2015年8月23日日曜日
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平成20年11月19日早朝、突発的に急性A型大動脈解離を発症、意識不明まま16℃の超低温下で数時間におよぶ緊急手術を受けることとなった。幸か不幸か一命を取り止めたものの、その後4ヶ月間の入院治療と1年以上に及ぶ何時果てるとも知れぬいわゆるリハビリの中で色々と考えさせられた。この間に体験した人生観の転換及び後遺症を軽視した延命優先治療への疑問、その他、現代世相への違和感について書き残しておきたい。
関口益照サイト 『一期一会』(Our Eternal Moment)
昨夜、二度夢を見ました。
返信削除一年くらい前から精神分析学者に聞かせたら恰好の症例として重宝がられそうな無限反復物語の夢を頻繁に見るようになりました。その都度、忘れないうちに書いておけば漱石の夢十夜に擬せられるような作品を残せるのではないかと夢想するのですが、暫く逡巡してから、よしっと起き上がったときにはあれほど鮮明で理路整然としていた独和物語も論理曖昧、支離滅裂の寝言でしかなくなっているのが通例でした。
しかし、今回は二つの点でいつもと違っています。
ひとつは予告編と本番の2回続きであること、もう一つは何者かとの対話型だということです。
以下、二度にわたって続いた奇っ怪な夢の顛末です。
近藤さんのように生々しい会話を再現でそうもありませんが・・。
【一回目の夢】
正体不明の誰宛とも分からない警告とも脅迫ともつかないメールが届く、・・若しかしたら声だったかもしれない。
・・得体の知れない誰かに話しかけられるけれど、決して相手をしてはいけない。一たん相手になったが最後、納得できない言い分を一方的に押し付けられ何を言って反論しても相手の言い分の証拠にされてしまい、自縄自縛の無間地獄から抜け出せなくなるから気をつけよ、・・。
【二回目の夢】
うとうとしかけた途端に予告どおり次の夢を見た。
・・気がついたときは既に遅し、・・誰かと話していた!
声: ・・・・云々。これが結論だ。
私: そんなことを言った覚えはない。
声: 無言
私: お前は誰だ?
声: 私はお前だ。
突然、誰かの手が私の襟首を掴む。
私: その手を離せ!
声: 掴んでいるのはお前の手だ。離したかったら自分で離せば良い。
私: 私の手は此処にある。お前は私ではない。その手を離せ!
途端に襟首を掴んでいる私だと称する何者かの手に力が入って息ができないほど吊り上げられた。
私: 苦しい! その手を離せ!
声: 掴んでいるのはお前の手だ。離したかったら自分で離せば良い。
私; 何でこんなことをする?
声: ・・・・云々。これが結論だ。
私: そんなことを言った覚えはない。
声: 無言
こんな調子で延々と堂々巡りの言い合いがつづく。
実際には、もっと微に入り細を穿った論争が展開されるのですが、入力に疲れて一休みしているうちに何時ものように寝言に変わってしまいました。
しかし、「・・・・云々。これが結論だ」 の論争内容を別とすれば、以上の記述で基本パターンは一応示せたと思います。
とにかく後味の悪いこと夥しい悪夢です。
半日たってから思い至ったのは、前日読んだ大江健三郎のカルト的論法でした。
注)近藤さんというのは、私のFBFの一人で、仕事と良妻賢母を両立させている端倪すべからざる中年女性です。
削除この歳で死期が既に到来しているのを自覚すると、加速的に諸々の抑圧がばらけて来るらしいので、そのうちにまた何か尤もらしい夢を見るだろうと気楽に待っていることにしています。この75年余りの人生で予想外でなかったことは殆どありませんので、今更何かを一つや二つ選んで追求しなくても来るものは来る、分かるものは分かるだろうと割り切っています。
返信削除J.R.Searl の存在を知ったのも予想外のことでしたが縁があれば何処かで形骸に接することがあるかも知れませんし、縁が無ければこのまま終わるでしょう。しかし、私たちの死後両者に縁のある人同士がこれまた想像もつかない話題での雑談の最中、我々二人を引き合いに出して意気投合しないとも限りません。
私のこういう人生観は、祖父の思想遍歴の影響から来ている殆ど先天的なもので、私自身は和漢を問わず哲学書や宗教書、経典の類をを熟読したことがありませんし今後もそのつもりです。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sekiguchi_prof/routs/sofu.htm
しかし、それにも拘わらず予想外の心境変化が起こらないとは言えないのが人生の妙だと思っています。
訂正します。
削除誤:形骸に接する
正:謦咳に接する