(Scientific Modelling of Zen Concepts) http://oureternalmoment.web.fc2.com/ryakureki/inga_hitsunen_model.htm
これは、私の祖父、関口益三郎から、父、関口益男へ、そして私、関口益照へと託された(と私が勝手に思い込んでいる)祖父子三代に渡る宿題です。
祖父関口益三郎は、群馬県邑楽郡千代田村字茅野で関口本家の二男として生まれ、明治39年桐生町に歯科医院を開業するが、診療は程々にして『秋石』の雅号で書画骨董に勤しむ一方、曹洞宗の高僧 原田祖岳 老師来桐の折は、市内養泉寺に泊り込み、田中智学住職(慶大教授)とともに参禅するという道俗の間を往来する生涯を過ごしました。
昭和24年没。 享年70歳。 私が小学校4年生、10歳の時です。
私が中学生の頃、父から聞いた話によると、原田老師は、アインシュタインの相対性理論の登場に接し、これからは、科学者に "禅理" の解明を期待すると言っていたそうです。
また随一の高弟と目されていた 安谷白雲老師 は、70歳を超えて尚、欧米での "禅" 普及活動を続けていましたが、昭和42年、父が59歳で他界する半年ほど前、4半世紀振りに桐生の我が家に一泊されたことがあり、当時、27歳の富士通社員だった私もその謦咳に接した縁が有ります。
それ以前から、浪人時代、東大生時代、富士通社員時代、東京情報大学教授時代を通じて、この宿題が頭を離れることはありませんでしたが、俗事に紛れて(事寄せて)先延ばしを繰り返していました。
今回、図らずも急性A型大動脈解離で倒れたにも拘らず、九死に一生を得たのも何かの因縁と思い定め、このような毀誉褒貶の定かでない課題に取り組む決心をした次第です。
『 概念モデル 』 の構築
これは、論理でしかコンセンサスが得られなくなった近代以降の科学技術パラダイムとの近似的橋渡し手段として、一定の効用が有るだろうと想定して試みたものです。
人間の認識力に関するパラダイム転換が起こるのがベストだろうとは思っていますが、今のところ、物理学は、故坂田名大教授が夙に指摘したとおり、現象論からスタートして実体論の領域まで歩を進めてきたものの、本質論には一歩も踏み込んでいません。
サイエンスの世界と認識論の世界の距離は∞かも知れませんが、その極限点としての本質論にベクトルの方向を合わせているのは、今のところ位相数学とその応用としての超ひも理論くらいのものだろうと見当をつけています。
以下のURLは、このように考えるに至った思考過程を振り返ったものです。
『人は死ぬとどうなるか(究極の難題)』
その1・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/03/blog-post_12.html
その2・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_15.html
その3・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_19.html
その4・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_21.html
その5・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_50.html
その6・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_23.html
総集編・・http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/01/blog-post_98.html
追記 ・・https://byoshonikki.blogspot.com/2023/11/blog-post_10.html
此処から先は私の思考能力を超えるので、問題提起とヒントの提示に留め、後は若い天才たちの挑戦に期待したいと思います。
仮設概念モデル・・・とりあえずのメモであり、今後、いろいろ見なおしていきたい。
1. 宇宙(この4次元時空に限らず未知の宇宙を含む全ての宇宙)は、原因の無限集合とその結果の無限集合で満ちている。
2. 原因の部分集合が縁(未定義の概念) によって一つの部分集合を構成し、その結果としての何らかの現象(例えば4次元時空の場合、一定の時空間において生起し消滅する生命現象など)を起こす。
3. 部分集合としての現象がその活動(時空間)を通じて新たな原因の集合を作り出す。
4. 既存の原因集合と新たに加わった原因集合の要素が、縁によってまた新たな現象を引き起こす。
5. これら因縁果の連鎖を 『業(ごう)』 と呼ぶ。
6. 『色(しき)』 とは、これら無限に多様化する部分集合の反映であり、『空(くう)とは、これらすべての原因集合と結果集合を包含する全集合である。
以上のプロセスを仮定することによって、禅における 「業」、「縁」、「因果必然」、「色即是空、空即是色」、「生まれ変わり(=個体単位の魂の入れ替え) の否定」 等の表現を矛盾無く説明できるのではあるまいか。
