く  他の布施を見る時
随喜の心を生ずべし  心に悲しんで一人(いちにん)に施せば
功徳(くどく)大海(だいかい)の如し  己(おのれ)が為に諸人に施せば
報(ほう)を得(う)ること芥子(けし)の如し  砂(いさご)を聚(あつ)めて塔を為(す)る人
早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く  花を折つて仏に供(くう)ずる輩(ともがら)は
速(すみや)かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ  一句信受の力も
転輪王の位に超(いた)る  半偈(はんげ)聞法(もんぼう)の徳も
三千界の宝にも勝(すぐ)れたり  上(かみ)は須(すべから)く仏道を求む
中は四恩を報ずべし  下(しも)は編(あまねく)六道(りくどう)に及ぶ
共に仏道成るべし  幼童を誘引せんが為に
因果の道理を註(ちう)す  内典外典より出でたり
見る者誹謗すること勿れ  聞く者笑を生ぜざれ

童子教終
 
文化十一甲戌年正月発行
    御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓 
 
 
 
童子教
(『実語教 童子教』文化十一年・鶴屋〈仙鶴堂〉板による)

(仮名書き文)
それきにんのまへにゐるに  けんろにたつことをえざれ
どうろにあふてはひざまづいてすぎよ  めすことあらばうやまつてうけたまはれ
りやうてをむねにあてゝむかへ  つゝしんでさゆうをかへりみざれ
とはずんばこたへず  あふせあらばつゝしんできけ
さんぼうにはさんれいをつくし  しんめいにはさいはいをいたせ
にんげんにはいちれいをなせ  しくんにはちやうだいすべし
はかをすぐるときはすなはちつゝしめ  やしろをすぐるときはすなはちをりよ
どうたうのまへにむかつて  ふじやうををこなふべからず
しやうきやうのうへにむかつて  ぶれいをいたすべからず
じんりんにれいあれば  てうていかならずほうあり
ひとゝしてれいなきは  しゆちうまたあやまちあり
しゆにまじはりてざうごんせざれ  ことをはらばすみやかにさけよ
ことにふれてはともにたがへず  げんぎよはなすことをえざれ
ことばおほきものはしなすくなし  おいたるいぬのともをほゆるごとし
けだいはしよくをいそぐ  やせたるさるのこのみをむさぼるごとし
いさむものはかならずあやうきあり  なつのむしのひにいるがごとし
にぶきものはまたあやまちなし  はるのとりのはやしにあそぶがごとし
ひとのみゝはかべにつく  かくしてざんげんすることなかれ
ひとのめはてんにかゝる  かくしてをかしもちゆることなかれ
くるまはさんずんのくさびをもつて  せんりのみちをゆぎやうす
ひとはさんずんのしたをもつて  ごしやくのみをはそんす
くちはこれわざはひのもん  したはこれわざはひのね
くちをしてはなのごとくならしめば  みをはるまであへてことなし
くわごんをひとたびいだすものは  しついのしたをかへさざれ
はくけいのたまはみがくべし  あくげんのたまはみがきがたし
くわふくはもんになし  たゞひとのまねくところにあり
てんのつくるわざはひはさくべし  みづからつくるわざはひはのがれがたし
それせきぜんのいへには  かならずよけいあり
またこうあくのところには  かならずよわうあり
ひとゝしていんとくあれば  かならずやうほうあり
ひとゝしていんこうあれば  かならずしやうめいあり
しんりきけんごのかどには  さいくわのくもおこることなし
ねんりきごうせいのいへには  ふくゆうのつきひかりをます
こころのおなじからざるはをもてのごとし  たとへばみづのうつはにしたがふがごとし
たにんのゆみをひかざれ  たにんのむまにのらざれ
ぜんしやのくつがへるをみては  ごしやのいましめとす
ぜんじのわすれざるは  ごじのしとす
ぜんたちてなながれ  てうきはまつてわざわひおほし
ひとはしゝてなをとゞめ  とらはしゝてかはをとゞむ
こくどをおさむるけんわうは  くはんくはをくゆることなし
くんしのひとをほめざるは  すなはちたみあたとなればなり
きやうにいつてはいましめをとへ  くににいつてはくにをとへ
ごうにいつてはごうにしたがひ  ぞくにいつてはぞくにしたがへ
もんにいつてはまづいみなをとへ  しゆじんをうやまふがためなり
きみのところにわたくしのいみななし  そんがうふたつなければなり
ぐしやはとをきおもんぱかりなし  かならずちかきうれひあるべし
くだをもちひててんをうかゞふがごとし  はりをもちひてちをさすににたり
しんめいはぐにんをばつす  ころすにあらずこらしめんがためなり
ししやうのでしをうつは  にくむにあらずよからしめんがためなり
むまれながらにしてたつときものなし  ならひしゆしてちとくとはなる
たつときものはかならずとまず  とめるものはいまだかならずたつとからず
とめりといへどもこゝろによくをゝければ  これをなづけてひんじんとす
ひんなりといへどもこゝろにたれりとほつせば  これをなづけてふじんとす
しのでしにをしへざるは  これをなづけてはかいとす
しのでしをかしやくするは  これをなづけてぢかいとす
あしきでしをやしなへば  していぢごくにをつ
よきでしをやしなへば  していぶつくはにいたる
をしへにしたがはざるでしは  はやくふぼにかへすべし
ふわなるものをなだめんとぎすれば  をんできとなつてがいをくはふ
あくにんにしたがひてさけざれば  つなげるいぬのはしらをめぐるがごとし
ぜんにんになれてはなれざるは  たいせんのうみにうかめるがごとし
よきともにずいじゆんすれば  あさのなかのよもぎのなをきがごとし
あしきともにしんきんすれば  やぶのなかのいばらのまがるがごとし
そにはなれそしにつく   かいじやうゑのわざをならひ
こんじやうはぐどんたりといへども  このめばおのづからがくゐにいたる
いちにちにいちじをまなべば  さんびやくろくじうじ
いちじせんきんにあたる  いつてんたしやうをたすく
いちにちのしたりともうとんぜざれば  いはんやすねんのしをや
しはさんぜのちぎり  そはいつせのむつび
でししちしやくをさつて  しのかげをふむべからず
くはんをんはしこうのために  ほうくはんにみだをいたゞき
せいしはしんこうのために  こうべにふぼのこつをいたゞき
ほうびんにはつこつをおさむ  あさはやくおきててをあらひ
こゝろをせつしてきやうくはんをじゆせよ  ゆふべにはをそくいねてあしをあらひ
せいをしづめてぎりをあんぜよ  ならひよめどもこゝろにいれざるは
ゑふていねてむつごとをかたるがごとし  せんぐはんをよめどもふくさざれば
ざいなくしてまちにのぞむがごとし  はくえのふゆのよも
かんをしのんでよもすがらじゆせよ  しよくとぼしきのなつのひも
うへをのぞいてひめもすならへ  さけにゑふてこゝろきやうらんす
しよくすぐればがくもんにうむ  みあたゝまればすいめんをます
みやすければけだいおこる  けいこうはやがくのために
かべをうがつてげつくはうをまねき  そんけいはがくもんのために
とをとぢてひとをとをさず  そしんはがくもんのために
きりをもゝにさしてねぶらず  しゆんけいはがくもんのために
なはをくびにかけてねぶらず  しやいんはやがくをこのんで
ほたるをあつめてともしびとす  せんしはやがくをこのんで
ゆきをつんでともしびとす  きうぼくはふみにこゝろをいれて
かんぶりのおつるをしらず  こうほうはふみにこゝろをいれて
むぎのながるゝをしらず  りうくはんはころもををりながら
くちにしよをじゆしていこはず  げいくはんはこうさくしながら
こしにぶんをたいしてすてず  これらのひとはみな
ちうやがくもんをこのんで  ぶんさうこつかにみつ
ついにせきがくのくらいにいたる  たとへさいをみがきつゝをふるとも
くちにつねにきやうろんをじゆし  またゆみをけづりやをはぐとも
こしにはつねにぶんしよをさしはさめ  ちやうぎはしんこをじゆして
こぼくにこのみをむすぶ  きぼうはしきをじゆして
ここつにあぶらをえたり  はくえいはくさいにはじめて
はやくはかせのくらゐにいたる  さうしはしちじうにしてはじめて
がくをこのんでしでんにのぼる  ちしやはげれつなりといへども
こうだいのかくにのぼる  ぐしやはかうゐなりといへども
ないりのそこにおつ  ちしやのつくるつみは
おほいなれどもぢごくにをちず  ぐしやのつくるつみは
ちいさけれどもかならずぢごくにをつ  ぐしやはつねにうれいをいだく
たとへばごくちうのとらはれびとのごとし  ちしやはつねにくわんらくす
なをくはうおんてんのごとし  ちゝのおんはやまよりたかし
しゆみせんなをひくし  はゝのとくはうみよりふかし
さうめいのうみかへつてあさし  はくこつはちゝのいん
しやくにくははゝのいん  しやくびやくにたいくはして
ごたいしんぶんとなる  たいないにしよすることとつき
しんじんつねにくらうす  たいげにむまれてすねん
ふぼのよういくをかふむる  ひるはちゝのひざにゐて
まとうをかふむることたねん  よるははゝのふところにふして
にうみをついやすことすこく  あしたにはさんやにまじはつて
ひづめをころしてさいしをやしなひ  ゆふべにはこうかいにのぞんで
うろくづをすなどつてしんめいをたすけ  たんぼのいのちをたすからんがために
にちやあくがうをつくる  てうせきのあぢをたしなまんため
たこうぢごくにをつ  おんをいたゞいておんをしらざるは
きのとりのえだをからすがごとし  とくをかふむつてとくをおもはざるは
のゝしかのくさをそんずるがごとし  ゆうむそのちゝをうてば
てんらいそのみをさく  はんぷそのはゝをのゝしれば
れいじやそのいのちをすふ  くはくきよはゝをやしなはんために
あなをほりてこがねのかまをえたり  きやうしはじふをさりて
みづをくめばにはにいづみをえたり  もうそうちくちうにこくすれば
しんせつのうちにたかんなをぬく  わうしやうなげきてこほりをたゝけば
けんたうのうへにうををどる  しゆんしはもうふをやしなひて
ていきうすればりやうがんをひらく  けいこはらうぼをやしなひて
しよくをかめばよはひわかくなる  とうゑいいつしんをうりて
かうようのぎよきにそなふ  やうゐはひとりのはゝをおもつて
とらのまへになきしかばがいをまぬかる  がんうはかにつちをおへば
うちやうきたつてはこびうづむ  きよぼくみづからはかをつくれば
しやうはくうへてはかとなる  これらのひとはみな
ふぼにかうようをいたし  ぶつじんのれんみんをたれ
しよまうこと/゛\くぜうじゆす  しやうじのいのちはむじやうなり
はやくねはんをねがふべし  ぼんなうのみはふじやうなり
すみやかにぼだいをもとむべし  いとひてもいとふべきはしやばなり
ゑしやぢやうりのくるしみ  おそれてもおそるべきはろくどう
しやうじやひつめつのかなしみ  じゆみやうはふゆうのごとし
あしたにうまれてゆふべにしす  しんたいばせうのごとし
かぜにしたがつてやぶれやすく  りやうらきんしうは
まつたくめいどのたくはえにあらず  わうごんしゆぎよくは
たゞいつせのざいほう  えいぐわえいようは
さらにぶつだうのたすけにあらず  くわんゐちやうしよくは
たゞげんぜのみやうもん  きくわくのちぎりをいたすも
ろめいのきえざるがほどは  えんわうのふすまをかさぬるも
しんたいのやぶれざるあいだ  とうりまにでんも
せんげむじやうをなげく  だいぼんかうだいのかくも
くわけつとうのくるしみをかなしむ  しゆだつのじつとくも
むじやうをとゞむることなし  あいくのしつぽうも
じゆみやうをかふことなし  ぐわつしのつきをかへせしいきほひも
ゑんわうのつかひにばくせらる  りうていのりやうをなげしちからも
ごくそつのつえにうたる  ひともつともほどこしをおこなふべし
ふせはぼだいのかて  ひともつともざいををしまざれ
ざいほうはぼだいのさはり  もしひとひんきうのみにて
ふせすべきざいなく  たのふせをみるとき
ずいきのこゝろをしやうずべし  こゝろにかなしんでいちにんにほどこせば
くどくだいかいのごとし  おのれがためにしよにんにほどこせば
ほうをうることけしのごとし  いさごをあつめてとうとするひと
はやくわうごんのはだへをみがく  はなをおつてほとけにくうずるともがらは
すみやかにれんだいのはなぶさをむすぶ  いつくしんじゆのちからも
てんりんわうのくらゐにいたる  はんげもんぼうのとくも
さんぜんがいのたからにもすぐれたり  かみはすべからくぶつだうをもとむ
なかばはしおんをほうずべし  しもはあまねくりくどうにおよぶ
ともにぶつどうになるべし  ようどうをゆういんせんがために
いんぐわのどうりをちうす  ないてんげてんよりいでたり
みるものひぼうすることなかれ  きくものわらひをしやうぜざれ

