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2013年12月23日月曜日

結婚式に相応しくない歌・・マルティーニ「愛の喜び」

60年代に記憶が退行したせいか、頻りに当時聴いた歌を思い出す。マルティーニの愛の喜びもその一つだ。

61年7月に級友の東君から、彼の姉が九段会館で渡欧記念リサイタルをやるので暇だったら来ないかと誘われて聴きに行ったことがある。立錐の余地もない満席だったこと、怖い先生方受けのする難しい歌が多かったこと、細っそりした美人だったというくらいの印象しかないが、アンコールで歌われたのがこの曲だということだけはよく覚えている。

当時、世界名歌集で楽譜を見て口ずさんでいたメロディーと合っていたので、義務教育レベルの読譜力でもまんざら捨てたものではないなと妙に安心したものである。東敦子さんの歌ったものをYouTubeで探したが、残念ながら見つからなかった。他の歌手のものは山ほどあった。

Elisabeth Schwarzkopf
http://www.youtube.com/watch?v=IjBNp07_qok

Kathleen Battle
http://www.youtube.com/watch?v=g7mpEatLGks

Saori Nakazawa
http://www.youtube.com/watch?v=OAk2p8zdC8M

Plaisir d'Amour Dresden (Andre Rieu Tour)
http://www.youtube.com/watch?v=WLYgXm8s3p4

この曲が何故、結婚式に相応しくないのか、歌詞を読んでみればわかる。

・・愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた・・
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
J'ai tout quitté pour l'ingrate Sylvie.
Elle me quitte et prend un autre amant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
Tant que cette eau coulera doucement
Vers ce ruisseau qui borde la prairie,
Je t'aimerai, me répétait Sylvie,
L'eau coule encore, elle a changé pourtant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

2013年12月16日月曜日

心に残る歌・・ヒデとロザンナ「愛情物語」

ヒデとロザンナの歌の中で、というより当時聴いた全ての歌の中で一番心に残る歌でした。これまでどうしてもこの歌が見つからなかったので、私の記憶違いかと諦めかけていましたが、えむんこえむこさんのお蔭で半世紀ぶりにやっとめぐり合えました。

http://youtu.be/ZePM3sX3Yfs

原歌詞はここにありました。

別れたあなたと 三年たって
街の小さなカフェで ばったり逢った
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
どうしてこんなに 胸がときめくの
忘れたはずの 恋人なのに

愛したあなたと 短いけれど
想い出にふれあって 時が流れた
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
あの頃二人 若すぎたのか
心とからだ しばりあうには

さらば、60年代・・はしだのりひことシューベルツ「風」

20代後半、丸の内でSEとして徹夜しながらシステム開発や食べ歩きを楽しんでいた頃だったと思います。徹夜明けで出かけた、信州上田から野尻湖、妙高高原の一人旅を思い出しました。
https://50yearsagotoday.blogspot.jp/2014/07/196281624.html?showComment=1516206626355#c8438314255644452624

先月、当時の相棒、大嶋誓一君が、この4月に他界したことを知りました。
3月に、竹馬の友、阿部佳文君が逝ってしまったときもそうですが、何だか自分だけが取り残されているような気持ちが募ってきました。



デビュー当時のシューベルツはこうでした。

歌詞は、コメントの中から見つけました。

人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人はだれも 人生につまずいて
人はだれも 夢破れ 振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ

振りかえらず ただ一人一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ


2013年12月15日日曜日

日本が国家として生き残る最後の機会・・障害は、特定秘密保護法に対するアレルギー

マスコミやその報ずる世論による特定秘密保護法悪玉論が喧しい。
本来ならば、機密保護法がないことを恐ろしがって然るべきだと思うのは私だけだろうか。
年寄りが次の世代の議論に口を出すのは野暮だと思うが、全会一致は無効というのが古代ギリシャ以来、民主主義の鉄則なので、敢えて一言・・・。

企業機密のない企業経営が成り立たないのと同じように、国家機密のない国家の自立がありえないのは自明で、機密保護法のない国は、今の世界に日本しかないと言うことだけは承知していた方が良い。

自国政府の公正と信義は、必ずしも他国政府の公正と信義と同じとは限らない。 それを押し通せるのは、覇権国家だけである。 安保理常任理事国が未だに覇権争いをしている所以であり、最近は、イランやインドも参戦して来たようだ。

