我々が言いたいことは、あらかた言ってくれていますが、これがアメリカの一般市民に受けいれられていると思ったら大間違いを犯すことになります。
アメリカに限らず、日本以外の国では、自国の国益を追求する政策は、基本的に正しいと受け止められます。
したがって、悪魔であるサダム・フセインやカダフィを殺すことも、それ自体は正義だという認識です。
東条英機も同様に悪魔ですから、悪魔が祭られている神殿に参拝する安倍氏が危険人物で無いことはありえないというのが、一般のキリスト教徒の三つ子の魂です。米国政府の都合次第で安倍さんも、いつ悪魔呼ばわりされ始めるか判ったものではありません。
プーチンや習近平が悪魔呼ばわりされないのは、核大国だからです。
ファラ・カーン師は、我々日本人や、非ヨーロッパ系米国人から見れば英雄的人物ですが、米国の支配階級である白人にとっては、まともに相手にするに値しない狂信的反米論者という程度の存在でしょう。
アメリカが世界に強要する選挙主義は、民主主義の名を借りた帝国主義支配のお題目です。
かつて、スペインによるキリスト教の布教が、植民地支配のお題目に使われたことと同じです。
2014年3月19日水曜日
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アメリカでここまで言うには、命を捨てる覚悟が必要ですね。
返信削除今の日本にも、個人としてはそのくらいの覚悟がある人はたくさん居ると思いますが、それを言ったら自分ばかりでなく、家族~会社や役所~政党や政府~国家や民族⇒すべて?が抹殺されかねないという懸念と恐怖の前に立ち竦まざるを得ないのだろうと思います。
これは、という人がときどき不審な事故で死んだりすると、新聞やテレビは、よってたかって黙って死ぬのは卑怯だとか、本人が疲労や悲観で精神状態が不安定だったとか、いずれにしても本人を貶めるような報道をしますが、日本人が皆そんな弱虫や卑怯者ばかりだったら戦後の発展はなかったでしょう。
みんな自分が死ぬことによって誰かを守ろうとしたのです。 私の大学時代の級友、小柳皓正(元西武鉄道社長)もそうでした。 皆さんの周囲にもそういう人は沢山居ると思います。
ただ、それが、たいてい家族~会社・役所どまりで、国家や民族にまでおよばなくなってしまったのです。 それは、日本人が民族としての一体感(アイデンティティ)を失いつつあるということでしょう。
今日の日本が必要としているのは、国家・民族のために全てを捨てられる人たちです。
しかし、そういう人たちにとっても民族抹殺(ジェノサイド)の脅迫を撥ね返すのは至難の技です。 脅迫者(国?集団?)には、それを物理的に実行するだけの軍事力とそれを正当化するだけの情宣能力があるのです。
2010年5月1日の日記 喉元過ぎれば熱さを忘れる
の中で、・・これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである・・云々と書いた所以です。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/05/blog-post.html