童子教終
 
文化十一甲戌年正月発行
    御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓 
 
 
 
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2015年12月15日火曜日

日本版 『100年マラソン』 戦略が必要!

戦後体制というのは連合国(WWⅡ戦勝国)体制ということ、従って国際社会というのはWWⅡ戦勝国が支配する社会ということです。
『戦後民主主義』 というのは敗戦国である日本が、戦勝国体制の中で生き残る為に被った仮面のはずでしたが、それを自分本来の素顔だと思い込まされてきたのが団塊の世代を中心とする戦後育ちの日本人です。
こんな社会が日本人本来の伝統的人生観に馴染むはずが有りません。
しかし、日本政府首脳がこれに異議を申し立てるかのごとき言動に及んだ瞬間、米英仏露中他豪州やオランダまでを連合国として敵に回してしまいます。
徒らに勇ましい強硬論を振り撒く自称愛国者は、もう一度世界中を相手にして戦うつもりなのでしょうか?

以下は Youtube に投稿したコメントです。
---------------------
過去の大日本帝国を滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているということは、過去の第三帝国を敵として滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているドイツと同じ立場です。
したがって、日独両政府の公式見解としては、過去の滅びた夫々の帝国を肯定するようなことは絶対に許されません。
ただし、それは両民族自体を否定するものではなく、当時の敗戦国政府を否定するだけです。米英仏露は基本的にそれを截然と区別していますし、中国でさえ、毛沢東や周恩来は区別していました。

しかし、最近になって中韓政府やそれを背後で唆す勢力は、意識的に日独両政府と日独両民族を同一視するようなプロパガンダを始めているように思われます。米中英仏露が水面下でどのような駆け引きを演じているかも知れたものでは有りません。
日独両帝国の復活を警戒し始めたからだという見方も出来ますが、列強間の新しい勢力争い(第3次世界大戦)の一環として日独取り込みの争奪戦が始まっていると考えることも出来ます。

こうした微妙な状況の下で安倍さんが「日本を取り戻す」というとき、敗戦帝国を復活させようとしているかのような印象を与えたり、言い掛かりを付けられるような発言が命取りになるのは当然です。安倍談話は、水島氏の言われるように敗戦国の桎梏の下で民族の誇りを取り戻す為のぎりぎりの表現でした。今後も、対外的には根拠の無い誹謗には反論しても、政府の立場で大東亜戦争の正当性を主張することは基本的に避けざるを得ません。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html

それは諸国民の声を通じて内外に拡散して行くという姿勢に徹するべきでしょう。
ポーランド王国は再興までに140年かかりました。日本もそのくらいの覚悟をするべきでしょう。
毛沢東は1949年に中華人民共和国を建国したとき、漢民族の誇りを取り戻すための100年戦略を持っていたそうです。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html

