52年後にこんなことが起こることも!
52年前、当時のアメリカのケネディ大統領に「ひな人形」を贈った女性が、北海道北見市にいる。その女性に、大統領の長女であるキャロライン・ケネディ駐日大使からお礼の手紙が届いた。...
平成20年11月19日早朝、突発的に急性A型大動脈解離を発症、意識不明まま16℃の超低温下で数時間におよぶ緊急手術を受けることとなった。幸か不幸か一命を取り止めたものの、その後4ヶ月間の入院治療と1年以上に及ぶ何時果てるとも知れぬいわゆるリハビリの中で色々と考えさせられた。この間に体験した人生観の転換及び後遺症を軽視した延命優先治療への疑問、その他、現代世相への違和感について書き残しておきたい。
関口益照サイト 『一期一会』(Our Eternal Moment)
それにしても、松本さんのこの上なく上品な言葉遣いに感嘆します。
返信削除私の母は、大正7年生まれでしたが、日ごろの会話でこんな言葉遣いをしたのを聞いたことが有りません。祖母が生きていれば今130歳くらいだと思いますが、祖父の友人達が訪ねてきたときなど、普通にこういう言葉遣いをしていたように記憶しています。明治前半には残っていた礼儀作法が、大正時代には生活の場から失われてしまったということでしょう。松本さんは、母より5歳くらい若いのにこんな言葉が身についているというのは、士族の家庭で育ったからかも知れません。
富士通時代の上司は、特攻隊生き残りで、令兄は、レイテ湾で敵艦に突入して戦死されていますが、その日記では、”母上”という言葉を使っています。ご尊父は農家二男の陸軍将校でしたが、母堂は士族の娘だったそうです。
http://from76.exblog.jp/12846661/
特攻隊員の遺書には、父上、母上という言葉が沢山ありますが、別に余所行き言葉ではなく、普段、家庭の中で使っていたからでしょう。
そう云えば、東京オリンピックのマラソンでアベベに次いで2位で国立競技場に帰ってきた、自衛隊員の円谷幸吉が、後に自殺したときの遺書でも、父上様、母上様という言葉を使っています。彼の両親も士族出身の職業軍人でした。