日本のマスコミと教育界では、国家対国家の議論をタブーにして、国家対市民の関係のみに、人々の関心を閉じ込めようとしているが、そういう風土もまた日本だけである。
ハーバードにも、オックスフォードにも、外交、防衛等の講座がそろっているのに、日本では最近になってやっと東大法学部に安全保障という遠慮がちの名称の講座が出来たばかりだと担当教授が嘆いている。

マスコミがこぞって非難する中で、敢えて実名で反論する無名の個人は、私くらいのものだろうが、もし、私が有名人だったら今頃脅迫メールが殺到しているだろう。
twitter,  facebook etc. が、米国を始めとする、各国諜報機関の国際世論監視・操作システムとして活用(盗用?)されているというのは国際常識である。

2013年12月11日水曜日

社長と取締約の関係・・60年以上続いている公然の虚構!

商法で定める取締役とは会社の持ち主であり、その最も重要な仕事は、社長の任免であり、査定である。
戦後、連合軍の日本改造(実体は弱体化)政策の一環として行われた財閥解体と公職追放によって、主要な持ち主が一掃された後、あらゆる分野で一雇われ人に過ぎない部長レベルの人物が商法上の社員でもないのに社長に成り上がり、商法と連合軍の指示には形だけ従って、会社を私物化し、他の従業員と世間を騙し続けてきた。

このことは、上場会社の役員、マスコミ、学者やその他の評論家と称する人々の間では、公然の秘密というより、常識である。

それが何故かくも長期にわたって不問に付されてきたかと言えば、そのことに異を唱えたが最後、企業社会から追放されるか、場合によっては抹殺されかねなかったからである。
また、そのことに気が付く頃には、役員候補の一人くらいにまで "出世" しており、準共犯者になってしまうからでもある。 現に私自身、富士通の部長になった後、何年か後に、同期や後輩の何人かが役員になるまで、本当のところは分からなかった。

さすがに、最近では "執行役員" などという名目で商法上の役員ではない(つまり、オーナーではなく使用人に過ぎない!)役員もどきの役職を作って、相変わらず世間を騙し、従業員には飴玉をしゃぶらせ続けているが、乗っ取りの張本人である社長たちは、いまだに "会社は、従業員(の中から選ばれた自分!)の物だ" と言い続けている。

もちろん、戦後の混乱を乗り切る過程では、実務に精通していた練達の従業員を登用する理由はあったし、それなりの成果も挙げたことは確かである。しかし、それと同時にノブレス・オブリージュが徐々に失われ、悪しき官僚主義が蔓延り続けてきたことも、また厳然たる事実である。

例を挙げればきりがないので、一つだけ例示しておく。後は、 読者自身が自分の周囲を見渡せばいくらでもおかしな事実に思い当たるだろう。

例: 役員報酬の怪!

大企業が不祥事を起こしたと糾弾された際、役員報酬を何割かカットしてお茶を濁すのが一般であるが、それがどの位の額なのかは一切、触れられていない。
普通の人たちは相当な金額なんだろうと想像するかもしれないが、有価証券報告書に記載されている役員報酬総額を役員の数で割ってみれば、それが雀の涙ほどだと言うことがわかる。
世間の人々、とくに大半のサラリーマンは、役員になれば格段に給料が上がると思っている。
それは、事実でもあり、誤解でもある。要するに誤魔化されているのだ。

今の日本では、商法が、完全に形骸化し、役員(取締役)とは、従業員の長たる社長が任命するお小姓組に過ぎない。 社長の任免や査定はおろか、取締役会で社長に異を唱えるなど、決死の覚悟でないかぎり出来るわけがない。

したがって、役員報酬とはお小姓の忠誠心に対するご褒美であり、象徴的なものであるから金額が大きい必要はなく、僅かの差で一喜一憂させることができれば十分だということになる。
また、少ない報酬に甘んじているように見せる方が株主や世間からの非難もかわし易い。

では、彼らの高額所得は何処から来るのかと言うと、専務何々担当とか、常務何々本部長とかいう名の従業員としての給料である。
役員に取り立てられた従業員の給料が、その従業員ランク(平、常務、専務、副社長、社長等)によって一般雇用者とは隔絶していることは誰でも知っているが、それは商法で規定され、有価証券報告書に記載義務のある役員報酬とは別物である。