2015年12月10日木曜日

これが正論でなくて何が正論か!・・武田邦彦フランスの欺瞞を語る

一方的な殺戮戦争を始めたのはフランスである。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_49.html

5年前の日記に白人優位思想の終焉と書いたが、それは日本人以外の有色人種には言えても日本人には言えそうもない。
日本人の白人コンプレックスは未だに根強く我々の思考を支配している。
左右を問わず語る言葉はすべて白人の言葉、視点は白人の視点、世界観は白人の世界観から一歩も抜けだしていない。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/11/blog-post.html

なぜ、パリが襲撃されたかって?それは、西洋人が侵略してきた歴史にある! ✳︎今稼げる情報をぷレゼント →http://www.lp-kun.com/web/lp_kun14452843033935

2015年11月24日火曜日

『チャイナ2049』 ・・石原莞爾 『世界最終戦論』 の中国版

「チャイナ2049」
秘密裏に遂行される 「世界制覇100年戦略」

マイケル・ピルズベリー著(野中香方子訳)
森本敏(拓殖大学特任教授、元防衛大臣)解説
(日経BP社 2000円)

要約で伝わるような内容ではないので、とりあえず序章と第一章から、適宜抜粋して紹介します。
体調次第で何時終わるか約束できませんので、お急ぎの向きは購入してお読みください。

目次
序 章 希望的観測
     瞞天過海・・天を瞞きて海を過る 『兵法三十六計』第一計
第1章 中国の夢
     天無二日 土無二王・・天に二日無し土に二王無し 『礼記』曾子問
第2章 争う国々

第3章 アプローチしたのは中国

第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

第5章 アメリカという巨大な悪魔

第6章 中国のメッセージポリス

第7章 殺手鋼

第8章 資本主義者の欺瞞

第9章 2049年の中国の世界秩序

第10章 威嚇射撃

第11章 戦国としてのアメリカ

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序 章 希望的観測
     瞞天過海・・天を瞞きて海を過る 『兵法三十六計』第一計
つづく
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第1章 中国の夢
     天無二日 土無二王・・天に二日無し土に二王無し 『礼記』曾子問

2013年3月、習近平が主席に就任したとき、・・・西側の観測筋に広まっていた見方は、「この黒い髪をふさふさとはやし、温和な笑みをたたえた害のなさそうな60歳の男は、ゴルバチョフのような改革者で、古くからの警戒を解き、西側が長く夢見てきた民主主義の中国をついに実現するだろう」 というものだった。しかし、まもなく彼には彼の夢があることがわかってきた。世界のヒエラルキーにおいて中国にしかるべき地位を取り戻させるというものだ。それは1949年に権力を掌握して以来、共産党が渇望してきたことでもある。その1949年に100年マラソンは始まった、と中国の指導者たちは考えている。習主席はタカ派が掲げる 「復興の路」 というスローガンを採用した。
・・・・
北京の天安門広場の端に、1949年に毛沢東の命を受けて作られた、ビルの10階ほどの高さのオベリスクが立っている。・・公認ツアーガイドは、通常、そこへ外国人を案内しようとしない。仮に西側の人間が自分でそこへ行ったとしても、大理石と花崗岩からなるオベリスクに彫られた中国語には、英語の案内が添えられていないので、意味はわからないだろう。実のところ、このオベリスクは、マラソンを最初から支配していた思想を詳しく語っている。
・・・・
この巨大なオベリスクは、ネット上では 「人民英雄記念碑」 とありきたりな名前で紹介されているが、実際には、ヨーロッパの列強に強いられた 「百年の屈辱」 による 「中国の嘆き」 の象徴と見なされている。
・・・・
アメリカ人旅行者は毎日のようにオベリスクのそばを歩き、遠くから写真を取るが、そこに書かれているメッセージには気づかない。
・・・・
19世紀の後半にヨーロッパの列強は、衰退しつつあるオスマン帝国の別称 「ヨーロッパの病人」 になぞらえて、中国を東アジアの病人と呼んだ。
・・・・
「外国人はわたしたちのことを東アジアの『病人』と呼ぶ。野蛮で劣等な民族と見なしているのだ」 と、革命家の陳天華は1930年に苦々しげに書いている。その苦しみは、中国が世界のヒエラルキーの頂点というしかるべき地位を回復するまで癒されないだろう。
・・・・
20世紀初頭、中国の作家や知識人は、チャールズ・ダーウィンとトマス・ハクスリーの著作に魅了された。特にダーウィンの生存競争と適者生存という概念は、中国が西洋諸国に味わわされた屈辱に復讐する方法として共感を呼んだ。
・・・・
翻訳家にして学者、改革者でもあった厳復は、ハクスリーの 「進化と倫理」 を最初に中国語に翻訳した人と考えられている。しかし、彼は重大な間違いを犯した。 「自然選択」 を 「排除」 と訳したのだ。それがダーウィンの思想についての中国人の考え方を支配するようになった。つまり、生存競争で負けたほうは弱者と見なされるだけでなく、自然界であれ政治的世界であれ 「排除」 される、と彼らは考えたのだ。 「弱者は強者に飲み込まれ、愚か者は賢人の奴隷になり、結局生き残るのは(中略)時代と場所と社会環境に最も適した者だ」 と厳復は書いている。また彼は、「西洋は劣等な民族はすべて、よりすぐれた民族に滅ぼされるべきだと考えている」 とさえ書いている。

1911年に辛亥革命を起こし、「近代中国の父」と称される孫文は、民族を存続を基礎に置いた。それは列強との闘争を、白色人種による「人種の絶滅」の脅威,つまり黄色人種を従属させ、抹殺さえしようとする動きに対する抵抗と考えたからだった。

(関口注: 司馬遼太郎も中国要人から直接聞いているようです
http://byoshonikki.blogspot.jp/2011/04/2011410.html

このテーマは1949年に再び採用された。毛沢東の著作には、ダーウィン的な思想が散見される。毛が影響を受けたある翻訳者は、二つの人種、つまり黄色人種と白色人種が将来戦うことになり、黄色人種が戦略を変えないかぎり、「白人」が優勢になるだろうと結論づけている。カール・マルクスを知る前から、毛とその一派は、中国が存続するには、過激な長期戦略によって中華民族の独自性を守らなければならない、と考えていた。こうして中国共産党の戦略思考は、「容赦ない競争世界における生存競争」という概念に支配されるようになった。

1930年代に国民党軍に敗れた紅軍(中国共産党)が行った有名な長征(徒歩での大移動)の間、毛は本を一冊だけ携えていた。それは西洋には並ぶもののない歴史を教訓とする国政の指南書、『資治通鑑』 だった。・・その書の核となるのは戦国時代の兵法だが、紀元前4000年まで遡る逸話や格言も収められている。特に 『礼記』 に拠るものは、中国人が魅了されたダーウィン的な思想と一致する。
曰く、「天無二日」(天に二つの太陽はない)、世界の秩序は本質的にヒエラルキーを成す。そしてその頂点には、常に唯一の統治者が存在するのだ。

つづく
【以下11月20日追加】
アメリカの中国専門家が犯した最大の間違いの一つは、この 『資治通鑑』 を軽んじたことだ。この本は英訳されなかった。1992年になって初めて、わたしたちは 『資治通鑑』 が毛沢東の愛読書だったことを知った。・・鄧小平や他の指導者もその本を読んでいる。また、中国の高校生は、その本から抜粋した文章を書き写して学ぶ。そこには、戦国時代から伝わる策略の用い方、敵の包囲を避ける方法、好機が訪れるまで既存の覇権国を自己満足に浸らせておく方法などが記されている。

(関口注: 同様に19世紀以降の西洋人が犯した最大の間違いの一つは、幕末の武士の座右の書 『近思録』 や 『伝習録』 を読まなかったことだ。 例えば 「人事を尽くして天命を待つ」 と言う倫理観などは、嘗ての特攻隊員はもとより今日のお笑い芸人にすら共有されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E7%BF%92%E9%8C%B2 

