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2013年12月25日水曜日

安保闘争論に対する違和感・・戦後民主主義なるものの正体!

今日の日経夕刊文化欄に、今年の収穫と題していくつかの催しが取り上げられている。 その一つに関する記事のなかに"70年安保闘争の挫折感"という文言があった。 私は、この"安保闘争の挫折"という言葉に当時の実態を知らない物書きや観念的革命論者の自己陶酔の臭いを感じて不快になった。

 私が体験したのは60年安保闘争だったが、実態は極く小数のコミンテルン工作員とそのシンパによる空想的革命運動だったに過ぎない。それが数10万の学生を動員できたのは、単に彼らの企画したデモというイベント以外に高揚感を味わう機会がなかったからで、決して彼らの説く反体制主義に共鳴したからではない。 今日で言えば、興行主に踊らされて野外コンサートに動員される数10万のミーハー的聴衆と何ら変わりがない。

私自身3,4回デモに参加したことがあるが、政治思想とは無縁に近いお祭り騒ぎだった。クラスメートの一人が国会前で逮捕され、数日間拘留されたときなどは、安保に対する賛否とは無関係に仲良く代々木駅前で差し入れのための募金活動をやったものだ。ときには学生服の私たちを見て真顔で激励してくれる女性がいたりして気が咎めて仕方なかった。 

後で、出所してきた本人の話では、寮の部屋の名前が社会主義的だというだけの理由で、急進的革命主義者に分類されていたらしいが、実際の本人は全くのノンポリで寮の部屋の名前など気にしたことはなかったと言うのだから恐れ入る。しかも、警官や他の入所者(軽犯罪者?)からは、一目置かれて特別待遇だったと言うに至っては、岸を倒せ!などと無責任なシュプレッヒコールで声を張り上げていたのが申し訳ないというものだ。

樺美智子の死などは、悲劇に祭り上げられているが、当時のクラスで同情論など聞いたこともなかった。そもそも女の子がわざわざそんな危ないところに出ていくほうが非常識だというのが、世間一般の反応だった。 
エヴェレスト征服(国会占拠)を目指すなら、それなりの準備と覚悟が必要だということくらい、三浦雄一郎でなくても分かる。 他の参加者も似たりよったりで、駒場のクラスの雰囲気も合ハイに出かけるときとさして変わらなかった。

それが、新聞記事やTVニュースになると、いかにも国家の一大事、あるいは、若者の英雄的壮挙であるかのごとくに報道され、さらに、時が経つにつれ、諸々の書籍や論文で、歴史の転機だとか、挫折だとか大げさな表現が定着してしまう。 まさに "見てきたような嘘を言い" である。

以上は60年安保闘争の話であるが、70年安保は、60年安保の縮小版で、革命主義者が暴走し、一般学生が離反して運動の正体が鮮明になっただけのことだ。
それは、全共闘、連合赤軍、浅間山荘、日航機ハイジャックと北朝鮮への亡命といった一連の経過を見れば議論の余地がない。

いずれにしても、一部の確信犯達の活動を恰も国民の総意であるかのごとく喧伝し、反政府の世論作りに狂奔するマスコミや知識人と称する人々が、いかにも大事件であるかのごとく有ること無いこと言い続けるのは、要するに彼らがこれら革命主義者の一味であるか、それを種に高給を貪っている共犯者のどちらかだからに違いない。

4 件のコメント:

  1. 皆さんの中で、今日の我が国の政財官界、およびメディア・教育界が殆ど彼らやそのシンパによって牛耳られていること、それによって大部分の国民が洗脳されてしまっていることに気づいている方が何人おられるでしょうか?

    新聞やテレビは公平を装っていますが、偏向情報を流すことによってではなく、正論を流さないことによって、徐々に国民を彼らの意図する方向 「閉ざされた言語空間」 に誘導し続けているのです。

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  2. 野外コンサート・・云々は、誇張ではありません。
    デモ参加者の大半はインタナショナルの意味など知らず、ただその格調の高い歌詞とメロディに酔っていたのです。
    私自身、当時の新聞でハガチー報道官がデモ隊に囲まれヘリで脱出したときのインタビュー記事で、『群集がインタナショナルを歌っていたから共産主義者に違いない・・』と語っているのを読んでも何のことやらさっぱり分かりませんでした。

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    1. インタナショナル
      https://youtu.be/KFlGfHCCZdQ

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  3. それにしても、あれだけの大群衆がデモに参加した背景には何らかの共通の動機があったと考えるのが自然です。それは、反政府でも反体制でもなく、無意識のナショナリズムだったと思います。

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