・アメリカンスクール閉鎖(=非戦闘員引き揚げ)
・前太平洋軍司令官が中韓大使に着任(=残留米軍撤収の総司令官)
当然、海上自衛隊は対馬海峡閉鎖作戦を準備、在韓日本企業に対しては駐在員引き揚げを勧告。
これらの行動はすべて極秘裏に進められているはずである。
今回のマチス国防長官の辞任は、韓国やシリアからの撤収を断行することを決めたトランプ政権の足枷を外したということでしょう。
或いは、現地の将兵の信頼を裏切ることになるマチス氏の立場を配慮してその任を解いたのかもしれません。
いよいよ在韓米軍の撤収が断行されるでしょう。
そうなれば、韓国の侵略行為に対して軍事的反撃が自由にできるようになります。
第一次安倍内閣時代、日米制服組の秘密会議の席上、突然在日米軍側から驚くべき発言があったそうです。
「竹島問題では米国は日本の立場だが、米韓軍事同盟の期限が切れるまでは軍事行動を自制されたい」
米国も日本同様、韓国の嘘八百に引っ掛かって身動きできなくなっていたということです。
2018年12月14日金曜日
女性天皇容認論
こういうのを詭弁というのです。
皇統に繋がるお方であれば・・と言いながら女系天皇を容認したり、万世一系を維持できたのは政略による小細工などによってではなく忠臣・義士の命がけの努力があったからだと言いながら、いきなり今後それは期待できないからやめろと言ったり、支離滅裂で、とにかく愛子内親王に皇位を継がせないのは怪しからんと言っているだけです。
それこそ、これまで命がけで皇統を守ってきた忠臣・義士の努力に対する冒涜です。
https://byoshonikki.blogspot.com/2014/12/blog-post_25.html
私は愛子内親王が人格識見ともに人並み優れたお方ならば、一代限りの女性天皇になられるのは構わないと思っていますが、その後継は、男系男子の新旧皇族に戻すべきだと考えています。
なぜ女系の容認が駄目かというと、配偶者に小室某のような怪しげな男が選ばれたら、その時点で日本の天皇制が崩壊するからです。
女系容認論者の中には必ず皇室乗っ取りを企んでいる人々がいるはずで、彼らが次にすることは、愛子内親王の前に彼らの息のかかった一見非の打ちどころのない好青年を連れてくることです。
皇統に繋がるお方であれば・・と言いながら女系天皇を容認したり、万世一系を維持できたのは政略による小細工などによってではなく忠臣・義士の命がけの努力があったからだと言いながら、いきなり今後それは期待できないからやめろと言ったり、支離滅裂で、とにかく愛子内親王に皇位を継がせないのは怪しからんと言っているだけです。
それこそ、これまで命がけで皇統を守ってきた忠臣・義士の努力に対する冒涜です。
https://byoshonikki.blogspot.com/2014/12/blog-post_25.html
私は愛子内親王が人格識見ともに人並み優れたお方ならば、一代限りの女性天皇になられるのは構わないと思っていますが、その後継は、男系男子の新旧皇族に戻すべきだと考えています。
なぜ女系の容認が駄目かというと、配偶者に小室某のような怪しげな男が選ばれたら、その時点で日本の天皇制が崩壊するからです。
女系容認論者の中には必ず皇室乗っ取りを企んでいる人々がいるはずで、彼らが次にすることは、愛子内親王の前に彼らの息のかかった一見非の打ちどころのない好青年を連れてくることです。
2018年10月31日水曜日
海外人材受け入れの公認は移民政策への転換ではない。・・・在留外国人の管理強化が目的。
海外人材受け入れの公認は移民政策への転換ではありません。
その実態は在留外国人管理法です。それを移民政策への転換だというのは、平和安全法制を戦争法制だという詭弁の裏返しです。
その背景は
①これまで事実上黙認されてきた在留外国人による不法労働が放置できないレベルに至ったこと。
②住民基本台帳とマイナンバー(何で日本語で言わないんだ!)の制度化によって在留外国人に在留カードの所持を義務付けることができるようになったこと。
の2つで、この際一挙に在留外国人の徹底管理に踏み切ろうというのが真の目的です。
既に、在日韓国人による通名を悪用した成りすまし犯罪の摘発や牽制に、絶大な威力を発揮しつつあることを見ても、その狙いは明らかでしょう。。
「海外人材受け入れの推進」を謳っているのは、内外の反日プロパガンダを回避するための煙幕だと解するのが常識です。
その実態は在留外国人管理法です。それを移民政策への転換だというのは、平和安全法制を戦争法制だという詭弁の裏返しです。
その背景は
①これまで事実上黙認されてきた在留外国人による不法労働が放置できないレベルに至ったこと。
②住民基本台帳とマイナンバー(何で日本語で言わないんだ!)の制度化によって在留外国人に在留カードの所持を義務付けることができるようになったこと。
の2つで、この際一挙に在留外国人の徹底管理に踏み切ろうというのが真の目的です。
既に、在日韓国人による通名を悪用した成りすまし犯罪の摘発や牽制に、絶大な威力を発揮しつつあることを見ても、その狙いは明らかでしょう。。
「海外人材受け入れの推進」を謳っているのは、内外の反日プロパガンダを回避するための煙幕だと解するのが常識です。
2018年10月30日火曜日
ディープステートの正体
2018年10月7日日曜日
民主主義という名の欠陥制度!