・・・・
アメリカの諜報機関の職員は、中国がソ連の従属的パートナーという立場に満足していないという報告を信じようとしなかった。総じてアメリカ人は、中国のように遅れた国がソ連のライバルになり、やがてはアメリカと対峙するなどという見かたは馬鹿げていると思っていたのだ。
しかし、それを笑わない人々がいた。ソ連の指導者たちだ。彼らはアメリカが気づくずっと前に中国のたくらみを知っていた。100年マラソンについての最初の情報はモスクワからもたらされた。
・・・・
わたしがソ連の人々からから得た最も重要なメッセージは、中国人は世界の頂点の地位を回復するという歴史的野望によって動いている、というものだった。
「中国の歴史が語るのは、中国人は自国を世界最強の国にしようとするが、チャンスが訪れるまでその野望を隠すということだ」 とクトポイとその同僚は教えてくれた。
さらにクトポイは、アメリカが犯しうる最悪の誤りは、中国を軍事的に支援することだ、と警告した。
・・・・
中国人はかつてソ連を利用したようにアメリカを利用しようとしていた。
・・・・
それから40年後、習近平は中国共産党書記長(主席の前段階)に就任してすぐ、それまで隠されていた中国の野望を認めた。最初のスピーチで、かつて中国の指導者が公式の演説で述べたことのない 「強中国夢」(強い中国になるという夢)という言葉を口にしたのだ。・・ウォール・ストリート・ジャーナル紙のトップ記事によると、習は、2049年をその夢が実現する年としている。
毛沢東が中国の指導者となり共産主義国家を樹立してから100年目に当たる年だ。
習主席が 「強中国夢」 と言ったのは、たまたまでもなければ、不注意からでもなかった。習主席の演説を聴いた何人かの中国人から聞いてわかったことだが、中国の大学で教育を受けた人や軍人は、習主席の 「強中国夢」 と言う発言を聞いてすぐ、その意味を理解したそうだ。

 「強中国夢」 は、かつて西洋では存在が知られていなかった、ある本の内容を暗に示唆している。その本、『中国の夢』 は、2010年に中国で出版された。著者の劉明福は、人民解放軍の大佐で、人民解放軍の将官を育てる人民解放軍国防大学の指導的学者でもあった。わたしが 「100年マラソン」 という記述を初めて見たのも、その本においてだった。『中国の夢』 は中国でベストセラーになった。
その本には、どうすれば中国はアメリカに追いつき追い越し、世界の最強国になれるかが書かれている。ソ連がアメリカを凌駕出来なかった理由を分析し、1章を割いて、中国が採るべき八つの方法を列挙する。劉が採用した 「100年マラソン」 と言う表現は、「マラソン」 が英語からの借用であるにもかかわらず中国全土に流布した。
・・・・
「中国とアメリカの競争は 『ピストルでの決闘』 や 『ボクシングの試合』 と言うよりむしろ 『陸上競技』 と言うべきだろう。それは 『マラソン』 のように時間がかかる。そしてマラソンが終わったとき、地球上で最も高潔な強国、すなわち中国が勝者となる」 と劉は息巻く。

2011年、劉はその挑発的とも言うべき著書についてABCのインタビューを受けた。彼は、・・・中国が西洋と戦い、勝利を収めるとしても、その過程は平和に進むと言うことを強調した。しかし、中国語で書かれた原書を読んでみると、トーンはずいぶん異なるようだ。アメリカの弱みを研究し、西洋が中国の本当のゲームプランに気づいたらすぐアメリカを打倒できるよう、準備しておくことが重要だと劉はほのめかしている。
・・・・
ウォール・ストリート・ジャーナル紙が2013年に報じたように、『中国の夢』は国家の統制化にあるすべての書店で「推薦図書」の棚に飾られた。

(関口注: 石原莞爾が1940年に発表した日米による 『世界最終戦論』 を思わせます。スケールと言い、周到さと言い何らかの影響がなかったとは思えません。石原がその布石として打ったのが満州国の建国で明治維新から60年余り後の1932年、そのころ彼は日米の戦力が拮抗するまであと40年かかるから、それまでは自重すべきだと主張したそうですが、結果的には日本は30年早く決戦に持ち込まれ「夢」は敗れ去りました。いま中国は建国70年を経たばかりで100年マラソンのゴールまでまだ30年早いのに決戦に持ち込まれようとしているとしたら、・・・今更のように欧米覇権勢力の強かさを思い知らされます。もしそうだとしたら、中国の意図の如何に関わらず、判官贔屓の応援をしたくなってしまいます。
嘗て蒋介石の国民党は日本を消耗させる為の捨石として利用されました。今回は、日本が中国を消耗させる為の捨石にされると言う悪夢が実現しないとはかぎりません
http://www.mskj.or.jp/report/2803.html


【以下 日経ビジネスオンラインのインタビュー記事で代えさせていただきます】
https://www.facebook.com/masuteru.sekiguchi/posts/929138117166402?pnref=story

2015年11月6日金曜日

南京大虐殺という捏造神話

水島聡・・諜報機関の無い日本で対日情報戦争に応戦する愛国NGO!

米英は、開戦直後から日独の敗戦を前提とした戦後処理政策を立てていた。
その基本方針は、日独の戦争行為を犯罪として裁くという前例の無い戦略であった。
賠償や領土の割譲が殆ど争点にならず、虐殺行為のみが強調された所以である。
アウシュビッツや南京はそのためには絶対必要なプロットだった。 
それらの虚実を検証しようとすることは、勝者の主張する正当性に疑義を呈することと同義であり、それは取りも直さずあの戦争が未だに決着していないことを意味している。
熱戦や冷戦ではなく情報戦に形を変えて継続しているのである。
http://www.nankinnoshinjitsu.com/

2015年11月4日水曜日

偽装民主主義国 『大韓民国』 の正体

日本人の正論:
捏造国家の実態が民主主義とは程遠いという事実を世界に知らせた記念すべき第一声です。
この先が楽しみです。

Shun Fergusonさんが新しい動画をアップロードしました。
https://www.facebook.com/shun.ferguson.3/videos/893651104053770/?pnref=story 
ジュネーブでの現地の一般人に対するシンポジウムで、私が講演した内容です。
この中で、4つのポイントに絞って話をしました。
まず、日本人は戦地に赴いた慰安婦に感謝をしているが、韓国の一部の団体が、慰安婦を利用して被害者ビジネスを行い、日本から更に金を取ろうとしている。これが、元慰安婦達を貶めている。
1.なぜ、戦後40年も経って慰安婦問題が出てきたのか。
言論の自由が無い韓国では、事実を喋ると大学の教授達でも殴られて、謝罪をさせられる。
2.ナヌムの家とは何のためにあるのか。
インタビューへを受ける度に証言がころころ変わるので、インタビューに答えさせない為に軟禁。練習をして成績が良い元慰安婦だけがインタビューに答えられる。
(まるで、シー・シェパードみたいだな)
3.カルトの経典 韓国の国定「国史」教科書
韓国人全員が習う教科書なので、教科書が絶対であり、カルトの経典となっており、事実が経典と違うと、現実を経典に合わせるために嘘を吐きまくる。
4.韓国のヤクザ戦法
当たり屋と同じ方法で、河野談話を出させた。約束を守らずに謝罪と賠償のおかわりを要求し続けている。

「言論の自由」・・パックス・アメリカーナの葵の印籠!

韓国が何をやってもまともな米国人が相手にしなくなった理由・・目から鱗!

①米国憲法の最重要条項は「言論の自由」、それが存在しない国であることを産経記者の逮捕と言う自らの愚行で暴露してしまった。
②同時にそのことによって、権力者の恣意で法律を変える偽装法治国家であることを露呈することのになった。

ケント・ギルバート氏は、上記を理由に韓国のプロパガンダで米国が動くことは無いから抛っておけばよいと断言する。
また、在韓米軍は一切韓国軍を信用していない、ただ北朝鮮を牽制する都合があるので嫌々ながら居座っているのだと言う。
安倍官邸がその認識を共有していることを祈りたい。

2015年10月20日火曜日

安倍政権攻撃の最後の手段・・Change.org による大衆動員

Change.org が衆愚の動員に使われるとこうなる!

