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2018年8月27日月曜日

日本でキリスト教が流行らないわけ・・プロパガンダにしては幼稚すぎるから?

日本人がキリスト教に拒絶反応を起こしたのは、それが如何にも子供じみた屁理屈だと直感的に見抜いたからです。
世の中に偉い人や特別の能力を持った人はいても、人間ではない全能の神などという荒唐無稽なものが存在するわけがない、というのが日本人の常識です。
こういう常識より西洋流の屁理屈のほうが知的で高級だと思い込む自称秀才は戦前からたくさんいて、とくに東京帝国大学の法学部や経済学部、文学部などには掃いて捨てるほどいました。
猫も杓子も東大を目指す戦後と違って、戦前は小学校で1番の秀才だからといって中学に進学したりせず家業を継ぐ人が沢山いましたから、そういう本当に頭のいい人たちは、東大あたりを出て屁理屈に拘る自称秀才のことを「秀才馬鹿」といって嘲笑っていました。

宗教に話を戻すと、日本人が神社や寺にお参りするのは、年に1度くらいは雑念を捨てて神妙な気持ちになるのも悪くないと思うからで、慣習だとか、ご利益目当てだとかいうのは、とってつけた理由で聞かれればそう答えるだけの話です。
普通の日本人が本当に大切だと思っているのは、誰かが作り出した神とか戒律とかいう形式的なことではなく、少しでも立派な人間になりたいという向上心とその実践です。しかし、多くの人はその実践を怠っているという自覚がありますから、せめて初詣と墓参りの時くらいは、心身を洗い流そうという気になるのです。 
日本人にとって神様とは、自己修養・修練の先達(お手本にすべき偉い人)のことです。
外国人に「神道とは何か」と聞かれたら、「開祖もいなければ教義もない。
一言で言える日本人はいないし、いるとすれば偽物だ。
何でもいいから武道の道場に通って見るのが早道だ」と答えることをお勧めします。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」・・西行

日本人が、何か聞かれて「わからない」とか「一概には言えない」と言うとき、それは彼が無知だからではではなく、その問題の複雑さを知っているからです。
逆に滔々と結論めいたことを語る人は、「杓子定規」とか「利口馬鹿」とか言われて軽蔑されます。
日本人が、いわゆるディベートなるものに馴染めないのもその所為でしょう。 誰だって、利口馬鹿にはなりたくないですからね。
ついでに言えば韓国人はその正反対です。

2 件のコメント:

  1. 分かる筈のないことを分からないと言えない社会の筆頭が米国です。
    米国はソクラテス時代のアテネと何ら変わらない未開社会です。
    複雑系などという言葉が米国で流行りだしたのは90年代になってからですが、日本人は有史以来、庶民のレベルまでそう思ってきました。
    西洋人を呪縛しているのは、アリストテレス流言語論理で説明できないことは、この世に存在しないことにするか、それでうまく説明できない不都合なことは、一切合切神の所為にしてしまうことです。
    こんな野蛮で稚拙な理屈を掲げる宗教にまともな日本人が付いていけるはずがありません。
    韓国人の90%以上がクリスチャンだという一事だけで彼らが超低能民族だということがわかります。
    ついでに言えば、世界で民族として低能でないのは日本民族とユダヤ民族だけでしょう。

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  2. 日本の一流の知性は、聖徳太子の時代から論理を超えた英知を論理的に説明するという絶望的な努力をしてきましたが、一人としてそれに成功した人はいません。
    禅の世界で最も論理的だと言われている道元すら最後に残した言葉はは、不立文字、只管打坐です。大拙、漱石らはその入り口で断念していますし、最後の禅僧と言われ、私の祖父や宮沢賢治も師事していた原田祖岳もそうでした。
    http://oureternalmoment.web.fc2.com/.../inga_hitsunen...
    私が高校生のころから「禅概念の科学的モデル化」をライフワークとして東大進学を決めたのもそのためでしたが、どうにも歯が立たず今日に至っています。ごく最近、丸山眞男もそうだったらしいと知って親近感を覚えたことは以前ここでも触れたとおりです。
    彼らが最後に想定していた日本思想を一言でいえば、真理は成り行きそのものにある、ということのようです。つまり、日本人が無意識に共有している世界は、予定調和でもなく、さりとて無秩序でもない無限の生成過程とでもいうべき時空だということです。
    したがって、それを面白くするのもつまらなくするのも各人の営為次第ということになります。「随所に主たり」という禅語はその謂でしょう。もしそうだとすれば全国民が、無意識のうちにこのような世界観を共有するに至った淵源は何かという疑問がわいてきます。
    分からないのは当然ですし、一概に言えないのも当然です。
    私としては、丸山眞男がどこまで日本思想の根源に迫り、それをどこまで西欧流の論理で説明できたかに注目したいと思います。松岡正剛氏の丸山眞男論の続編が待たれます。

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