昨日の日経朝刊〝経済教室"で長谷部恭男東大教授が"集団的自衛権の論点㊦"と題して現行憲法擁護論を展開されている。
これを敢えて詭弁と難ずるからにはそれなりの理由を示さなければならない。一つ一つの文言を辿っていく限り、氏の導出する結論は否定しがたいように見えるが、集団的自衛権が議論されざるを得ない現在の日本が直面している困難に対して何も答えていない。明らかに正論を装った世論誘導だと言わざるを得ない。
このすり替えないし飛躍を的確かつ簡潔に示すのはそう簡単ではない。少なくとも文系的読解では、天下の東大法学部教授の論理の破綻を指摘するのは不可能に思える。しかし、理系的視点で全体の構成を見て行くと鮮明に詭弁の詭弁たる所以を示すことが出来る。これは、NTT民営化に当って石川島播磨重工から送り込まれた真藤社長が抵抗勢力の詭弁を一蹴した時に使った発想である。
彼ら抵抗勢力の常套手段は、随所に暗黙の前提を忍び込ませることや尤もらしい論理の羅列で、課題の焦点をずらしたり、暈したりすることであるが、理系エンジニアの真藤社長から見れば、彼らの報告書が何ら解決すべき課題に答えていないことは明白だった。要するに彼らの報告書(設計図)では、組織(システム)は機能しないのである。
以下、上記の視点で、"集団的自衛権の論点㊦"が何らの意味も持たないどころか、システムを誤動作させかねないことを示す。
(つづく・・・鬱のサイクルに入ったらしく、気が乗らないので一旦中断する。 結論から言えば、客船の設計図が求められて居るのに、ロケットの設計が必要だというような詭弁を弄していると言いたいのだが、ピッタリの例を探すのと、氏の論説との対応を的確に対比させる手間を考えると、気が進まない。もう少し気力・体力が上向きになるまで待ちたい。 一応攻め口は示した心算なので、お急ぎの方はご自分で試みてください)
2013年10月25日金曜日
2013年10月22日火曜日
発端は朝日新聞記者の捏造記事!
モンスターペアレントに対する公立学校教員の謝罪劇を見ているようで、何とも次元の低い鬱陶しい話です。
全ての元凶は、一人の卑怯卑劣な日本人(朝日新聞記者)の捏造記事にあったとは!
それにしても、こんな言いがかりを付けてくる某国の大統領にも呆れますが、それに対して、碌に調べもせずいきなり謝ってしまった我国総理のだらしなさには、空いた口が塞がりません。
追記: 2011.11.16
中韓が大東亜戦争を全否定しなければならないのは、それを肯定したら日本がアジアの解放者であったことを認めることになり、中国が東亜の盟主であるとする華夷秩序史観を放棄することになるからだという卓見を見つけました。
なるほど、それなら彼らが滅亡するまで主張を変えない筈です。
下記のブログの 「(私のコメント)の節」 にあります。
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/194.html
追記: 2011.11.16
中韓が大東亜戦争を全否定しなければならないのは、それを肯定したら日本がアジアの解放者であったことを認めることになり、中国が東亜の盟主であるとする華夷秩序史観を放棄することになるからだという卓見を見つけました。
なるほど、それなら彼らが滅亡するまで主張を変えない筈です。
下記のブログの 「(私のコメント)の節」 にあります。
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/194.html
2013年10月18日金曜日
Canon in D (Pachelbel) - パッヘルベルのカノン -
この曲を聞いていると、病苦や世相への苛立ちが何処かへ飛んでいってしまいます。
15年ほど前のこと、夕方、銀座通りから有楽町駅へ向かう途中の路上でスペイン人の若い女性がフルートでこの曲を奏でていたのを聞いて以来、耳に残って消えません。ニューヨークでオーケストラをバックに録音したと言うCDを今でも持っています。
追記: MARTA AYM という人でした。
「私に音楽を学ばせてくれた両親の愛に感謝します・・・」という手書きのポスターとニューヨークで自費製作したというCDアルバムを紹介していましたので、カノンが収録されているのを確認して一枚買うことにしました。確か1000円だったかなと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/torikera3/21484836.html
15年ほど前のこと、夕方、銀座通りから有楽町駅へ向かう途中の路上でスペイン人の若い女性がフルートでこの曲を奏でていたのを聞いて以来、耳に残って消えません。ニューヨークでオーケストラをバックに録音したと言うCDを今でも持っています。
追記: MARTA AYM という人でした。
「私に音楽を学ばせてくれた両親の愛に感謝します・・・」という手書きのポスターとニューヨークで自費製作したというCDアルバムを紹介していましたので、カノンが収録されているのを確認して一枚買うことにしました。確か1000円だったかなと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/torikera3/21484836.html
2013年10月14日月曜日
世界一の美技と気迫!・・宇佐美里香の空手「形」演武
世界空手道選手権「型」の部で優勝した宇佐美里香さんの演武
世界一にもなれないテニスやゴルフばかり報道しているマスコミの真意を疑いたくなります。
単に無知だからだとは思えません。多分、武道≒暴力≒軍国主義≒侵略戦争 という占領軍による洗脳政策の協力者及び追随者達が、中学校教育での武道の必修化に危機感を募らせ、自分達の既得権を維持するために最後の抵抗を試みているのでしょう。
その背後には、骨抜きにしたはずの日本人に骨が残っていたことを認め たくない勢力があるということです。
むしろ警戒すべきは、文科省と日教組による武道の骨抜きです!
