天皇の存在価値は、人格でも能力でもなく神話と家系によって統治権の正当性が維持されていることです。
中国や欧米のように権力者の交代によって目まぐるしく国家が誕生する世界では、新たな統治者は、絶えず統治権の正当性を問われるため、歴史の書き換えやプロパガンダに忙しく、人民の福利など本気で考えて居られません。
それは、米国のように選挙で擬制王権たる大統領を選出する"形式的" 民主主義国家も例外ではありません。米国の唱える民主主義が、時に選民主義者のプロパガンダに過ぎないと評される所以です。
蒋介石が南京や重慶の人民を見捨てても、故宮から持ち出した数万点に及ぶ宝物(玉や書画)だけは、1点も捨てずに台湾まで持ち込んだ理由は何だったでしょうか。
青年時代、日本留学中に伊勢神宮を訪れた彼は、千数百年に及ぶ天皇の統治権が三種の神器によって支えられている事を知って愕然としたそうです。
恐らく、中華民国の正当性を主張するためには、"中国版三種の神器" が不可欠だと考えていたに違いありません。
天皇の統治権を支えるものが三種の神器だけだというわけではありませんが、それに象徴される伝統の継続性にあることは確かでしょう。
英国、スエーデン、デンマーク etc. が、連邦制国家や共和制国家よりも安定で、実質的に民主主義的な所以です。
ただし、エリートが選民意識で舞い上がり、国民一般を見下して独走しないようにするためには、徹底したノブレス・オブリージュの存在が不可欠です。嘗ての米英にはそれがありましたが、李氏朝鮮にはそれが全く有りませんでした。我が国は少なくとも明治天皇以来、今上天皇に到るまでそれが貫徹しています。
その功績の一端は西郷隆盛や山岡鉄舟による宮廷改革と明治天皇の人格教育でしょう。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/12/blog-post_25.html
2015年12月31日木曜日
2015年12月23日水曜日
日経「風見鶏」欄署名記事 ’’米中の「密約」と日本’’
12月20日の日経「風見鶏」欄が掲題で 『China 2049』 著者マイケル・ピルズベリー氏とのインタビュー記事を載せている。
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDE11H09_R11C15A2PE8000/
既に日経ビジネス石黒千賀子編集委員によるインタビューの詳細が日経ビジネスオンラインで報道されているが、今回は日経本誌秋田浩之編集委員が 本書を公開した動機と米国の政策との関係にまで踏み込んで問い質している。
秋田氏は、数年前から親中派の第一人者だったピルズベリー氏にインタビューを申し入れてきたが、一貫して拒否されてきたと言う。
日経BP社による 『China 2049』 の訳書出版に始まる一連の日経報道は、従来の偏向メディアとは一線を画すものがあり、一経済紙の範疇を超えたクオリティペーパーへの脱皮を予感させるものがある。
https://www.facebook.com/masuteru.sekiguchi/posts/929138117166402?pnref=story
2015年12月21日月曜日
童子教(どうじきょう)・・日本人の常識
http://www.j-texts.com/kinsei/doji2.html
(『実語教 童子教』文化十一年・江戸鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(原本は、本文の右に読みがなを振ってある。今、白文・書き下し文・仮名書きの3種を示す)
(白文)
夫貴人前居 顕露不得立
遇道路跪過 有召事敬承
両手当胸向 慎不顧左右
不問者不答 有仰者謹聞
三宝尽三礼 神明致再拝
人間成一礼 師君可頂戴
過墓時則慎 過社時則下
向堂塔之前 不可行不浄
向聖教之上 不可致無礼
人倫有礼者 朝廷必在法
人而無礼者 衆中又有過
交衆不雑言 事畢者速避
触事不違朋 言語不得離
語多者品少 老狗如吠友
懈怠者食急 痩猿如貪菓
勇者必有危 夏虫如入火
鈍者亦無過 春鳥如遊林
人耳者附壁 密而勿讒言
人眼者懸天 隠而勿犯用
車以三寸轄 遊行千里路
人以三寸舌 破損五尺身
口是禍之門 舌是禍之根
使口如鼻者 終身敢無事
過言一出者 駟追不返舌
白圭珠可磨 悪言玉難磨
禍福者無門 唯人在所招
天作災可避 自作災難逃
夫積善之家 必有余慶矣
亦好悪之処 必有余殃矣
人而有陰徳 必有陽報矣
人而有陰行 必有照名矣
信力堅固門 災禍雲無起
念力強盛家 福祐月増光
心不同如面 譬如水随器
不挽他人弓 不騎他人馬
前車之見覆 後車之為誡
前事之不忘 後事之為師
善立而名流 寵極而禍多
人者死留名 虎者死留皮
治国土賢王 勿侮鰥寡矣
君子不誉人 則民作怨矣
入境而問禁 入国而問国
入郷而随郷 入俗而随俗
入門先問諱 為敬主人也
君所無私諱 無二尊号也
愚者無遠慮 必可有近憂
如用管窺天 似用針指地
神明罰愚人 非殺為令懲
師匠打弟子 非悪為令能
生而無貴者 習修成智徳
貴者必不冨 冨者未必貴
雖冨心多欲 是名為貧人
雖貧心欲足 是名為冨人
師不訓弟子 是名為破戒
師呵責弟子 是名為持戒
畜悪弟子者 師弟堕地獄
養善弟子者 師弟到仏果
不順教弟子 早可返父母
不和者擬冤 成怨敵加害
順悪人不避 緤犬如廻柱
馴善人不離 大船如浮海
随順善友者 如麻中蓬直
親近悪友者 如藪中荊曲
離祖付疎師 習戒定恵業
根性雖愚鈍 好自致学位
一日学一字 三百六十字
一字当千金 一点助他生
一日師不疎 况数年師乎
師者三世契 祖者一世眤
弟子去七尺 師影不可踏
観音為師孝 宝冠戴弥陀
勢至為親孝 頭戴父母骨
宝瓶納白骨 朝早起洗手
摂意誦経巻 夕遅寝洒足
静性案義理 習読不入意
如酔寝●語 読千巻不復 (●は、ゴンベン+「閻」)
無財如臨町 薄衣之冬夜
忍寒通夜誦 乏食之夏日
除飢終日習 酔酒心狂乱
過食倦学文 温身増睡眠
安身起懈怠 匡衡為夜学
鑿壁招月光 孫敬為学文
閉戸不通人 蘇秦為学文
錐刺股不眠 俊敬為学文
縄懸頸不眠 車胤好夜学
聚蛍為燈矣 宣士好夜学
積雪為燈矣 休穆入意文
不知冠之落 高鳳入意文
不知麦之流 劉完乍織衣
誦口書不息 倪寛乍耕作
腰帯文不捨 此等人者皆
昼夜好学文 文操満国家
遂致碩学位 縦磨●振筒 (●は、タケカンムリ+「塞」)
口恒誦経論 亦削弓矧矢
腰常挿文書 張儀誦新古
枯木結菓矣 亀耄誦史記
古骨得膏矣 伯英九歳初
早至博士位 宋吏(ママ)七十初
好学登師伝 智者雖下劣
登高台之閣 愚者雖高位
堕奈利之底 智者作罪者
大不堕地獄 愚者作罪者
小必堕地獄 愚者常懐憂
譬如獄中囚 智者常歓楽
猶如光音天 父恩者高山
須弥山尚下 母徳者深海
滄溟海還浅 白骨者父淫
赤肉者母淫 赤白二諦和
成五体身分 処胎内十月
身心恒苦労 生胎外数年
蒙父母養育 昼者居父膝
蒙摩頭多年 夜者臥母懐
費乳味数斛 朝交于山野
殺蹄養妻子 暮臨于江海
漁鱗資身命 為資旦暮命
日夜造悪業 為嗜朝夕味
多劫堕地獄 戴恩不知恩
如樹鳥枯枝 蒙徳不思徳
如野鹿損草 酉夢打其父
天雷裂其身 班婦罵其母
霊蛇吸其命 郭巨為養母
掘穴得金釜 姜詩去自婦
汲水得庭泉 孟宗哭竹中
深雪中抜筍 王祥歎叩氷
堅凍上踊魚 舜子養盲父
涕泣開両眼 刑渠養老母
噛食成齢若 董永売一身
備孝養御器 楊威念独母
虎前啼免害 顔烏墓負土
烏鳥来運埋 許牧自作墓
松柏植作墓 此等人者皆
父母致孝養 仏神垂憐愍
所望悉成就 生死命無常
早可欣涅槃 煩悩身不浄
速可求菩提 厭可厭娑婆
会者定離苦 恐可恐六道
生者必滅悲 寿命如蜉蝣
朝生夕死矣 身体如芭蕉
随風易壊矣 綾羅錦繍者
全非冥途貯 黄金珠玉者
只一世財宝 栄花栄耀者
更非仏道資 官位寵職者
唯現世名聞 致亀鶴之契
露命不消程 重鴛鴦之衾
身体不壊間 ●利摩尼殿 (●は、リッシンベン+「刀」)
歎遷化無常 大梵高台閣
悲火血刀苦 須達之十徳
無留於無常 阿育之七宝
無買於寿命 月支還月威
被縛●王使 龍帝投龍力 (●は、「王」+「炎」)
被打獄卒杖 人尤可行施
布施菩提粮 人最不惜財
財宝菩提障 若人貧窮身
可布施無財 見他布施時
可生随喜心 悲心施一人
功徳如大海 為己施諸人
得報如芥子 聚砂為塔人
早研黄金膚 折花供仏輩
速結蓮台政 一句信受力
超転輪王位 半偈聞法徳
勝三千界宝 上須求仏道
中可報四恩 下編(ママ)及六道
共可成仏道 為誘引幼童
註因果道理 出内典外典
見者勿誹謗 聞者不生笑
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
童子教
(『実語教 童子教』文化十一年、鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(書き下し文)
夫(そ)れ貴人の前に居ては 顕露に立つことを得ざれ
道路に遇(あ)ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ 召す事有らば敬つて承れ
両手を胸に当てて向へ 慎みて左右を顧みざれ
問はずんば答へず 仰せ有らば謹しんで聞け
三宝には三礼を尽し 神明には再拝を致せ
人間には一礼を成せ 師君には頂戴すべし
墓を過ぐる時は則ち慎め 社を過ぐる時は則ち下(を)りよ
堂塔の前に向かつて 不浄を行ふべからず
