ここのところ、TVや新聞のいたる所で 『閉ざされた言語空間』の痕跡が目につく。 ベルリンの壁はドイツ敗戦の後遺症だが、目に見えるだけたちがよかった。それに引き換え、わが国敗戦の後遺症である 『閉ざされた言語空間』 は、いまだにびくともしないで、日本人の意識を目に見えない壁に閉じ込めている。
例を2つ挙げよう。
① 先日、どこかの TV 放送局(局という以上民間会社ではない筈だが)で、98歳の老医師が中学校か高校で講演しているニュースを流していた。 TV で見る限り件の老医師の講演の趣旨は 『命の大切さ』 ではなく、 『命の使い方--生き方の大切さ』 であった。それが証拠に彼は 「長生きすれば良いというわけではない」 と、はっきり言っていた。 しかし、これが教員やTV局(会社?)のお気に召さなかったのだろう。 わざわざ "良い子" を使って 「命の大切さを学びました」 と言わせている。 "良い子" も馬鹿ではないから、こういうときどう答えればよいかは百も承知である。 賢そうな女の子の白けた顔がせめてもの救いだった。
私が、そう断定するにはそれなりの根拠がある。 私自身、中学3年のとき、それをやらされたからである。 それ以来それまで尊敬していた社会科の教師の正体を見たような気がして、そのせいか東大受験でも世界史が大嫌いになってしまった。 当時、私は、市内にある桐生高校に入り群馬大学工学部に進むつもりだったから碌に入試勉強などしていなかったが、何の風の吹き回しか東大進学会の模試で全国7番になったのを 皮切りに県内1万人の高校受験生が参加する模試で県下1位になるなど教師達の期待を集めていた。 折も折、わが母校、桐生市立西中学校で県内のお偉方を集めた模範授業をやることになった。 そこで言わされたのである。 「敵国が攻めてきたら、抵抗せず両手を挙げて降参します・・・」 と。 そう言いながら私は悔しくて涙が出てきた。 それを見た教師やお偉方は私が感動して涙を流していると勘違いしたらしい。 そうです、そうです と言わんばかりに頷き合っていた。 私は屈辱にわなわなと口をふるわせるばかりで声も出なかった。 今、思えば似非人道主義者の昇進(後に市内某中学校の校長になった)の道具に使われてしまったのである。 わが人生最大の汚点である。 因みに彼の名は、私のホームページの 恩師 の中には、当然のことながら入っていない。
② 昨日の日経(吉田茂が「日本の新聞は読まない!」と言ったわけが良くわかる)教育欄に 『偉くなりたくない』 顕著 というタイトルの文章が載っていた。 書き手は 「日本青少年教育研究所理事長」 の千石保氏である。 そもそも比較の対象が、米・中・韓 で 英・独・仏 でないなど、初めから結論ありきの意図が見え見えであるが、氏が指摘する問題点は至極もっともで別に反論するつもりはない。 一言付け加えたいのはそのよって来たる原因である。 氏は所得格差とかいろいろ挙げているが、一番肝心なことを(おそらく意識的に)避けている。 つまり、小・中学校を通じて、いちども 「偉人」 を(個人的にではなく公式に)褒める教師に出遭ったことがないことである。 要するに日本には昔から偉人はいなかったことになっているのだ。 米国で大統領を貶す(政策の批判ではない)ニュースキャスターなどまともな市民とは看做されないが、日本では芸人風情が平気で自分達の選んだ首相に失礼きわまる罵詈雑言を吐く。 いったい何様のつもりか!