但し、仮に識者の協力を得て矛盾の無いモデルが出来たとしても、今度はそれを如何に検証するかの難題が残り、とくに、ここで言う 「因果律」 を 「物理学的因果律」 とどう関連付けるかについては、今のところお手上げである。
結局、「只管打座」 に逆戻りするだけかも知れない。
しかし、数学的モデルであれば、少なくとも論証は可能だろうし、物理学的モデルであれば、いずれ何時の日にか実験による検証も可能になるはずである。 私としては、禅に有ってサイエンスに無いもの、、つまり、『縁』 の導入に一つの手掛かりが見出せないかと期待している。 例えば、原因I と原因J が結びついて結果IJ を生じるとしよう。このとき、無限に存在する原因の中から、なぜこの2つの原因が結びついて相乗効果を齎すのか、現代科学では説明を放棄しているが、ここに若し縁という作用が存在し、これら2つの原因を結びつける力として作用すると仮定すれば、現代科学を無味乾燥な確率論の世界から、意味のある因果応報の世界に脱皮させ、生き甲斐という言葉が重要な意味を持つ世界が現前する事になるかもしれない。
では、この縁なる作用の存在を如何にして検証し、計測するか、若しこれに成功すれば、それは世紀のと言うより、ミレニアムレベルの大発見となるだろう。 駒澤大学あたりですでに概念モデル作りに着手していることを期待するが、もしその気が無いとすれば 道元禅師 が嘆くだろう。
此処から先は私の思考能力を超えるので、問題提起とヒントの提示に留め、後は若い天才たちの挑戦に期待したいと思います。
仮設概念モデル・・・とりあえずのメモであり、今後、いろいろ見なおしていきたい。
1. 宇宙(この4次元時空に限らず未知の宇宙を含む全ての宇宙)は、原因の無限集合とその結果の無限集合で満ちている。
2. 原因の部分集合が縁(未定義の概念) によって一つの部分集合を構成し、その結果としての何らかの現象(例えば4次元時空の場合、一定の時空間において生起し消滅する生命現象など)を起こす。
3. 部分集合としての現象がその活動(時空間)を通じて新たな原因の集合を作り出す。
4. 既存の原因集合と新たに加わった原因集合の要素が、縁によってまた新たな現象を引き起こす。
5. これら因縁果の連鎖を 『業(ごう)』 と呼ぶ。
6. 『色(しき)』 とは、これら無限に多様化する部分集合の反映であり、『空(くう)とは、これらすべての原因集合と結果集合を包含する全集合である。
以上のプロセスを仮定することによって、禅における 「業」、「縁」、「因果必然」、「色即是空、空即是色」、「生まれ変わり(=個体単位の魂の入れ替え) の否定」 等の表現を矛盾無く説明できるのではあるまいか。
但し、仮に識者の協力を得て矛盾の無いモデルが出来たとしても、今度はそれを如何に検証するかの難題が残り、とくに、ここで言う 「因果律」 を 「物理学的因果律」 とどう関連付けるかについては、今のところお手上げである。
結局、「只管打座」 に逆戻りするだけかも知れない。
しかし、数学的モデルであれば、少なくとも論証は可能だろうし、物理学的モデルであれば、いずれ何時の日にか実験による検証も可能になるはずである。 私としては、禅に有ってサイエンスに無いもの、、つまり、『縁』 の導入に一つの手掛かりが見出せないかと期待している。 例えば、原因I と原因J が結びついて結果IJ を生じるとしよう。このとき、無限に存在する原因の中から、なぜこの2つの原因が結びついて相乗効果を齎すのか、現代科学では説明を放棄しているが、ここに若し縁という作用が存在し、これら2つの原因を結びつける力として作用すると仮定すれば、現代科学を無味乾燥な確率論の世界から、意味のある因果応報の世界に脱皮させ、生き甲斐という言葉が重要な意味を持つ世界が現前する事になるかもしれない。
では、この縁なる作用の存在を如何にして検証し、計測するか、若しこれに成功すれば、それは世紀のと言うより、ミレニアムレベルの大発見となるだろう。 駒澤大学あたりですでに概念モデル作りに着手していることを期待するが、もしその気が無いとすれば 道元禅師 が嘆くだろう。
曹洞宗教典―修證義―
返信削除―第一章總序―
生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に佛あれば生死なし、ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし、この時初めて生死を離るるぶんあり、ただ一大事因縁と究盡すべし、人身得ること難し、仏法値(お)うこと希なり、今我等宿善の助くるに依りてすでに受け難き人身を受けたるのみに非ず遇い難き仏法に値(あ)い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒にして露命を無常の風に任すること勿れ。
