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2015年1月13日火曜日

因果必然の科学的モデル化(Scientific Modelling of Zen Concepts)

因果必然の科学的モデル化 
(Scientific Modelling of Zen Concepts) http://oureternalmoment.web.fc2.com/ryakureki/inga_hitsunen_model.htm 

これは、私の祖父、関口益三郎から、父、関口益男へ、そして私、関口益照へと託された(と私が勝手に思い込んでいる)祖父子三代に渡る宿題です。 
祖父関口益三郎は、群馬県邑楽郡千代田村字茅野で関口本家の二男として生まれ、明治39年桐生町に歯科医院を開業するが、診療は程々にして『秋石』の雅号で書画骨董に勤しむ一方、曹洞宗の高僧 原田祖岳 老師来桐の折は、市内養泉寺に泊り込み、田中智学住職(慶大教授)とともに参禅するという道俗の間を往来する生涯を過ごしました。 
昭和24年没。 享年70歳。 私が小学校4年生、10歳の時です。 

私が中学生の頃、父から聞いた話によると、原田老師は、アインシュタインの相対性理論の登場に接し、これからは、科学者に "禅理" の解明を期待すると言っていたそうです。
また随一の高弟と目されていた 安谷白雲老師 は、70歳を超えて尚、欧米での "禅" 普及活動を続けていましたが、昭和42年、父が59歳で他界する半年ほど前、4半世紀振りに桐生の我が家に一泊されたことがあり、当時、27歳の富士通社員だった私もその謦咳に接した縁が有ります。 

それ以前から、浪人時代、東大生時代、富士通社員時代、東京情報大学教授時代を通じて、この宿題が頭を離れることはありませんでしたが、俗事に紛れて(事寄せて)先延ばしを繰り返していました。
今回、図らずも急性A型大動脈解離で倒れたにも拘らず、九死に一生を得たのも何かの因縁と思い定め、このような毀誉褒貶の定かでない課題に取り組む決心をした次第です。

『 概念モデル 』 の構築
これは、論理でしかコンセンサスが得られなくなった近代以降の科学技術パラダイムとの近似的橋渡し手段として、一定の効用が有るだろうと想定して試みたものです。
人間の認識力に関するパラダイム転換が起こるのがベストだろうとは思っていますが、今のところ、物理学は、故坂田名大教授が夙に指摘したとおり、現象論からスタートして実体論の領域まで歩を進めてきたものの、本質論には一歩も踏み込んでいません。
サイエンスの世界と認識論の世界の距離は∞かも知れませんが、その極限点としての本質論にベクトルの方向を合わせているのは、今のところ位相数学とその応用としての超ひも理論くらいのものだろうと見当をつけています。
以下のURLは、このように考えるに至った思考過程を振り返ったものです。 

『人は死ぬとどうなるか(究極の難題)』 
その1・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/03/blog-post_12.html 
その2・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_15.html 
その3・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_19.html 
その4・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_21.html 
その5・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_50.html 
その6・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_23.html 
総集編・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_98.html
此処から先は私の思考能力を超えるので、問題提起とヒントの提示に留め、後は若い天才たちの挑戦に期待したいと思います。 

仮設概念モデル・・・とりあえずのメモであり、今後、いろいろ見なおしていきたい。 
1. 宇宙(この4次元時空に限らず未知の宇宙を含む全ての宇宙)は、原因の無限集合とその結果の無限集合で満ちている。
2. 原因の部分集合が縁(未定義の概念) によって一つの部分集合を構成し、その結果としての何らかの現象(例えば4次元時空の場合、一定の時空間において生起し消滅する生命現象など)を起こす。
3. 部分集合としての現象がその活動(時空間)を通じて新たな原因の集合を作り出す。
4. 既存の原因集合と新たに加わった原因集合の要素が、縁によってまた新たな現象を引き起こす。
5. これら因縁果の連鎖を 『業(ごう)』 と呼ぶ。
6. 『色(しき)』 とは、これら無限に多様化する部分集合の反映であり、『空(くう)とは、これらすべての原因集合と結果集合を包含する全集合である。

 以上のプロセスを仮定することによって、禅における 「業」、「縁」、「因果必然」、「色即是空、空即是色」、「生まれ変わり(=個体単位の魂の入れ替え) の否定」 等の表現を矛盾無く説明できるのではあるまいか。 
但し、仮に識者の協力を得て矛盾の無いモデルが出来たとしても、今度はそれを如何に検証するかの難題が残り、とくに、ここで言う 「因果律」 を 「物理学的因果律」 とどう関連付けるかについては、今のところお手上げである。
結局、「只管打座」 に逆戻りするだけかも知れない。 

しかし、数学的モデルであれば、少なくとも論証は可能だろうし、物理学的モデルであれば、いずれ何時の日にか実験による検証も可能になるはずである。 私としては、禅に有ってサイエンスに無いもの、、つまり、『縁』 の導入に一つの手掛かりが見出せないかと期待している。 例えば、原因I と原因J が結びついて結果IJ を生じるとしよう。このとき、無限に存在する原因の中から、なぜこの2つの原因が結びついて相乗効果を齎すのか、現代科学では説明を放棄しているが、ここに若し縁という作用が存在し、これら2つの原因を結びつける力として作用すると仮定すれば、現代科学を無味乾燥な確率論の世界から、意味のある因果応報の世界に脱皮させ、生き甲斐という言葉が重要な意味を持つ世界が現前する事になるかもしれない。
では、この縁なる作用の存在を如何にして検証し、計測するか、若しこれに成功すれば、それは世紀のと言うより、ミレニアムレベルの大発見となるだろう。 駒澤大学あたりですでに概念モデル作りに着手していることを期待するが、もしその気が無いとすれば 道元禅師 が嘆くだろう。