最近、ホリエモンこと堀江貴文氏の語る動画を見る機会があった。一つはケーブルTVのニュースだったと思うが、もう一つはネット遊民の送りつけてくるメールマガジンでの、成功物語人気投票(これもアクセス稼ぎの一手段だろうと推測するが)で、両方とも有罪判決後のインタビューの一部だったと思う。
とくに後者は、投稿を要求しているので、移用されることを承知の上で下記の投稿をしておいた。
私は、2年半前に急性A型大動脈解離と言う殆ど致命的な大病で死線をさまよった後、幸か不幸か生還した71歳の元IT技術者(1960年以来50年のキャリア)ですが、WEB自分史のつもりで、HP, BLOG, YouTube、 facebook を始めました。しかし、同世代の友人は、皆ITオンチで誰も見てくれず、アクセスしてくるのは団塊2世以下の若い人ばかりです。
今では、死後に期待して自己満足のWEB作りに専念していますので、私自身はビジネスには全く関心がありませんが、若い人にはくれぐれも時代の波(IT&NET革命)に乗り遅れないようにと言わざるを得ません。これは、蒸気機関車⇒自動車⇒航空機 に続く一大革命です。そのことに気がついていない若者がいると思うと、黙っていられなくなりました。
もともと、堀江氏には、世間の批判にかかわらず親近感を持っていたのですが、言われることが一々尤もで、ますます好感を持ちました。改めて言います。時代は完全にNETの時代に変わりました。ホリエモンの言うとおりです。これからビジネスに乗り出そうと言う人はもち勿論、これまで事業にかかわってってきた人や、組織内労働者もそれを前提に生きてほしいと思います。
もう一つ、付言しておきたいのは、彼の話には他人の稼ぎの上澄みを跳ねるという発想は毛頭なく、ただ無一物の男が、新しい事業(付加価値を生む)を始めた時の経験にもとづくアドヴァイスに一貫していることです。
そうそう、私が堀江氏に共感を覚えるには、もっと深い理由があります。 彼も(多分)私と同じような性格、つまり社会的不適応者(Social Misfit) だからではないかと思うからです。
この言葉は、東大本郷での法経共通の必修科目として仕方なく受講した法学部京極純一教授の政治学概論で唯一記憶に残っている用語ですが、駒場時代文科一類に入ったものの、大半の級友が高位高官を目指す中で自分だけがそうでないことに違和感を抱いていた私の琴線に触れるものがありました。
それ以来サラリーマンになってからも時に触れて思い出し、時には口に出して同僚から気障だとの顰蹙を買ったものです。
2011年6月19日日曜日
2011年6月3日金曜日
散歩で気晴らしの筈が・・・「縁なき衆生は度し難し」
少し長くなるが、2010年12月11日土曜日の日記を再掲させていただくと・・・
体調の如何にかかわらず散歩に出かけることにしてから、かれこれ半月くらいになるが、流石にきつい。1キロほど先のコーヒーショップを目指して行くのだが、店につく頃には疲労困憊し、動悸は亢進するは、足は棒のようになるはで、居ても立っていられない気分になる。 店に入っても暫くの間は、コーヒーにも口をつけず目を瞑って気分の回復を待つようなありさまで、ここのところ数日、家まで辿り着けるだろうかとはらはらすることが多い。
もちろん、基本的には、体調自体の良し悪しに左右されるのだが、途中での出来事によって元気が出てくることもあれば、また、その逆もある。 たとえば・・・
10分程行った所(普通の人なら3分位?)に公園があるが、往復の途時、午後3時ごろまでに行くとよちよち歩きから10歳くらいまでの子供たちが遊んでいることが多い。 小さな子供が遊んでいるのを見るのは、それ自体が楽しいが、この公園で遊んでいる子供たちの場合、見ているこちらの方がはらはらするような場面でも、傍にいる若い母親たちが少しも騒がず、平然としているか、むしろ、叱咤激励する勢いだからである。 ああ、これなら自分たちの子供の頃とあまり変わらないなと安心する。
一方、いつも行くコーヒーショップでの当たり外れは大きい。
場所が辻堂駅から慶応SFCへ行く大通りに面しているので、今週のように期末試験のシーズンになると、ノートやプリントと睨めっこしている学生を見かけるが、彼らの近くに席が取れたときは、現役時代、職場の近辺や通勤途中の駅のコーヒーショップで時間潰しをしたときの雰囲気で、大変落ち着く。 何よりも、誰も大声を出したり、のべつ幕無しに喋り続けたりする者が居ないのがいい。
ところが、今日のように、折角、学生たちの近くに席が取れたというのに、一人だけ、馬鹿丸出しのおばさんがいて、必要以上に大きな声、それも品のない声で、得々とくだらない話をしているのにぶつかった時はまったく閉口する。 私を含めて周囲に聞かせたくて喋っているのが見え見えである。 連れのおばさんは、低い声で相槌を打つだけだから、おそらく腐れ縁と諦めているのだろう。 こういう手合いはどこにでもいるが、本人にその自覚がないのだから、どうしようもない。・・・
この間、苦痛に耐えながら、こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、はたと気がついた。 昔の人は旨いことを言ったものだ。
「燕雀安知鴻鵠之志哉」
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや
今日の散歩も、最初から体調が思わしくなく、往復中の苦痛は相変わらずだったが、途中の公園では久し振りに数人のお母さんたちが就学前の幼児を遊ばせており、中には下半身スッポンポンで泥水のなかを駆け回っている子や、両手離しでコンクリート山に駆け上がる子がいるなど、真に今どき頼もしい光景を見ることが出来て、自分も少しは頑張らねば("顔晴る"と書くことにしているご婦人もいるらしいが)と言う気持ちになれた。