したがって、社長が引責辞任するときなど、代表取締役としての役員報酬は返上しても、従業員としての社長給料や退職金は満額受取って当然と言うことになる。
また、社長以下各取締役の所得の大半を占めている給料部分の公開を迫られても従業員の給料を公開することはプライバシーの侵害に当るという屁理屈で拒否できる仕掛けになっている。

重責を担っていると言う理由で高額の報酬を受け取りながら、その大部分は、しがない従業員としての給料だと言いはる無責任集団が我国の中枢に跋扈するようになって久しい。

以上が従業員による会社の私物化とノブレス・オブリージュの欠如の一例でもあり、淵源でもある。

2013年12月4日水曜日

日経"寸評"欄の特定秘密保護法案反対論・・あんたには言われたくない!

今朝の日経"寸評"欄に、特定秘密保護法案の "拙速審議" と可決後に懸念される "言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" が縷々述べられている。

これを読んで、反射的に浮んだのが上記 "あんたには言われたくない" という言葉であった。

寸評子は、"拙速審議" と言われるが、自分達が過去数十年に渡って "言論の自由" なる葵の印籠を振りかざして、我国を "閉ざされた言語空間" の中に幽閉し、"国家・国民の安全に対する懸念" を無視し続けてきたことには一切触れていない。

また、"言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" と言いながら、相変わらず、無政府状態の国々や米国を始めとする "似非民主主義先進国" における被支配階層の悲惨な現状に目を瞑っているのは何故だろう。

もし、専制政治が国民を不幸にするというのが事実なら、事実上の国王専制国家であるサウジアラビア国民は暴動を起こして然るべきであるし、その気力すら奪われているからだと強弁するなら、世界世論の先頭に立って反王政キャンペーンを張って然るべきであろう。

寸評子が懸念しているのは、自分達の "無責任な言論による専制政治" が責任を問われることではないか。

絶対王政時代の王権にも等しい自らの権力を恣意的に行使しながら、"政府・与党の悪意" に対する "懸念" を喧伝し続けるマスコミに対して多くの国民はそう感じているに違いない。

発言には常に責任が伴う。まして国家・国民の命運に関わる発言であれば、時には命も賭ける覚悟が求められる。 明治維新以来、文士・農民と言えどもそうしてきたし、今でも、内外の責任ある発言をしている人々はそうしている。

寸評子には、"先ず魁より始めよ" という言葉を進呈したい。

2013年11月14日木曜日

日経"寸評"欄の差別社会化懸念・・何を今更

今日の日経朝刊”寸評”欄に、クリスチーヌ・トビラ仏法相(嘗ての仏植民地ギアナ生まれの黒人)が、10月下旬に仏西部の都市アンジェで、集まった子供達から「猿」扱いされてからかわれ、それに対して何処からも警告の声が上がらなかったことが憂慮すべき風潮として紹介されていた。

寸評子の懸念は、単に人種差別に限らず、あらゆる分野で "PC(Politically Correct)" にうんざりし始めた社会が、嘗てのような差別の正当化に向かいつつあるのではないかと言うところにあるらしい。 蓋し尤もな懸念ではある。

ただし、こと人種差別に関する限り、これは今に始まったことではなく、西欧諸国がアフリカから、南北アメリカ、中東、インド、東南アジア、東アジアの全域を支配し始めた14~15世紀以来、一貫して変わらない白人の深層心理であり、対社会主義戦争の陰に隠れていた本音が徐々に剥き出しになってきただけのことである。

戦後生まれの世代の大半は、無菌状態の温室(家主は米国)で育ってきたので、この程度のことで憂慮したりするかも知れないが、戦前・戦後、彼らが日本人(を含む非白人)をどう見てきたかを知っている私(達?)としては、何を今更と言うしかない。 どうも寸評子は、"PC(Politically Correct)" に代表される "閉ざされた言語空間" の中で、空想的理想社会を夢見て居たいらしい。

参考までに、京都大学会田雄二教授が、学徒動員で出陣し、ビルマで英軍の捕虜になった時の体験を書いた、「アーロン収容所」の一節を紹介しておく。

「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」

「私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊の中には極度に反発を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人と同じように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気が付いたときだけだったように思われる」