先日、小学校4~6年生のとき同じクラスで1,2を争う美少女だった沼尻(旧姓松本)芳枝さんのご主人から電話があり、奥様の芳枝さん(我々小中学校時代の悪童たちは皆ヨシエちゃんと呼んでいた)が、名古屋のコンサート会場でご子息(沼尻竜典氏)の指揮するオーケストラの演奏中に倒れ、そのまま帰らぬ人となった と伺った。まだ電話に出られない私は、妻からのまた聞きで想像するしかないが、どうも心臓発作だったらしい。WEBの挿話その2…で紹介した阿部君が一緒だったと言うからいずれ詳しいことは彼から聞けるだろう。しかし、私のような憎まれものが助かり、彼女のような人気者が亡くなるというのは、佳人薄命というか何とも理不尽な運命のいたずらである。
小林博士夫人の言われたように、まさに 「・・でも人生ってそうiいうものですよね・・・」心からご冥福をお祈りします。
芳枝さんには、中学卒業以来、25年くらい会ったことが無かったが、40歳を過ぎた頃、同級の悪友が渋谷(後赤坂に移転)で経営するカラオケバー(のんのん)で年1回の同窓会が開かれるようになってから、その席で会う機会があった。しかし、1995年に千葉の大学に移ってからは、東京を素通りすることが多く、同窓会も欠席続きで一度も出席していない。
大学もあと1年だからそろそろまた同窓会に顔を出してみようかなと思い始めた矢先の一昨年11月に突然倒れることになった顛末はすでに述べた。
4ヵ月後の去年3月に退院したものの、過去の記憶があやふやのため、とりあえず名簿と言う名簿を引っくり返して関係のありそうな方々宛に詫び状兼年賀状を出したところ、思いがけない方々から連絡をいただいた。沼尻さんもその一人である。
沼尻芳枝さんのご主人にお会いしたことは無いが、ご子息の英姿と活躍ぶりは妻や娘のほうが遥かに詳しい。まことに羨ましい限りだ。
お互いの家は100メートルも離れていなかったが、群馬県は男女別学なので高校時代の彼女の様子は知らない。しかし、その美少女ぶりは想像できた。
というのは、私たちが高校3年のとき彼女の弟さん(たしか真一郎君といったような気がする)が一年生だったが、これがまたとびきりの美少年で、文化祭の仮装行列に "Moorish maiden of sweet seventeen" のコスチュームで登場し、ヤンヤの喝采を浴びたほどだからである。観衆のなかにお姉さんがいたかどうかはいまだに知らない。
因みに私たちの仮装行列のテーマは、当時話題になっていたマナスル登山隊で、私自身は登山隊の単なる一員、彼の役回りは登山隊がカラコルム・ヒンズークシュあたりで出会ったイスラム美少女ということだった。審査結果は風刺が全然無いということで不評も良いところだったが、"Moorish maiden of sweet seventeen" だけは、理屈ぬきに好評だった。
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