聖教(しやうきやう)の上に向かつて 無礼を致すべからず
人倫礼有れば 朝廷に必ず法在り
人として礼無きは 衆中(しゆちう)又過(あやま)ち有り
衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ 事畢(おは)らば速(すみやか)に避(さ)けよ
事に触れて朋(とも)に違(たが)へず 言語(げんぎよ)離すことを得ざれ
語(ことば)多き者は品少なし 老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆる如し
懈怠(けだい)は食を急ぐ 痩せたる猿の菓(このみ)を貪(むさぼ)る如し
勇む者は必ず危(あやう)き有り 夏の虫の火に入(い)るが如し
鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し 春の鳥の林に遊ぶが如し
人の耳は壁に付く 密(かく)して讒言(ざんげん)すること勿(なか)れ
人の眼(め)は天に懸(かゝ)る 隠して犯し用ゆること勿れ
車は三寸の轄(くさび)を以て 千里の路(みち)を遊行(ゆぎやう)す
人は三寸の舌を以つて 五尺の身を破損す
口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん) 舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
口をして鼻の如くならしめば 身終るまで敢へて事無し
過言(くわごん)を一たび出(い)だす者は 駟追(しつい)の舌を返さざれ
白圭の珠(たま)は磨くべし 悪言(あくげん)の玉は磨き難し
禍福は門に無し 唯(ただ)人の招く所に在り
天の作(つく)る災は避(さ)くべし 自(みづか)ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し
夫(そ)れ積善(せきぜん)の家には 必ず余慶有り
又好悪の処(ところ)には 必ず余殃(よわう)有り
人として陰徳有れば 必ず陽報有り
人として陰行(いんこう)有れば 必ず照名有り
信力(しんりき)堅固の門(かど)には 災禍の雲起ること無し
念力強盛(ごうせい)の家には 福祐の月(つき)光(ひかり)を増す
心の同じさらざるは面(をもて)の如し 譬(たと)へば水の器(うつわ)に随(したが)ふが如し
他人の弓を挽(ひ)かざれ 他人の馬に騎(の)らざれ
前車の覆(くつがへ)るを見ては 後車の誡(いましめ)とす
前事の忘れざるは 後事(ごじ)の師とす
善立ちて名流れ 寵(てう)極(きはま)つて禍(わざはひ)多し
人は死して名を留(とど)め 虎は死して皮を留む
国土を治むる賢王(けんわう)は 鰥寡(くはんくは)を侮(く)ゆることなし
君子の人を誉めざるは 則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
境(きやう)に入(い)つては禁(いましめ)を問へ 国に入(い)つては国を問へ
郷(ごう)に入(い)つては郷に随ひ 俗に入つては俗に随へ
門(もん)に入(い)つては先(ま)づ諱(いみな)を問へ 主人を敬(うやま)ふ為なり
君の所(ところ)に私(わたくし)の諱(いみな)無し 尊号二つ無ければなり
愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し 必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し 針(はり)を用ひて地を指すに似たり
神明(しんめい)は愚人を罰す 殺すにあらず懲(こ)らしめんが為なり
師匠の弟子を打つは 悪(にく)むにあらず能(よ)からしめんが為也
生れながらにして貴(たつと)き者無し 習ひ修(しゆ)して智徳とは成る
貴(たつと)き者は必ず冨まず 冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
冨めりと雖(いへど)も心に欲多ければ 是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
貧なりと雖(いへど)も心に足(た)れりと欲(ほつ)せば 是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす
師の弟子を訓(をし)へざるは 是(これ)を名づけて破戒とす
師の弟子を呵責(かしやく)するは 是(これ)を名づけて持戒とす
悪しき弟子を畜(やしな)へば 師弟地獄に堕(を)ち
善き弟子を養へば 師弟仏果に到る
教へに順(したが)はざる弟子は 早く父母に返すべし
不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば 怨敵(おんでき)と成つて害を加ふ
悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば 緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
善人に馴(な)れて離れざるは 大船の海に浮かめるが如し
善き友に随順すれば 麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
悪しき友に親近すれば 藪(やぶ)の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し
祖に離れ疎師に付く 戒定恵(かいぢやうゑ)の業(わざ)を習ひ
根性は愚鈍と雖(いへど)も 好めば自(おのづか)ら学位に致る
一日に一字を学べば 三百六十字
一字千金に当る 一点他生を助く
一日の師たりとも疎(うとん)ぜざれば 况(いはん)や数年の師をや
師は三世(さんぜ)の契り 祖は一世(いつせ)の眤(むつび)
弟子七尺(しちしやく)を去つて 師の影を踏むべからず
観音は師孝の為に 宝冠に弥陀を戴(いただ)き
勢至(せいし)は親孝(しんかう)の為に 頭(こうべ)に父母の骨(こつ)を戴(いただ)き
宝瓶(ほうびん)に白骨を納む 朝(あさ)早く起きて手を洗ひ
意(こころ)を摂して経巻を誦(じゆ)せよ 夕(ゆふべ)には遅く寝(いね)て足を洒(あら)ひ
性(せい)を静めて義理を案ぜよ 習ひ読めども意(こころ)に入れざるは
酔(ゑ)ふて寐(いね)て●(むつごと)を語るが如し 千巻(せんぐはん)を読めども復さざれば (●は、ゴンベン+「閻」)
財無くして町に臨むが如し 薄衣(はくえ)の冬の夜(よ)も
寒(かん)を忍んで通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ 食乏(とぼ)しきの夏の日も
飢(うへ)を除いて終日(ひめもす)習へ 酒に酔(ゑ)ふて心狂乱す
食過ぐれば学文に倦(う)む 身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
身安ければ懈怠(けだい)起る 匡衡(けいこう)は夜学の為に
壁を鑿(うが)つて月光を招き 孫敬(そんけい)は学文の為に
戸を閉ぢて人を通さず 蘇秦は学文の為に
錐を股(もも)に刺して眠らず 俊敬(しゆんけい)は学文の為に
縄を頸(くび)に懸(か)けて眠らず 車胤(しやいん)は夜学を好んで
蛍を聚(あつ)めて燈(ともしび)とす 宣士(せんし)は夜学を好んで
雪を積んで燈(ともしび)とす 休穆(きうぼく)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
冠(かんぶり)の落つるを知らず 高鳳(こうほう)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
麦の流るゝを知らず 劉完(りうくはん)は衣(ころも)を織り乍(なが)ら
口に書を誦(じゆ)して息(いこ)はず 倪寛(げいくはん)は耕作し乍(なが)ら
腰に文を帯びて捨てず 此等(これら)の人は皆
昼夜学文を好んで 文操国家に満つ
遂に碩学の位に致(いた)る 縦(たと)へ●(さい)を磨き筒を振るとも (●は、タケカンムリ+「塞」)
口には恒(つね)に経論(きやうろん)を誦(じゆ)し 又弓を削り矢を矧(は)ぐとも
腰には常に文書(ぶんしよ)を挿(さしはさ)め 張儀は新古を誦(じゆ)して
枯木に菓(このみ)を結ぶ 亀耄(きほう)は史記を誦(じゆ)して
古骨に膏(あぶら)を得たり 伯英は九歳にして初めて
早く博士(はかせ)の位に至る 宋吏(さうし)は七十にして初めて
学を好んで師伝に登る 智者は下劣なりと雖(いへど)も
高台の閣に登る 愚者は高位なりと雖(いへど)も
奈利(ないり)の底に堕(お)つ 智者の作る罪は
大いなれども地獄に堕(を)ちず 愚者の作る罪は
小さけれども必ず地獄に堕(を)つ 愚者は常には憂(うれい)を懐(いだ)く
譬(たと)へば獄中の囚(とらはれびと)の如し 智者は常に歓楽す
猶(なを)光音天(くはうおんてん)の如し 父の恩は山より高し
須弥山尚(なを)下(ひく)し 母の徳は海よりも深く
滄溟の海還(かへ)つて浅し 白骨は父の淫
赤肉は母の淫 赤白(しやくびやく)二諦(にたい)和(くわ)して
五体身分(しんぶん)と成る 胎内に処(しよ)すること十月(とつき)
