2015年4月2日木曜日
邪馬台国と三国志の関係
この座談会での結論は、
①そもそも魏志倭人伝は、魏という国家にとってこうであって欲しいというイメージ(クシャーん王朝に匹敵する大同盟国)を記述したものであること、
②当時の倭国政権の中心が近畿だったこと、
③倭国の圏域が九州から近畿(更に本州各地)まで及んでいたこと、
④北九州が大陸との交流の玄関口だったこと、⑤文化的中心が何処であったかは特定しにくいこと、
⑤したがって今のところ卑弥呼が何処に住んでいたかは断定できないこと、といったところでしょう。
しかし、これら、3世紀の政治的・文化的状況を的確に捉えたうえで、7世紀における 『日本国』 建国に至る経緯を詳説した説得力抜群の書籍が、すでに1977年に中央公論社から出版されています。史学会や考古学会でもっと評価されて然るべきだと思いますが、学術論文ではないという理由で軽視されているのは残念です。
『倭国』1977 中公新書
岡田英弘 東京外国語大学アジア.・アフリカ言語文化研究所教授(当時)著
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