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2010年2月3日水曜日

「満足せる豚よりも痩せたソクラテスになれ・・・」

「満足セル豚よりも痩せたソクラテスになれ・・・」これは我々の卒業式で大河内総長が述べたらしいが我々の中で誰一人聞いたものがいないという例の話の真相(私見)である。
4ヶ月の入院中毎日24時間ベッドの上であれこれ考えているうちに突然、あることに気がついた。
法文経大教室で聴いた大河内教授の最終講義の冒頭に先生は例の人を食った調子でこう言って我々を笑わせた。
「学者と言うものは因果なもので、いったんこうだと言ってしまったことは、後でこれはまずかったなと思っても変えるわけにいかない・・・」あの大河内先生にして自らの学説に瑕疵を認めていたのか・・・と言う感慨はさておき、重要なことは、いったん公にした以上いかなる理由があろうとも食言はしないと言う見事な姿勢である。
あの告示の原稿を書いたとき先生は予てからの持論として、至極当然のことを述べたつもりだったに違いない。しかし、それを新聞社に渡した後もう一度読み返すうちに或ることに考え及んで 「しまった」 と思ったのではないか。
「満足セル豚よりも痩せたソクラテスの方が優れていると言うのは独断に過ぎない。これを全卒業生に向かって言うことはできない。しかし、いったん新聞社に渡してしまった原稿を変えるわけにはいかない。」
これが自らの姿勢を貫くと同時に心ある若者の志にはなむけの言葉を送る唯一の方法だった。

「満足セル豚よりも痩せたソクラテスの方が優れていると言うのは独断に過ぎない。」
大河内先生はそう考えたに違いない。私がそれを確信したのは、私自身生死の竿頭に立って人生観の転換を経験したからだ。

1 件のコメント:

  1. 今にして思えば、やはりあの時、断固として
    「満足セル豚よりも痩せたソクラテスになれ・・・」
    と訓示して然るべきだったと思います。

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