「・・結婚を機に、やはりママさんたちが、一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」

この発言を、「結婚したら出産」という短絡的な考え方」だと短絡的に曲解し、「国家に貢献という言葉はまさに戦時下で行なわれた兵力、労力のための人口増加政策を思わせ」ると無理遣り戦争に結びつけ、「そもそも福山雅治さんの結婚でこんな発言が出ること自体が失礼です。ご本人の考えはもとより、ファンの方々の複雑な心境を無視した非常に能天気な発言」だと言ってのける厚かましさにはモンスターママも引けるでしょう。
そもそも、官房長官にこんな質問をするのは、お門違いです。
「ご本人の考えはもとより、ファンの方々の複雑な心境を無視」しているのは何処の誰でしょう?

SEALDs の女子学生も似たようなことを言っていた気がします。
この論法は、左翼が大衆動員に使う典型的なパターンです。



菅義偉内閣官房長官は9月29日テレビ出演し、俳優の福山雅治さんの結婚について、「結婚を機に、やはりママさんたちが、一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」(The Huffington Post)と発言したと報道されています。

2015年10月16日金曜日

『敗戦後遺症』・・団塊シンドローム消滅まであと30年?

団塊1世の退場と団塊3世の台頭による選挙民の交代
私の言語感覚に基づけば、私は少なくとも保守主義者ではありません。
「万物流転」、「形あるものは滅す」 と言うのが、私の信条です。懐古趣味者ですが、復古主義者ではありません。
新しい時代は新しい世代が作っていくのですから、私の趣味には合わないものになって当然です。ではどうすべきか?簡単です。未練を残さずこの世を去れば良いだけです。生き物はそのために老いて死んで逝くのですから。
最近の保守と称する人たちの中には、意識的もしくは無意識的に復古主義を紛れ込ませている論者がいますが、趣味を主義と混同して振り回す人が大半です。
今の日本が問題なのは、間もなく居なくなるに決まっている世代が、次の世代の自由な思考を呪縛し、「閉ざされた言語空間」の中に閉じ込めたまま、世代全体から自由に生きる機会を奪っていることだと思っています。
日本の歴史上、初めて登場した、子孫のためでなく自分達のためにだけ生きることに疑問を感じない究極の自己満足世代が、一向に老化せず、無用な資産を抱え、あまつさえ年金原資まで食い潰して能天気に遊びまくっているのです。
彼らは十分な余命と膨大な選挙権を持つ愚民集団ですから、彼らを操るコツさえ解れば、日本の将来はどうにでもなるでしょう。
最良の一手は、彼らの孫の世代を味方につけることです。
小学生教育が帰趨を決するでしょう。
その子供達が社会の第一線に立つまでにあと30年、敗戦後ちょうど百年の区切りの年です。

2015年10月8日木曜日

人間は平等ではない・・ただし価値ではなく能力のことです。

天才といわれる人は凄いですね。
スポーツでは自分たち常人とは隔絶した能力は一目瞭然ですが、武道になるとその違いが判らないほどの域に達します。

さらに知力や智力ともなれば、常人のあずかり知らぬ世界になります。
珠算、百人一首、ルービックキューブの選手権者の頭の回転の早業辺りまでは見分けが付きますが、作曲や文筆辺りになると出来のよしあしの見分けが付きにくくなり、人事や経営、商売や政治、倫理道徳や哲学宗教になると優劣は愚か真偽の程も定かでなくなってしまいます。

その最たる物は人格でしょう。
安倍晋三の人格評価がピンからキリまで有るのも宜なるかな!
究極の難問・・安倍さんとイチローのどちらが偉いか?

因みに私の判定基準は、どちらの方が相手をよりいっそう尊敬しているかです。
言い換えればどちらがよりいっそう謙虚かです。
どこかのデモ学生のように罵り合っているとしたら両方とも屑です。

http://cadot.jp/topics/11082.html/2

2015年10月7日水曜日

WGIP(占領軍による日本人洗脳計画)の存在証明(その2)・・検閲官名簿の発見と元検閲官の証言

NHKがこれを報道したのは、CIAによるメルケル首相ほかの電話盗聴が暴露されたことにより米国の諜報活動に触れることがタブーでなくなっただけでなく、それを 叩くことがむしろ得点になる方向に風向きが変わったのでそれに便乗しただけでNHKの体質が変わったわけではないでしょう。相変わらず正義の味方を気取っている姿勢は少しも変わっていません。

それが証拠に、この検閲と一体で進められた報道出版界(メディア)による日本人洗脳活動と報道規制については一言も触れていません。

WGIP(占領軍による日本人洗脳計画)の存在証明(その3)・・その全貌と積極的売国奴名簿の発見

が待たれます。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3425_all.html

世界中で、政府の要人や市民の電話盗聴を行っていた疑惑が連日報じられているアメリカ。およそ70年前、終戦直後…

2015年9月26日土曜日

WGIP(占領軍による日本人洗脳計画)の存在証明・・捏造説に終止符

江藤淳 『閉ざされた言語空間』(1989年 文芸春秋社)~関野通夫 『日本人を狂わせた洗脳工作WGIP いまなお続く占領軍の心理作戦』(2015 年自由社)

2015年9月19日土曜日

小林節慶応大学教授が日本記者クラブで会見

あえて断言します・・典型的な詭弁です。
憲法が国家権力の暴走に対する唯一の歯止めだと言うところを強調する一方、外国権力の暴走(外圧や侵略)に対する歯止めとしては無力だと言うことを(おそらくは意識的に)伏せています。
こういうのを詭弁と言います。
詭弁の本質は前提条件(&定義)の恣意的な歪曲にあります。
前提の欺瞞を精緻な論理的一貫性で糊塗するのが詭弁の本質であり、専門馬鹿や似非学者の常套手段乃至通弊です。
私たち常識人が、「理屈はそうなるかも知れないが何処かおかしい」と感じる似非学者の屁理屈に反論できず悔しい思いをするときは、論理の欠陥を捜すのでなく、前提条件の欠陥や欺瞞を探すべきです。
詭弁の例には事欠きません。
①俊足のアキレスは、永久に鈍足の亀に追いつけない。
②飛んでいる矢は常に静止している。
③日本は法治国家であり、憲法は武力による国際紛争の解決を禁じている。故に外国からの武力攻撃に対して武力反撃は許されない。
いずれも事実がそうでないことは明白なのに理屈はそうなるので悔しい思いをします。
すべて前提条件(&定義)に嘘がありますが各位で見つけていただきたいと思います」
日本国憲法と安保問題に関する私の見解は以下のとおりです。 ①安保にはリアリズム必要・・日経論説委員長 芹沢洋一氏の正論 http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/07/blog-post_19.html ②憲法学者を過大評価する奇風! http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/07/blog-post_63.html ③憲法学者3名が集団的自衛権の行使容認を違憲だと指摘・・それがどうした! http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/06/blog-post_13.html 補遺:戦後レジームの暴露と脱却への過程 『閉ざされた言語空間 (占領軍の検閲と戦後日本)』の決定的証拠発見 江藤淳畢生の警告・・WGIPの存在と脅威の告発 http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/08/blog-post_26.html 鈴木孝夫氏の卓見・・洗脳工作が想定外の効果を発揮した遠因 http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/04/1975.html 30項目の検閲指針と協力した売国奴たち http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/34846890.html 関野道夫氏の快挙・・WGIPの原典を発見 http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/43844006.html

2015年9月11日金曜日

『清里の森』 滞在記録達成!

避暑地での滞在期間が1ヶ月を超えたのはこの25年間で今年が初めてです。
何人かの人達と知り合いになりました。

テニスコートも例年になくにぎわっています。
錦織選手の活躍のお蔭でしょう。

先日は、山口 智子のCMロケ隊の一行から70人分のランチの予約申し込みがあったそうですが、誰の好みなのかメニューにないエビフライが必須だというので、同じ別荘地内のイタリアンレストランを紹介したとか仰っていました。
とにかくバックに赤岳が入るという設定だそうですからそのうちどっかのチャネルで見られるかも知れません。
それにしても70人分というのは本当でしょうか?

