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2017年10月31日火曜日

『全知全能の神』 などというわけのわからない ”不審人物”を持ち出す橋爪大三郎のもって回った高説

今日の日経夕刊 『あすへの話題』 に社会学者 橋爪大三郎氏が ”アメリカは物質文明の国か” と題して次のような意地の悪い文章を書いている。
なぜ「意地の悪い」という誹謗とも取れる言い方をするのかは後で述べる。 

原文
(体調が思わしくないので続きは後刻あるいは後日)

4 件のコメント:

  1. その後、2回の投稿分を読んだ結果、彼の言う趣旨は大体分かりましたし、米国の国民性に関する彼の見解にも特に異論はありませんでした。
    米国精神史に関する私の認識は下記のとおりです。
    https://byoshonikki.blogspot.jp/2015/04/blog-post_25.html
    しかし、これだけでは 『一読して嫌~な気分になった』 理由の説明にはなりませんので、一応その理由を書いておきます。
    ・3回連続の本稿のテーマが 『米国は、キリスト教国であり、したがって精霊の存在を前提として全ての規範が組み立てられている国』 だということであるのに、初稿では本論とは直接関係の無い日本の敗戦理由だと断定するかのような書き出しで読者の関心を次回以降に繋ごうとしている。
    ・戦前の日本人がそんな認識も無い無知蒙昧な輩であったかのように見る偏見ないしそう思わせようとする印象操作の臭いがする。
    実際には賀川豊彦のような愛国的クリスチャンは幾らでも居た!
    ・何よりも、文末の科白、『わかりましたか』 は、尊大の一語に尽きる。
    読者に対する無礼もここにきわまれリ!
    こういう人物が知識人として一流紙のコラムで半年間も好き勝手なことを書き続けるのを見ると、米国の草の根を 『反知性主義』 が席巻するのも故なしとしない。

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  2. 2週目、3週目のキリスト教における精霊に関する解説は勉強のなりました。ユダヤ教には霊魂は無いのに、キリスト教には霊魂があるのは、キリスト教が精霊を個人ごとに分割するという都合の良い発明をしたからだと言うのです。ユダヤ教では死ねば何も残らないのに対して、キリスト教では魂が ”生き残る”と言うわけです。従ってどんな状態で生き残れるかが大問題になります。そこで登場するのが神との契約を守ったかということになります。
    例えば、自殺がタブーになる所以です。

    私自身には全てが馬鹿馬鹿しい子供だましの屁理屈です。
    そもそも、『全知全能の神』 などというわけのわからない ”不審人物”と何時誰が契約なんぞしたのでしょう。
    そういう ”不審人物”を持ち出さなければ秩序を保てないというのも情けない話です。
    捜し求めるべきは、進むべき道、あるべき自分であって、”不審人物”ではありません。
    全ての日本人は、あるべき自分に向かって自己修養することによって、『神』とかいう”不審人物”を持ち出さなくても生きていけるのです。

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  3. 私の考える日本的価値観とは、「神との契約(旧約、新約)」 ではなく、「人格の陶冶=修養」 に最高の価値を置く世界観です。
    支那古代の教えでも、修身・斉家・治国・平天下の順序で、社会道徳の基本が修身に在ることは誰も否定しませんでした。
    近頃、何かと強調される『民度』を決定するのも各民族の修身に対する姿勢の差でしょう。
    修身を欠いたイデオロギーは、しばしば暴虐の代名詞と化します。

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  4. わたしが道とか姿とか言う言葉で言わんとしているのは、無限に続く認識の過程というような概念です。あるいは道を無限級数に例えれば姿はその極限値のようなものです。
    平たく言えば自己修養には終わりが無い、従ってその目標も到達点も存在しないということになります。
    これは何も私が言い出したことではなく、臨在碌にある例の名言、 ”釈迦に会っては釈迦を殺せ、達磨に会っては達磨を殺せ” の関口流解釈に過ぎません。

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