病状の軽快と共に、それまで如何でも良いと思っていたことがやたら気になり始めた。
国家や政治家は勿論、サラリーマンやスポーツ選手、果ては家畜や野生動物でも、何でもそうだが、ハングリーでないと向上心が無くなるというのが “凡人” の常だというのは、恐ろしいほどの真理である。
以下はとりあえず気になってきた どうでもいいこと の例である。
2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところに 300年にわたる白人優位思想の終焉 と書いたが、これは飽くまでも白人優位思想の終焉であって、白人優位の終焉 ではない。
優位にあるものがそう簡単に既得権を手放すことはありえない。 それは最近の官僚と政治家の醜い争いを見ても分かることだ。 これなどは蝸牛角上の争いに過ぎないが、これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである。 それをいちばん良く知っているのは恐らく中国の指導者で、彼らは必死になって生き残りの方策を模索しているに違いない。 日本人もそろそろ本気になって、米中どちらの属国になって生き延びるか考えた方が良い。
どうでもいいこと の例を挙げだすと限が無いので、せめて一つくらい どうでも良くないこと を書きたくなった。
同じ日の 生還の損得勘定 の終わりの方に 書いたことを再掲すると・・・
しかし以上の2点をどうでもよいと思うほど感動したのは、ノーベル賞を受賞された小林博士の夫人がTVのインタビューに答えて語ったつぎの一言だった。夫人は小林氏の母堂が氏の受賞を見ずに他界されたことに触れそれが一番の心残りだといった後、こうつぶやかれた。
『・・でも 人生ってそういうものですよね・・』
未だに 佛家一大事の因縁 を大悟徹底するに到っていない私にとってこれを超えるを言葉を耳にしたことは無い。
2010年5月1日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
一大勝負で 日本が負けたということは事実です。
返信削除覇権はアングロ・アメリカにあるます。ローマからの継承した力の「帝国」と自認していると理解します。 その属州としての日本としてとらえておくのはやむを得ないことです。 日本は、100年単位の長さの「バビロン捕囚」の時代にあるとおもいます。 中国の覇権台頭があり得ますが、どこかのお隣の国のように、彼らの楽浪郡になってはいけません。 バビロン捕囚の時代に、押しも押されもしない「番頭」に仕上げておくことでしょうか。そういえば、バビロン捕囚は、ペルシャによって解放されました。イランは、そういう誇りを持った大国民であることを思いだしました。
>日本は、100年単位の長さの「バビロン捕囚」の時代にある
返信削除まさにその通りだと思います。昭和天皇が終戦の詔勅で、全国民に言われたのは、そのことだったと思います。物質面の再興は50年で達成できましたが、精神の再興には500年掛かるかもしれません。