身心(しんじん)恒(つね)に苦労す 胎外(たいげ)に生れて数年(すねん)
父母の養育を蒙(かふむ)る 昼は父の膝に居て
摩頭(まとう)を蒙(かふむ)ること多年 夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)して
乳味を費すこと数斛(すこく) 朝(あした)には山野に交はつて
蹄(ひづめ)を殺して妻子を養ひ 暮(ゆふべ)には江海に臨んで
鱗(うろくづ)を漁(すなど)つて身命(しんめう)を資(たす)け 旦暮の命を資(たす)からん為に
日夜悪業(あくごう)を造り 朝夕の味を嗜(たしな)まん為に
多劫(たこう)地獄に堕(を)つ 恩を戴(いたゞ)ひて恩を知らざるは
樹の鳥の枝を枯らすが如し 徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは
野の鹿の草を損ずるが如し 酉夢(ゆうむ)其の父を打てば
天雷其の身を裂く 班婦其の母を罵(のゝし)れば
霊蛇其の命を吸ふ 郭巨(くはくきよ)は母を養はん為に
穴を掘りて金(こがね)の釜を得たり 姜詩(きやうし)は自婦を去りて
水を汲めば庭に泉を得たり 孟宗竹中(ちくちう)に哭(こく)すれば
深雪の中(うち)に筍(たかんな)を抜く 王祥歎(なげ)きて氷を叩(たゝ)けば
堅凍(けんたう)の上に魚踊る 舜子盲父を養ひて
涕泣すれば両眼を開く 刑渠(けいこ)老母を養ひて
食を噛めば齢(よはひ)若(わか)く成る 董永(とうゑい)一身を売りて
孝養の御器(ぎよき)に備ふ 楊威は独りの母を念(おも)つて
虎の前に啼(な)きしかば害を免(まぬか)る 顔烏(がんう)墓に土を負へば
烏鳥(うちやう)来つて運び埋(うづ)む 許牧自(みづか)ら墓を作れば
松柏植へて墓と作(な)る 此等(これら)の人は皆
父母に孝養を致し 仏神(ぶつじん)の憐愍(れんみん)を垂れ
所望(しよまう)悉(ことごと)く成就す 生死(せうじ)の命は無常なり
早く涅槃(ねはん)を欣(ねが)ふべし 煩悩の身は不浄なり
速(すみやか)に菩提を求むべし 厭(いと)ひても厭ふべきは娑婆なり
会者定離(ゑしやぢやうり)の苦しみ 恐れても恐るべきは六道(ろくどう)
生者必滅(しやうじやひつめつ)の悲しみ 寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し
朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死す 身体は芭蕉の如し
風に随つて壊(やぶ)れ易し 綾羅錦繍(りやうらきんしう)は
全く冥途の貯えに非(あら)ず 黄金珠玉は
只一世(いつせ)の財宝 栄花栄耀(えいぐわえいよう)は
更に仏道の資(たす)けに非(あら)ず 官位寵職は
唯(たゞ)現世の名聞(みやうもん) 亀鶴の契りを致すも
露命の消えざるが程は 鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも
身体の壊(やぶ)れざる間(あいだ) ●利摩尼殿(とうりまにでん)も (●は、リッシンベン+「刀」)
遷化(せんげ)無常を歎く 大梵(だいぼん)高台の閣も
火血刀の苦しみを悲しむ 須達(しゆだつ)の十徳(じつとく)も
無常を留(とゞ)むること無し 阿育(あいく)の七宝(しつぽう)も
寿命を買ふこと無し 月支(ぐわつし)の月を還(かへ)せし威(いきほひ)も
●王(ゑんわう)の使ひに縛(ばく)せらる 龍帝(りうてい)の龍(りやう)を投げし力も (●は、「王」+「炎」)
獄卒の杖(つえ)に打たる 人尤(もつと)も施しを行ふべし
布施は菩提の粮(かて) 人最(もつと)も財を惜しまざれ
財宝は菩提の障(さは)り 若(も)し人貧窮の身にて
布施すべき財無く 他の布施を見る時
随喜の心を生ずべし 心に悲しんで一人(いちにん)に施せば
功徳(くどく)大海(だいかい)の如し 己(おのれ)が為に諸人に施せば
報(ほう)を得(う)ること芥子(けし)の如し 砂(いさご)を聚(あつ)めて塔を為(す)る人
早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く 花を折つて仏に供(くう)ずる輩(ともがら)は
速(すみや)かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ 一句信受の力も
転輪王の位に超(いた)る 半偈(はんげ)聞法(もんぼう)の徳も
三千界の宝にも勝(すぐ)れたり 上(かみ)は須(すべから)く仏道を求む
中は四恩を報ずべし 下(しも)は編(あまねく)六道(りくどう)に及ぶ
共に仏道成るべし 幼童を誘引せんが為に
因果の道理を註(ちう)す 内典外典より出でたり
見る者誹謗すること勿れ 聞く者笑を生ぜざれ
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
童子教
(『実語教 童子教』文化十一年・鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(仮名書き文)
それきにんのまへにゐるに けんろにたつことをえざれ
どうろにあふてはひざまづいてすぎよ めすことあらばうやまつてうけたまはれ
りやうてをむねにあてゝむかへ つゝしんでさゆうをかへりみざれ
とはずんばこたへず あふせあらばつゝしんできけ
さんぼうにはさんれいをつくし しんめいにはさいはいをいたせ
にんげんにはいちれいをなせ しくんにはちやうだいすべし
はかをすぐるときはすなはちつゝしめ やしろをすぐるときはすなはちをりよ
どうたうのまへにむかつて ふじやうををこなふべからず
しやうきやうのうへにむかつて ぶれいをいたすべからず
じんりんにれいあれば てうていかならずほうあり
ひとゝしてれいなきは しゆちうまたあやまちあり
しゆにまじはりてざうごんせざれ ことをはらばすみやかにさけよ
ことにふれてはともにたがへず げんぎよはなすことをえざれ
ことばおほきものはしなすくなし おいたるいぬのともをほゆるごとし
けだいはしよくをいそぐ やせたるさるのこのみをむさぼるごとし
いさむものはかならずあやうきあり なつのむしのひにいるがごとし
にぶきものはまたあやまちなし はるのとりのはやしにあそぶがごとし
ひとのみゝはかべにつく かくしてざんげんすることなかれ
ひとのめはてんにかゝる かくしてをかしもちゆることなかれ
くるまはさんずんのくさびをもつて せんりのみちをゆぎやうす
ひとはさんずんのしたをもつて ごしやくのみをはそんす
くちはこれわざはひのもん したはこれわざはひのね
くちをしてはなのごとくならしめば みをはるまであへてことなし
くわごんをひとたびいだすものは しついのしたをかへさざれ
はくけいのたまはみがくべし あくげんのたまはみがきがたし
くわふくはもんになし たゞひとのまねくところにあり
てんのつくるわざはひはさくべし みづからつくるわざはひはのがれがたし
それせきぜんのいへには かならずよけいあり
またこうあくのところには かならずよわうあり
ひとゝしていんとくあれば かならずやうほうあり
ひとゝしていんこうあれば かならずしやうめいあり
しんりきけんごのかどには さいくわのくもおこることなし
ねんりきごうせいのいへには ふくゆうのつきひかりをます
こころのおなじからざるはをもてのごとし たとへばみづのうつはにしたがふがごとし
たにんのゆみをひかざれ たにんのむまにのらざれ
ぜんしやのくつがへるをみては ごしやのいましめとす
ぜんじのわすれざるは ごじのしとす
ぜんたちてなながれ てうきはまつてわざわひおほし
ひとはしゝてなをとゞめ とらはしゝてかはをとゞむ
こくどをおさむるけんわうは くはんくはをくゆることなし
くんしのひとをほめざるは すなはちたみあたとなればなり
きやうにいつてはいましめをとへ くににいつてはくにをとへ
ごうにいつてはごうにしたがひ ぞくにいつてはぞくにしたがへ
もんにいつてはまづいみなをとへ しゆじんをうやまふがためなり
きみのところにわたくしのいみななし そんがうふたつなければなり
ぐしやはとをきおもんぱかりなし かならずちかきうれひあるべし
くだをもちひててんをうかゞふがごとし はりをもちひてちをさすににたり
しんめいはぐにんをばつす ころすにあらずこらしめんがためなり
ししやうのでしをうつは にくむにあらずよからしめんがためなり
むまれながらにしてたつときものなし ならひしゆしてちとくとはなる
たつときものはかならずとまず とめるものはいまだかならずたつとからず
とめりといへどもこゝろによくをゝければ これをなづけてひんじんとす
ひんなりといへどもこゝろにたれりとほつせば これをなづけてふじんとす
しのでしにをしへざるは これをなづけてはかいとす
しのでしをかしやくするは これをなづけてぢかいとす
あしきでしをやしなへば していぢごくにをつ
よきでしをやしなへば していぶつくはにいたる
をしへにしたがはざるでしは はやくふぼにかへすべし
ふわなるものをなだめんとぎすれば をんできとなつてがいをくはふ
あくにんにしたがひてさけざれば つなげるいぬのはしらをめぐるがごとし
ぜんにんになれてはなれざるは たいせんのうみにうかめるがごとし
よきともにずいじゆんすれば あさのなかのよもぎのなをきがごとし