この動画は YouTube 動画エディタ(https://www.youtube.com/editor)で作成しました

2015年9月10日木曜日

ド・ゴール大統領、ヴァイツゼッカー大統領、安倍総理大臣 ・・夫々の愛国心とリーダーシップ

70年前、ド・ゴール仏大統領は、ヴィシー政権下における膨大な数のナチス協力者の存在を知り、それが将来にわたってフランス国民の一体感を損なう癌になると察知、一切の告発を封殺し、大戦中フランス国民は一致団結してナチスに対するレジスタンスに臨んだという虚構の物語を学校教育やメディア報道で徹底させ、国民の自尊心を回復させました。

30年前、ワイツゼッカー大統領は、すべてのドイツ人はヒットラ-とナチス党員による圧政の犠牲者だったという戦勝国創作の神話を再確認することによって、ドイツ国民の無罪を宣言しました。

今回、安倍首相が宣言したことはワイツゼッカー大統領が宣言したことと同じ点と異なる点があります。
同じ点とは、両国民とも過去の事実を理由に将来に渡って責められる謂われはない、と宣言したことです。
異なる点とは、ドイツが、ヒットラー等の罪を明示することによって他の一般国民の無罪を主張しているのに対して、日本は、罪人を明示していないことです。
そのかわり、日本の戦争行為によって結果的に悲惨な境遇におかれた国もあったかもしれないが、西欧帝国主義によって植民地化されてきた国々に独立のチャンスを齎した面もあるという微妙な表現で間接的に無罪を主張していることです。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html

いずれも両国夫々が置かれた立場と国民感情を踏まえたぎりぎりの主張であり、政治の場ではこれ以上踏み込める状況ではないと思います。
しかし、日本の主張のほうがドイツの主張より虚構性がない点で将来に禍根を残さずに済んだと言えるでしょう。
日・独・仏とも戦時中世代には釈然としなくてもそれが敗戦というものだと認識すべきかも知れません。

何よりも重要なことは将来世代に付けを回さないことです。

2015年9月6日日曜日

日韓反目を笑っているのは誰か?

名目はどうにでも取れますが、彼の実際の役割は英米グローバリストの代理人(バシリ)として汚れ役を引き受け(させられ)ているだけでしょうから、親分たちの指示を北京へ伝えに行っただけでしょう。問題はどんな指示が出されたかです。
こんな小者に大した用事を託すとは思えませんが・・。
例えば
「ソ連解体と同様に北京政府を解体するからそれまでに台湾・香港・上海辺りに自由中国政府(新中華民国)を旗揚げする準備を急げ」
と言う命令であっても驚くにはあたりません。

ソ連と同様に中国共産党も民族国家解体どころか民族感情の強化を招き始めた以上、もはやグローバリストにとっては無用の長物になってしまいました。そこで欧州ではソ連共産党を解体してEUで代替したように、アジアでは中国共産党を解体して自由中国政府で代替して直ちにTPPに加盟させ、気づき始めた日本の世論が沸騰しないうちにISD条項を丸呑みさせてしまうという戦略に切り替えたのかも知れません。
そうだとすればことは重大です。
一刻の猶予もありません。
2015年9月5日、韓国・聯合ニュースによると、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は、今月3日に開かれた中国の抗...
NEWS.LIVEDOOR.COM

TPPの罠・・美辞麗句の裏に隠された狙いは国家主権の空洞化

1、全てはデファクト・スタンダード作りから始まる
ノーベル何とか賞も何とか文学賞や何とか映画賞も、何々賞と名のつくものは殆ど政治的クライメートというか社会風潮のグローバル化(=市場化)を謀るプロパガンダ(=コマーシャル)で塗りつぶされようとしています。
人種、民族、国籍、言語、果ては社会制度の相違や区別を差別として否定する偽善(=弱者の脅迫)は、すべて強欲資本家に買収された物欲と支配欲の亡者たちの策略だと思って間違いありません。

2、米国政府の支配(私物化)
ケネディ大使はもとより、オバマ大統領や議会の有力者すらも気づかないうちに、大学やシンクタンクの論説、ジャーナリズムや政府に潜りこんだ業界エージェントによるプロパガンダ、そして彼らが作文する分厚い法案に書き込まれた巧妙な罠に取り込まれ、彼らのお膳立てしたシナリオを演じさせられているのです。
何かやるにあたって何年も前から学会の定説作りから始めるのが彼らの常套手段ですが、それに気がついても真っ向から対抗する権威も政治力も無いから始末が悪いのです。
とくに英米系学者にはそういう作文に長けた人物がいて世界中から集まってくる学生や学者の卵を洗脳し続けていますから、オックスブリッジやアイビーリーグの権威と称する学者の言説には警戒が必要です。

3、毒薬は口に甘し
ISD条項の詳細は数千ページに及ぶはずですが、未だに米国議会にすら開示されていません。市民団体によるリークで大問題になりかけたのはご承知の通りですが、推進勢力の強力なロビー活動とマスコミ操作で押さえ込まれ、議会は既に制圧されています。勿論、オバマ大統領やケネディ駐日大使が詳細な文書を見たことなどあるはずがありません。彼らと米国民一般、安倍さんや霞ヶ関官僚、圧力業界の連中も、まさかそこまでと思っているはずです。しかし、合意決定の直後、調印までの数週間前に数千ページに及ぶ条約文を突きつけられたら、その行間に潜む悪辣な罠を見抜くことは殆ど不可能です。

4、国家を名乗る私的利益集団
米国悪徳勢力がそこまでやれるのは、いわゆる政治任用で、都合の良い人物をキーポストに送り込めるからです。
元々米国合衆国と言うのは国家ではなく従って国民も居ない唯の政治機構ですから、様々な私的集団のどれが乗っ取るかによって政策意図はどう変わるか保証の限りではありません。
建国13州の頃は民族国家の色彩を帯びていたものの、次第に国民意識の希薄な権力指向の支配層が形成され、元々各州の連合体であった連邦組織が、州とは独立した私的集団間の権力争奪の対象になってしまったのです。
したがって、彼らの忠誠(密約?)の対象は州民や国民ではなく私的集団のボス(スポンサー)なのです。

5、日本人の勘違い
民族国家の国民としての連帯感を当然と考える私たち日本人の常識で彼らの意図を推し量ったらまったくピント外れの間違いを犯すことになるでしょう。
支配者と一般国民を別だというニュルンベルク裁判史観や東京裁判史観が抵抗無く受け入れられる素地でもあります。
と言うことは、東京裁判史観や憲法9条に抵抗を感じない人達は、すでに民族国家の国民ではないと言うことでもあります。
日本でも補佐官制が活用され始めていますが、終身雇用のキャリア官僚が良くも悪くも歯止めになっています。
現在は官邸スタッフ数百人のほうがむしろ国民との一体感を持ち、各県住民の代表であるはずの国会議員のほうが国民共同体から浮いていると言う米国とは逆の事態が生じていますが、もし官邸が中国共産党という私的集団のシンパに蚕食されたらそのときが日本国家の終わりでしょう。

6、ISD条項の危険性
米国市民団体によってリークされたISD条項では、国際司法裁判所などとは別に本条約の下に設置される紛争解決機関に全てがゆだねられることになっているそうです。
要するに既存の 「国家間の公正」 と言う概念でなく国家の仕切りによって制約されない 「企業と市場にとっての公正」 という概念で置き換えてしまうべきだという新自由主義経済学者の学説に誰も逆らえないのです。
国家主権が企業に売り渡されると言うのが、米国市民団体の警告です。
その企業が誰に支配されているかは言うまでもありません。
米国の医療と介護は、オバマケアの欺瞞によって既に製薬業界と保険業界に売り渡されてしまったそうです。
参)堤美果著 『沈み行く大国アメリカ: 逃げ切れ!日本の医療』 2015 集英社新書

