下村脩氏と村上陽一郎氏に敬意を表する理由は、お二人とも 『閉ざされた言語空間』 に閉じ込められていないからだ。
まず、下村氏には謝罪しなければならない。
2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところで 「南部、益川、小林、下村4博士のノーベル賞同時受賞の快挙。とりわけ、南部、益川・小林3氏の物理学賞独占は、クラシック音楽についで学術の分野でもユダヤ人に追いつき追い越した証左。」 と書いたが、今日の日経 『私の履歴書』 を読んで、自分の無知と不明を恥じた。 これは、下村氏の業績、とりわけ、全米科学財団(NSF)の会長夫人の謬見とそれに追従する有機化学主流派の反論を孤軍奮闘して打破した勇気ある行動を知らなかった所為である。 このことは米国にもまた 『閉ざされた言語空間』 が存在したと言うことであり、それに対して果敢に挑戦しこれを突破した氏の偉大さを改めて認識した次第である。 ここに改めて不明を恥じ敬服の意を表したい。
そういえば受賞に当たって、氏が口にした言葉は意味深長であった。 「自分は受賞するなら 生物学賞 だと思っていた。 化学賞 だと聞いてびっくりした・・・ 」
もしかしたら、日本語で受賞者の業績を紹介したことと言い、米国勢に対するスエーデン政府の意地を見せたのかもしれない。
村上氏に敬意を表する理由は、氏が 『閉ざされた言語空間』 から派生する、あるいは意図的に流行らせられるミーハー的な略語(冬ソナ、スパコン・・・)に対して明らかに反感を示しているからである。 もっとも、私が期待するのはもっと直接的な表現で、それらの元凶であるマスコミを始とする勢力を叩くか、揶揄することであるが、ご自身がコラムニストとして登場するマスコミ(この場合は日経)を直接名指しで批判するのは憚られるのだろう。 せめて 冬ソナ、スパコン・・・の後に、カラオケ、スタメン、Gセブン、・・・と続けて欲しかった。 今後に期待したいところだが、東洋英和女学院大学長 の肩書きが有っては、期待するほうが無理だろう。 その意味では、氏も今のところ 『閉ざされた言語空間』 から用心深く外の気配を窺っているところかもしれない。
そうそう、東洋英和女学院 といえば、私のホームページ 『一期一会』 の 『追憶十話: その5・・・1962年63年の夏』 で紹介した 越智伸男君の母堂(故人:生前お会いしたことがある)、お姉さんともに同校の出身でずっとコーラス部に所属して居られたとか。 姉君はご健在で今でもコーラス部の大御所として活動されているらしい。 そのことを知ったのは、彼が私のホームページの 『追憶十話: その2 ・・・1959年19歳の夏』 で 「イギリス民謡:春の日の」 に関わる思い出を書いたのを見て、 「母や姉がよく歌っていたので子供のころから知っている大好きな歌だ。 ホームページの完成を楽しみにしている・・・」 と書いて寄こしたからである。 本題には直接関係がないが、今の私にとっては、生きる張合いのひとつとなっているので、敢えて此処に記しておきたい。
2010年7月23日金曜日
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