急性A型大動脈解離発症から今月で3年半、周囲の医療関係者から奇跡的と言われる生還を果たしたのを機に、WEB自分史を書き始めてからも既に2年半の歳月が経過した。
この間、何一つ新しいことを成し遂げたわけではないが、これまで長い間、無意味だと思い続けてきたさまざまな体験に思いがけない大きな意味が有ったことに気付かされた。
後遺症の不快感は、決して生易しいものではなく、常に生還の損得勘定に付きまとわれるのを如何ともし難い。 しかし、きっとまた思いがけない縁のつながりが現れてくるに違いないと思い、それを生き甲斐にして、辛うじて生きて行く気力を支えている毎日である。
しかし、いくら考えても埒が開かないこともある。 下手な考え休むに似たり。 こういうときは、多少、無理をしてでも、散歩に出かけてしまうことにしたのが、一昨年11月だった。
今日も、少々無謀だと思ったが、今、桜を撮らなければ間に合わないかも知れないという理屈で強引に出かけてきた。
桜名所など望むべくもないので、とにかく、なるべく近くで桜のありそうな公園を回ってきた。
行き当たりバッタリの花見としては、まずまずの収穫だと自賛している。
2012年4月9日月曜日
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