7、新たな戦争は始まっている
事態は深刻です。軍事のタブー払拭に躍起になっているうちに米英悪徳支配層の攻撃目標は既に医療と食料と英語教育にシフトしています。
全てを金融資産に換算して憚らない金貸しと商売人が大きな顔をしているのは日本の新興成金も一緒です。
彼らの洗脳作戦が70年前のままだと思ったら大間違いで、新たな洗脳計画が着々と進んでいると思わなければなりません。
彼らの洗脳の第一目標は米国大統領や議会でしょうが、それを陥落させた現在、彼らの次の目標は日本だと思って間違いないでしょう。

8、毒を以って毒を制する綱渡り
安倍政権はそれを国内既得権集団の固守する岩盤規制を打破するための決め手にしようとしているようですが、無傷で良いとこ取りできるほど敵は甘くないでしょう。
「何を捨て何を守るか、捨てた振りして実を取る」、といった曲芸を演じなければなりません。
くれぐれも 「才子策に溺れる」 といった愚行に走らないことを祈ります。
それを回避する方法は唯一つ、最初から詐欺文書を突きつけてくるはずだと意識して、その罠を見つける時間を適当な理由をつけてかせぐことと、その害を最小限に抑える解毒条項を考えておくことです。
相手の攻撃や仕掛け技をさらりと受け流して逆手に取る合気道の要領で臨む・・
『合気道外交』 を提唱する所以です。

大東亜戦争史観

いつ国際政治の場に持ち出すか、そろそろ考える時期が来たようです。
但し、物には順序があります。
大論争に入る前に多数派工作を進めておかなくてはなりません。
常任理事国の2国以上、非常任理事国の過半数、その他の国の圧倒的多数が味方につくか中立にまわるくらいの手を打っておくべきでしょう。
ロシアとフランスの出方が気になりますし、ドイツがどう出るかは決定的に重要でしょう。
それに、政府レベル、アカデミズムレベル、市民レベル、等々での議論をどんな順序で展開するかの作戦も必要です。
しかし、いつまでもこのまま放置しているわけには行かないでしょう。
これは、大東亜戦争に踏み切ったときに匹敵する情報戦の開始を意味します。
https://www.facebook.com/ykamijima/posts/854990167929534?pnref=story

2015年8月31日月曜日

安保法制反対デモの醜怪さ・・ゾンビ世代の末路

8月17日の投稿で、今後予想される最後の手段は大衆動員でしょうと書き、60年安保騒動での実態を紹介しました。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7376.html

しかし、昨日のこの体たらくには拍子抜けしました。
安保法案に反対する集会で、国会正門前を埋め尽くす人たち。警察車両に機動隊員が15名並んでいることからその正方形(矢印部分)を約225人と試算。白枠の正方形はその16倍となり約3600人。白枠で囲った部分全てが埋め尽くされても、国会前に集まった集会参加者は約3万2千4百人となった=30日午後(共同通信社ヘリから)
http://www.sankei.com/politics/news/150831/plt1508310051-n1.html
集まった面々も生気の無いゾンビ世代の生き残りばかり、警官も年寄りが火遊びで怪我をしないように気遣っている様子がありありで、命がけで正門突破を強行しようとするような元気な面構えのものは一人も居ませんでした。
朝日新聞の朝刊は、15日と同じように(滞在中の)清里の森管理センターのロビーまで出かけて言って目を通しましたが、一面トップで気勢を挙げているかと思ったら一面は一面でも左端に申し訳程度に載せてあるだけ、頼みの海外ニュースも反日偏向報道で有名なロイターが、デモを警官が妨害したと言う程度のことしか言っていません。香港の雨傘祭りですら弾圧と言ったのですから非難のうちに入りません。
この分なら敢えて安倍さんが退陣する必要はなさそうです。

2015年8月29日土曜日

宰相の器: 中山恭子

私は安倍さんに不測の事態が起きたとき、これまでの成果を継承していただくには最も信頼できる後継者だと思っています。理由はいくつもありますが3つだけあげるとすれば
①能力: 世界に通用する教養の持ち主であり、かつ、政治・行政の裏表に精通し、官僚を使いこなせる。
②実績: 駐ウズベキスタン大使時代、丸腰で女性通訳と二人でタリバン族長の根城に乗り込み日本人人質4名を救出した鉄の女である。
③人柄: 見るからに大和撫子であり、平和の敵だなどという愚劣な誹謗とは無縁である。

この際、党派は関係ありません。
必要なら自民党との連立政権をつくり、首相になれば良いことです。
メルケルさんと意気投合するでしょう。
不足するものがあるとすれば強運と権力欲でしょう。
一言にしていえば時の利です。


ねずさんが中山ファンだとは知りませんでした。
考えてみれば当然のことです。

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』絶賛発売中!
NEZU621.BLOG7.FC2.COM|作成: 小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

http://www.sankei.com/politics/news/150828/plt1508280028-n1.html

2015年8月26日水曜日

安保法制は何処から見ても国際常識

今更、ご紹介するまでも無いことですが、野党やマスコミは、これでも 「国際世論は安倍首相を軍国主義者だと非難している」 などと言い続けるのですかね?
安倍晋三政権が今国会の成立を目指す集団的自衛権の限定的行使を容認する安全保障関連法案について、支持する国が44カ国に上ることが19日、明らかになった。首脳会談や…
WWW.SANKEI.COM

「日本とユダヤの民族の魂に生きる」 エリ・コーヘン

論理の西洋(≠ユダヤ)と情緒の日本(≠東洋)という型に嵌った言説が横行しているように思われますが、西洋が論理一辺倒になったのは産業革命以後、日本が論理を欠くといわれるようになったのは明治維新政府が和算と漢文を義務教育から切り捨て、さらに70年前の敗戦後報道出版界が文語文の使用を禁止して以来のことです。
この対比が西洋文明と日本文明の比較には妥当でないことは勿論、ユダヤ文明と日本文明の対比には全く的外れであるばかりか有害でさえあります。
凡そ、偉大な文明が情と理の一方だけで成立すると考える人達がいるとしたらそれは正気の人類だとは思えません。仮想世界の猫型ロボット(どらえもん)でさえ、人並み以上の情を備えています。

2015年8月23日日曜日

『大江健三郎を埋葬する』 と読むのが正しい?

http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/8575a7b10e4769823ab3474a2820ced6

ノアの方舟 大江健三郎『ヒロシマ・ノート』を埋葬する(その2) フェイスブックで、当論考の「その1」アップの告知をしたところ、ある方からとても興味深いコメントをいただきました。...
BLOG.GOO.NE.JP

2015年8月20日木曜日

ねずさんこと小名木善行氏の8月6日の投稿・・世紀の特大ニュース!

以前の記事は後でよく見たら 「幸福の科学」 からの孫引きだったこと、しかも 「妄信的自称愛国愚民」 に組することになりかねない文言がそれとなく紛れ込んでいるのを発見したので、いったん削除し、改めてねずさんのオリジナルサイトから再掲することにしました。

最近はこの手の 「トロイの木馬型ウィルス投稿」 が増えているので、皆さんもシェアするときは十分お気をつけください。

2015年8月17日月曜日

8月15日の朝日新聞・・気息奄々か、死んだ振りか?

