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2010年8月31日火曜日

江田五月君のホームページを情報貝塚へ

江田五月君のホームページと私の提唱する情報貝塚に何の関係が有るのか、熱中症気味で詳しく説明する気力が無いので今日のところは一言だけ述べておく。

8月28日の日経朝刊文化欄で同社編集委員の松岡資明氏が政治家個人の私文書の資料的重要性を論じているが、これこそ私の提唱する情報貝塚の意義を裏付ける根拠の一つだからである。 ここで私が氏の注意を促したいのは、その私文書の中にWEB上の電子文書も加える必要があるということだ。
私がその候補の筆頭にあげたいと思っているのが、他ならぬ1960年東大入学時のクラスメートでもあり、一昨年発病するまでは毎年数回クラス会で顔を合わせていた 前参議院議長江田五月君のホームページとブログ だと言うことである。

なぜ数ある政治家のホームページのなかで特に江田五月のホームページを推すのかと言うと、彼があの多忙な毎日の中で一日も欠かさずその日のうちに自らPCを叩いてその行動と所感を書き込んでいるからである。 私より2歳若いとは言ってもあの歳でそこまでやる人はまずいない。 これは私の31年に及ぶ富士通勤務と14年間の東京情報大学教員としての体験から断言できる。 理由は企業でも役所でも部長以上に偉くなってしまうと部下任せ、秘書任せでPCを触らなくなってしまうからだ。 江田君が、一旦書いてしまったら世界中に流れてしまうことを百も承知で敢えてその危険を顧みず書き続けている姿勢には、思想的には彼の市民主義に若干距離を置く私ではあるが、友人として心から敬服している。

そこで、私のHPに載せてある辞世
身はたとえ 一期一会に 終わるとも うずめ置かまし 情報貝塚
を本歌にして

江田五月 かくも多忙な 日々の日記(にき) うずめ置かまし 情報貝塚

2010年8月10日火曜日

泉下の村上泰亮氏に詫びる・・・幻に終わった村上・山本会談

7月23日の日記で日経コラム(明日への話題)での村上陽一郎氏の言に触れたが、7月30日の同欄では、自然保護について書かれていた。 いわゆる生物多様性とか自然保護と言っても、要するに人間様のご都合主義に過ぎない、と言う趣旨で、それなら自然保護などと偽善的な言葉を使わず、文化財保護と言えば良い・・・というまことに当を得た指摘であった。 しかし、この1週間、同じ趣旨の文章を何処かで見た気がしてならなかった。 あるいは最近ますますはげしくなった既視感の所為かとも思ったがどうもおかしい。 そのうち昼寝の最中にはたと気がついた。 そうだ! 故村上泰亮氏から寄贈された 『反古典の政治経済学(上下2巻)』 のなかに今後数世紀の世界の潮流を規定する3つの対立軸の一つとして挙げられていた産業主義対反産業主義の説明にそっくりだ。両氏は兄弟か親戚関係なんだろうか。
この著書は、村上泰亮氏が晩年、国際大学グローバルコミュニケーションセンターの教授として公文俊平らの活動に参画しておられた頃、富士通との共同研究会の場で何度か同席した縁でいただいたもので、特に個人的な親交があったわけではない。
それなのに、なぜお詫びしなければならないかと言うと、氏が生前富士通の山本卓眞社長(当時)に是非直接会って話しておきたいことがあると言われていたことを知り、かつ、当時の富士通本社秘書室の茶坊主が消極的でなかなか実現しないのを仄聞しながら、ついに仲介の労を執ることなく終わってしまったからである。
入社当時の課長であり結婚式では主賓としてお呼びし、新婚旅行から戻ってすぐ夫婦で上高田のご自宅へ挨拶に伺ったくらいだから、秘書室など通さず直接お願いに行けばよかったのに、どうして・・・と苦やまれてならない。かくて私の優柔不断の故に傑出した憂国者同志の歴史的会見はついに実現することはなかった。