しかし、その後行き先のコーヒーショップでの悪夢は前回の比ではなかった。 数人のオバサン族の中に飛び切り下品で声の大きいのがいて、限もなく "カラオケ" での自慢話(本人だけはそのつもり!)を続けていて一向にやめる気配がない。 結局、前回同様ほうほうの体で引き揚げてきた。
どうにも、腹の虫が納まらないので、帰路の間中こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、あまりにも下劣なので前回の格調高い詩句・・・
「燕雀安知鴻鵠之志哉」
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや
程度ではとても納得できそうもない。
こうなったら、お釈迦様の心境に徹するしかないと、究極の科白に訴えてお茶を濁すことにした。
「縁なき衆生は度し難し」
気に食わない人間に出合ったときの決め台詞ではあるが、もう少し人間が出来ていれば、こんな手合いにでも悪感情を持たないで済むのだろう。 この歳になっても崇敬する 山岡鉄舟 には逆立ちしても及ばないとは・・・情けないことではある。
因みに鉄舟が行住坐臥唱えていたのは、同じ仏語でも上記のような突き離した句ではなく、全てを包容する四弘誓願(しぐせいがん)の第一行目 「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」だったそうだ。
体調の如何にかかわらず散歩に出かけることにしてから、かれこれ半月くらいになるが、流石にきつい。1キロほど先のコーヒーショップを目指して行くのだが、店につく頃には疲労困憊し、動悸は亢進するは、足は棒のようになるはで、居ても立っていられない気分になる。 店に入っても暫くの間は、コーヒーにも口をつけず目を瞑って気分の回復を待つようなありさまで、ここのところ数日、家まで辿り着けるだろうかとはらはらすることが多い。
もちろん、基本的には、体調自体の良し悪しに左右されるのだが、途中での出来事によって元気が出てくることもあれば、また、その逆もある。 たとえば・・・
10分程行った所(普通の人なら3分位?)に公園があるが、往復の途時、午後3時ごろまでに行くとよちよち歩きから10歳くらいまでの子供たちが遊んでいることが多い。 小さな子供が遊んでいるのを見るのは、それ自体が楽しいが、この公園で遊んでいる子供たちの場合、見ているこちらの方がはらはらするような場面でも、傍にいる若い母親たちが少しも騒がず、平然としているか、むしろ、叱咤激励する勢いだからである。 ああ、これなら自分たちの子供の頃とあまり変わらないなと安心する。
一方、いつも行くコーヒーショップでの当たり外れは大きい。
場所が辻堂駅から慶応SFCへ行く大通りに面しているので、今週のように期末試験のシーズンになると、ノートやプリントと睨めっこしている学生を見かけるが、彼らの近くに席が取れたときは、現役時代、職場の近辺や通勤途中の駅のコーヒーショップで時間潰しをしたときの雰囲気で、大変落ち着く。 何よりも、誰も大声を出したり、のべつ幕無しに喋り続けたりする者が居ないのがいい。
ところが、今日のように、折角、学生たちの近くに席が取れたというのに、一人だけ、馬鹿丸出しのおばさんがいて、必要以上に大きな声、それも品のない声で、得々とくだらない話をしているのにぶつかった時はまったく閉口する。 私を含めて周囲に聞かせたくて喋っているのが見え見えである。 連れのおばさんは、低い声で相槌を打つだけだから、おそらく腐れ縁と諦めているのだろう。 こういう手合いはどこにでもいるが、本人にその自覚がないのだから、どうしようもない。・・・
この間、苦痛に耐えながら、こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、はたと気がついた。 昔の人は旨いことを言ったものだ。
「燕雀安知鴻鵠之志哉」
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや
今日の散歩も、最初から体調が思わしくなく、往復中の苦痛は相変わらずだったが、途中の公園では久し振りに数人のお母さんたちが就学前の幼児を遊ばせており、中には下半身スッポンポンで泥水のなかを駆け回っている子や、両手離しでコンクリート山に駆け上がる子がいるなど、真に今どき頼もしい光景を見ることが出来て、自分も少しは頑張らねば("顔晴る"と書くことにしているご婦人もいるらしいが)と言う気持ちになれた。
しかし、その後行き先のコーヒーショップでの悪夢は前回の比ではなかった。 数人のオバサン族の中に飛び切り下品で声の大きいのがいて、限もなく "カラオケ" での自慢話(本人だけはそのつもり!)を続けていて一向にやめる気配がない。 結局、前回同様ほうほうの体で引き揚げてきた。
どうにも、腹の虫が納まらないので、帰路の間中こういう手合いを無視するにはどうしたら良いかを、ずっと考えていたが、あまりにも下劣なので前回の格調高い詩句・・・
「燕雀安知鴻鵠之志哉」
えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや
程度ではとても納得できそうもない。
こうなったら、お釈迦様の心境に徹するしかないと、究極の科白に訴えてお茶を濁すことにした。
「縁なき衆生は度し難し」
気に食わない人間に出合ったときの決め台詞ではあるが、もう少し人間が出来ていれば、こんな手合いにでも悪感情を持たないで済むのだろう。 この歳になっても崇敬する 山岡鉄舟 には逆立ちしても及ばないとは・・・情けないことではある。
因みに鉄舟が行住坐臥唱えていたのは、同じ仏語でも上記のような突き離した句ではなく、全てを包容する四弘誓願(しぐせいがん)の第一行目 「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」だったそうだ。
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