ページ

ページビューの合計

2015年1月19日月曜日

人は死んだらどうなるか(究極の難題)・・その3

第1段階分類
①肉体の消滅とともに、個体単位での痕跡は全て消滅する。
②肉体の消滅後も、何らかの形で個体単位で存在し続ける。

後者②だと仮定し、これを更に2通りの場合に分類して考察する。
第2段階分類
②-1:生前の記憶を保持した意識主体(=霊魂)として存続する。
②-2:生前の記憶と意識機能は肉体の消滅と共に消滅するが、何らかの未知の要素が存続する。

②-1だとすれば:
●肉体が存在しないのだから生老病死も無いと考えざるを得ない。
●そうだとすると死んだ瞬間の意識、あるいは認識能力が存続すると考えざるを得ないが、それが、その個体の生前における最良の状態、あるいは水準であるとは限らない。多くの場合、「麒麟も老いては駑馬に劣る」の格言通り、老耄した劣悪な状態の意識能力が存続することになるだろう。
その意味では、最善の死に方は、人生において最も知力・体力が充実した二十歳前後に崇高な使命感を持って燃え尽きることだと言うことになる。特攻隊員や自爆テロリストは大いに称揚されて然るべきで、悼む理由は何もない。
●一般に、死後の世界に期待をかける人々の想像する魂の概念は極めて恣意的で、その個体の生涯における最良の水準を当然視しているように思われるが、魂の存続がそれを保証してくれる根拠は何一つ示されていない。
●転生の概念は、この不都合に対する修正として案出されたものと想像される。つまり、人生のやり直しである。旧バージョンを何処かにストアして置くことで自己の存続を保証する一方、新バージョンを胎児のレベルから再開することで、意識能力の生涯変動と個体の永続性の両立という難題をクリアした・・と言うよりスルーしたわけである。
スルーしたと言う意味は意識の存続という②-1の命題を自己の存続という②-2の命題にすり替えてしまっているということである。
●さらに、五感の存在しない意識とはどんなものか具体的に説明されたこともない。少なくともヘレン・ケラーすら想像の付かない世界で、多くの人々が期待するような悦楽に満ちた天国だとは思えない。

以上を総括すると、②-1(魂の存続)の主張には、曖昧な点があまりにも多く、一貫性が無さ過ぎると言わざるを得ない。単なる願望の細切れを寄せ集めただけで、仮説としてもその体をなしていない。
②-1には、「仮説としての霊魂」の再定義を待つこととして、②-2に考察の重点を移すことにしたい。

②-2だとすれば:
人は死んだらどうなるか(究極の難題)・・その4 へ続く

0 件のコメント:

コメントを投稿