話が脇に逸れたので、本論に戻って私の体験した実例を紹介しよう。 一昨年の4月、私がまだ 東京情報大学 の教師だったころ、恒例の(どこかの会社が流行らせた)フレッシュマンキャンプと言う新入生1泊合宿に出かけたときの話である。 往路のバスの中で世話役の上級生が車内の新入生達に対して、自己紹介アンケート用紙を配り、記入内容を互いに隣席の学生に読み上げさせると言うゲーム(他己紹介と言うらしい)をはじめた。 そこまでは、別にどうと言うことはない余興に過ぎないが、驚いたのは、『尊敬する人は?』 という質問に対する回答である。 何と殆ど全ての学生が 『両親』 と答えたのである。 他は数人の学生が 『無し』 だった。 たった一人、中国古代の歴史家(思想家というべきかも知れないが名前を思い出せない)の名を挙げた者がいたが、それは中国からの留学生だった。 つまり、わが国のゾンビ教育では、今日なお、誰かを両親以上に尊敬してはいけない (と言うことは世の中に本当に偉い人などいる筈がない) と教えられていると言うことだ。 こうして、閉ざされた言語空間の中で育った青少年が、 『偉くなりたくない』 と答えるのが正解だと考えるのは当然のことである。
2010年6月29日火曜日
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この記事を書いたころ、この本がマスコミやネットメディアに取り上げられることは殆んど有りませんでした。
返信削除しかし、ここ1~2年、一気に世代交代が進み、健全な戦後1.5~2.0世代が存在感を増してきたように思います。それに反比例するかのように、内外の反日勢力(売国既得権集団)による過激な発言がエスカレートしていますが、大方の日本人や良識的な外国人にとっては、度を越しているという印象を与え、逆効果の反応が現れ始めたようです。
泉下の江藤淳も "閉ざされた言語空間" に風穴が開き始めたことを喜んでいるのではないでしょうか。この分なら100年を待たずに敗戦の後遺症から脱出できそうです。
とりわけ、イチロー選手の毅然とした言動には、日本男児ここにあり!の気概を感じます。
検閲協力者の証言
返信削除http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/4436057.html
焚書の実体
http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=105
いまに続く自主規制
https://www.facebook.com/yuko.kondo3/posts/990842420977273
大戦敗戦で今日まで表向き自律喪失、つまり思想捕囚にあると理解しています。ユダヤ人のバビロン捕囚とおなじです。しかし、その自律性、理性は厳然と埋もれ火となって絶えていないと信じており、また、確信をもっています。トランプ大統領が登場したのは、歴史的な転換点を示唆しています。幸い、安部自民党は、衆議院選に勝ちました。国民はばかげた連中にさすがに愛想が尽きたといえましょう。特に、希望の党のK代表の「排除」の言は、人のもつべき道義を持たない人間であることを国民は感応した。もっとも忌避すべき非道的なものを感じ取ったといえましょう。さて、これからは、安部自民党は、相当に襟をただして、いかねばなりません。ビスマルクのイメージを彼に重ねます。ちょうど、縁で、John Stuart Millの自由論を読んでいるところです。成熟した民主主義社会での個人の高い知性が意味するものをかれは、語っています。会社とおなじで、日本という国、社会も問題意識がうすれると、ただちに衰退する。問題がある、課題があるということは、議論、公論を活発化し、建設的な目的に向かって国民の意識が効用していく。JSMは、その過程で激しく議論する、討論するための基本的な人格の向上を提起しています。ただ相手を罵倒する、貶めることをもって公論をしているという勘違いをただそうという意味とみました。当時の英国もそうであったのでしょう。そういう場は、もうTVではなく、新聞でもなくなっていますね。そういう意味ではTrumpはネットに着もくした炯眼とみます。大河内先生の例の痩せたソクラテスを思い起こします。
返信削除今回の選挙における年代別自民党支持率は、20代、30代、70代、40代、50代、60代だったそうです。
返信削除私たち70代の多くは戦中の日本を幼心に記憶していますし、戦後の洗脳教育も小学生の間に通過していますから政治プロパガンダの影響をあまり受けないで済んだのでしょう。
私達70代が孫の世代を自虐史観による汚染から遮断する防護壁になったのかもしれないと思うと聊かの慰めを感じます。
希望の党のK代表の「排除」の言に対するご意見には賛成いたしかねます。新たに立党しようとするときに立党の基本目的(党是)に賛同できない人間を排除するのは当然です。むしろこれまでの政党が余りにも動機不純な輩をのさばらせ過ぎていたと考えます。その意味では小池代表の発言が正論で、それを非難するメディアや世論のほうが無責任だと思います。排除=差別というレッテル貼りは左翼の悪質な言葉狩りです。
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