無常たのみ難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身すでに私に非ず、命は光陰に移されて暫くもとどめ難し、紅顔いずくえか去りにし、尋ねんと跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親昵従僕妻子珍寶たすくる無し、唯獨り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり、今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず、おおよそ因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり、もし因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つには順後次受これを三時という、佛祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理を効(なら)いあきらむるなり、しかあらざれば多くあやまりて邪見に堕つるなり、ただ邪見に堕つるのみに非ず悪道に堕ちて長時の苦を受く。まさに知るべし今生の我身二つ無し三つ無し、徒に邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん惜しからざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。
雑感1 「存在と時間」 について
返信削除2010年9月21日の日経朝刊、「私の履歴書」 で哲学者、木田元氏がハイデガーの 「存在と時間」 について書かれている。 要するにさっぱり分からなかったと言うことである。 氏だけではなく、他の日本の研究者も、ドイツの研究者にも分かっていない、あるいは、分かっていないのに分かったつもりでいる連中は大勢いたということであるが、早い話がハイデガーはドイツの大学に職を確保するため何かそれらしき論文を書かなければならなかっただけだ。 私に言わせれば、 彼の言う “Dasein”など駆け出しの禅僧が悟りもしないのに 「悟った!」 と思い込んで老師に一喝される魔境の類に過ぎない。 しかし、それにしても 「存在と時間」 というタイトルは流石というべきか。 かく言う私なども、高校生の頃、きっとそれを読めば、禅の悟りに近い思想が論理明快に述べられているに違いない、 少なくとも 相対性理論 よりは一歩先に進んでいるだろうと期待したものだ。
同じ日の日経夕刊、「プロムナード」 に、これまた哲学者の森岡正博氏が「時間の流れの真の意味」 と題する体験談を書かれている。 要するに一言で言えば、この一瞬はこの宇宙(時空と言うべきか)で、自分だけの体験する一瞬であり、しかも、次の瞬間にはもう存在しない・・・と言う趣旨であった。 「存在と時間」 の饒舌が徒に繰り返す “Dasein”よりこの方がよほど簡潔で明快である。
流石、日本の哲学者は違う、と感嘆したいところだが、これとても、まじめな禅僧が修行の初期に体験する通過点の一つに過ぎない。
こんなことは何百年も前に、「色即是空、空即是色」 の八文字で言い尽くされている。 勿論、それを体感することと、単に概念として理解することとは全く次元を異にするものであることを否定するつもりはない。 私自身、まだ概念としてすら理解できたとは言えない。
しかし、仮に 「色即是空、空即是色」 を体感できたとしてもまだその先がある。 つまり、何故、「空即是色」 なのかが体感できなければ悟ったとはいえないのだ。 禅語の中にその答ないし答のヒントを求めるとすれば、「因果必然」 に行き着くしかない。 私が因果の無限集合連鎖モデルを提唱する所以である。
雑感2 「佛家一大事の因縁」 について
返信削除不立文字、只管打坐 の教えに敢えて逆らうことになるが、「無限集合連鎖モデル」 に基づく一応の解釈を提示しておく。
この解釈に自信があるわけではないので、異論は大いに歓迎する。 そうして、徐々に正解に近づいていければ嬉しい。
『佛 家』 存在の不思議に目覚めた自分
『一大事』 自分が今こうして存在すると言う奇跡的現象
『因 縁』 その奇跡的現象の因って来たる因と縁の無限集合連鎖。生命体の営為に関する因果律。
「天上天下唯我独尊」とは、このことを言おうとしたのではあるまいか。
これを、概念的に解釈するだけでなく体感できれば、確かに手の舞い、足の踏むところを知らず・・・の歓喜が沸いて来ても不思議ではなかろう。
まさに、直指人身(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)とは、そのような体験を言うのかも知れない。 私などは、直指(じきし)も見性(けんしょう)もしていないので、未だ成仏(じょうぶつ)には程遠い心境にとどまっている。
雑感3 「解脱⇒悟り」 について
返信削除一般には、「無念無想」の状態を経て初めてこの境地に達しうる・・等々の説明がなされているが、ではこの「無念無想」とはいかなる状態を言うのか必ずしも明確でない。 無念無想と言いながら一方において、これは何も考えないと言うことではないという言い方は、まさに「禅問答」である。
私としては、これを所謂インプリント(刷込み)の一時退避に近い概念だと仮定したら旨く説明できるのではないかと思っている。
『無念無想』 悟りにいたる第一歩で、母の胎内にいた時以来の、一切の刷込みを一旦アンインストールすること。(至難の業!)