民主主義(実態は選挙主義)を標榜する限り、甲論乙駁は避けられません。
行政の正式見解が常に為政者の意思に沿っているわけではありませんし、学会の定説が常に最先端の学説を反映しているわけでもありません。
選挙結果は屡々投票者の独断と偏見の総計であるか、マスコミの世論誘導の結果であるかのどちらかです。
私たち個人にとっての選択肢は、①甲論乙駁には一切関与しない。②甲論乙駁に参加して戦う。③取り合えず事実を見極める。 このうち一番難しいのは③です。
これは結局、個人の経歴(知識と経験)、資質(知性と人格)、運(境遇と出会い)の如何によって左右されます。
しかし、民主主義の手続き(=多数決)を遵守する限り、悪貨が良貨を駆逐するのは避けられません。
これを阻止するためには、何らかの非常手段が制度に組み込まれている必要があります。
行政の正式見解が常に為政者の意思に沿っているわけではありませんし、学会の定説が常に最先端の学説を反映しているわけでもありません。
選挙結果は屡々投票者の独断と偏見の総計であるか、マスコミの世論誘導の結果であるかのどちらかです。
私たち個人にとっての選択肢は、①甲論乙駁には一切関与しない。②甲論乙駁に参加して戦う。③取り合えず事実を見極める。 このうち一番難しいのは③です。
これは結局、個人の経歴(知識と経験)、資質(知性と人格)、運(境遇と出会い)の如何によって左右されます。
しかし、民主主義の手続き(=多数決)を遵守する限り、悪貨が良貨を駆逐するのは避けられません。
これを阻止するためには、何らかの非常手段が制度に組み込まれている必要があります。
2018年9月25日火曜日
2018年9月20日木曜日
凶悪なグローバリズムの権化・・モンサントの黄昏?
こういう事実を一切報道せず、安倍晋三の人格否定に全力を挙げるTV・新聞と政官財売国勢力の嘘に気を付けましょう。
NHKを始めとするTVの報道部,朝日・日経を始めとする新聞の政治部は、この30年の間に、完全に極左・反日勢力の牙城と化してしまいました。
NHKを始めとするTVの報道部,朝日・日経を始めとする新聞の政治部は、この30年の間に、完全に極左・反日勢力の牙城と化してしまいました。
2018年8月28日火曜日
日本でキリスト教が流行らないわけ(続) ・・周回遅れのお説教に付き合っても無駄だから?
