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2015年6月11日木曜日

江田五月の言う 「時の権力の中枢」 とは?

https://youtu.be/X34iRa7oXFM?t=5m19s

恐らくそれは、特定の政党でも政治家でもなく、特定の役所でも役人でもなく、特定の国家でも民族・宗教組織でもない!
それは、日本でも、米国でも、中韓や欧州諸国でも大同小異であろう。
表立っては存在すら隠されている支配集団と、彼らに追随している自覚的共犯者(買収、脅迫、・・)或いは善意の共犯者(洗脳、誘惑、・・)たちであろう!
従って生半可な糾弾では、誰か、或いは何処かの国や政権を倒すことは出来ても、所詮、トカゲの尻尾切りに協力するだけの結果に終わってしまうのが常であった。
その典型が東条英機以下の冤罪であろうが、ことによるとヒットラーを始とするナチス幹部もそうだった可能性すら否定できない。

自らは安全地帯に居て、誰かを悪の権化に仕立て上げる人たちは、常に陰謀の加担者でした。
私が、自ら、体を張って陣頭に立つ人を信用する所以です。

当時の民主党で、石井議員の墓に詣で、遺族と言葉を交わしたのは江田君だけでした。
彼の市民主義には若干の距離を置く私ですが、米国で言えば、ロン・ポールのような良識派です。
民主党が出来たとき、「父子二代の悲願達成おめでとう」、とメールしたら、「まだこんなことをやっていて中々安定しませんが、もう一頑張りする心算です」と言っていました。
父親譲りの正義漢にエールを贈りたいと思います。

3 件のコメント:

  1. 彼の父、故江田三郎は、社会党右派の中でも穏健派(構造改革派)の領袖でしたが、60年安保の時でも、社会党議員の中で唯独り最後までデモの先頭に立っていました。石井議員はそれを知っていたので、モスクワ大学から帰国後、江田三郎の息子、五月の秘書になったのだそうです。
    https://youtu.be/dtIdmuVxkd8?t=8m3s
    本人も1年後に駒場自治会の委員長に押されたとき、敢えて必修科目を白紙で出して留年(2年後期の試験期間中に井の頭線の車内で聞きました)しましたので、てっきり政治家になるつもりだとばかり思っていましたが、結局、司法官になり、オックスフォード大学で修士号をとり、帰国後は裁判官になりました。
    そのまま行けば、多分、最高裁長官になっていたろうと思いますが、父親が急逝し、周囲に説得されて出馬したそうです。
    ですから、元々権力闘争には向かない良心的市民主義者なのです。
    http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7376.html
    石井議員から、事の真相を聞いていないはずはありません。

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  2. 因みに、彼は 歴とした改憲論者で、「自分が政治家であるうちに是非とも憲法改正を実現したい」と公言しています。
    その理由の第一は、「我々日本人は、まだ一度も自分達が投票した憲法を持ったことがないからだ」という堂々たる正論です。
    そのため、自民党からも何かと秋波が送られるているようですが、同窓会での彼の発言から理解する限り、自民・公明その他の改憲論者の中には、動機不順な輩が少なくないので事はそう簡単ではない、ということらしい。
    改憲発議は、3分の2ぎりぎりと言うような綱渡りでやるべきではなく議会および国民の圧倒的多数に歓迎されるような形で行われるべきだ、と言うのが彼の持論です。

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  3. 彼の言う権力の中枢というのはこのあたりに在りそうな気がしてきました。
    『日米合同委員会』
    http://byoshonikki.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html

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