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2010年2月4日木曜日

臨死体験の実態・・・究極の自己満足

臨死体験・・・2008.11.19からの数日間

ICUにて植物状態だった数日間、ピクリとも動かない私を前にして蘇生させようと妻や娘が必死に手足を動かしている間、私自身は決して意識がなかったわけではない。

だだし、全身の感覚が失われていたので妻や娘が必死に看病してくれていたことも、さらには妻や娘がそこにいたことすら認識していなかった。それにも拘わらず意識があったと言うのはどういうことかと言うと、要するに外部からのインプットが遮断された状態のまま、過去の記憶を好きなように編集して再生していたと考えればよい。
そこでは、壮大な建国神話の物語や自らの英雄的業績、さらには葬儀や火葬の模様まで一種異様な現実感をともなって進行する。しかし火葬に付される自分が少しも熱さを感じないといった極めて都合のよい究極の自己満足を味わえる世界であり、その意味では夢を見ているのと変わらない。それにしても、満開の桜並木や桜模様がフラクタル状に渦巻く山並そして同じく桜模様で埋め尽くされた高楼と言う具合にエンディングテーマが常に桜だったのには我ながら呆れるばかりだ。

しかし、ときどき部分的に外部からのインプットもあったらしく、後日、主治医と話しているうちにそれを指摘された。彼の言によればこのような短期記憶が残っていると言うのは、たとえそれがどのように変形していようと驚くべきケースだと言う。

それはどんな場面かと言うと、どういうわけか自分が広い病室のベッドに移され(どこから移されたかは定かでない)カーテンを隔てた右側には地位のあるらしい男性患者、左側には男女ははっきりしないが極めて重篤な患者が居て、それぞれ見舞い客や家族らしい人たちの声が聞こえてくる。「地位のあるらしい」と書いたのは誰かに何か指図している声が偉そうだったからだ。また「極めて重篤」と書いたのは家族らしい人たちの泣き叫ぶ声が聞こえたからだ。

この話を聞いて妻と娘がびっくりし、そのころピクリともしなかった私が時々眼をカッと見開いて左を向き隣から聞こえてくる悲鳴に似た声を聞いているような反応を示したと言うのである。

2人は毎日ICUの制限時間いっぱい私のそばに居たそうだが、隣りの患者の家族といつも待合室で一緒になるのでお互いに親近感を抱いていたと言う。ところが翌日その人たちの姿が見えないのでどうしたのだろうと病室に入ると左隣りのベッドが無くなっていた。一瞬にして事態を察知し、ハッとして私の安否を確かめたというのである。

話を元に戻すが、要するに世に言う臨死体験なるものは、いずれも自己満足の空想に過ぎないと言うことである。断っておくが私はいわゆる臨死体験なるものを無意味だと言っているわけではない。それが個人の人生観に良くも悪くも大きなインパクトを与えることに異論はない。
多くの場合、それは人の心をして残りの人生を有意義に過ごしたいという方向に動かすと言う意味では有意義な体験だと言えよう。

しかし、では有意義な人生とは何か・・・それを教えてくれるわけではない。

人は死ぬとどうなるか(究極の難題)

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