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2011年5月19日木曜日

帰去来の辞(その4)・・・足尾線

5月19日の日経 「夕刊文化」欄で、"映画に見る思い出の鉄道 2" と題して、評論家の川本三郎氏が東日本の旧ローカル線を舞台にした懐かしい映画の数々を紹介している。
その最後に、森繁が蒸気機関車の機関手を演じた 「喜劇 各駅停車」 が写真入で大きく採り上げられていたが、その舞台が "旧足尾線" (現:わたらせ渓谷鉄道だったことを知り、無性に懐かしさがこみ上げてきた。

"足尾線" は、当時、我々の間では "のろま" の代名詞になっており、中学・高校時代、受験勉強から逃れて何度も自転車で競走したものだ。

その途中、古路瀬(ころせ)渓谷の夕日に映える紅葉の絶景に息を呑んだことを昨日のことのように思い出す。



この2年半、闘病生活を続けて来られたのも、一つにはもう一度あの絶景を目の当たりにしたいとの思いからだったといっても過言ではない。

2011年5月15日日曜日

facebook の使用動機について

人さまざまだと言えばそれまでだが、敢えて分類すれば以下の3通りになるだろう。

① 知人拡大(商売目的)・・・・・・拡販・宣伝。 売名・ファン作り含む。
② 知人拡大(社交目的)・・・・・・稼ぐ必要のない人。 各種ボランティア。
③ 心友探索(共感目的)・・・・・・いつか、どこかで、だれかが・・・

① ⇒ ②⇒ ③ の順に非現実的かつ浮世離れしていく。 2001年に前立腺癌で全摘手術をやったときの心境は、① ② ③ が混じり合ったものだったが、今回、急性A型大動脈解離で死線をさまよい、余命も限られ、さらに後遺症で長患いを余儀なくされるに及んで、①と②はどうでもよくなった。

要するに、いま私が facebook を始めた理由は③である。 したがって、以前からの知人を見つけたときは、お世話になった方とは "友達" にさせていただいているが、それ以外の人々、とくに面識のない "友達の友達" に関しては、基本データの "人生観・哲学" や "趣味・関心" が一致しない人とは、お付き合いしないことにしている。 ましてや基本データが白紙の人などは論外である。 私が基本データに洗い浚い書き込んでいる所以である。

① ② のように娑婆っ気の有る目的なら数が多いほど良いに違いないが、③ だけが目的となると反って煩わしいだけである。 しかし、こんな目的の人間だけではそもそも facebook そのものが成り立たないだろう。 水清ければ魚住まず・・・facebook 事業運営者としては困るだろうが。

2011年5月12日木曜日

時空超えた縁

5月11日の日経夕刊コラム 「こころの玉手箱」 で、彫刻家の薮内佐斗司氏が、"米国人との時空超えた縁" と題して、ネットで検索して由緒が判明した腕時計のことを書いておられる。
何でも集める収集癖の有る氏が、特に長く続けているのが腕時計だそうだが、そのうちの一個が1955年に ニューヨークアスレチッククラブ が主催したヨットレースの優勝記念品だったということを、ネット検索で知った・・・というお話である。

詳しいことは、例によって新聞紙上で直接読んでいただくことにするが、このような "時空を超えた縁" こそ、私が、このブログを含む私自身のホームページ 「一期一会・・・Our Eternal Moment」 を書き残そうと思ったそもそもの動機だった。

"時空を超えた縁" とまでは行かないが、私自身、最近、似たような経験をした。 YouTube での "米国民謡 When you and I were young のバンジョーでの弾き語り" を通じた米国老人 Wishuey 氏との縁である。

・・・いつかどこかで、誰かが、見つけてくれるだろう・・・

それはまた、私が1997年にゼミのホームページを作るとき学生たちに提案した "情報貝塚" 構想の基本概念でもあった。

2011年5月10日火曜日

妻に詫びる・・・ずっと大切にしてきたに違いない。

例によって、ベッドでうつら々々々している内に、夢を見た。 妻と何か話をしているところだが、覚えているのは次のような会話の断片だけである。

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・・・京都で・・・
・・・京都がどうした。 誰か友達でもいるのか・・・
・・・嵐山・・・

途端に目が覚めた。 しかし、何のことやらさっぱり分からない。 一体何のことだろう・・・と思いかけた瞬間、はっと気が付いた。 昭和48年5月7日(1973.5.7)、新婚旅行で京都へ行ったとき小雨降る嵐山を見たことに。 今まで結婚記念日とか誕生日とか、〇〇の日とかには一切無関心で、妻や娘からいわゆるプレゼトなるものを出されても、一度としてそう言われるまで何のことかわからない反戦後派だったから、この38年間、妻はずっと張り合いのない、と言うより寂しい想いをして来たに違いない。

38年もの間、この思い出をずっと大切にして来たのか・・・
あとは、理由もなく涙が出てきて止まらなくなった。