あしきともにしんきんすれば やぶのなかのいばらのまがるがごとし
そにはなれそしにつく かいじやうゑのわざをならひ
こんじやうはぐどんたりといへども このめばおのづからがくゐにいたる
いちにちにいちじをまなべば さんびやくろくじうじ
いちじせんきんにあたる いつてんたしやうをたすく
いちにちのしたりともうとんぜざれば いはんやすねんのしをや
しはさんぜのちぎり そはいつせのむつび
でししちしやくをさつて しのかげをふむべからず
くはんをんはしこうのために ほうくはんにみだをいたゞき
せいしはしんこうのために こうべにふぼのこつをいたゞき
ほうびんにはつこつをおさむ あさはやくおきててをあらひ
こゝろをせつしてきやうくはんをじゆせよ ゆふべにはをそくいねてあしをあらひ
せいをしづめてぎりをあんぜよ ならひよめどもこゝろにいれざるは
ゑふていねてむつごとをかたるがごとし せんぐはんをよめどもふくさざれば
ざいなくしてまちにのぞむがごとし はくえのふゆのよも
かんをしのんでよもすがらじゆせよ しよくとぼしきのなつのひも
うへをのぞいてひめもすならへ さけにゑふてこゝろきやうらんす
しよくすぐればがくもんにうむ みあたゝまればすいめんをます
みやすければけだいおこる けいこうはやがくのために
かべをうがつてげつくはうをまねき そんけいはがくもんのために
とをとぢてひとをとをさず そしんはがくもんのために
きりをもゝにさしてねぶらず しゆんけいはがくもんのために
なはをくびにかけてねぶらず しやいんはやがくをこのんで
ほたるをあつめてともしびとす せんしはやがくをこのんで
ゆきをつんでともしびとす きうぼくはふみにこゝろをいれて
かんぶりのおつるをしらず こうほうはふみにこゝろをいれて
むぎのながるゝをしらず りうくはんはころもををりながら
くちにしよをじゆしていこはず げいくはんはこうさくしながら
こしにぶんをたいしてすてず これらのひとはみな
ちうやがくもんをこのんで ぶんさうこつかにみつ
ついにせきがくのくらいにいたる たとへさいをみがきつゝをふるとも
くちにつねにきやうろんをじゆし またゆみをけづりやをはぐとも
こしにはつねにぶんしよをさしはさめ ちやうぎはしんこをじゆして
こぼくにこのみをむすぶ きぼうはしきをじゆして
ここつにあぶらをえたり はくえいはくさいにはじめて
はやくはかせのくらゐにいたる さうしはしちじうにしてはじめて
がくをこのんでしでんにのぼる ちしやはげれつなりといへども
こうだいのかくにのぼる ぐしやはかうゐなりといへども
ないりのそこにおつ ちしやのつくるつみは
おほいなれどもぢごくにをちず ぐしやのつくるつみは
ちいさけれどもかならずぢごくにをつ ぐしやはつねにうれいをいだく
たとへばごくちうのとらはれびとのごとし ちしやはつねにくわんらくす
なをくはうおんてんのごとし ちゝのおんはやまよりたかし
しゆみせんなをひくし はゝのとくはうみよりふかし
さうめいのうみかへつてあさし はくこつはちゝのいん
しやくにくははゝのいん しやくびやくにたいくはして
ごたいしんぶんとなる たいないにしよすることとつき
しんじんつねにくらうす たいげにむまれてすねん
ふぼのよういくをかふむる ひるはちゝのひざにゐて
まとうをかふむることたねん よるははゝのふところにふして
にうみをついやすことすこく あしたにはさんやにまじはつて
ひづめをころしてさいしをやしなひ ゆふべにはこうかいにのぞんで
うろくづをすなどつてしんめいをたすけ たんぼのいのちをたすからんがために
にちやあくがうをつくる てうせきのあぢをたしなまんため
たこうぢごくにをつ おんをいたゞいておんをしらざるは
きのとりのえだをからすがごとし とくをかふむつてとくをおもはざるは
のゝしかのくさをそんずるがごとし ゆうむそのちゝをうてば
てんらいそのみをさく はんぷそのはゝをのゝしれば
れいじやそのいのちをすふ くはくきよはゝをやしなはんために
あなをほりてこがねのかまをえたり きやうしはじふをさりて
みづをくめばにはにいづみをえたり もうそうちくちうにこくすれば
しんせつのうちにたかんなをぬく わうしやうなげきてこほりをたゝけば
けんたうのうへにうををどる しゆんしはもうふをやしなひて
ていきうすればりやうがんをひらく けいこはらうぼをやしなひて
しよくをかめばよはひわかくなる とうゑいいつしんをうりて
かうようのぎよきにそなふ やうゐはひとりのはゝをおもつて
とらのまへになきしかばがいをまぬかる がんうはかにつちをおへば
うちやうきたつてはこびうづむ きよぼくみづからはかをつくれば
しやうはくうへてはかとなる これらのひとはみな
ふぼにかうようをいたし ぶつじんのれんみんをたれ
しよまうこと/゛\くぜうじゆす しやうじのいのちはむじやうなり
はやくねはんをねがふべし ぼんなうのみはふじやうなり
すみやかにぼだいをもとむべし いとひてもいとふべきはしやばなり
ゑしやぢやうりのくるしみ おそれてもおそるべきはろくどう
しやうじやひつめつのかなしみ じゆみやうはふゆうのごとし
あしたにうまれてゆふべにしす しんたいばせうのごとし
かぜにしたがつてやぶれやすく りやうらきんしうは
まつたくめいどのたくはえにあらず わうごんしゆぎよくは
たゞいつせのざいほう えいぐわえいようは
さらにぶつだうのたすけにあらず くわんゐちやうしよくは
たゞげんぜのみやうもん きくわくのちぎりをいたすも
ろめいのきえざるがほどは えんわうのふすまをかさぬるも
しんたいのやぶれざるあいだ とうりまにでんも
せんげむじやうをなげく だいぼんかうだいのかくも
くわけつとうのくるしみをかなしむ しゆだつのじつとくも
むじやうをとゞむることなし あいくのしつぽうも
じゆみやうをかふことなし ぐわつしのつきをかへせしいきほひも
ゑんわうのつかひにばくせらる りうていのりやうをなげしちからも
ごくそつのつえにうたる ひともつともほどこしをおこなふべし
ふせはぼだいのかて ひともつともざいををしまざれ
ざいほうはぼだいのさはり もしひとひんきうのみにて
ふせすべきざいなく たのふせをみるとき
ずいきのこゝろをしやうずべし こゝろにかなしんでいちにんにほどこせば
くどくだいかいのごとし おのれがためにしよにんにほどこせば
ほうをうることけしのごとし いさごをあつめてとうとするひと
はやくわうごんのはだへをみがく はなをおつてほとけにくうずるともがらは
すみやかにれんだいのはなぶさをむすぶ いつくしんじゆのちからも
てんりんわうのくらゐにいたる はんげもんぼうのとくも
さんぜんがいのたからにもすぐれたり かみはすべからくぶつだうをもとむ
なかばはしおんをほうずべし しもはあまねくりくどうにおよぶ
ともにぶつどうになるべし ようどうをゆういんせんがために
いんぐわのどうりをちうす ないてんげてんよりいでたり
みるものひぼうすることなかれ きくものわらひをしやうぜざれ
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
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(『実語教 童子教』文化十一年・江戸鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(原本は、本文の右に読みがなを振ってある。今、白文・書き下し文・仮名書きの3種を示す)
(白文)
夫貴人前居 顕露不得立
遇道路跪過 有召事敬承
両手当胸向 慎不顧左右
不問者不答 有仰者謹聞
三宝尽三礼 神明致再拝
人間成一礼 師君可頂戴
過墓時則慎 過社時則下
向堂塔之前 不可行不浄
向聖教之上 不可致無礼
人倫有礼者 朝廷必在法
人而無礼者 衆中又有過
交衆不雑言 事畢者速避
触事不違朋 言語不得離
語多者品少 老狗如吠友
懈怠者食急 痩猿如貪菓
勇者必有危 夏虫如入火
鈍者亦無過 春鳥如遊林
人耳者附壁 密而勿讒言
人眼者懸天 隠而勿犯用
車以三寸轄 遊行千里路
人以三寸舌 破損五尺身
口是禍之門 舌是禍之根
使口如鼻者 終身敢無事
過言一出者 駟追不返舌
白圭珠可磨 悪言玉難磨
禍福者無門 唯人在所招
天作災可避 自作災難逃
夫積善之家 必有余慶矣
亦好悪之処 必有余殃矣
人而有陰徳 必有陽報矣
人而有陰行 必有照名矣
信力堅固門 災禍雲無起
念力強盛家 福祐月増光
心不同如面 譬如水随器
不挽他人弓 不騎他人馬
前車之見覆 後車之為誡
前事之不忘 後事之為師
善立而名流 寵極而禍多
人者死留名 虎者死留皮
治国土賢王 勿侮鰥寡矣
君子不誉人 則民作怨矣
入境而問禁 入国而問国
入郷而随郷 入俗而随俗
入門先問諱 為敬主人也
君所無私諱 無二尊号也
愚者無遠慮 必可有近憂
如用管窺天 似用針指地
神明罰愚人 非殺為令懲
師匠打弟子 非悪為令能
生而無貴者 習修成智徳
貴者必不冨 冨者未必貴
雖冨心多欲 是名為貧人
雖貧心欲足 是名為冨人
師不訓弟子 是名為破戒
師呵責弟子 是名為持戒
畜悪弟子者 師弟堕地獄
養善弟子者 師弟到仏果
不順教弟子 早可返父母
不和者擬冤 成怨敵加害
順悪人不避 緤犬如廻柱
馴善人不離 大船如浮海
随順善友者 如麻中蓬直
親近悪友者 如藪中荊曲
離祖付疎師 習戒定恵業
根性雖愚鈍 好自致学位