世界一にもなれないテニスやゴルフばかり報道しているマスコミの真意を疑いたくなります。
単に無知だからだとは思えません。多分、武道≒暴力≒軍国主義≒侵略戦争 という占領軍による洗脳政策の協力者及び追随者達が、中学校教育での武道の必修化に危機感を募らせ、自分達の既得権を維持するために最後の抵抗を試みているのでしょう。
その背後には、骨抜きにしたはずの日本人に骨が残っていたことを認め
2013年10月11日金曜日
日経春秋欄の安倍晋三論・・メディアリテラシーその2
以前にも、2011年11月8日に、日経春秋欄の石原莞爾論と題して、いわゆるメディアリテラシーを論じたことがある。要するに、新聞・テレビ等における報道や記事の文面からは直接読み取れない意図を読むことである。
前回の投稿は、TPPに事寄せて、黒船論を引き合いに出し、事のついでに、東京裁判の証人として欧米列強の植民地支配を痛烈に批判した石原莞爾の人格を貶めようとする底意を指摘したものであるが、今回は、五輪招致演説および水俣条約会議に寄せた挨拶文での安倍首相の言葉尻を捉えて、揚げ足取りではないと言いながら、その実、揚げ足取りとしか言いようのない人格批判に終始していることを指摘するものである。
まずは前回に習って、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄 の全文を転載すると・・・
(10.11・・疲れたので休憩)
(10.12・・再開)
「言葉尻だけ捉えるのはつまらないはなしです」。政治家の言葉をやり玉にあげるマスコミに、6年前に死去した作家の城山三郎がくぎを刺した。ただ「その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」(「『気骨』について」)
▼これから書く話は城山さんもわかってくれるだろう。安倍首相が水俣条約会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これに水銀病患者の側から「被害は克服されていない」と反発が出ているという。
▼「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる何ものかを感じとった人も多いのではないか。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。考えてみればどちらも同じ構図である。
▼五輪を東京で開く。世界を水銀の汚染、あらたな水俣病から守るために指導力を発揮する。どちらも大義ある話しだ。首相が国を引っ張るのも当然だろう。しかし、その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いやどうしても「本質」と思えてならない。
以上が、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄の全文である。
この筆者も、さすがに安倍首相の論旨に隙を見つけることが出来なかったらしい。そこで、例によって論点をすりかえ、安倍首相の人格に問題があるかのような揚げ足取りに終始せざるを得なかったようだ。
そもそも、上記の挨拶はもともと、諸外国に対して我国が積極的に努力してきたこと、これからも同様に全力を尽くして行こうとしていることを宣言したものであり、現に水俣病と格闘している研究者や破綻した福島第一原発の暴発を回避するために命をかけている人々への信頼を表明したものである。
水俣病患者の訴えが100%満たされ、福島第一原発の危険が100%克服されるなどということが有り得ないことは、世界中の識者の常識である。この筆者は、安倍首相が、命がけで使命を果たしている関係者の努力の成果が評価に値しないとでもいえば納得するのだろうか。
おそらくそうなったら、我国の信用は地に落ち、政府は転覆し、若者は落胆、絶望するだろう。
もっとも、それがこの筆者の真に望んでいることだとすれば、また、何をか謂わんやであるが。
最後に一言、福島第一原発の故吉田所長は、事故発生直後、冷却システムが致命傷を負い、回復不能であることを知った時から、命を捨てる覚悟を決め、生死を共にしてくれる部下を選んでいたという。と同時に政府や本社からなんと言ってこようと、海水の注入を止めるなと指示したそうだ。それは、もしそうしなかったら、チェルノブイリの数百倍、広島型原爆数百発に相当するエネルギーが解放され、もはや東北は愚か、東日本全域の放射能汚染は避けられず、無人の野に帰しかねないことを知っていたからだ。(月間「WILL」2013年8?月号インタビュー記事)