日本の一流の知性は、聖徳太子の時代から論理を超えた英知を論理的に説明するという絶望的な努力をしてきましたが、一人としてそれに成功した人はいません。
禅の世界で最も論理的だと言われている道元すら最後に残した言葉はは、不立文字、只管打坐です。
大拙、漱石らはその入り口で断念していますし、最後の禅僧と言われ、私の祖父や宮沢賢治も師事していた原田祖岳もそうでした。
http://oureternalmoment.web.fc2.com/ryakureki/inga_hitsunen_model.htm
私が高校生のころから「禅概念の科学的モデル化」をライフワークとして東大進学を決めたのもそのためでしたが、どうにも歯が立たず今日に至っています。
ごく最近、丸山眞男もそうだったらしいと知って親近感を覚えたことは以前ここでも触れたとおりです。 彼らが最後に想定していた日本思想を一言でいえば、真理は成り行きそのものにある、ということのようです。
つまり、日本人が無意識に共有している世界は、予定調和でもなく、さりとて無秩序でもない無限の生成過程とでもいうべき時空だということです。
したがって、それを面白くするのもつまらなくするのも各人の営為次第ということになります。
随所に主たり」という禅語はその謂でしょう。
もしそうだとすれば全国民が、無意識のうちにこのような世界観を共有するに至った淵源は何かという疑問がわいてきます。
分からないのは当然ですし、一概に言えないのも当然です。
私としては、丸山眞男がどこまで日本思想の根源に迫り、それをどこまで西欧流の論理で説明できたかに注目したいと思います。
松岡正剛氏の丸山眞男論の続編が待たれます。
禅の世界で最も論理的だと言われている道元すら最後に残した言葉はは、不立文字、只管打坐です。
大拙、漱石らはその入り口で断念していますし、最後の禅僧と言われ、私の祖父や宮沢賢治も師事していた原田祖岳もそうでした。
http://oureternalmoment.web.fc2.com/ryakureki/inga_hitsunen_model.htm
私が高校生のころから「禅概念の科学的モデル化」をライフワークとして東大進学を決めたのもそのためでしたが、どうにも歯が立たず今日に至っています。
ごく最近、丸山眞男もそうだったらしいと知って親近感を覚えたことは以前ここでも触れたとおりです。 彼らが最後に想定していた日本思想を一言でいえば、真理は成り行きそのものにある、ということのようです。
つまり、日本人が無意識に共有している世界は、予定調和でもなく、さりとて無秩序でもない無限の生成過程とでもいうべき時空だということです。
したがって、それを面白くするのもつまらなくするのも各人の営為次第ということになります。
随所に主たり」という禅語はその謂でしょう。
もしそうだとすれば全国民が、無意識のうちにこのような世界観を共有するに至った淵源は何かという疑問がわいてきます。
分からないのは当然ですし、一概に言えないのも当然です。
私としては、丸山眞男がどこまで日本思想の根源に迫り、それをどこまで西欧流の論理で説明できたかに注目したいと思います。
松岡正剛氏の丸山眞男論の続編が待たれます。
2018年8月27日月曜日
日本でキリスト教が流行らないわけ・・プロパガンダにしては幼稚すぎるから?
日本人がキリスト教に拒絶反応を起こしたのは、それが如何にも子供じみた屁理屈だと直感的に見抜いたからです。
世の中に偉い人や特別の能力を持った人はいても、人間ではない全能の神などという荒唐無稽なものが存在するわけがない、というのが日本人の常識です。
こういう常識より西洋流の屁理屈のほうが知的で高級だと思い込む自称秀才は戦前からたくさんいて、とくに東京帝国大学の法学部や経済学部、文学部などには掃いて捨てるほどいました。
猫も杓子も東大を目指す戦後と違って、戦前は小学校で1番の秀才だからといって中学に進学したりせず家業を継ぐ人が沢山いましたから、そういう本当に頭のいい人たちは、東大あたりを出て屁理屈に拘る自称秀才のことを「秀才馬鹿」といって嘲笑っていました。
宗教に話を戻すと、日本人が神社や寺にお参りするのは、年に1度くらいは雑念を捨てて神妙な気持ちになるのも悪くないと思うからで、慣習だとか、ご利益目当てだとかいうのは、とってつけた理由で聞かれればそう答えるだけの話です。
普通の日本人が本当に大切だと思っているのは、誰かが作り出した神とか戒律とかいう形式的なことではなく、少しでも立派な人間になりたいという向上心とその実践です。しかし、多くの人はその実践を怠っているという自覚がありますから、せめて初詣と墓参りの時くらいは、心身を洗い流そうという気になるのです。
日本人にとって神様とは、自己修養・修練の先達(お手本にすべき偉い人)のことです。
