明治における文明開化と欧風化政策は、日本文明を捨ててヨーロッパ文明を採用したのではありません。
彼らとの意思疎通の都合上、方法論と表現形式をヨーロッパ式にしただけです。 和算を捨てて洋算を採用したことや。英語国語化論を主張した文部卿森有礼を、福沢諭吉が完璧に論破したのはその好例です。 日本はヨーロッパ以上の文明国でしたから、ヨーロッパから取り入れたのは、役に立つ技術と知識だけでヨーロッパ文明そのものではありませんでした。 ①数千ページに及ぶ欧米回覧実記での結論は、彼我の差は40年と喝破していますし、それは、その33年後に日露戦争の勝利で証明されています。 ②江戸っ子の福沢諭吉は、長州の田舎者で西洋かぶれの森有礼を評して、辛辣な言葉を残しています。 「卿の如きは寄席の落語も講談も聞いたことも無きがごとし。」
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