こういう英雄的な方々の献身によって、福島第一原発の廃炉は辛うじてコントロールされてきたし、今もなお、創意工夫と試行錯誤を繰りかえしながらコントロールされ続けているのだ。
世界中の専門家が感嘆と危惧の目を持ってその命がけの綱渡りを見守っている中で、安全地帯からそれに水を差すこの筆者の真意を疑わざるを得ない。
前回の投稿は、TPPに事寄せて、黒船論を引き合いに出し、事のついでに、東京裁判の証人として欧米列強の植民地支配を痛烈に批判した石原莞爾の人格を貶めようとする底意を指摘したものであるが、今回は、五輪招致演説および水俣条約会議に寄せた挨拶文での安倍首相の言葉尻を捉えて、揚げ足取りではないと言いながら、その実、揚げ足取りとしか言いようのない人格批判に終始していることを指摘するものである。
まずは前回に習って、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄 の全文を転載すると・・・
(10.11・・疲れたので休憩)
(10.12・・再開)
「言葉尻だけ捉えるのはつまらないはなしです」。政治家の言葉をやり玉にあげるマスコミに、6年前に死去した作家の城山三郎がくぎを刺した。ただ「その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」(「『気骨』について」)
▼これから書く話は城山さんもわかってくれるだろう。安倍首相が水俣条約会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これに水銀病患者の側から「被害は克服されていない」と反発が出ているという。
▼「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる何ものかを感じとった人も多いのではないか。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。考えてみればどちらも同じ構図である。
▼五輪を東京で開く。世界を水銀の汚染、あらたな水俣病から守るために指導力を発揮する。どちらも大義ある話しだ。首相が国を引っ張るのも当然だろう。しかし、その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いやどうしても「本質」と思えてならない。
以上が、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄の全文である。
この筆者も、さすがに安倍首相の論旨に隙を見つけることが出来なかったらしい。そこで、例によって論点をすりかえ、安倍首相の人格に問題があるかのような揚げ足取りに終始せざるを得なかったようだ。
そもそも、上記の挨拶はもともと、諸外国に対して我国が積極的に努力してきたこと、これからも同様に全力を尽くして行こうとしていることを宣言したものであり、現に水俣病と格闘している研究者や破綻した福島第一原発の暴発を回避するために命をかけている人々への信頼を表明したものである。
水俣病患者の訴えが100%満たされ、福島第一原発の危険が100%克服されるなどということが有り得ないことは、世界中の識者の常識である。この筆者は、安倍首相が、命がけで使命を果たしている関係者の努力の成果が評価に値しないとでもいえば納得するのだろうか。
おそらくそうなったら、我国の信用は地に落ち、政府は転覆し、若者は落胆、絶望するだろう。
もっとも、それがこの筆者の真に望んでいることだとすれば、また、何をか謂わんやであるが。
最後に一言、福島第一原発の故吉田所長は、事故発生直後、冷却システムが致命傷を負い、回復不能であることを知った時から、命を捨てる覚悟を決め、生死を共にしてくれる部下を選んでいたという。と同時に政府や本社からなんと言ってこようと、海水の注入を止めるなと指示したそうだ。それは、もしそうしなかったら、チェルノブイリの数百倍、広島型原爆数百発に相当するエネルギーが解放され、もはや東北は愚か、東日本全域の放射能汚染は避けられず、無人の野に帰しかねないことを知っていたからだ。(月間「WILL」2013年8?月号インタビュー記事)
こういう英雄的な方々の献身によって、福島第一原発の廃炉は辛うじてコントロールされてきたし、今もなお、創意工夫と試行錯誤を繰りかえしながらコントロールされ続けているのだ。
世界中の専門家が感嘆と危惧の目を持ってその命がけの綱渡りを見守っている中で、安全地帯からそれに水を差すこの筆者の真意を疑わざるを得ない。
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