適材適所の人材登用による伝統の継承システム
日本は古来家の継承を重視してきましたが、それは直系卑属である必要はありませんでした。一族の中で適材を選んで後継者にしてきたのです。皇室や徳川将軍家がその好例です。一族の中に適任者がいない場合は、弟子や従業員の中で最も有能な人物を後継者とすることで家業を守ってきたのです。大名ですら九州の小藩から上杉家の養子に入った上杉鷹山のような例があります。
日本は古代から平等社会でしたから、身分の違いはすべて分業での専門性の違いでしかなく、階級という仕切りよりも適材適所の人材登用が重視されました。
代々続く宗家や家元、老舗の後継者が適材適所で選ばれたからこそ各種の伝統が温存されてきたのです。明治5年から2年間にわたって決行された政府首脳による欧米視察の報告書「欧米回覧実記」では彼我の差は40年と喝破していましたが、実際に33年後に日露戦争に勝利してその読みの鋭さを証明しました。読みの鋭さもさることながら、それを実現してのける国民性は驚嘆に値するというのがこの教授の言わんとするところでしょう。
日本は1000年以上前から、世界の覇権国と張り合ってきたのです。
返信削除①白村江での唐との戦い、
②玄海灘での元との戦い
③秀吉のスペインとの戦い
④明治時代のロシアとの戦い
④昭和時代の英米との戦い
この間、常に世界情勢を掌握し続けてきたのです。
令和の日本は超大国の意図を見抜いているでしょうか