『人生の最終章 』 とは、東大大石泰彦ゼミの畏友、片山直輝君の見舞状にあった言葉で、私は大いに気に入っている。
ところで、お互い『人生の最終章 』 を迎えると何らかの感慨が湧いてくるものだ。
私の場合は、思うこと>やりたいこと>やれること となるが、体調が良い時には、取敢あえずやれる事に挑戦してみる今日この頃である。
というわけで、先日、近くのスーパーの中に開店した古書店に行ってみた。小さな個人経営の店だが若い店主の好みか年寄りの客層の好みか知らないが、わりに年寄りの私の関心を引くものが多く、思わず手持ちの現金や持ち帰る体力をオーバーしてしまい、名前と住所を告げて預かってもらう羽目になった。
見つけた本: 舛添要一:『母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々』
見つからなかった本: 手塚治虫:『メトロポリス』
見つけた本: 舛添要一:『母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々』
返信削除彼とは彼が東大助教授で、片山さつきと離婚してまだ一人暮らしをしていた頃、ある気楽な研究会で1年ほど付き合ったことがある。当時から東大の頑迷な古い体質を舌鋒鋭く批判していたが、その後20年近くある財団の無給評議員として何度か同席していたので、彼が上記の体験記を発表したときは本当に驚いた。前から一読しなければと思っていたが、まさか自分自身が当事者として読まされることになろうとは・・・
見つからなかった本: 手塚治:『メトロポリス』
返信削除私のもう一つのブログ 『50年前の今日』 に、
美智子妃ご分娩。親王誕生。
昭和三十五年二月二十三日
黄金の1960年の幕は切って落とされた。
(注: 何をもって『黄金の』と言ったのか思い出せない。たぶん、東大合格の縁起を担いだのだろう。)
と書いたが、そのくらい当時の熱気は凄まじく、それに比例して旧勢力の反対運動も執拗を極めた。
しかし、私の言いたいのはその影で、手塚作品が闇に葬られたのではないかと言うことだ。
それが初期の傑作 『メトロポリス』 だ。
なぜそう思うかと言うと、あの凄まじい、しかし軽薄な “ミッチーブーム” の中で、推進勢力としては、『メトロポリス』 の主人公・・・美少女でもあり美少年でもありながら、高層ビルを一撃で破壊する性別不明のロボットの名が、今をときめく皇太子妃の愛称と同じ 『 ミッチー 』 だというのは、格好の攻撃材料にされかねないと思ったに違いない、と思うからだ。
はたして何らかの圧力があったのか。それとも手塚自身、あの作品を失敗作だと思っていたのか・・・ショパン自身があの 『幻想即興曲』 を抹殺したかった(とか言われている)ように。