一日学一字 三百六十字
一字当千金 一点助他生
一日師不疎 况数年師乎
師者三世契 祖者一世眤
弟子去七尺 師影不可踏
観音為師孝 宝冠戴弥陀
勢至為親孝 頭戴父母骨
宝瓶納白骨 朝早起洗手
摂意誦経巻 夕遅寝洒足
静性案義理 習読不入意
如酔寝●語 読千巻不復 (●は、ゴンベン+「閻」)
無財如臨町 薄衣之冬夜
忍寒通夜誦 乏食之夏日
除飢終日習 酔酒心狂乱
過食倦学文 温身増睡眠
安身起懈怠 匡衡為夜学
鑿壁招月光 孫敬為学文
閉戸不通人 蘇秦為学文
錐刺股不眠 俊敬為学文
縄懸頸不眠 車胤好夜学
聚蛍為燈矣 宣士好夜学
積雪為燈矣 休穆入意文
不知冠之落 高鳳入意文
不知麦之流 劉完乍織衣
誦口書不息 倪寛乍耕作
腰帯文不捨 此等人者皆
昼夜好学文 文操満国家
遂致碩学位 縦磨●振筒 (●は、タケカンムリ+「塞」)
口恒誦経論 亦削弓矧矢
腰常挿文書 張儀誦新古
枯木結菓矣 亀耄誦史記
古骨得膏矣 伯英九歳初
早至博士位 宋吏(ママ)七十初
好学登師伝 智者雖下劣
登高台之閣 愚者雖高位
堕奈利之底 智者作罪者
大不堕地獄 愚者作罪者
小必堕地獄 愚者常懐憂
譬如獄中囚 智者常歓楽
猶如光音天 父恩者高山
須弥山尚下 母徳者深海
滄溟海還浅 白骨者父淫
赤肉者母淫 赤白二諦和
成五体身分 処胎内十月
身心恒苦労 生胎外数年
蒙父母養育 昼者居父膝
蒙摩頭多年 夜者臥母懐
費乳味数斛 朝交于山野
殺蹄養妻子 暮臨于江海
漁鱗資身命 為資旦暮命
日夜造悪業 為嗜朝夕味
多劫堕地獄 戴恩不知恩
如樹鳥枯枝 蒙徳不思徳
如野鹿損草 酉夢打其父
天雷裂其身 班婦罵其母
霊蛇吸其命 郭巨為養母
掘穴得金釜 姜詩去自婦
汲水得庭泉 孟宗哭竹中
深雪中抜筍 王祥歎叩氷
堅凍上踊魚 舜子養盲父
涕泣開両眼 刑渠養老母
噛食成齢若 董永売一身
備孝養御器 楊威念独母
虎前啼免害 顔烏墓負土
烏鳥来運埋 許牧自作墓
松柏植作墓 此等人者皆
父母致孝養 仏神垂憐愍
所望悉成就 生死命無常
早可欣涅槃 煩悩身不浄
速可求菩提 厭可厭娑婆
会者定離苦 恐可恐六道
生者必滅悲 寿命如蜉蝣
朝生夕死矣 身体如芭蕉
随風易壊矣 綾羅錦繍者
全非冥途貯 黄金珠玉者
只一世財宝 栄花栄耀者
更非仏道資 官位寵職者
唯現世名聞 致亀鶴之契
露命不消程 重鴛鴦之衾
身体不壊間 ●利摩尼殿 (●は、リッシンベン+「刀」)
歎遷化無常 大梵高台閣
悲火血刀苦 須達之十徳
無留於無常 阿育之七宝
無買於寿命 月支還月威
被縛●王使 龍帝投龍力 (●は、「王」+「炎」)
被打獄卒杖 人尤可行施
布施菩提粮 人最不惜財
財宝菩提障 若人貧窮身
可布施無財 見他布施時
可生随喜心 悲心施一人
功徳如大海 為己施諸人
得報如芥子 聚砂為塔人
早研黄金膚 折花供仏輩
速結蓮台政 一句信受力
超転輪王位 半偈聞法徳
勝三千界宝 上須求仏道
中可報四恩 下編(ママ)及六道
共可成仏道 為誘引幼童
註因果道理 出内典外典
見者勿誹謗 聞者不生笑
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
童子教
(『実語教 童子教』文化十一年、鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(書き下し文)
夫(そ)れ貴人の前に居ては 顕露に立つことを得ざれ
道路に遇(あ)ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ 召す事有らば敬つて承れ
両手を胸に当てて向へ 慎みて左右を顧みざれ
問はずんば答へず 仰せ有らば謹しんで聞け
三宝には三礼を尽し 神明には再拝を致せ
人間には一礼を成せ 師君には頂戴すべし
墓を過ぐる時は則ち慎め 社を過ぐる時は則ち下(を)りよ
堂塔の前に向かつて 不浄を行ふべからず
聖教(しやうきやう)の上に向かつて 無礼を致すべからず
人倫礼有れば 朝廷に必ず法在り
人として礼無きは 衆中(しゆちう)又過(あやま)ち有り
衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ 事畢(おは)らば速(すみやか)に避(さ)けよ
事に触れて朋(とも)に違(たが)へず 言語(げんぎよ)離すことを得ざれ
語(ことば)多き者は品少なし 老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆる如し
懈怠(けだい)は食を急ぐ 痩せたる猿の菓(このみ)を貪(むさぼ)る如し
勇む者は必ず危(あやう)き有り 夏の虫の火に入(い)るが如し
鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し 春の鳥の林に遊ぶが如し
人の耳は壁に付く 密(かく)して讒言(ざんげん)すること勿(なか)れ
人の眼(め)は天に懸(かゝ)る 隠して犯し用ゆること勿れ
車は三寸の轄(くさび)を以て 千里の路(みち)を遊行(ゆぎやう)す
人は三寸の舌を以つて 五尺の身を破損す
口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん) 舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
口をして鼻の如くならしめば 身終るまで敢へて事無し
過言(くわごん)を一たび出(い)だす者は 駟追(しつい)の舌を返さざれ
白圭の珠(たま)は磨くべし 悪言(あくげん)の玉は磨き難し
禍福は門に無し 唯(ただ)人の招く所に在り
天の作(つく)る災は避(さ)くべし 自(みづか)ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し
夫(そ)れ積善(せきぜん)の家には 必ず余慶有り
又好悪の処(ところ)には 必ず余殃(よわう)有り
人として陰徳有れば 必ず陽報有り
人として陰行(いんこう)有れば 必ず照名有り
信力(しんりき)堅固の門(かど)には 災禍の雲起ること無し
念力強盛(ごうせい)の家には 福祐の月(つき)光(ひかり)を増す
心の同じさらざるは面(をもて)の如し 譬(たと)へば水の器(うつわ)に随(したが)ふが如し
他人の弓を挽(ひ)かざれ 他人の馬に騎(の)らざれ
前車の覆(くつがへ)るを見ては 後車の誡(いましめ)とす
前事の忘れざるは 後事(ごじ)の師とす
善立ちて名流れ 寵(てう)極(きはま)つて禍(わざはひ)多し
人は死して名を留(とど)め 虎は死して皮を留む
国土を治むる賢王(けんわう)は 鰥寡(くはんくは)を侮(く)ゆることなし
君子の人を誉めざるは 則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
境(きやう)に入(い)つては禁(いましめ)を問へ 国に入(い)つては国を問へ
郷(ごう)に入(い)つては郷に随ひ 俗に入つては俗に随へ
門(もん)に入(い)つては先(ま)づ諱(いみな)を問へ 主人を敬(うやま)ふ為なり
君の所(ところ)に私(わたくし)の諱(いみな)無し 尊号二つ無ければなり
愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し 必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し 針(はり)を用ひて地を指すに似たり
神明(しんめい)は愚人を罰す 殺すにあらず懲(こ)らしめんが為なり
師匠の弟子を打つは 悪(にく)むにあらず能(よ)からしめんが為也
生れながらにして貴(たつと)き者無し 習ひ修(しゆ)して智徳とは成る
貴(たつと)き者は必ず冨まず 冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
冨めりと雖(いへど)も心に欲多ければ 是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
貧なりと雖(いへど)も心に足(た)れりと欲(ほつ)せば 是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす
師の弟子を訓(をし)へざるは 是(これ)を名づけて破戒とす
師の弟子を呵責(かしやく)するは 是(これ)を名づけて持戒とす
悪しき弟子を畜(やしな)へば 師弟地獄に堕(を)ち
善き弟子を養へば 師弟仏果に到る
教へに順(したが)はざる弟子は 早く父母に返すべし
不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば 怨敵(おんでき)と成つて害を加ふ
悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば 緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
善人に馴(な)れて離れざるは 大船の海に浮かめるが如し
善き友に随順すれば 麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
悪しき友に親近すれば 藪(やぶ)の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し
