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2012年3月11日日曜日

2011.3.11 は何の記念日となるか?

1年前の今日、相次いで同時に起こった2つ大事件発生から、今日で丁度一年目に当たると言うので、世界各地で記念式典が行われている。 この日に起こった2つの大事件とは、もちろん ①東日本大震災 および ②福島第一原子力発電所の崩壊 のことである。

このうち、いわゆる未曾有の名に値するのは、②であって①ではない。 大震災や巨大津波などは、最近の数百年間に限っても繰り返し起きており、偶々居合わせた当事者にとっては大事件だったかも知れないが、歴史的には日常茶飯事に属する。

しかし、マスコミの報道で見る限り、未曾有の災害として騒がれているのは専ら①であって、②はいつの間にか、政治・経済問題に矮小化されてしまったかに見える。 実際には、すでに被害の確定している① よりも、今なお進行中の② の方が遥かに深刻なはずなのにである。 もっとも深刻だからこそ見てみない振りをしていると言うべきかも知れないが。

②の事件については、昨年の3月13日~4月23日の間、数回にわたって、この BLOG にも書き、一部は英訳してYouTube にも投稿 しておいたので、それ以来、米・露・仏・独・中・ウクライナあたりのサイトから定期的に正体不明のアクセスが来るようになった。 この間、国内外からの反論は1件も無かったし、またこの間の私の主張に修正の必要はまったく無いと思っている。それどころか最近報道され始めた復元議事録の内容から見る限り、むしろ私の常識的判断と推測による断定的記述が殆ど的を射ていたことに驚いている。

因みに、先日、一昨年に続いて出席する心算でいた昨年4月13日の同窓会に、体調ゆえに欠席せざるを得ない旨メールを出した日付を見て、またまた驚いた。 何と、地震発生の当日の深夜(2011/03/11 (金) 0:48)だった。 また、ぐラッとゆれ始めた時は、偶々ケアマネージャーが来ていて妻と3人で今後のリハビリ計画を相談していたところだった。

以下は、昨年の3月13日地震発生の2日後に投稿した日記の全文である。

2011年3月13日日曜日
福島原発・・・国難に再び神風は吹くか?


大津波の騒ぎで幸いにも時間稼ぎが出来ているが、菅首相以下、決死の戦いが始まった。
ようやく明治以来、絶えて久しかった "国難" という言葉が最高司令官である菅首相の口から発せられた。 津波のことではない。 原子力発電所の致命傷のことである。 いま福島第一原発では、東電やメーカーの技術者や研究者が命がけで勝算の定かでない戦いを続けている。

もちろん、世の中には奇跡的成功というものがある。 彼らもそれを信じて全力を尽くしているに違いない。 しかし、それは、いったん故障した "はやぶさ" が "イトカワ" から生還するのを期待するに等しい。 もし、彼らの努力が功を奏したなら、国民栄誉賞は、彼らにこそ与えられるべきだ。

すでに、賢い人々は国外脱出を始めた。 私の親しい50代の物理学者も昨日の便で成田を発った。 たまたま前から共同研究先との約束があったからだが、仮にそうでなくても卑怯だとは思わない。 私自身は、この年で今更逃げ出す気は無いが、いまや一人でも多くの若い人には生き残っていてほしい。 終戦時に自分自身は現地にとどまり、優秀な部下を日本内地に脱出させた多くの旧日本軍将校の気持ちが痛いほどわかる。 急性A型大動脈解離からの 奇跡的生還を果たした損得勘定 の得の筆頭に挙げるべき体験だろう。

あとは、神風が吹くのをまつのみ!


At the Fukushima "GEN-PATSU" (Nuclear Power Plant), young engineers and scientists are making desperate efforts to stop the nuclear reactor.

If they could succeed in it, by some miracle like "KAMIKAZE",
they should be awarded the "Order of National Hero".

But it is far more difficult than "HAYABUSA's miracurous return to
the Earth".
投稿者 関口益照 時刻: 11:37

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