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2015年6月8日月曜日

妹の訃報

6月5日の夕方、兄から妻に電話があり妹の死去を知りました。
兄一人、妹一人の三人兄妹揃って、七十過ぎまで生き延びられるとは元々思っていませんでしたが、いざ先立たれてみると心穏やかではいられません。
明日の葬儀と埋葬には、兄夫婦と私たち夫婦で立会い、見送ることになりました。
喪服はやっと見つかりましたが、ワイシャツは、去年、半袖シャツ一枚を残して全部捨ててしまったので一着も残っていませんでした。
ここ数年小学校から新入社員時代までの親友が次々と逝ってしまうのを、葬儀にも出られずに見送ってきましたが、妹の死というのは筆舌に尽くせないものがあります。
遺骨は、桐生養泉寺の関口家の墓に埋葬しますので、お祖母ちゃんっ子だった妹も寂しくないだろうと思うのがせめてもの慰めです。

妹の名は、関口泰代と言います。
1967年3月に、立教大学文学部史学科を卒業しました。
友達付き合いも侭ならない学生生活でしたが、それでも何人かは気持ちの通う友人が居たようです。
私たち一家が今の茅ヶ崎の地に越して来た昭和53年ごろ、30代後半だった妹が一人で幾日か泊りに来たときのことです。
ある日、大磯の海岸を見に行くと言うので、妻が車で送ろうとしたところ、独りで行きたいからと言って、バスと電車で出かけて行ったことがありました。
大磯には一体どんな思い出が有ったのか見当がつきませんが、きっと誰か忘れがたい人が居たのではないかと想像しました。
今となっては、それを確かめる術もありません。


2 件のコメント:

  1. 襟を正して早朝 拝読いたしました。妹様のご冥福を祈ります。関口さんのなかに生きるこの方のご生涯に 素朴な関心を懐きました。 ありがとうございました。

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    1. ありがとうございます。
      妹のことを書くべきか否か随分迷いましたが、誰にも関心を持ってもらえずにこの世を去るのはきっと寂しかったろうと言う思いに逆らえませんでした。
      本人が望んでもいなかったことをしてしまったのではないかと思い悩む毎日ですが、荒井さんのような方に関心を持っていただけただけでも無意味ではなかったのだという気休めになります。
      http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/12/20101221.html#sikitoritu

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