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2018年3月20日火曜日

私の考える 『日本的価値観』

あらゆる社会制度は人格によって支えられているのです。
英国貴族のノブレスオブリージュ、
アダムスミスの富国論が前提とする道徳感情論、
資本主義を支えてきたピューリタニズムの精神、
いわゆる民主主義や共産主義を正当化している平等論、
等々です。
支那の政治哲学もその根底には、修身をおいていました。 (『大学』 :修身・斉家・治国・平天下)
http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/05/blog-post_17.html
現代の民主主義や共産主義が偽善的イデオロギーに堕しているのは、道徳やそれを体現する人格を軽視あるいは無視し、無機的な制度とルールだけで代替すべきだと言う悪平等論が跋扈しているからでしょう。
要するに、終身・斉家・治国・を素っ飛ばしていきなり平天下を論ずる空想的あるいは偽善的言論人が跋扈しているのです。 いずれも、西郷や乃木に代表される日本的価値観とは相容れません。 私の考える日本的価値観とは、仕事でも趣味でも、さらには人生そのものをも、『道』として人格陶冶の手段にしてしまう 『修養主義』 です。

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