戦後TV放送が始まった頃、文壇の福田恒存と並んで学会の論客として鳴らした東大法学部教授の 丸山眞男 が、「これからは、政治の芸能化が進むだろう。芸能人が政治家になり、政治家が芸能人化する・・」と書いて大衆化時代のミーハー化を予見したそうですが、流石、朝日が知的巨人と持ち上げるだけあって、見るところは見ています。これは、ネットの時代になって益々激しくなってきたというのが私の感想です。
「これからは、人生のメディア化が進むだろう。メディアスターがあらゆる分野で主役となり、あらゆる人々がフォロワー化する・・」。
衆愚政治の完成です。
70億人の無秩序世界が存続可能か、壮大な実験が始まろうとしている???
その丸山眞男が最晩年の座談会で語ったことを、池田信夫が紹介しています。
・・ 本書は彼の最晩年の座談会を収録しているが、かつては「自粛」していた歴史観を率直に語っていておもしろい。その内容は、ほとんど『WiLL』に掲載されてもおかしくない「歴史修正主義」である。彼は日本が大陸を「侵略」したという歴史観を否定する。
「侵略」という観念は、僕に言わせれば、第一次大戦後できた観念であって、その当時の法的概念でいえば特殊権益ですよ。他の国家に特殊権益を持ち、それが条約上認められた場合には、その特殊権益を侵すものがあったら軍隊で排除するのは、合法的なの。今パナマでアメリカがやっているのはそれなんですよ(丸山眞男話文集 続 3 単行本 p.276)。
侵略という概念ができたのは1928年の不戦条約であり、その当時ヨーロッパ諸国のもっていた特殊権益を侵害する行為が侵略と定義された。したがってイギリスがインドを植民地にしたのは侵略ではないが、日本が1931年に満州国を建設したのは侵略とされた。
しかしリットン調査団は、(以下は下記のURL)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51920310.html
衆愚政治に関する卓見
http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/vote.html
2015年5月19日火曜日
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『普通選挙制度』 というのは、”全国民に一人一票の政治参加を要求する悪平等制度” だということを世界中の誰も言いません。そもそも何らかの社会選抜抜きに全国民に平等な権利を与えればまともな意思決定ができるという根拠は何処にあるのでしょう。。
返信削除多くの人々が選挙はおろか政治そのものにも関心を持たないのは当然で、全国民が政治に関心を持つべきだなどというのは政治お宅の独善です。
そもそも良い政治とはどんな政治か?という問いにすら誰も答えられません。強いて言うなら自分にとって都合の良い政治と言うことになるでしょう。全国民が自分の都合を主張し始めたら収拾が付かなくなることは小学生でも悪餓鬼以外には分かります。
日本人は昔から悪平等とは一線を画したより健全な平等思想を持っていました。
曰く、その道を知れる者は、やんごとなきものなり
曰く、餅屋は餅屋
曰く、人皆その分あり
曰く、馬鹿も鋏も使いよう
曰く、・・
要するに、普通選挙制などという形式主義は、政治家という権力お宅の自己正当化の道具でしかないということです。
目指すべき制度があるとすれば、人望(人格、能力、運、・・)の高い人が押し上げられ、一旦押し上げられた人が裸の王様になるのを牽制できるような仕組み、強いて言えば ”立憲徳治制” とでもいうべきものでしょう。
それが機能するためには、あらゆる分野の社会選抜が ”人望” によって行われるような社会風土(文化)が醸成される必要があります。
鎖国時代の日本は殆んどその一歩手前まで来ていましたが、幕末の欧米侵略によって毀損され、昭和の敗戦によって無に帰しました。
『日本の良さ』 が世界の標準になるには余程の幸運と世紀単位の時間がかかるでしょう。
それまでの間は、『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』 という昭和天皇の心を戴して、頑張りましょう!
これまでメディアが作り上げてきた丸山眞男のイメージは見直しが必要のようです。
返信削除http://byoshonikki.blogspot.jp/2017/08/blog-post_26.html
これまでメディアが作り上げてきた丸山眞男のイメージは見直しが必要のようです。
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