曲目も楽器も演奏法もまったく同じである。
1300年以上の長きに渡っていかなる編曲も改変も行われていない世界唯一の音楽である。
雅楽の本質は、生命との共振であり、メロディの妙ではない。
従って、メロディを追っても期待はずれに終わるだろう。
しかし、只管、音(和声)の流れに身を委ねてみれば、古代支那人が探り当てた絶妙な調和の世界を体感することが出来るだろう。
以上は、雅楽師、東儀秀樹氏の論文を私なりに解釈して要約したものです。
東儀氏の論文には、近年はプロの演奏家が足りず未熟な演奏者で補っている場合が多いのが残念だという指摘がありましたが、私にはその巧拙を聞き分ける素養がありませんので、多分これは本物だろうと思われる例を2つ挙げておきます。
平成二十八年 明治神宮春の大祭 浦安の舞
https://www.youtube.com/watch?v=eB3AUV9ZXrM
KAGURA Mai 神楽:浦安の舞 靖国神社2015年
https://www.youtube.com/watch?v=1ZaqVi1QH54
雅楽舞を初めて拝見しました。音曲も振りも「素晴らしい」、の一語ですね。
返信削除中国・朝鮮などとは違う、純日本的な「簡素・質素・SIMPLE・清浄」と言ったものを感じます。
古代中国はこんな雰囲気だったのでしょうか? (近代以降の)我々が知っている中国文化・価値感とはだいぶ違うような気がします。
雅楽は飛鳥時代に隋朝から仏教とともに渡来し、元来は寺院で演奏されたそうです。遣隋使や遣唐使の盛んだった頃です。
返信削除第九次遣唐使に19歳で随行した阿倍仲麻呂が科挙に最上位の成績で合格し、唐朝の大臣として玄宗皇帝に重用されたばかりか、唐朝を代表する文人として声望を集め、杜甫、李白、王維らと親交を結んだことは、ご存知でしょうか。
彼らが残した詩文の格調と気品に相応しく、かれらが奏した楽の音も清浄かつ玄妙なものだったはずです。
西洋音楽には、グレゴリオ聖歌、クラシック、フォークソング、ジャズ、等々、静かなものからけたたましいものがあり、日本にも、雅楽や能のように落ち着いたものから、歌舞伎や祭囃子のようにけたたましいものまであります。
支那大陸でも基本的には同じでしょうが、王朝が交代するたびに過去が否定されていく文化の下では、旧いものが残りにくいということはあるでしょう。
とりわけ、共産党が支那大陸全体を支配するようになってからの70年近く、旧上流階級の文化を否定し、わが国の歌舞伎に相当する庶民演劇である京劇を最高芸術に祭り上げるという政策を強行してきましたから、1400年前には世界最高の水準に達していた、唐朝宮廷音楽は、影も形も無くなり、只、けたたましいだけの音楽しか聞こえてこなくなってしまいました。
唐の寺院や宮廷で演奏されていた楽曲がそのままの姿で残ったのが日本の雅楽なのです。
なぜそのような奇跡がありえたのでしょうか。
① 仏教とともに渡来した音楽が何時の間にか神社で演奏されるようになったこと
② 世襲の雅楽師集団が存在し、朝廷に仕えたこと
③ 彼らは、下人であったので朝廷の仕来りの一部として雅楽を元のままの形で子々孫々に伝えることを使命としたこと
等々が考えられますが、想像の域を出ません。
阿倍仲麻呂の乗船遭難の知らせを受け、李白が詠んだ七言絶句です。
返信削除哭晁卿衡 李白
日本晁卿辞帝都
征帆一片繞蓬壷
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