祖に離れ疎師に付く 戒定恵(かいぢやうゑ)の業(わざ)を習ひ
根性は愚鈍と雖(いへど)も 好めば自(おのづか)ら学位に致る
一日に一字を学べば 三百六十字
一字千金に当る 一点他生を助く
一日の師たりとも疎(うとん)ぜざれば 况(いはん)や数年の師をや
師は三世(さんぜ)の契り 祖は一世(いつせ)の眤(むつび)
弟子七尺(しちしやく)を去つて 師の影を踏むべからず
観音は師孝の為に 宝冠に弥陀を戴(いただ)き
勢至(せいし)は親孝(しんかう)の為に 頭(こうべ)に父母の骨(こつ)を戴(いただ)き
宝瓶(ほうびん)に白骨を納む 朝(あさ)早く起きて手を洗ひ
意(こころ)を摂して経巻を誦(じゆ)せよ 夕(ゆふべ)には遅く寝(いね)て足を洒(あら)ひ
性(せい)を静めて義理を案ぜよ 習ひ読めども意(こころ)に入れざるは
酔(ゑ)ふて寐(いね)て●(むつごと)を語るが如し 千巻(せんぐはん)を読めども復さざれば (●は、ゴンベン+「閻」)
財無くして町に臨むが如し 薄衣(はくえ)の冬の夜(よ)も
寒(かん)を忍んで通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ 食乏(とぼ)しきの夏の日も
飢(うへ)を除いて終日(ひめもす)習へ 酒に酔(ゑ)ふて心狂乱す
食過ぐれば学文に倦(う)む 身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
身安ければ懈怠(けだい)起る 匡衡(けいこう)は夜学の為に
壁を鑿(うが)つて月光を招き 孫敬(そんけい)は学文の為に
戸を閉ぢて人を通さず 蘇秦は学文の為に
錐を股(もも)に刺して眠らず 俊敬(しゆんけい)は学文の為に
縄を頸(くび)に懸(か)けて眠らず 車胤(しやいん)は夜学を好んで
蛍を聚(あつ)めて燈(ともしび)とす 宣士(せんし)は夜学を好んで
雪を積んで燈(ともしび)とす 休穆(きうぼく)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
冠(かんぶり)の落つるを知らず 高鳳(こうほう)は文(ふみ)に意(こころ)を入れて
麦の流るゝを知らず 劉完(りうくはん)は衣(ころも)を織り乍(なが)ら
口に書を誦(じゆ)して息(いこ)はず 倪寛(げいくはん)は耕作し乍(なが)ら
腰に文を帯びて捨てず 此等(これら)の人は皆
昼夜学文を好んで 文操国家に満つ
遂に碩学の位に致(いた)る 縦(たと)へ●(さい)を磨き筒を振るとも (●は、タケカンムリ+「塞」)
口には恒(つね)に経論(きやうろん)を誦(じゆ)し 又弓を削り矢を矧(は)ぐとも
腰には常に文書(ぶんしよ)を挿(さしはさ)め 張儀は新古を誦(じゆ)して
枯木に菓(このみ)を結ぶ 亀耄(きほう)は史記を誦(じゆ)して
古骨に膏(あぶら)を得たり 伯英は九歳にして初めて
早く博士(はかせ)の位に至る 宋吏(さうし)は七十にして初めて
学を好んで師伝に登る 智者は下劣なりと雖(いへど)も
高台の閣に登る 愚者は高位なりと雖(いへど)も
奈利(ないり)の底に堕(お)つ 智者の作る罪は
大いなれども地獄に堕(を)ちず 愚者の作る罪は
小さけれども必ず地獄に堕(を)つ 愚者は常には憂(うれい)を懐(いだ)く
譬(たと)へば獄中の囚(とらはれびと)の如し 智者は常に歓楽す
猶(なを)光音天(くはうおんてん)の如し 父の恩は山より高し
須弥山尚(なを)下(ひく)し 母の徳は海よりも深く
滄溟の海還(かへ)つて浅し 白骨は父の淫
赤肉は母の淫 赤白(しやくびやく)二諦(にたい)和(くわ)して
五体身分(しんぶん)と成る 胎内に処(しよ)すること十月(とつき)
身心(しんじん)恒(つね)に苦労す 胎外(たいげ)に生れて数年(すねん)
父母の養育を蒙(かふむ)る 昼は父の膝に居て
摩頭(まとう)を蒙(かふむ)ること多年 夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)して
乳味を費すこと数斛(すこく) 朝(あした)には山野に交はつて
蹄(ひづめ)を殺して妻子を養ひ 暮(ゆふべ)には江海に臨んで
鱗(うろくづ)を漁(すなど)つて身命(しんめう)を資(たす)け 旦暮の命を資(たす)からん為に
日夜悪業(あくごう)を造り 朝夕の味を嗜(たしな)まん為に
多劫(たこう)地獄に堕(を)つ 恩を戴(いたゞ)ひて恩を知らざるは
樹の鳥の枝を枯らすが如し 徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは
野の鹿の草を損ずるが如し 酉夢(ゆうむ)其の父を打てば
天雷其の身を裂く 班婦其の母を罵(のゝし)れば
霊蛇其の命を吸ふ 郭巨(くはくきよ)は母を養はん為に
穴を掘りて金(こがね)の釜を得たり 姜詩(きやうし)は自婦を去りて
水を汲めば庭に泉を得たり 孟宗竹中(ちくちう)に哭(こく)すれば
深雪の中(うち)に筍(たかんな)を抜く 王祥歎(なげ)きて氷を叩(たゝ)けば
堅凍(けんたう)の上に魚踊る 舜子盲父を養ひて
涕泣すれば両眼を開く 刑渠(けいこ)老母を養ひて
食を噛めば齢(よはひ)若(わか)く成る 董永(とうゑい)一身を売りて
孝養の御器(ぎよき)に備ふ 楊威は独りの母を念(おも)つて
虎の前に啼(な)きしかば害を免(まぬか)る 顔烏(がんう)墓に土を負へば
烏鳥(うちやう)来つて運び埋(うづ)む 許牧自(みづか)ら墓を作れば
松柏植へて墓と作(な)る 此等(これら)の人は皆
父母に孝養を致し 仏神(ぶつじん)の憐愍(れんみん)を垂れ
所望(しよまう)悉(ことごと)く成就す 生死(せうじ)の命は無常なり
早く涅槃(ねはん)を欣(ねが)ふべし 煩悩の身は不浄なり
速(すみやか)に菩提を求むべし 厭(いと)ひても厭ふべきは娑婆なり
会者定離(ゑしやぢやうり)の苦しみ 恐れても恐るべきは六道(ろくどう)
生者必滅(しやうじやひつめつ)の悲しみ 寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し
朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死す 身体は芭蕉の如し
風に随つて壊(やぶ)れ易し 綾羅錦繍(りやうらきんしう)は
全く冥途の貯えに非(あら)ず 黄金珠玉は
只一世(いつせ)の財宝 栄花栄耀(えいぐわえいよう)は
更に仏道の資(たす)けに非(あら)ず 官位寵職は
唯(たゞ)現世の名聞(みやうもん) 亀鶴の契りを致すも
露命の消えざるが程は 鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも
身体の壊(やぶ)れざる間(あいだ) ●利摩尼殿(とうりまにでん)も (●は、リッシンベン+「刀」)
遷化(せんげ)無常を歎く 大梵(だいぼん)高台の閣も
火血刀の苦しみを悲しむ 須達(しゆだつ)の十徳(じつとく)も
無常を留(とゞ)むること無し 阿育(あいく)の七宝(しつぽう)も
寿命を買ふこと無し 月支(ぐわつし)の月を還(かへ)せし威(いきほひ)も
●王(ゑんわう)の使ひに縛(ばく)せらる 龍帝(りうてい)の龍(りやう)を投げし力も (●は、「王」+「炎」)
獄卒の杖(つえ)に打たる 人尤(もつと)も施しを行ふべし
布施は菩提の粮(かて) 人最(もつと)も財を惜しまざれ
財宝は菩提の障(さは)り 若(も)し人貧窮の身にて
布施すべき財無く 他の布施を見る時
随喜の心を生ずべし 心に悲しんで一人(いちにん)に施せば
功徳(くどく)大海(だいかい)の如し 己(おのれ)が為に諸人に施せば
報(ほう)を得(う)ること芥子(けし)の如し 砂(いさご)を聚(あつ)めて塔を為(す)る人
早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く 花を折つて仏に供(くう)ずる輩(ともがら)は
速(すみや)かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ 一句信受の力も
転輪王の位に超(いた)る 半偈(はんげ)聞法(もんぼう)の徳も
三千界の宝にも勝(すぐ)れたり 上(かみ)は須(すべから)く仏道を求む
中は四恩を報ずべし 下(しも)は編(あまねく)六道(りくどう)に及ぶ
共に仏道成るべし 幼童を誘引せんが為に
因果の道理を註(ちう)す 内典外典より出でたり
見る者誹謗すること勿れ 聞く者笑を生ぜざれ
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
童子教
(『実語教 童子教』文化十一年・鶴屋〈仙鶴堂〉板による)
(仮名書き文)
それきにんのまへにゐるに けんろにたつことをえざれ
どうろにあふてはひざまづいてすぎよ めすことあらばうやまつてうけたまはれ
りやうてをむねにあてゝむかへ つゝしんでさゆうをかへりみざれ
とはずんばこたへず あふせあらばつゝしんできけ
さんぼうにはさんれいをつくし しんめいにはさいはいをいたせ
にんげんにはいちれいをなせ しくんにはちやうだいすべし
はかをすぐるときはすなはちつゝしめ やしろをすぐるときはすなはちをりよ
どうたうのまへにむかつて ふじやうををこなふべからず
