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2014年5月19日月曜日

日本語論その四・・・「・・嬉しかったです」という言い方に違和感!

最近、散歩先のコーヒー店で時間を潰すために、自室の本棚から手頃な文庫本を一冊持って行くことにしているが、その結果わかったことは、会社で管理職になる頃からの自分が如何に社畜化し、無教養になったかということである。
もちろん、何も読まなくなったわけではない。しかし、その殆どが専門の金融システムや内外の業界専門誌ばかりで、いまこの歳になって改めて読む価値のあるものは一冊も見当たらないのだ。そこで、持って行く本は、自ずと若い頃、古本屋漁りで、興味を惹かれて購入したポケット本ばかりとなる。

今回紹介するのは、そのうちの一冊、『留学生見た日本語』 1989 佐々木瑞枝(新潮社)である。著者は、駒場の留学生会館の日本語講師であるが、全員が国費留学生という青年男女が、”「てにおは」の使い分け” や 形容詞と形容動詞の違い”、”語尾につける「よ」と「ね」のニュアンスの違い” などに戸惑う様子や著者たちが、その説明に苦慮する様が活写されている。今では、実践レベルでは、それなりの日本語教育法が確立されているかと思うが、印欧語からの焼き直しでない、日本語文法が確立されているがどうかとなると、甚だ心もとない。

最近、私が、気にしているのは、「・・嬉しかったです」とか「楽しかったです」とかいう言い方である。私や私の両親の世代でこんな言い方をする人はいない。団塊世代の妻が平気で使うのでそのつど違和感をいだくのだが、ではどう言えば良いのかと聞かれても、相手を納得させられる言い方が思い浮かばないので、未だに口にしたことは無い。

私だったら、「楽しく思いました」とか「愉快でした」とか言うところだが、では、何故「嬉しかったです」がいけないのかと開き直られたら説明の仕様が無い。
しかし、今朝、寝床の中で、ハッと気が付いたことがある。
天皇・皇后両陛下が、過去のご自分の感想を公の場で、「・・楽しかったです。」といわれるのを聞いたことがあるという人はいないだろう。必ず「楽しく思いました。」とか「楽しく拝見しました。」とか言われるはずだ。
これが、上記のような感情表現の抑制という慣習に基づくのか、「た」という過去を意味する助動詞の後に「です」という現在を意味する助動詞が来てはいけないという文法的制約に基づくのか、日本語学者に聞いてみたい。

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