『直視人身』 新たな認識パラダイムを自在にインストールしうる白紙の自己(プラットフォーム)を獲得すること。(コンテンツとしての悟りではない!)
『見性成仏』 偏りのない認識パラダイム(コンテンツとしての悟り)のインストールに成功すること。(極めて稀だということは、法華経に書いてある!)
この過程で、偏った認識パラダイムに安住してしまうことを「魔境」に落ちるといい、正しいベクトルに沿ったパラダイムのインストールに成功することを「悟り」と言う。 その深さと大きさは、まさに ⇒∞ であると考えれば、釈迦や達磨も「大悟」はしたかも知れないが「徹底」したわけではなく、未だ修行中だという比喩も理解できる。
『臨済録』 に曰く、「釈迦に会っては釈迦を殺せ、達磨に会っては達磨を殺せ」
少なくとも、「因縁果の無限集合連鎖モデル」 には矛盾しないと思われる。
宗教家と科学者が逃げている2大テ-マ
返信削除1、究極の疑問: 生命体の営為に因果律が存在するか?
2、必須課題: 意識現象の実態究明
安谷老師が来宅された年についてはいまだに疑問が残っている。ご本人の揮毫によれば84歳の時だから、1865年生まれの老師はそのとき82歳だったことになる。しかし、父が他界したのが1967年だったのは確かだから2年のずれがある。矍鑠としておられた老師が間違えるとも思われない。おそらく老師は数え年齢を守っておられたと考えれば辻褄が合う。
返信削除老師の来宅目的が何であったかについてはさらに疑問が残っている。あるいは父に対して何か言い残されたの知れないが。父から聞いたのは、原田老師や白雲老師亡き後は伴鉄牛老師に凡てを託しているからぜひ会ってくれということだけだった。原田老師の在家の弟子だった祖父も安谷老師には親子のように指導していただいた父も、伴老師のことを聞いたことがなかったのでとまどっていたが、その月のうちに安谷老師に教えられた寺(東照寺?)へ出かけて行った。帰ってきた父から聞いたのは意気投合したということだけでそれ以外には何もなかった(?)らしい。実際にはきっと何か秘匿しておきたいことがあったに違いない。
そのごネットで知ったいくつかの情報を総合すると、伴老師は原田老師の全国巡錫の従者だったことで原田老師や安谷老師の公私にわたる言動を知悉していたため、戦後のGHQによる禅宗追及の圏外に置く必要があって、その存在を隠したのだと思っている。原田老師は大徳寺の小僧のころから西園寺公爵の庇護を受けていたという人もいるようだから、老師の全国巡錫の背景には正法の護持という表の目的の裏に皇統の護持という隠された使命があったのではないかと思う今日この頃である。西行、芭蕉、の類である。
焚書坑儒の標的にされた二人の禅僧、原田祖岳、安谷白雲のお二人とは祖父や父が在家の弟子として師事したご縁がありました。
返信削除彼らに対する誹謗中傷は基本的に占領軍の焚書坑儒やWGIPと、それに便乗した反日・革命主義勢力に洗脳されきったゾンビ世代のプロパガンダでしょう。 GHQにとっては抹殺すべき存在だったのでしょうが、今日、バチカンを含む欧米で最も評価されているのもこの二人の弟子たちです。
ここ10年ほどネットサーフィンを試みたが私の疑問に答える研究は見当たらなかった。しかし、久しぶりに改めて探してみたら下記のプロジェクトの報告が紹介されていた。成果の評価はともかく、禅思想を科学の俎上に載せるという試みがスタートしたことを多としたい。
返信削除日本哲学の全体像把握のための国際共同研究
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-18320012/
欧米の一部知的社会で「禅」が注目され始めてからかれこれ100年になりますが、殆どが無宗教化(世俗主義:仏語で言う”ライシテ”)に伴う精神的空白を埋めるための代替アイデンティティ(各種イデオロギー、反ユダヤ、反イスラム)の延長でしか捉えられていません。 「禅」思想が宇宙論の延長で科学界の大命題として認知されたとき、初めて西洋科学は反キリスト教という重箱から抜け出せたと言えるでしょう。
返信削除https://byoshonikki.blogspot.com/2016/04/blog-post_15.html