しやうきやうのうへにむかつて ぶれいをいたすべからず
じんりんにれいあれば てうていかならずほうあり
ひとゝしてれいなきは しゆちうまたあやまちあり
しゆにまじはりてざうごんせざれ ことをはらばすみやかにさけよ
ことにふれてはともにたがへず げんぎよはなすことをえざれ
ことばおほきものはしなすくなし おいたるいぬのともをほゆるごとし
けだいはしよくをいそぐ やせたるさるのこのみをむさぼるごとし
いさむものはかならずあやうきあり なつのむしのひにいるがごとし
にぶきものはまたあやまちなし はるのとりのはやしにあそぶがごとし
ひとのみゝはかべにつく かくしてざんげんすることなかれ
ひとのめはてんにかゝる かくしてをかしもちゆることなかれ
くるまはさんずんのくさびをもつて せんりのみちをゆぎやうす
ひとはさんずんのしたをもつて ごしやくのみをはそんす
くちはこれわざはひのもん したはこれわざはひのね
くちをしてはなのごとくならしめば みをはるまであへてことなし
くわごんをひとたびいだすものは しついのしたをかへさざれ
はくけいのたまはみがくべし あくげんのたまはみがきがたし
くわふくはもんになし たゞひとのまねくところにあり
てんのつくるわざはひはさくべし みづからつくるわざはひはのがれがたし
それせきぜんのいへには かならずよけいあり
またこうあくのところには かならずよわうあり
ひとゝしていんとくあれば かならずやうほうあり
ひとゝしていんこうあれば かならずしやうめいあり
しんりきけんごのかどには さいくわのくもおこることなし
ねんりきごうせいのいへには ふくゆうのつきひかりをます
こころのおなじからざるはをもてのごとし たとへばみづのうつはにしたがふがごとし
たにんのゆみをひかざれ たにんのむまにのらざれ
ぜんしやのくつがへるをみては ごしやのいましめとす
ぜんじのわすれざるは ごじのしとす
ぜんたちてなながれ てうきはまつてわざわひおほし
ひとはしゝてなをとゞめ とらはしゝてかはをとゞむ
こくどをおさむるけんわうは くはんくはをくゆることなし
くんしのひとをほめざるは すなはちたみあたとなればなり
きやうにいつてはいましめをとへ くににいつてはくにをとへ
ごうにいつてはごうにしたがひ ぞくにいつてはぞくにしたがへ
もんにいつてはまづいみなをとへ しゆじんをうやまふがためなり
きみのところにわたくしのいみななし そんがうふたつなければなり
ぐしやはとをきおもんぱかりなし かならずちかきうれひあるべし
くだをもちひててんをうかゞふがごとし はりをもちひてちをさすににたり
しんめいはぐにんをばつす ころすにあらずこらしめんがためなり
ししやうのでしをうつは にくむにあらずよからしめんがためなり
むまれながらにしてたつときものなし ならひしゆしてちとくとはなる
たつときものはかならずとまず とめるものはいまだかならずたつとからず
とめりといへどもこゝろによくをゝければ これをなづけてひんじんとす
ひんなりといへどもこゝろにたれりとほつせば これをなづけてふじんとす
しのでしにをしへざるは これをなづけてはかいとす
しのでしをかしやくするは これをなづけてぢかいとす
あしきでしをやしなへば していぢごくにをつ
よきでしをやしなへば していぶつくはにいたる
をしへにしたがはざるでしは はやくふぼにかへすべし
ふわなるものをなだめんとぎすれば をんできとなつてがいをくはふ
あくにんにしたがひてさけざれば つなげるいぬのはしらをめぐるがごとし
ぜんにんになれてはなれざるは たいせんのうみにうかめるがごとし
よきともにずいじゆんすれば あさのなかのよもぎのなをきがごとし
あしきともにしんきんすれば やぶのなかのいばらのまがるがごとし
そにはなれそしにつく かいじやうゑのわざをならひ
こんじやうはぐどんたりといへども このめばおのづからがくゐにいたる
いちにちにいちじをまなべば さんびやくろくじうじ
いちじせんきんにあたる いつてんたしやうをたすく
いちにちのしたりともうとんぜざれば いはんやすねんのしをや
しはさんぜのちぎり そはいつせのむつび
でししちしやくをさつて しのかげをふむべからず
くはんをんはしこうのために ほうくはんにみだをいたゞき
せいしはしんこうのために こうべにふぼのこつをいたゞき
ほうびんにはつこつをおさむ あさはやくおきててをあらひ
こゝろをせつしてきやうくはんをじゆせよ ゆふべにはをそくいねてあしをあらひ
せいをしづめてぎりをあんぜよ ならひよめどもこゝろにいれざるは
ゑふていねてむつごとをかたるがごとし せんぐはんをよめどもふくさざれば
ざいなくしてまちにのぞむがごとし はくえのふゆのよも
かんをしのんでよもすがらじゆせよ しよくとぼしきのなつのひも
うへをのぞいてひめもすならへ さけにゑふてこゝろきやうらんす
しよくすぐればがくもんにうむ みあたゝまればすいめんをます
みやすければけだいおこる けいこうはやがくのために
かべをうがつてげつくはうをまねき そんけいはがくもんのために
とをとぢてひとをとをさず そしんはがくもんのために
きりをもゝにさしてねぶらず しゆんけいはがくもんのために
なはをくびにかけてねぶらず しやいんはやがくをこのんで
ほたるをあつめてともしびとす せんしはやがくをこのんで
ゆきをつんでともしびとす きうぼくはふみにこゝろをいれて
かんぶりのおつるをしらず こうほうはふみにこゝろをいれて
むぎのながるゝをしらず りうくはんはころもををりながら
くちにしよをじゆしていこはず げいくはんはこうさくしながら
こしにぶんをたいしてすてず これらのひとはみな
ちうやがくもんをこのんで ぶんさうこつかにみつ
ついにせきがくのくらいにいたる たとへさいをみがきつゝをふるとも
くちにつねにきやうろんをじゆし またゆみをけづりやをはぐとも
こしにはつねにぶんしよをさしはさめ ちやうぎはしんこをじゆして
こぼくにこのみをむすぶ きぼうはしきをじゆして
ここつにあぶらをえたり はくえいはくさいにはじめて
はやくはかせのくらゐにいたる さうしはしちじうにしてはじめて
がくをこのんでしでんにのぼる ちしやはげれつなりといへども
こうだいのかくにのぼる ぐしやはかうゐなりといへども
ないりのそこにおつ ちしやのつくるつみは
おほいなれどもぢごくにをちず ぐしやのつくるつみは
ちいさけれどもかならずぢごくにをつ ぐしやはつねにうれいをいだく
たとへばごくちうのとらはれびとのごとし ちしやはつねにくわんらくす
なをくはうおんてんのごとし ちゝのおんはやまよりたかし
しゆみせんなをひくし はゝのとくはうみよりふかし
さうめいのうみかへつてあさし はくこつはちゝのいん
しやくにくははゝのいん しやくびやくにたいくはして
ごたいしんぶんとなる たいないにしよすることとつき
しんじんつねにくらうす たいげにむまれてすねん
ふぼのよういくをかふむる ひるはちゝのひざにゐて
まとうをかふむることたねん よるははゝのふところにふして
にうみをついやすことすこく あしたにはさんやにまじはつて
ひづめをころしてさいしをやしなひ ゆふべにはこうかいにのぞんで
うろくづをすなどつてしんめいをたすけ たんぼのいのちをたすからんがために
にちやあくがうをつくる てうせきのあぢをたしなまんため
たこうぢごくにをつ おんをいたゞいておんをしらざるは
きのとりのえだをからすがごとし とくをかふむつてとくをおもはざるは
のゝしかのくさをそんずるがごとし ゆうむそのちゝをうてば
てんらいそのみをさく はんぷそのはゝをのゝしれば
れいじやそのいのちをすふ くはくきよはゝをやしなはんために
あなをほりてこがねのかまをえたり きやうしはじふをさりて
みづをくめばにはにいづみをえたり もうそうちくちうにこくすれば
しんせつのうちにたかんなをぬく わうしやうなげきてこほりをたゝけば
けんたうのうへにうををどる しゆんしはもうふをやしなひて
ていきうすればりやうがんをひらく けいこはらうぼをやしなひて
しよくをかめばよはひわかくなる とうゑいいつしんをうりて
かうようのぎよきにそなふ やうゐはひとりのはゝをおもつて
とらのまへになきしかばがいをまぬかる がんうはかにつちをおへば
うちやうきたつてはこびうづむ きよぼくみづからはかをつくれば
しやうはくうへてはかとなる これらのひとはみな
ふぼにかうようをいたし ぶつじんのれんみんをたれ
しよまうこと/゛\くぜうじゆす しやうじのいのちはむじやうなり
はやくねはんをねがふべし ぼんなうのみはふじやうなり
すみやかにぼだいをもとむべし いとひてもいとふべきはしやばなり
ゑしやぢやうりのくるしみ おそれてもおそるべきはろくどう
しやうじやひつめつのかなしみ じゆみやうはふゆうのごとし
あしたにうまれてゆふべにしす しんたいばせうのごとし
かぜにしたがつてやぶれやすく りやうらきんしうは
まつたくめいどのたくはえにあらず わうごんしゆぎよくは
たゞいつせのざいほう えいぐわえいようは
さらにぶつだうのたすけにあらず くわんゐちやうしよくは
たゞげんぜのみやうもん きくわくのちぎりをいたすも
ろめいのきえざるがほどは えんわうのふすまをかさぬるも
しんたいのやぶれざるあいだ とうりまにでんも
せんげむじやうをなげく だいぼんかうだいのかくも
くわけつとうのくるしみをかなしむ しゆだつのじつとくも
