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2015年8月14日金曜日

『閉ざされた言語空間 (占領軍の検閲と戦後日本)』の決定的証拠発見

鈴木孝夫氏の卓見(1975)・・舶来物を尊しとする精神構造の淵源
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/04/1975.htm

江藤淳畢生の警告(1989)・・WGIPの存在と脅威の告発
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/08/blog-post_26.html

30項目の検閲指針と協力した売国奴たち
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/34846890.html

関野道夫氏の快挙(2015)・・WGIPの原典を発見
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/43844006.html

2 件のコメント:

  1. 関口様、貴重なコメントをいただきありがとうございました。
    なにかを考えるときに、そのコンテキストをなにから選らんでもよいのですが、わたくしは、西洋哲学をひとまず選びました。 そこに自分の考えを展開してみます。
    それは、日本での価値の大転換があった終戦が 小学生であったことによります。 あのときの解放感が、根底にあります。 ものごとへの絶対性に対する基本的な懐疑の世代でもありました。
    わたくしは、その国の民が生きていくためには、基本的にそのmission,concept, およびvisionが世界に向けて明示されていることが必要であるとおもいます。その意味で、思考土俵としてカレンシーのつよいものを選びます。
     関口さんのご指摘の部分は、missionの部分が戦勝側の「洗脳」によって、自律思考をうしなってしまったというところであろうかと、おもいます。 安倍首相の談話については、日本の良心を彼のことばで語った、それは説得力のあるものであったとわたくしは、評価します。しかし、そのあとにのこる重要ななにか、それはみずからの知性からうみだされたmissionの欠如であるかなあとおもいました。これをあらためて 問うことは時代的命題です。哲学の時代ともいえます。
    一方、conceptとvisionは 、国際社会の多元的な場で プラグマティックに、明示的に意志表示をしていくことが必要であるとおもいます。
    異論があるかもしれませんが、戦争にまけるということは、戦勝側の価値体系に属することであるとおもいます。
    そのなかで、みずからの民族の尊厳を見出していく地道な努力をしていくのが一番と考えています。
     勉強します。ありがとうございました。

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    1. ご丁寧なコメント有難うございます。5年前にこの日記を始めたときは、こんなに世相論ばかり書くつもりは無く、人生の最終章に相応しい自己観照に徹するつもりでした。
      しかし、閉ざされた言語空間の後遺症とそれに便乗した内外のプロパガンダが目に余るようになる一方、それらに対する対抗策ばかり強調する自称保守政治家や言論人の百家争鳴にもうんざりしていましたので、その先のことを指摘された貴殿のコメントには我が意を得たりの感がしております。
      しかし、日本の政治家個人に、世界観や大思想を語れというのは個々の政治家個人の資質に寄らず無理難題だろうと思っています。
      また、左右を問わず、殆どの日本人が敗戦という決定的事実がもたらす運命と桎梏を正しく理解していないというご指摘にもまったく同感です。
      そうしたありとあらゆる制約の中で、国家としての日本の精神的自立を目指そうとしたぎりぎりの意思表示が安倍談話だと思っています。
      あと十年、彼の後継者が日本の顔になってから、じっくり回顧録の執筆に取り掛かってくれることを期待しています。
      http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/05/blog-post_11.html

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