退職してからは以前から購読していた日経以外の新聞を見る機会は殆どないのですが、この日だけは、何処かで朝日の朝刊を見ようと思っていました。
此処のところ珈琲一杯で2~3時間過ごしているカフェテリアの真ん前に「清里の森」管理センターがあり、そこのロビーに朝日新聞が置いてあったのでざっと目を通してきました。

世界中の反日人脈を動員して反安倍一色で塗り潰されていることだろうと期待したのにすっかり肩透かしを食いました。

各国政府筋、学者、ジャーナリストで、積極的に安倍談話を非難している人は、皆無でした。
頼みの中韓政府筋も申し訳程度に反省が不十分だと一言触れる程度で、習主席や朴大統領の指示待ちと思われる当たり障りのない論評でお茶を濁していました。
各国と言っても中韓以外はフィリピンだけで、それも非難の文言はなく、今後の実行如何で評価されるべきだと当たり前のことを言っているだけです。
欧米のメディア至っては、淡々と安倍談話の骨子を紹介しているだけで、一切評価を避けているように思われます。

朝日の執拗な誘導質問にもかかわらず、明確な非難の言葉を引き出せなかったと言うことは、インタビューを受ける側にとっては質問されること自体迷惑だったのでしょう。
はじめから意識して、言質をとられないよう言葉を選んだと言うことだろうと思います。

談話の大部分がヴァイツゼッカー演説の基調から外れていない以上、あらゆる政府、ジャーナリストにとって、これを否定することは、自らを歴史修正主義者だと言うことを認めることになりかねない危険を冒すことになるからでしょう。
安倍首相の戦略的勝利です。

こうなったら、反日勢力の最後の切り札は、高揚感を求める大衆のイベント参加型大動員しかないでしょう。
60年安保騒動のスローガンは 『岸を倒せ』 でした。
今度は 『安倍を倒せ』 でしょう。
いずれも、『権力者の横暴』 と言う虚構に対する大衆の正義感と連帯感が原動力ですから理屈では左右できません。群集心理をどうコントロールするかで勝敗は決します。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7376.html
キャントリル著 『集団運動の心理学』 を紐解くときでしょう。

2015年8月16日日曜日

戦後70年談話・・ヴァイツゼッカー演説の日本版

すべて正論で押し切ったのは正解です。
安部首相にも大宰相の風格と凄みが出てきました。

全文を通して受ける印象は、ワイツゼッカー演説の日本版です。
これでは、文句を言いたい国も黙るしかないでしょう。

例えば、ワイツゼッカー演説のデッドコピーを盛り込んだのはどこかの国に対する痛烈な皮肉でしょう。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。」

また、次の一句は、先般、来日したメルケル首相の言葉を借りたものです。
「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」
これも寛容でないどこかの国に対する強烈な皮肉です。

極め付けは次の一句です。
「国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。」
この句の伏線が、冒頭の第2節です。
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

参考までに、ワイツゼッカー演説と読み比べてみてください。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html

2015年8月14日金曜日

日本国体学会(河本學嗣郎理事長)

日本国体学会(河本學嗣郎理事長)
というのが有ることを始めて知りました。

憲法は法律ではなく国体を定める原則だと言う私の解釈は正解だったようです。
https://www.facebook.com/masuteru.sekiguchi/posts/854644941282387

僭越ですが、天皇の存在意義と国体の何たるかに関して日頃から思っていたとおりで安心しました。
因みにこと天皇に関する私の知識は週刊誌や月刊誌の域を超えるものではありませんが、その尊厳と価値の本質を見誤らずに済んだのは一つには山岡鉄舟の言行録を読んでいたからです。
西郷の懇請を受けて若く未熟な明治帝の侍従として仕えた鉄舟が実践したのは、将に河本氏が仰るとおり、『君民が道に一致して国体を護持する』ことであり、『天皇に帰一することを以て、国民の道、即ち臣民道を自覚し実践すること』でした。
また二つには大学時代の恩師が、年賀状で折に触れて『臣 泰彦』と書いてこられたことです。

『閉ざされた言語空間 (占領軍の検閲と戦後日本)』の決定的証拠発見

鈴木孝夫氏の卓見(1975)・・舶来物を尊しとする精神構造の淵源
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/04/1975.htm

江藤淳畢生の警告(1989)・・WGIPの存在と脅威の告発
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/08/blog-post_26.html

30項目の検閲指針と協力した売国奴たち
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/34846890.html

関野道夫氏の快挙(2015)・・WGIPの原典を発見
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/43844006.html

首相官邸に提言

首相官邸に提言し、確認メールが来ました。全てのメールに返信するとは限らないそうですから、一応まじめに読んでくれたのだろうと想像しています。

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

差出人 : 首相官邸HP発信専用 [mailto:hentou@cas.go.jp]
送信日時 : 2015年8月5日 8:33
宛先 : sekiguchi_masuteru@jcom.home.ne.jp
件名 : [首相官邸より]

ご意見等を受領し、拝見しました。
首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当


送信要旨

私は日頃から「匿名は悪人か卑怯者の隠れ蓑」だと公言しておりますので、まず最初に自己紹介をさせていただきます。
  昭和14年12月8日生れ
  高校(1955-58):群馬県立桐生高校
  大学(1960-64):東大文1~経済学部(大石泰彦ゼミ)
  職歴:富士通、富士通総研、東京情報大学
入社時の直属上司は、(故)山本卓眞富士通名誉会長(偕行社会長、靖国神社崇敬者総代、歴史教科書是正を求める会会長他歴任)
http://oureternalmoment.web.fc2.com/ryakureki/keiyu99.6.html
尊敬する人物:西郷隆盛と山岡鉄舟(廃藩置県、宮廷改革、明治天皇育ての親)
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/12/blog-post_25.html

以上で私の素性はお分かりいただけたと思いますので、以下に昨今の政情について、常識的一日本人としてのご報告をしたく存じます。

1、安保法制に関して野党及び民意と称する世論調査データを振りかざすマスメディアの反安倍プロパガンダが猖獗を極めつつありますが、サイレントマジョリティは半信半疑の状態ですから、ここで絶対にぶれないでいただきたいと存じます。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/07/blog-post_23.html

2、衆院通過後には最後の手段とばかりに大衆動員に訴え始め、国会正門前で女子学生(芝田万奈)に演説させたり、京大院生(西郷南海子)のママリーダーをジャンヌダルクもどきのヒロインに仕立てたり、60年安保騒動の再現を策しているようにも見えます。
岸元首相は退陣されましたが、後に続く方々がいました。総理に意中の方がいて禅譲の機を思案しておられるなら申し上げることは有りませんが、間違ってもこのような空騒ぎに動揺されること無く毅然とした姿勢を貫いてください。
一学生として60年安保の現場に居合わせた体験と実感を参考にしていただければ幸甚です。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7376.html

3、反安倍陣営は、次のターゲットとして18歳以下の中高生への刷り込み作戦を開始しています。この層は基本的に日教組の支配下にありますから、その洗脳から抜け出す暇もなく選挙に臨む人口が急増することになります。この層の争奪戦に負けたら明日はないと言う危機感が不足しているように思われます。

4.TPP交渉では業界・分野ごとの通商条件ばかりに焦点が当たっていますが、ネット上で日米共に一番問題になっているのはISD条項です。
例えば、外国企業がISD条項を盾に、日本政府、または自治体に対して、自社製品のシェアが不当に低いのは義務教育の指導要領に、これこれの記述があるからだと訴えた場合、対応する部局は一体何処になるのでしょう。相手が強力な訴訟部隊を装備しているのに寄り合い世帯で勝てるとは思えません。しかも、その裁判所の形態も裁判官の選任条件も不透明な状態では国家主権を多国籍企業に売り渡す陰謀だという批判に答えられません。この問題は省庁を超えた安保問題として取り組まれるべきかと存じます。

5、国公立大学の大学院や上場企業の取締役会の公用語を英語にせよと言う議論が取り上げられようとしているやに聞き及びますが、この問題は単なる企業統治や研究効率化の問題に止まらず日本文化及び日本人の思考能力を毀損しかねない大問題であると考えます。既に大企業や一流大学の研究室では日英両語を難なく使いこなしており、ことさら英語の公用語化を図る理由が解せません。日本語の危機は明治維新における仏語採用論、戦後の漢字制限に次いで3度目ですが、効率化に託けた愚民化政策の臭いすら感じます。漢字を廃止した韓国とヘブライ語を復活させたイスラエルの例を比較するまでもなく固有言語を堅持することの意義は明らかでしょう。本件も、省庁を超えた安保問題として取り組まれるべきかと存じます。

なお、引用したURLは是否とも参照されるよう希望いたします。