むじやうをとゞむることなし あいくのしつぽうも
じゆみやうをかふことなし ぐわつしのつきをかへせしいきほひも
ゑんわうのつかひにばくせらる りうていのりやうをなげしちからも
ごくそつのつえにうたる ひともつともほどこしをおこなふべし
ふせはぼだいのかて ひともつともざいををしまざれ
ざいほうはぼだいのさはり もしひとひんきうのみにて
ふせすべきざいなく たのふせをみるとき
ずいきのこゝろをしやうずべし こゝろにかなしんでいちにんにほどこせば
くどくだいかいのごとし おのれがためにしよにんにほどこせば
ほうをうることけしのごとし いさごをあつめてとうとするひと
はやくわうごんのはだへをみがく はなをおつてほとけにくうずるともがらは
すみやかにれんだいのはなぶさをむすぶ いつくしんじゆのちからも
てんりんわうのくらゐにいたる はんげもんぼうのとくも
さんぜんがいのたからにもすぐれたり かみはすべからくぶつだうをもとむ
なかばはしおんをほうずべし しもはあまねくりくどうにおよぶ
ともにぶつどうになるべし ようどうをゆういんせんがために
いんぐわのどうりをちうす ないてんげてんよりいでたり
みるものひぼうすることなかれ きくものわらひをしやうぜざれ
童子教終
文化十一甲戌年正月発行
御江戸通油町北側中程
地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓
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2015年12月15日火曜日
日本版 『100年マラソン』 戦略が必要!
戦後体制というのは連合国(WWⅡ戦勝国)体制ということ、従って国際社会というのはWWⅡ戦勝国が支配する社会ということです。
『戦後民主主義』 というのは敗戦国である日本が、戦勝国体制の中で生き残る為に被った仮面のはずでしたが、それを自分本来の素顔だと思い込まされてきたのが団塊の世代を中心とする戦後育ちの日本人です。
こんな社会が日本人本来の伝統的人生観に馴染むはずが有りません。
しかし、日本政府首脳がこれに異議を申し立てるかのごとき言動に及んだ瞬間、米英仏露中他豪州やオランダまでを連合国として敵に回してしまいます。
徒らに勇ましい強硬論を振り撒く自称愛国者は、もう一度世界中を相手にして戦うつもりなのでしょうか?
以下は Youtube に投稿したコメントです。
---------------------
過去の大日本帝国を滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているということは、過去の第三帝国を敵として滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているドイツと同じ立場です。
したがって、日独両政府の公式見解としては、過去の滅びた夫々の帝国を肯定するようなことは絶対に許されません。
ただし、それは両民族自体を否定するものではなく、当時の敗戦国政府を否定するだけです。米英仏露は基本的にそれを截然と区別していますし、中国でさえ、毛沢東や周恩来は区別していました。
しかし、最近になって中韓政府やそれを背後で唆す勢力は、意識的に日独両政府と日独両民族を同一視するようなプロパガンダを始めているように思われます。米中英仏露が水面下でどのような駆け引きを演じているかも知れたものでは有りません。
日独両帝国の復活を警戒し始めたからだという見方も出来ますが、列強間の新しい勢力争い(第3次世界大戦)の一環として日独取り込みの争奪戦が始まっていると考えることも出来ます。
こうした微妙な状況の下で安倍さんが「日本を取り戻す」というとき、敗戦帝国を復活させようとしているかのような印象を与えたり、言い掛かりを付けられるような発言が命取りになるのは当然です。安倍談話は、水島氏の言われるように敗戦国の桎梏の下で民族の誇りを取り戻す為のぎりぎりの表現でした。今後も、対外的には根拠の無い誹謗には反論しても、政府の立場で大東亜戦争の正当性を主張することは基本的に避けざるを得ません。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html
それは諸国民の声を通じて内外に拡散して行くという姿勢に徹するべきでしょう。
ポーランド王国は再興までに140年かかりました。日本もそのくらいの覚悟をするべきでしょう。
毛沢東は1949年に中華人民共和国を建国したとき、漢民族の誇りを取り戻すための100年戦略を持っていたそうです。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html
『戦後民主主義』 というのは敗戦国である日本が、戦勝国体制の中で生き残る為に被った仮面のはずでしたが、それを自分本来の素顔だと思い込まされてきたのが団塊の世代を中心とする戦後育ちの日本人です。
こんな社会が日本人本来の伝統的人生観に馴染むはずが有りません。
しかし、日本政府首脳がこれに異議を申し立てるかのごとき言動に及んだ瞬間、米英仏露中他豪州やオランダまでを連合国として敵に回してしまいます。
徒らに勇ましい強硬論を振り撒く自称愛国者は、もう一度世界中を相手にして戦うつもりなのでしょうか?
以下は Youtube に投稿したコメントです。
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過去の大日本帝国を滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているということは、過去の第三帝国を敵として滅ぼした連合国側の一員として存在を許されているドイツと同じ立場です。
したがって、日独両政府の公式見解としては、過去の滅びた夫々の帝国を肯定するようなことは絶対に許されません。
ただし、それは両民族自体を否定するものではなく、当時の敗戦国政府を否定するだけです。米英仏露は基本的にそれを截然と区別していますし、中国でさえ、毛沢東や周恩来は区別していました。
しかし、最近になって中韓政府やそれを背後で唆す勢力は、意識的に日独両政府と日独両民族を同一視するようなプロパガンダを始めているように思われます。米中英仏露が水面下でどのような駆け引きを演じているかも知れたものでは有りません。
日独両帝国の復活を警戒し始めたからだという見方も出来ますが、列強間の新しい勢力争い(第3次世界大戦)の一環として日独取り込みの争奪戦が始まっていると考えることも出来ます。
こうした微妙な状況の下で安倍さんが「日本を取り戻す」というとき、敗戦帝国を復活させようとしているかのような印象を与えたり、言い掛かりを付けられるような発言が命取りになるのは当然です。安倍談話は、水島氏の言われるように敗戦国の桎梏の下で民族の誇りを取り戻す為のぎりぎりの表現でした。今後も、対外的には根拠の無い誹謗には反論しても、政府の立場で大東亜戦争の正当性を主張することは基本的に避けざるを得ません。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/09/blog-post_10.html
それは諸国民の声を通じて内外に拡散して行くという姿勢に徹するべきでしょう。
ポーランド王国は再興までに140年かかりました。日本もそのくらいの覚悟をするべきでしょう。
毛沢東は1949年に中華人民共和国を建国したとき、漢民族の誇りを取り戻すための100年戦略を持っていたそうです。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html
2015年12月10日木曜日
これが正論でなくて何が正論か!・・武田邦彦フランスの欺瞞を語る
一方的な殺戮戦争を始めたのはフランスである。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_49.html
5年前の日記に白人優位思想の終焉と書いたが、それは日本人以外の有色人種には言えても日本人には言えそうもない。
日本人の白人コンプレックスは未だに根強く我々の思考を支配している。
左右を問わず語る言葉はすべて白人の言葉、視点は白人の視点、世界観は白人の世界観から一歩も抜けだしていない。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/11/blog-post.html
http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_49.html
5年前の日記に白人優位思想の終焉と書いたが、それは日本人以外の有色人種には言えても日本人には言えそうもない。
日本人の白人コンプレックスは未だに根強く我々の思考を支配している。
左右を問わず語る言葉はすべて白人の言葉、視点は白人の視点、世界観は白人の世界観から一歩も抜けだしていない。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/11/blog-post.html
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