外国人に「神道とは何か」と聞かれたら、「開祖もいなければ教義もない。
一言で言える日本人はいないし、いるとすれば偽物だ。
何でもいいから武道の道場に通って見るのが早道だ」と答えることをお勧めします。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」・・西行
日本人が、何か聞かれて「わからない」とか「一概には言えない」と言うとき、それは彼が無知だからではではなく、その問題の複雑さを知っているからです。
逆に滔々と結論めいたことを語る人は、「杓子定規」とか「利口馬鹿」とか言われて軽蔑されます。
日本人が、いわゆるディベートなるものに馴染めないのもその所為でしょう。 誰だって、利口馬鹿にはなりたくないですからね。
ついでに言えば韓国人はその正反対です。
世の中に偉い人や特別の能力を持った人はいても、人間ではない全能の神などという荒唐無稽なものが存在するわけがない、というのが日本人の常識です。
こういう常識より西洋流の屁理屈のほうが知的で高級だと思い込む自称秀才は戦前からたくさんいて、とくに東京帝国大学の法学部や経済学部、文学部などには掃いて捨てるほどいました。
猫も杓子も東大を目指す戦後と違って、戦前は小学校で1番の秀才だからといって中学に進学したりせず家業を継ぐ人が沢山いましたから、そういう本当に頭のいい人たちは、東大あたりを出て屁理屈に拘る自称秀才のことを「秀才馬鹿」といって嘲笑っていました。
宗教に話を戻すと、日本人が神社や寺にお参りするのは、年に1度くらいは雑念を捨てて神妙な気持ちになるのも悪くないと思うからで、慣習だとか、ご利益目当てだとかいうのは、とってつけた理由で聞かれればそう答えるだけの話です。
普通の日本人が本当に大切だと思っているのは、誰かが作り出した神とか戒律とかいう形式的なことではなく、少しでも立派な人間になりたいという向上心とその実践です。しかし、多くの人はその実践を怠っているという自覚がありますから、せめて初詣と墓参りの時くらいは、心身を洗い流そうという気になるのです。
日本人にとって神様とは、自己修養・修練の先達(お手本にすべき偉い人)のことです。
外国人に「神道とは何か」と聞かれたら、「開祖もいなければ教義もない。
一言で言える日本人はいないし、いるとすれば偽物だ。
何でもいいから武道の道場に通って見るのが早道だ」と答えることをお勧めします。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」・・西行
日本人が、何か聞かれて「わからない」とか「一概には言えない」と言うとき、それは彼が無知だからではではなく、その問題の複雑さを知っているからです。
逆に滔々と結論めいたことを語る人は、「杓子定規」とか「利口馬鹿」とか言われて軽蔑されます。
日本人が、いわゆるディベートなるものに馴染めないのもその所為でしょう。 誰だって、利口馬鹿にはなりたくないですからね。
ついでに言えば韓国人はその正反対です。
平成30年8月15日 英霊に感謝し、靖国神社を敬う国民行進
行進に参加している人も、沿道で声援を贈っている人も、皆、晴れ晴れとした顔をしています。
去年までとは様変わりです。漸く、普通の日本人が悪びれることなく、日の丸の旗を掲げ ”海ゆかば” の厳粛な歌唱とともに英霊を称えることができるようになりました。
私の嘗ての上司、故山本卓眞元富士通名誉会長靖国神社崇敬者総代の令兄は陸軍特攻隊の第一陣勤皇隊隊長としてレイテ湾で敵艦に突入して戦死しましたが、出撃が決まった時自分が戦死したら靖国神社に祀って欲しいと日記に書いてあったそうです。
http://byoshonikki.blogspot.com/2012/07/ww.html#tokkou
今は亡き山本さんが、この行進を見たら涙を流して喜んだでしょう。 元上司に代わって、水島さんと行進に参加した全ての方々に厚く御礼申し上げます。
去年までとは様変わりです。漸く、普通の日本人が悪びれることなく、日の丸の旗を掲げ ”海ゆかば” の厳粛な歌唱とともに英霊を称えることができるようになりました。
私の嘗ての上司、故山本卓眞元富士通名誉会長靖国神社崇敬者総代の令兄は陸軍特攻隊の第一陣勤皇隊隊長としてレイテ湾で敵艦に突入して戦死しましたが、出撃が決まった時自分が戦死したら靖国神社に祀って欲しいと日記に書いてあったそうです。
http://byoshonikki.blogspot.com/2012/07/ww.html#tokkou
今は亡き山本さんが、この行進を見たら涙を流して喜んだでしょう。 元上司に代わって、水島さんと行進に参加した全ての方々に厚く御礼申し上げます。
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