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2017年8月26日土曜日

丸山眞男と安倍晋三の共通点

 安倍首相がトランプ大統領に対して、「あなたと私には共通点がある。二人ともメディアと戦って勝ったことです」と言って意気投合したという話は今や伝説的な語り草になっている。
この時を以って両者はアンチ・ナショナリストとの共闘を誓い合う盟友となったに違いない。 
では、丸山眞男と安倍晋三の共通点は何か?
それは、メディアが意図的に作り上げる虚像の横行である。
丸山は左翼反日知識人の巨人として、安倍は右翼国粋主義者の巨魁として、実像とは似ても似付かぬイメージが国内はもとより欧米エリート層にまで浸透しているが、いずれも本人にとっては極めて不本意なことである(あった)。 

丸山嫌いの人々(私もそうであった)にとっては納得しがたいことかも知れないが、そう言う人で丸山の著書を読んだことのある人は恐らく皆無だろう。
殆んどの人々は右あるいは左側のメディアや評論家のいうことを鵜呑みにしていると言うことは、今回の「もりかけ」事件におけるメディアの常軌を逸した偏向報道を見れば疑いの余地が無い。 
安倍首相がメディアの捏造報道と印象操作に手を焼いていることは今やネット民の間では常識となったが、丸山が、論壇や新聞・雑誌が作り出す「反体制の旗手」と言う虚像に手を焼いていたことは未だに左右を問わず誰も言わない。 

こうしたイメージに毒されて丸山と聞いただけで拒絶反応を起こしていた私が、何十年もつん読状態だった彼の「日本の思想」を読む気に成ったのは8年前に大動脈解離で死線を彷徨い、以後一切の職務と縁を切って暇を持て余したからで、そうでもなければ、食わず嫌いで本棚で埃を被っていた丸山本など読むはずは無かったろう。
一読して、人伝の話で会ったことも無い人物のことを云々することが如何に不当であるかを知った。
詳細は、同書(岩波新書版あり)の一読をお薦めするが、以下は私なりの寸評である。 

・・彼は西洋かぶれでもなければ西洋基準で日本を論じているわけでもなく、逆に明治以来の日本人思想家がアンチ西洋や脱西洋を論じながら、その方法論がどれも西洋思想の亜流でしかないと言って嘆いている。
要するに脱西洋という発想自体が西洋思想の根底を為す2項対立概念の域を脱していないと言う正論である。
また、彼は、全ての言説がメディアによって形成されたイメージを強化固定する方向でしか伝わらないもどかしさを嘆いている。
本書を読んで私の丸山感は、左翼扇動知識人から親西洋でもなく、反西洋でもない自立した日本思想を模索する生真面目な学者へと変わった。
ただ、一点不満だったのは「だったら何で自分がそれを打ち立てないのだ。それが知の巨人を気取るとは何事か」と言うものだったが、それこそ丸山自身が本書で繰り返し指摘している根拠の無いイメージに基づく批判だと言うことに気づくのに時間が掛かった。
「知の巨人」と言うレッテルは雑誌社や彼の名を盾に取りたい左翼勢力の都合で作られたもので彼自身の意思でどうすることも出来なかったのだ。 

ところが、最近松岡正剛氏の下記ブログを読んだら、晩年の彼は空海、最澄から宣長、松蔭にいたる日本思想の源流を独自の方法論で捉えようとしていたらしいことを知りました。
http://1000ya.isis.ne.jp/0564.html 

・・そこへ『自己内対話』(みすず書房)を読む日がやってきた。これがやっとトリガーとなった。3冊の未公開ノートを編集したもので、ぼくのような編集屋が見ると、かえって構想と断片との関係がよく見えてくる。実にすばらしいノートであった。なんだか丸山が優しくも見え、また切なくも見えはじめ、しかもその思考の構図が手にとれるようになった。  こうしてふたたび丸山を読むようになったのだ。  で、『忠誠と反逆』である。  本書では、丸山の思想のセンサーが動こうとしているところがよく見えた。これまで気取った知識人として防備されていた表層が剥落していって、その奥が覗けた。そしてその奥に、ぼくにはわかりやすい丸山の長所と短所が見えた。

2 件のコメント:

  1. 松岡正剛氏によれば、今回全集に収録された未公開ノート3冊分の行間からは、丸山が生前発表してきた自説に必ずしも満足していなかったこと、日本思想の本質は決してそのようにヤワな物ではなく、深いところで一貫した原理が作用しているはずだと言う直感を抱き、それを唯の直感としてではなく独自の方法論で体系化しようとしていたらしいことが読み取れるそうです。彼はその体系化が未完であったために発表を躊躇っていたのではないかと思われます。望むらくは彼にあと10年の時を貸してやりたかったと惜しまれますが、きっと松岡氏が遠からず千夜千冊の次の一冊として取り上げてくれるだろうと期待しています。
    全集を買って読めばよいのですが、今の私のお小遣いでは手が出ません。

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  2. >また、彼は、全ての言説がメディアによって形成されたイメージを強化固定する方向でしか伝わらないもどかしさを嘆いている。
    本書を読んで私の丸山感は、左翼扇動知識人から親西洋でもなく、反西洋でもない自立した日本思想を模索する生真面目な学者へと変わった。

    この「生真面目な学者」と言う語を書いたとき、故大河内一男東大総長が卒業式の数週間(?)前に行われた最終講義の冒頭で語った言葉を思い出す。
    ・・「学者と言うものは因果なもので、いったんこうだと言ってしまったことは、後でこれはまずかったなと思っても変えるわけにいかない・・・」
    http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/02/blog-post_03.html

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