2010年8月2日月曜日

現実的中立国家の構想

これまでの日記を読んで、私を軍国主義者だと 誤解する人がいるかも知れない。 しかし私がゾンビだと決め付けているのは国家不要論者や空想的平和主義者であって、まじめな平和主義者ではない。 もっとも今のゾンビ社会では実現可能性のある方策を示すまじめな平和主義者にお目にかかったことがないので悪口をいう機会が多くなるのも仕方が無い。
イラクのサマーワに派遣された自衛隊員たちの爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。
何が不真面目かと言うと、戦争は殆ど常に強い側から弱い側が追い詰められて起きていることを知らないか、知っていながらそれを言わないからだ。
早い話が、大東亜戦争だってアメリカがイギリスと中国の悲鳴を無視できず、ルーズベルト大統領が不戦の選挙公約を反故にする口実を作るために日本を奇襲攻撃せざるを得ない窮地に追い込んだ戦略の一環に過ぎない。 そこが真珠湾であろうが何処であろうが要は米国の一部でありさえすればよかったのだ。 その点、米国の度重なる挑発にもかかわらずその手に乗らなかったドイツの方が賢かったと言う人もいるが、そうではなくドイツが強大だったため追い詰めあぐねていただけのことで、それより石油の無い日本を追い詰める方が手っ取り早かっただけだ。

要するに何がいいたいかと言うと、戦う能力も無い弱小国が、平和、平和、と唱えても、それだけではまさに犬の遠吠えに過ぎないと言うことだ。 戦争をする能力と意思を持った国(日本以外の全て)が、戦争を仕掛けることに利益を感じるときそれを防ぐ手段は無い。 国際世論などという者がいるが、それ自体が強国の格好の操作道具として使われることを知らないとは言わせない。

だから軍事力を強化しろと言うのではない。 日本の運命を左右する能力を持つ有力者(超大国の実力者、超資産家、超名家、超名望家・・・たとえば英王室)が個人的に日本の安全を望まざるを得ない仕掛けを作ればよいのだ。

要するに今や規模においても地理的条件においてもラストリゾートとして機能不全に陥ったスイスやスェーデンに代わって世界一のラストリゾート国家を目指すというのも100年単位で考えればありうる話である。 たとえば、超一流の全寮制学校を数十から数百設立し、世界中から有力者の子弟をかき集めるなどはどうだろう。 気違いでもない限り自分の命より大切な家族や財産の置き場所に核戦争を仕掛ける変わり者がいるとは思えない。

もちろんそのためには色々な思い切った施策が必要になろう。 たとえば個人資産1兆円までは相続税を免除するくらいのことでビビッテは ならない。 ことは国家100年の大計である。 その位の覚悟がなければ、ロックフェラーやビル・ゲイツが老後を過ごしたいとは思わないだろう。

早い話が江戸幕府が300年も前に大成功した大名家族人質作戦と大藩の相互牽制策の国際版である。 そして、此処が肝心な処だが、これを国策として内外に公示することである。 おそらく賛否相半ばするだろうが、真の超有力層(ヨーロッパ貴族、中国・アジアの権力者、米国の大富豪・・・・)は表向きの発言はともかく内心は大賛成だろう。 これぞ人間の本性に支えられた究極の国家安全保障戦略である。

これが実現性をもつ理由は、わが国が島国で不法入国に強いこと、10億人単位の超大国に囲まれていること、文化レベルが今や超一流で、とくに若い世代に人気のあること、結構しっかりした治安部隊(国内治安、不法侵入に対する治安・・ただし、その気になればの話だが)を持っていること・・・などであるが、課題も多い。 見苦しく荒れ放題の街区や里山、古い民家の保存と修復、小うるさい規制・・・等々。 しかし金はあるし、さらに世界の超大富豪たちが集まって来るのだからけちけちせずにどんどん投資すればよい。 100年後には世界中の名士にいつでも散歩の途中で行き会う日常になっているだろう。 これは絵空事ではない。 現在のスイスを見れば分かる。

いずれにせよ、日本国民にいざとなったら戦う気概が無ければ誰も寄り付かないだろう。