日本人にとってキリスト教は幼稚すぎて付き合いきれないということは、戦国時代に証明されています。
彼らに対して言う言葉は、何を偉そうに・・の一言だけです。
臨済宗開祖・臨済義玄曰く、「仏に逢うては仏を殺せ 父母に逢うては父母を殺せ」
要するに何物にも捉われるなということです。
唯一絶対の神などという妄想に囚われているキリスト教が日本人に受け容れられるはずがありません。
釈迦も達磨も、そんな妄想の産物を引き合いに出していません。
日本にもキリスト教徒が1%ほどいるそうですが、彼らは禅のぜの字も知らない無知な人たちです。
日本でキリスト教の前に立ちはだかっているのは神道ではなく禅思想です。
返信削除禅は宗教ではなく思想ですから何かをやみくもに信じるという宗教とは相容れないのです。特にキリスト教の宣教師の話には思想がありませんから、よほどおめでたい人でなければ付いていけないでしょう。
ザビエル以来キリスト教の宣教師は白人が他人種を支配するための尖兵でした。この
返信削除投稿を秀吉が読んだら烈火のごとく怒るでしょう。
彼らの独善と偽善は止まるところを知りません。
初詣も葬儀の読経も宗教行事ではありません。宗教法人という特殊団体の事業活動です。そもそも明治維新の時まで日本には宗教という概念も言葉もありませんでしたが西洋人が宗教宗教としつこく言うので仕方なく新たに造語しただけです。もともとそんな実体はなかったのですから、聞かれても答えられないのは当然です。過去2000年間に日本が外国から取り込んできたのは役に立つ風俗習慣や思想のみであって、彼らの洗脳手段でしかない教義や戒律は注意深く排除してきたのです。
返信削除日本でいまだにクリスチャンが1%未満にとどまっているのは、芥川龍之介のキリシタンもの短編で語られているようにその思想が日本化していないからです。それは日本のキリスト教徒が、バチカンの支配に甘んじて、そういう努力を何もしてこなかったからでしょう。仏教は仏道として、儒教は儒学として日本化しましたが、キリスト教の大衆化はいまだに教会式結婚式だけで、その動機も新婦がウェディングドレスを着たがるからというだけです。
日本人にとってキリスト教に限らず仏教も神道も信仰の対象ではなく、心身の鍛錬に役立つ思想や習い事の一種に過ぎないということ、剣道や合気道と一緒です。信仰などという思考停止が日本人に受け入れられるはずがありません。
返信削除韓国でキリスト教が流行るのは、有史以来の事大主義(強い方に媚びへつらい、虎の威を借りて優位に立つこと)のなせる業で目的は相手(特に日本!)より優位に立つことだけですから、そのためにはどんな卑怯なことでも平気でやります。実際に
返信削除やっていますよね。